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今夜の番組チェック
- 親の社会的地位が勘案される場合が多いとされているが、「職業に貴賤はない」ということは、少なくとも一応は小学校入試にも通用しているであろう(例えば幼稚舎の場合もそうだ。)。職業や収入(尤も、学費を納められるかどうかは、特にそれが高いところでは、重視されるであろう。親の勤め先が倒産したり、親がリストラされたりした場合を想定しておくのも、受け入れる側としては避けるわけにはいかないであろう。)を理由に落とされたと嘆いている場合には、親の矜持というものが子供に反映して、不利に作用していただけであろう。例えば、「いくら金持ちでも、○○小学校には入れない」などと嘆く親が田舎には散見されるが、そんなに金持ちなら自分で学校を作ればよいということに思い至らない点―およそ知性とは縁がないとか、自分では教育できないという・悪い意味での他力本願な思いこみとか―にこそ、不合格の理由があったと思い知るべきなのである。
- 親・兄弟に卒業生や在校生がいる場合は有利に作用する―寄付金をぴたぴた支払ってきたとか―のが通例であるが、もし落ちた場合には、在校生の兄弟姉妹が問題児とされていると思って、その子の方の対策を講じる必要がある。
- 願書を貰うために電話をかけたり訪問したりすれば、その際にはもう入試は始まっているのと同じだということに留意すべきである。
- 田舎の国立大附属は別とすれば、成金趣味は不利であって、落ち着いた・上品な雰囲気(これは、そう簡単には醸成出来ないものであろう。)がポイントであろう。尤も、上場土建屋の孫も入っているところからすると、要は演技力―それをどう行使するかの見極めが出来ない場合が多いようでもあるが―ということになろう。
- 良いところは親の面談がかなり重要となるので、付け焼き刃では難しい(面談で、素性や普段の家庭生活ぶりがばれやすい)。
- 入試問題(運動機能面も含めて)そのものは一定の範囲内に収まっているので、事前に準備をしていれば、(面談の成果などで落ちる場合を除けば)合格は容易である。この意味で、試験内容の最大範囲が決まっているという点から見るならば、(当の受験生たる子供から見ての)難易度は別にすれば、地方の公立高校入試と似ているであろう。
- 入試問題の範囲も含めて、ノウハウがある。テレビで宣伝しているようなところでは不合格になり易いであろう。どんなノウハウかということは、子供を受け入れる側の立場で考えれば、ある程度は想像がつくであろう。
- 上と関連するが、これからは、以前の小学校入試に特化した教室が使い慣れたような・その意味で枠にはまった出題は減少して、型破りに創造力を試すような出題(この点では、既に早くから幼稚舎が先行していたように思われる。)がますます増えるであろう。体験発表・意見陳述・問題発見的発話などである。
- 小学校入試の指導もやりがいがあるもので、本人の遠い将来を大枠で規定付けるのかと思うと、力が入るものなのである。仮に受けないとか受ける機会がない場合でも、小学校入学前に、受ける積もりで「受験」勉強をしてみる価値はある。
- 中学入試には範囲はないのであるから、いくら早く準備を始めても早すぎることはない。又、入試との関連づけを外してみても、そもそも人は、生まれた時から、その膨大な脳細胞が死滅し始めるのだということを忘れてはならないであろう。人類誕生以来、そのポテンシャルは、その殆どを活かされることなく消滅し来たって今日に至っているのである。(似たような愚行が、歴史上、どれほど繰り返されたことか。)その意味で、胎児教育などにもそれなりの効果はある筈なのである。そうはなっていない(せっかく胎児教育を行っていたのに、成長するに連れてぼろが出て来る)というのは、胎児教育まで行うほどの熱意が、やがて親から消えてしまう(=親の方が疲れてしまう)ところに原因しているのである。親が積極的に働きかけて成長を見守りだしたからには、積極性を薄めるきっかけを見極めるのが重要であると共に、それは本人の自我意識が相当に発達した段階でなければならず、あくまで本人の了解を得てから薄めるべきであろう。
- 子供が受験以前の状況である場合は別であるが、それ以前の状況である場合にこそ、遅くも高校入試までにはトップクラスに追いつけるように対策を講じなければならない。ただ、その十全に構想された筈の対策を無駄にしかねないのが、幼稚園などの集団生活のもたらす混乱である。エジソンの母を見習って、我が子が遅れ気味だと思えば、家庭という・構成しやすい環境でみっちりと仕込む方がよほど効果もあるし、そうした方が、深夜のコンビニ駐車場にたむろする現代若者の如くには汚染されていない―そもそも、群れることは悪を胚胎させるのである。―純粋培養の英才を養成できると思われるのである。
- 遠い将来を射程に据えた教育を考えていく場合、小学校入学前に、果たして、又、どれだけ勉強しておくかは、小学校入試の如何に拘わらず、この上なく重要である。エスカレーター進学を見込んで附属幼稚園に入学した場合は別であるが、「お遊戯」だけの幼稚園に預けることは時間の無駄であって、その成長の目を潰すことにもなりかねないのである。××式などと唱った子供だましの営利教室に通わせるのも同様である。(幼稚園でも、単なる「ほったらかし」にすぎないくせに、△△式と唱って美化しているところが多い。一部の欧州社会のように自然環境に恵まれている場合にのみ、「ほったらかし」は効果を持ちうるのである。)又、田舎によくあることであるが、公立高校入試を控えてからばたつくのは愚の骨頂であって、遅くも小学校入学を意識しだした時には準備を始めていなければならないのである。キリギリスになってしまっては、―そうなる場合、親にも問題があろう。―我が子をも犠牲にすることになるであろう。