
…私は、そこに立っていた。
「うっわ〜…ここが今日からお勤めするところかぁ…綺麗なとこ…」
私の故郷のべリニアから大陸列車で2日ほど。
ラディリアで下車してからエーテルバスに5時間揺られて小さな町へ。
そこからエーテルスクーター、通称エルカに乗って約30分のとこにある森に囲まれた、小さな別荘。
青と白をメインにデザインされた、センスのいい落ち着いた建物。
よくよく見ると、窓枠一つとっても職人さんの気配りが感じられる。
派手さのない造形や色使い、配置の場所や数。
一つ一つが丁寧なだけでなく、全体としてのバランスが一分の隙もなく取れている。
遠くでドラゴンが飛んでるのが見えそうな、抜けるような青さの夏空にとてもマッチしている。
整った外見の建物、美形の建物、なんてものがあるとしたら、これはまさにそのうちの一つだろう。
清楚でたおやかなご令嬢。
そんなイメージを抱かせるこの建物はここ、フェルディール州を治めるアストライア公のいくつもある別荘の一つらしい。
そして。
アストライア公の4番目のご令嬢が一人で住んでるというところで。
そういう意味では、私の抱いたイメージは間違ってないみたい。
そして。
私が、今日から住み込みメイドとして働く場所になる。
そのお嬢様のお世話をするのだ。
なんでも、気難しいお嬢様らしくて、ほとんどの人が一日でやめてしまうらしい。
…一日でやめるって、どうよ…。
仮にも相手はプロの(メイドにプロとかあるのか、私は知らないけど)メイドでしょう?
私だって、正直言えばそんなお嬢様相手にしたくない。
だけど、そうもいかない事情があって…。
あれは、ほんの一週間前のことだった。
やり手商人として忙しく、近頃まともに顔をあわせる暇もなかった父親が私を商会事務所に呼びつけた。
公私の区別はつける人だったから、何事かといぶかしんだんだけど。
そこで速攻、逃げるべきだったんだ…。
父の部屋に入ったとき、やばい、と思った。
なんだか、重苦しく、不穏な雰囲気。
私の自己防衛本能が警鐘を鳴らしてたのに、私はそれを無視して、勧められるままに椅子に座ってしまった。
「で、父さん、話ってなに?」
「ああ、それなんだがな・・・」
珍しく口ごもる父。滅多にお目にかかれない様子に、私の警戒は最大にまで高まった。
…まあ、ほんとはまだ甘かったんだけど。
「実は、先物取引に失敗してな…。」
私は詳しくは知らないんだけど、先物取引っていうのは相場の変動の影響が大きくて、不確定要素が多くて。
当たればでかいけど外れればひどい、という、商売というよりはギャンブルに近いものらしい。
それに失敗した、ということは…
「…これはいける、と思って全財産賭けて勝負に出たのが裏目に出てな・・・。」
賭けるな、んなもん。
せめて私の学費ぐらいは残しとけ〜!!
後半年で卒業だったのよ、高等女学校を!それも、超名門と言われるとこ!
人が、成金の娘とか言われながらも耐え忍んで、やっとこさ卒業ってとこまできて…
私が女学校のお嬢様達との壮絶なバトルを思い出して涙にくれてると、追い討ちをかけるように
「心配するな、商会は大丈夫だ。個人的な取引だからな。」
まてやこら。
いや、確かに公私の区別はつける人だけどさぁ…うちってお金には困ってないでしょ?なんでんな取引すんのよぉ!!
「いや、ちょっと裏帳簿の存在がばれそうだったんで、帳尻あわせに。」
ふざけんな。
私は思わず中指おったてそうになったのを必死でこらえる。
自分の不正のつけを、家族にまわすな〜〜!!
うちの商会は、確かに父が一代で興したものだから、大事なのはわかる。
だからって家族はどんなに無体に扱ってもいいっての?!
私が、怒りに震えてると、とどめを刺してくれた。
それはもう、当たり前のように明るい声で。
「全財産がなくなるどころか、借金まで抱えてな。お前の体で払ってもらうことになった。」
くそおやぢぃぃぃぃ!!!
次の瞬間。
女学校の裏の世界で『雷光』と恐れられた私の右ストレートが父の顔面に炸裂した。
女学校で裏の世界ってなんだ、ってツッコミは不許可とするっ。
とまあ…そんなわけで、私はここに派遣されたのだ…。
あ、いけない、思い出したら泣きそうになってきた。
まあ、まだましなんだけどさ、体で払うっつって、メイドとして働けばいいんだし。
世間一般で身売りって言えば、ねぇ…。
なんでも、父が借金を申し込んだ相手が、アストライア公とコネがあって。
んで、お嬢様の世話係が足りないからなんとかしてくれって頼まれてたんだって。
で、私が働く代わりにしばらく借金を待ってもらえる、と…。
…逆にさ。
そんな額の借金待ってもらえるほどの仕事って、なによ…。
あ、いけない、考えたら泣きそうになってきた。
なんか、詳しくは教えてもらえなかったんだよね。
ことに、お嬢様本人のことについては。
仕事内容はいいんだ、家事一般ってことで。
お嬢様がどういう人かとか、なんでみんな逃げるのかとか。
そういう肝心なとこについては、ひとっことも。
長い黒髪の、ちょっと華奢な綺麗な人らしいとか、私より2歳年下とか。
そういう最低限の情報は聞けたんだけどねぇ・・・。
考えてもしょうがないか。
私は夏の日差しに輝く金の髪の毛をかきあげながら腹をくくった。
緩くウェーブのかかった髪の毛は肩のあたりで切りそろえてる。
っていうか、切った。
仕事の邪魔になるからって…私なりの、決意と、意識の表れ。
一度それをきゅっとつかむと、意を決して別荘を見る。
…私は、そこに立っていた。
そこが…その別荘が。その家が…どれだけ、自分にとって意味の大きいものになるか。
そんな未来を知るよしもなく。
私は、そこに立っていた。
そして…歩き出した。
…逃げるためじゃないよ?
逃げたかったけどさ。(泣)