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「現実」体験について

 広告に例をとると、昔は活字で能書きを並べるのが主流だったでしょう。しかし、昨今では、受け手に提示される「仮想世界」は文字だけを越えて2次元(画像の多いチラシとか)・3次元(タレントを用いたテレビ広告や、端的に試用させる手法など)になりつつある、と言えますよね。これは、仮想の世界のものである広告などがより<現実化>しつつあるということでしょうか?能書きを読んで、受け手自らが、この商品を買うと自分の世界がどう変貌するだろうか、と想像するのでは、送り手としては歯がゆいということが前提され、むしろこの想像の世界をこそ、人気タレントなどを駆使して強力に統制しようとする広告が氾濫しているでしょう。その商品がもたらすという快適・喜び・幸福などを彼らに巧みに演じさせれば、受け手は感情移入さえしてその仮想の世界の住人になってくれるわけです。subliminal advertisingも駆使すれば、その効果はいやが上にも高まるでしょう。しかし、総じて、それらは、一種の<洗脳>ではないでしょうか。自らの嗜好さえをも統制されてしまうという強力な支配と言えるのではないでしょうか。我々は、ここでも主権者(「お客様は神様です!」)ではなく、支配・操作の客体におとしめられている、という側面もあるのは確かでしょう。だまされているとしても、それなりに便利・快適・幸福になれるならば、それでいいではないか、とも言えそうです。しかし、そうした論理はゆくゆくは「家畜の論理」に成り下がらないとも限らない、ということは確かでしょう。屠殺場に送られるまでは毎日ご馳走にありつける豚さんは、真に幸せであると言えるでしょうか。既にして我々は、日常の場面に於いても、<Big Brother>の虜に成りつつあるような気がするのです。その脈絡に於いても、言語表現の主体たる立場を保持することは重要であると言えるでしょう。問題状況を捉えるためにも、それに対抗して己の主体性を発揚するためにも、絶えず言語表現の主体であり続けるということが前提になると思うのです。
 広告に見られるように、「直接」体験を仮想世界で擬似現実化するということは、思考経済にもなじむもので、飛びつきやすいものなのですが、かかる立場を常に保持した<構え>がますます重要に成りつつあると思います。能書きではなく、その提示された世界での推移を「現実」的に体験させるという手法は、ある意味では極めて親切でもあります。これとの対比に於いて、能書き広告だけの通信販売を想定してみれば明らかでしょう。そういう点では、virtual realityはこれからもますます進化していくだろうと思います。そして、それは誠に結構なことではあるのですが、上記の留保も又、ますます重要になっていくであろうということです。

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