塾に通ったり家庭教師をつけたりすれば自動的に成績が上がるというものではない、ということをまず確認すべきです。つまり、本人自身も努力しているという前提で、以下述べることにします。
(1)本人自身も努力しているのに成績が伸びないとか、学習に取り組む姿勢が却って悪化しているとかいった場合
塾や予備校は[特に「一流」と言われているところは]全体指導方式のため、その枠組みに本人が合うかどうかを検討すべきです。成績優秀者が通っているから・友達が多いからなどといった動機のみで漫然と通い続けるのは有害無益です。個別指導を唱ったり、一人一人に対応することを唱っていても、実情はその教室の既存の枠組みに各個撃破的に子供を組み入れるものでしかない場合が多いでしょう。又、蚕部屋のような仕切り内での個別指導は、ひと頃はやったカプセルホテルのようであって、そこに通う子供の将来像を予知しているのではないか、とさえ思われてきます。一教室に先生一人・生徒一人(従って、授業料も相当高額になります。)で、その都度これまでの子供の進度に合わせた教材を用意して対応してくれるようなところがベストです。
家庭教師の場合も、会社方式のところは、塾と同じ背景図式を持っています。一流中学にたくさん合格させた先生は、これだけやれば絶対受かるという確信を持って、生徒にではなく先生に合った教材をやらせようとします。小学4年生段階からこうした先生についていれば(遅くに始まると間に合わない場合が実に多い。)確かに受かるでしょうが、子供の得られる達成感があくまで他律的であって、合格後の学習に弊害を及ぼす恐れがあります。(「一流中学に合格したのだが…」という、よくある問題にぶつかるかも知れません。)尤も、子供主導で進めると、家庭教師の豊富な経験が生かされず、又、先生も自尊心を傷つけられたりして積極性を失うこともあります。(特に一流大学出身の場合)子供が全てを決定するならば、先生の立場からは、準備のしようがなくなります。
塾や家庭教師に共通して、より深刻な問題は、子供の学力・習熟度に見合わない課題を塾や家庭教師が与え(その際には、保護者の要望が大きく作用してもいるものです。本人に見合った課題からじっくり進めていこうとすると、「こんなレベルの問題はやる必要がない」とか「これでは志望校に合格出来ない」とか苦情を言う保護者が多いのです。)、本人にとってはどうにも手のつけようがない「学習」に取り組まされることもあるということです。腹蔵のない《三者面談》が不可欠でしょう。学習に取り組む姿勢が悪化してきたとか意欲が萎えているとかいった問題症状は、決まってこうした背景から生まれているのです。
(2)「活気」のある塾は、生徒間に問題を引き起こしている場合が多い。
子供が積極的に発言したりして「活気」のある教室は、内部者の立場から子細に検討すると、ちょうど学校の教室での力関係を塾内に再現したようなものであって、周囲に圧迫されて縮こまっている子も散見されるのです。先生がだじゃれを飛ばしたり子供たちをワッと笑わせたりしている教室は「活気」があるように見えても、その「活気」は先生の授業内容の貧弱さを覆い隠すために演出している場合が実に多いものです。(この点では経営者の姿勢―彼・彼女がシナリオを書いている場合もある。―が大きく影響しています。)ひどい場合には、生徒間の暴力・いじめが潜在しているところもあるのです。いじめられて萎縮している子供―通常は「少数者」でしょう。―の保護者の相談に対しては「辞めますか」で片付け、威勢のいい子を優先する例が多いのです。教室の「活気」は「客寄せ」効果が大きいからです。
(3)合格者数や合格率を唱う塾の背景
宣伝の派手なある塾の場合、刑務所内での入試問題印刷を担当している印刷業者から入試問題を入手して、「特訓」に用いていると(当の印刷業者から)聞いたことがあります。かつて業者テストが盛んであった時代には、その業者から問題内容を入手しようとしたと(当の業者から)聞いたこともあります。私に言わせれば、そこまでやっても落ちる生徒を生みだしているのだから、相当に悪質だな、と言うことになりますが、皆さんにとってはどうでしょうか。保護者の立場からすれば、「要するに受かりさえすればよい」と言うことで、「その塾の名前を教えてくれ」と言うことになりませんか。でも、合格者数や合格率を唱う塾は、その塾内で成績トップのクラスに重点指導を行うわけです(あとは「お客さん」と呼ばれることになります)から、その塾の資金力を増すのに寄与するだけに終わる結果となりかねないでしょう。
