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出典 あらはん1984年6月号 |
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自分で自分をあきらめるなよ、子供達
〜いいガキ大将になれ!!〜 その@
■他人(ひと)より先へ行こうと思え■
子供の時に覚えたものは、一生忘れません。頭で考えるだけではいけないのであって、頭と体の両方を訓練する必要があるし、それを身体で覚えたら一生忘れない。
自転車に乗れる者、手挙げてみい。人の顔を見んでいい。反対に乗れないもの、手挙げてみい。一人おるか。よく覚えておけ、自転車ぐらい。でも勇気があっていい、一人でも手を挙げたから。
手を挙げてみいと言うたら、横を見ながらどうしようかな、なんてのがおる。これはよくないよ。イエスかノーか考えて、すぐ判断したら行動に移す。隣の人が挙げたから、挙げようかでは日本の言葉で「金魚のふん」ていうんだ。人の後ろにしか、ついて歩けんような奴は駄目だぞ。
中国の言葉で「鶏の頭になっても、牛のしっぽになるな」という。牛は大きい、鶏は小さい。でも、鳥の頭というのは、必ず胴体の上に出て、歩く時は頭から先に出る。要するに先頭に立って、他人より高いところにいて、判断をしながら歩く。なんぽ図体が大きくたって牛のしっぽでは、頭が行く方にぶら下がっているだけで、意味がない。
なんでもいいから他人の先へ行けるようになりたいと思う。それには、普段から訓練しておく必要がある。生まれつきてことは、多少はあります。絵がうまいとか、歌が上手だとかいろいろある。しかし、そういう人はごく少ないね。普通の人は、やっぱり普通の人だ。でも努力すれば、ある程度はいける。だから自分で自分をあきらめるなよ。俺は頭が悪いんだと自分で決めたら、頭がだんだん悪くなる。俺はいいんだとのぼせ上がってもいかんけれども、普通にはできると思いなさい。やれば他人より上手になれる可能性がある。それを、私はだめです、最初からそういう人があるね。大人にも多いぞ。俺は駄目なんだ、なんぽ努力しても、運が悪いんだと。そんなことないよ。
運なんてのはね、偶然と違うんだ。自分で見つけるものである。特に少林寺は頭だけではなく、身体を鍛えることに第一眼目をおいた。それは鍛えるというだけじゃなくて、まず守ることから始まる。君達、生まれたいと思って生まれた奴おるか。ないだろう。この頃の子供の悪いのになると、俺は生まれたくないのに親が勝手に生みやがって、なんて言う。お父さん、お母さんだって本当に子供がほしくて生んだかどうか疑問だよな。たまたま仕方なくできたなんてのも、おるかもしれない。一部の宗教団体がいっているように、思うから、精神が先だからというのは、金剛禅では間違っていると教えられている。
先生はね、女の子しかいない。本当は男の子がほしかったね。でも駄目だった。どんなに頑張ってみたって、思っただけでは子供なんてできない。子供ができるということは、男と女が一緒になってということから始まる。要するに行為の方が先なのである。
考えてできることとは違うのだ。人間が生まれるという時は、まず形からである。
君達は人間だ。人間てなんだろう。動物の一種には違いないが、人間だけが精神的な働きを非常に重要にしている。精神的なもの、人間は心と智恵と身体との複合物だといわれているけれど、一番最初に子供の時大事なのは考えることよりも、身体で教えることですね。理屈を言ったって、幼稚園以下の時には分からない。小さい時には叩いてでも、メシを食わさんとでも躾ることが必要である。但し、いじめちゃいけない。愛情をもって導けばトラやライオンでも教育できる。