[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック










リストカットについて

ホームへ戻る


 リストカットなどの自傷行為の場合には、
傷害を加える自分傷害を加えられる自分との同一性が失われている可能性があります。自らに傷害を加えさせようと突き動かす潜在的な本能じみたもの―それは、駄目な自分を厳しく叱るべき親の立場を無意識のうちに代行しているのかも知れません。或いは、本来指弾されるべき悪人たる他人を攻撃する英雄的な自分を措定しているのかも知れません。―を強く抑止し、傷害を加えられる自分の立場―実際には、この立場に、本来指弾されるべき悪人たる他人を措定している場合が多いと思います。つまり、攻撃されるのは自分なのに、そこに悪人の代理人を見てしまっているのです。この場合には、傷害される自分と本来攻撃すべき悪人とは別なのだということをはっきりしなければならないでしょう。そして、本来攻撃されるべき悪人に対する適切な攻撃手段を(親なり教師なりが)説示する必要があります。―を強く保持すべきでしょう。自傷行為に走りがちな方でも、赤の他人に傷害を加えられそうになれば、退避・反撃の行動に移るであろうことが、そのことを明示していると思います。

 
普通のいじめなどを常習としている連中は、もし彼が抑圧状況下に陥ったならば彼も行うであろう自傷行為を他人に振り向けることによって「正常」であるかの如くに振る舞っているお調子者です。劣弱な他人を見つけて攻撃し、生け贄とすることによって、彼にも内発したであろう異常性の発現を回避しているに過ぎません。自傷行為に走ること自体は普遍的に潜在していると思います。ただ、環境などのおかげでその「異常」性が発現せずに済んでいる人が、比較的に多いと言えるに過ぎないでしょう。

 
そもそも他人を攻撃することが正常で、自分を攻撃することが異常だとすること自体に問題があると思います。人間の攻撃本能は、過酷な自然環境に包まれていた時代に不可欠なものとして受け継がれてきましたが、現代では、対自然ではなく対社会、対他人において発現してばかりいます。(犯罪・戦争など)しかし、人間社会というものが成立して以降は、人間の攻撃本能は、学問・芸術・スポーツなどの種々の文化面で発現されるべきであって、対人面で発現されるべきではないでしょう。

 「競争」ということが称揚される場合が多いですが、競争のもたらすマイナス面に目をつぶった不完全な議論だと思います。(潰れた企業の資産が無駄になるとか、敗残者を排撃する風潮が更なる競争激化を招いて社会関係が殺伐としたものになるとか)一定限度の規則に従った競争を除けば、
対人関係・社会に於いて攻撃本能が発揮されることがあってはならないと思います。自傷だから悪いのではなく、攻撃・傷害そのものが悪いのです。

 この関連で、
超自我(自我を倫理的観点などから抑制指導するもの)の形成が不完全であると、自分の欠点や過失は容易に認められないのに、他人の欠点や過失には非常に敏感な性格ができる、という指摘があります。自分の悪行は棚に上げて、他人のそれを論難して止まない人が典型でしょう。リアルの世界では暴力団員などに典型が見られますが、ネットの世界ではもっと頻繁に見受けられるものです。こうした人ほど、リストカットなどには染まらずに、荒らし屋本舗の中枢部にスリより、悪の枢軸の膨満に寄与していくだけでしょう。

 これとの対比に於いて、リストカットに走る人は、倫理的自己制御が強く効いており、いわば超自我が発達しすぎている、とさえ言うことができると思います。リストカットに走る人の方が、荒らし屋などとの対比に於いては、価値的に高みにあるのです。(だからといって、新規にリストカットに走ってはいけませんよ。)その気高い心を社会に活かすためにも、傷害を加える自分傷害を加えられる自分というそれぞれの立場をよく思いやって欲しいと思います。