私は、入試は人生の一こまでしかなく、受かるに越したことはないが、合格後に憂いを残さないように対処すべきであると思ってきました。真の試練はもっと先にあるでしょう。その際に、幻想の「学歴」が重しになってはならないのです。3年間お預かりすれば、地方の県立高校のトップとされるところに合格させる(本人が自力で受かったと得心する)のは当たり前のことです。(それでも、合格率を唱う塾がはびこっているということは、当たり前のことが出来ない塾が溢れているということでしょう。)その先を見越して底力が身に付く指導を行うことが肝要でしょう。
(4)「高卒」教師
私が子供の頃は、夏休みに限ってですが、近所の子供たちが集まって、学年の上の子が下の子の面倒を見るという催しがありました。教室ではうだつの上がらない子でも、学年が下の子の学習内容についてならば、ある程度の「指導」が出来るものです。中学時代には「高校程度まで俯瞰する内容の教材に取り組めば、今の課題に対する見通しがよくきくようになり、易しくこなせるようになる」といった趣旨のうたい文句を並べた参考書をこなしていました。いずれにしても、より高いレベルに立てば、今現在の課題が一層見通しよく理解出来、応用力も身に付きやすいということです。その意味で、塾長や講師が、肩書きではない真の学問を果たして、又どこまで究めて来ているのか、ということは重要だと思います。手塚治虫の「ブラックジャック」という漫画は、医学博士としての背景があればこそ書き得た作品だと言えるでしょう。これに限らず、たとえ分野は違えていても、培った底力というものは、少なくとも究極的には、発揮されるのです。
「教育」産業が旺盛を極めるにつれ、人材の青田刈りも激化し、大学生とはいっても、その「勤務」先に一日の殆どを拘束されるに到っている例が多くなっています。卒業生であっても、その「勤務」先に拘束され続けて来たに過ぎない例が多いでしょう。つまり、彼らは実質的には「高卒」なのです。しかも、不幸なことに、彼らは、その一日の大部分を拘束される「勤務」先では、あくまで臨時雇いの地位に押しとどめられているのです。(種々の保険の適用なしとか)
塾講師や家庭教師に学歴は関係ない(学歴の低い方が、子供の学習課題の困難さなどを実感出来るでしょう。尤も、教材や指導方法について新しいものを開発しやすいと言えるかどうかは疑問ですが。いずれにしても、多角形の面積を求めるのにどう補助線を引いて分割するかに蘊蓄を傾ける人もいるわけですし、それはそれで授業内容を活気のあるものにするかも知れません。)、というのが私の基本的な考え方ですが、逆にそれに振り回される(学歴無用論とか)のはもっとよくないと思います。尤も、地方では「中卒」教師が多いのも実情です。一流とされる高校に受かると、知り合いに頼まれてその子供の学習指導を行うようになり、そのまま塾になってしまったという例を聞きました。地方で長年やっている塾の実情は、そんなところです。
学歴如何が発揮されるのは、視野の広さ・奥行きの深さにあります。それは、じっくりと講義を行う形態・一人或いは少数の子供に専心してあれこれの問題解決を指導する形態などの場合です。如何に立派な先生でも、その持つ広く深い力量が遺憾なく発揮される形態を取っているかどうかに注目すべきでしょう。「東大卒」(実際は聴講生になったことがあるに過ぎない例が多いものです。)の先生が、だじゃれを飛ばしまくるのはおかしい(聴講生になっただけならば、それは自然かも知れませんが。)と感じるようでなければいけないと思います。
(5)入塾などを申し込んだ際に受けたイメージ的なものは、訪問販売に特化した悪質企業のそれに酷似している。
予期せぬ時に訪れる訪問販売に対しては、誰もが弱点をさらけ出し、手玉に取られやすいものです。家庭内ではくつろいでいるものですし、特に日本では客をもてなすべしという醇風美俗があります。悪質企業は、事前の不当企画に基づき、被害者側の状況を掌握してからことに及んでいますので、玄関先にセールスマンが現れた時には時既に遅しといった場合が多いものです。
「子供の成績を上げたい」「合格させたい」という欲望は、「自分を幸せにして欲しい」などといった例と同様に包括的で抽象的なものです。それは、如何にすれば成績が上がるか、如何にすれば合格出来るかを子細に考え、その手順・道筋を考えてみれば明らかでしょう。とらえどころのない欲望だったらば、いかようにでも対処出来るのであって、あとはどう丸め込むかの騙しのテクニック如何によるとさえ言い得るのです。塾の受付窓口であれ、自宅を訪問した家庭教師のセールスマンであれ、十分に訓練を積んで客を手玉に取る手法に特化した者があなたを丸め込もうとしているのです。(その分、肝心の塾講師や家庭教師そのものの訓練はお粗末極まりない。と言うよりも、そういうところの経営者のレベルに照らせば、訓練しようがない。)一ヶ月のお試し授業でも、「和気あいあい」の雰囲気に丸め込まれるだけでしょう。「あの先生の話は分かりやすい」という母親の口コミも、その子が本当に分かっているかで判断すべきでしょう。
