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今夜の番組チェック

基本的には、どんな子供でも無限の可能性を秘めていると考えております。「親子の対話が成立しない」とか「何を言っているのか分からない」と言われた子供が、アナウンサー顔負けに流暢にしゃべりまくるようになったのを見ると、そう思わざるを得ません。うめき声しか出さなかった子供がハスキーな声を出すのを聞くのは快感です。

尤も、今の世の中は子供だけを特別扱いして(特に責任の点で)ちやほやしようとしている(悪さをした子供を甘やかして、被害者側はほったらかしにされる)と思います。かつてcommon law上は《Malitia supplet aetatem》
(「故意があれば、刑事責任年齢の不足は補われる」とでも訳せるでしょう。)と言われていました。この原則も再評価すべきではないか、と思います。

それは兎も角、本来、人間のポテンシャルというのは年齢に関係なく無限ではないでしょうか。高齢になればなるほど精神面は意気盛んということは多いでしょう。「寄る年波には勝てない」というように肉体面の衰えは不可避であると言わざるを得ませんが、高齢者のオリンピックもあるではないですか。安心してスポーツに打ち込める環境にあれば、あとは本人の努力次第でしょう。

尤も、昨今はその環境が問題です。「おれおれ」詐欺とか、高齢者を手玉に取る悪行がはびこっていますね。主婦や独り者を手玉に取ることに特化した訪問販売は―テレビコマーシャルに見られるように―盛況を極めています。いずれも組織的背景を以て被害者側を制圧してことに及ぶという点が共通しているでしょう。そうした問題に適正に対処することが子供たちの成長環境の適正化にも繋がる筈なのです。

実際、学校の「いじめ」という集団暴行罪の展開も組織犯罪の一環でしょう。例えば、小中学校の運動会にカメラを持って現れ、不良の指示で特定の者の写真を撮りまくっているのは、自分の楽しみに使おうという度を超えて、ポルノ犯罪組織の指令に基づき、「上玉」のモデル選抜を行っているのであり、いずれその子の周りに「真面目で親切な友達」が現れ、言葉巧みに組織に引きずり込もうとするのです。遅くとも成人以前には「いい仕事」を紹介に来るでしょう。騙されたと気付いた時は遅いのであり、「警察に届ける」と言っても、警察もぐるの場合が多いから握り潰されるし、さもなければ口封じに殺害されるという事例がごく最近頻発しているわけです。尤も、かかる背景は「被害者の名誉のために」と称して、これまた握り潰されるわけですが。

しかし、このホームページでは、当初は、子供の教育問題に重点を置いて、私見を述べています。

私見の原点を述べます。
(1)そもそも勉強とは本来自分でするものです。保護者はそのために障害になるものを除去すれば足りる筈です。尤も、その障害のあり方は、時代・環境によって変わるものであり、特に現代では、保護者の一存によって除去出来ないものが多くなってはいないでしょうか。この点を子供本人にもよく納得させておくべきでしょう。「ここまでは守れるが、この先は親には無理だ。もし限界を越える積もりならば、自力で頑張って欲しい。」とでも一言かけて得心させておくことが、もし本人が重大な障害に遭遇した際、その帰結をどう捉えるかに影響するでしょう。
「言わなくても分かっている筈だ」という思いこみに基づく対応、「いちいち構っていられない」という投げやりな対応が、その子の将来に大きな影を落としているのです。(子供が事件を起こして、或いは、事件に巻き込まれてそのことに気付かされてからでは遅いのです。)
(2)子供が潜在的に持っている筈の、しかも無限の能力(このホームページでは、これをポテンシャルと呼んでいます。)を子供の立場からのみならず働きかける側の立場からも信頼すること、ここから私見の原点は始まっています。尤も、実際に相手をする子供は、出生後(少なくとも)数年を経ていますから、この原則が常に丸ごと当てはまるわけではないのですが。子供の領分を尊重することで、却って回復が早まる場合が多いのです。問題は、その尊重の仕方にあると思います。

基本的な対応について

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