(6)口コミについて
直接に当の家庭教師に依頼する場合は別でしょうが、家庭教師紹介業者を選択する場合や、特に塾を選択する際には、皆さん誰もが口コミに頼ると思います。問題は、現代社会に於ける「口コミ」が、それ本来のものであり得るかということです。(この点は、ワルター・リップマンの「世論」を参照すれば、一目瞭然となるでしょう。一般の人にとっては、百年前に出た本とは思えない新鮮さで読める筈です。)塾経営のノウハウは、如何に口コミを操作し、子供に友達をかき集めさせるかの手法に満ちあふれています。それでなくとも、先行投資が少なくて済む塾業界は、地域的な勢力支配を行使している政治屋などと連動して、コネや腐れ縁を動員してさえ「お客さん」(=どうせたいしたところに受かるわけでもないが、ぴたぴた授業料を納めてくれる人)集めに血道を上げているように思われます。あちこちでいろいろな人から「○○塾は良いわよ」などと聞かされているとか、政治屋との関係が噂される塾こそが、口コミを操作しているのです。あとは、それに踊らされて喜々としていられるかどうかという保護者の矜持の問題となるでしょう。この意味で、「学歴の低い保護者は騙しやすい」とうそぶく経営者も多いのです。
(7)塾の形態について
塾長一人で何でもこなしているところは金がなさそうでみすぼらしいが、大量に講師を抱えていると立派そうに見える、というのが一般的に避け得ない印象でしょう。
講師を雇う目的は幾つかあります。
@経営者自らは授業が出来ないので、人任せにせざるを得ないのです。
A保護者のクレームがあった時に、「太っ腹の」経営者が奥の方から出て来て、怒り狂う保護者を慰撫し、丸め込むことが出来ますし、場合によったら、担当講師を首にすれば済むわけです。
B「三人寄れば文殊の知恵」というように、多人数抱えている方が、講師の側に「分からない問題」が出るのを極小化できます。
C人をたくさん雇えば、その人脈自体が潜在的な「お客さん」になってくれますし、口コミにも一層力が入るでしょう。
D生徒数の多い塾の業績は生徒全体のうちの何割が(地元で一流とされている)学校に受かるかで決まりますから、生徒一人一人の個性などは顧慮する必要さえなく、生徒の成績を入れて種々に色分けした―合格可能か、滑り止めに押し込んで貰えるか、ただ金を納めるだけか―データベースが全てということになるでしょう。尚、公立学校の進路指導が実効力を失うに連れて、上級の学校(大学・高校など)は低級の学校(高校・中学など)には目もくれずに「進学教室」や学習塾に色目を使うようになっています。まずは大量に受験させて貰って、受験料を頂きたい、というわけです。塾の側も、「お宅(主として私立の高校・大学)にはそこそこの成績の子を何人まわすから、お宅のレベルには劣る子を何人受け入れて欲しい」と申し入れて了解を取っているわけです。受かる筈もない子が○○高校や大学に受かったという話を聞きませんか?その裏側はこうなっているのです。勿論、各人の成績は上下しますし、本人の努力如何が最後の決め手となるわけですが、あなたのお子さんは、その通う塾のデータベースの中でどのように色分けされているでしょうか。そして、裏側から合格しても、子供本人はその学校で立派にやっていけるでしょうか。
総じて、組織化するということは無責任の体系化でもある、ということを銘記すべきではないでしょうか。
結局、江戸時代の寺子屋のように、経営者自らが学問好きであって、率先して授業を行い、又、それなりの学問研究にも打ち込んでいるといった古典的形態のところしか、誰もが(落ちこぼれや成績不振児は勿論のこと、秀才や天才も含めて)信頼するに値するところはない、ということなのです。そして、江戸時代のように、それぞれに個性を持った塾長の経営する寺子屋が各所に林立する、これしかないと思います。資本力や政治屋との腐れ縁が物を言う現代では、昔に戻って、親自らが指導するほかにはないのではないか、と思います。さもなければ、なるべく早くに、エスカレーター式の一流私立に入って、長期的な俯瞰を持った指導を受けるべきでしょう。そうなれば、いわば大学院の「特殊研究」のような授業もありますから、親の立場からも積極的に指導に関与できる筈です。又、子供本人の自主的な研究を長期的に展開する余裕も生まれるでしょう。特にこの点では、専門的な立場から助言できる大学院生を家庭教師に雇う意義も生まれてきます。こうした創造的道から我が子を遠ざけ、入試のない・或いは入試が易しい「公立」学校というはきために子供を長期に亘って放擲する所為は、我が子を殺害する悪行に匹敵する、と私は思っています。
塾・家庭教師の問題について