| 白面の乗取り屋、横井英樹 |
横井英樹は、大正2年愛知県で生まれました。横井は太平洋戦争後、進駐軍に取り入り、ガチャマン景気に沸く繊維業や土地の値上がりで財産を築きました。彼が、全国的に有名になったのは、昭和28年のあの事件が発端でしょう。
最近閉店セールで話題となった東急日本橋店の前身は、江戸時代から続く日本橋の老舗百貨店の白木屋(飲み屋ではありませんよ。)です。
この年、名門白木屋の株が、蝶ネクタイ、白面の無名青年実業家・横井英樹氏に買い占められ、経営権を奪われそうになったのです。
会社側と横井英樹側は、過半数の株をめぐって熾烈な攻防戦を繰りひろげます。しかし、横井側もあと一歩及びません。高利で金を借りている横井は、土地を売却、次第に追い詰められていきます。
起死回生を狙い、横井は東急グループの総帥五島慶太の住む
上野毛に毎日通いつめ、散歩のお供をさせてもらいます。
努力と誠意が通じ、横井の持ち株は、全て五島に買い取ってもらい危機を逃れたのです。
(その後、安定株主にも見放された白木屋は東急に吸収されます。)
その後横井は東洋精糖、帝国ホテル、日産火災海上保険等の株を買い占めます。しかし、本業は、パチンコ屋とボーリング場の経営で財界人の仲間入りは果たせません。
それどころか、せっかく手に入れたホテルニュージャパンの防火設備をケチり、昭和57年同ホテルで火災事故が発生33人が死亡しました。この時蝶ネクタイの貧乏な恵比寿顔でテレビ出演、再び世間の注目を浴びました。
平成5年最高裁で業務上過失致死傷より禁固3年の実刑判決、服役しました。
平成10年11月没、85歳でした。
| 最後の総会屋?、小池隆一 |
一見紳士的で、優しそうな風貌の小池隆一は、昭和50年代頃、総会屋としてデビューしたようです。
ロッキード事件で有名になったフィクサー児玉誉士夫氏の側近に木島力也(元出版社社長、故人)という人物がいました。彼は、政財界に(特に第一勧銀に対し)隠然たる力を持っていました。小池は、木島に取り入り第一勧銀に食い込み、総額460億円の融資を受けます。また、証券業界などの与党総会屋の上森子鉄(故人)にも弟子入りして、四大証券に近づきます。
昭和57年商法改正で総会屋への利益提供をした企業は、刑罰が課せられることになり、多くの総会屋が廃業に追い込まれました。
小池も窮地に陥りますが、こうした方法で水面下に潜り、商法改正後の最大の総会屋にのし上りました。
證券スキャンダルの後に野村證券の社長に就任した酒巻英雄氏は、社内事情から、平成7年6月の株主総会で
「相談役に退いていた田淵節也元会長と田淵義久元社長を、取締役に復帰させる」
必要に迫られていました。
この困難な議題をとおすには、小池への利益提供が不可欠だったのです。
平成9年 四大証券と第一勧銀の小池への利益提供が発覚。利益供与側にも多くの逮捕者が出ました。
特に、融資担当役員の反対を無視し、118億円の小池へ融資に関与した第一勧銀の前会長奥田正司は懲役九月、執行猶予五年の判決。また、最高責任者でありながら利益供与に関与した、野村證券元社長酒巻英雄には懲役一年、執行猶予三年の判決が下されました。事件の鍵を握り東京地検から取り調べを受けていた、第一勧銀の宮崎邦次会長は、平成9年6月29日、自殺しました。
| 光クラブ山崎晃嗣は、 株式投機せず? |
山崎晃嗣は、木更津市長の息子で東大法学部3年に在学中。学業優秀な彼が、戦後間もない昭和23年9月、闇金融「光クラブ」を設立。東大生の信用を武器に月1割3分の利子で大衆から資金を集め、それを高利で中小企業者に融資していました。
学生社長は、数千万円の資金を動かし、8人の愛人を持ち、銀座に事務所を構えます。しかし、京橋署の捜査(ヤミ金融容疑)を契機に信用失墜、取り付き騒ぎが起こります。昭和24年11月25日 山崎は、出資者に追い詰められ、多くの手記を残し服毒自殺します。
アプレゲール(戦後派)、金への執着、異常性欲、ニヒリズムなど山崎の特異な個性が多くの作家の心を捉えます。自殺後の山崎は、小説の売れっ子モデルになります。
三島由紀夫の「青の時代」、高木彬光「白昼の死角」(角川映画にもなりました)、田村泰次郎「大学の門」、北原武夫「悪の華」
テレビにも取り上げられ、山崎晃嗣は有名人になります。さて、これからが本題。
「彼は、破綻の直前、株式の空売りを大規模に行い、失敗した。ところが、自殺の直後、株は暴落して、彼の読みは正しいことがわかった。」
こんな情報(例えば、「日本TV知ってるつもり」)が、しばしば登場します。
株投機と聞けばJ_Coffeeは、見逃せません。調べました。
なるほど、昭和24年2月ドッジ・ラインにより、経済はデフレになり、暴落が起きても不思議でありません。
しかし、清算取引(信用取引)は、GHQの意向で禁止され、解除になったのは昭和26年6月1日です。
ヘタ株(増資の権利)を利用した空売りの抜け道もあったようですが、事業暦一年、門外漢の山崎に株を貸す者はいないでしょう。
山崎が、空売りができるはずないのです。
◆◆反論のある方は、ゲストブックにお願いします。◆◆
◆彼は、投資ジャーナルや豊田商事と同類の、単なる詐欺師ではありませんか?◆
◆◆
山崎の手記に騙され、美化しすぎですね。◆◆
| 大和銀行井口俊英の 11億ドル損失事件 |
大和銀行ニューヨーク支店の現地採用の嘱託行員、井口俊英は、変動金利債の取引で1983年5万ドルの損害をだしました。
同支店の管理体制には、致命的な不備があり、米国債のトレーダーと支店の国債保有高や取引をチェックする人が同一人物(井口)でした。解雇されたくない井口は、損を取り戻そうと米国債の無断取引を行います。
井口は、トレーダーとしては、完全に無能でした。失敗を重ねます。しかし、書類は、偽造すれば、よいのです。また、業者は、国債の担保と大和銀行の信用でいくらでも取引に応じました。表面的には、利益を出したので、上司の信用も増してしまいます。
何と12年も不正は発見できず、大和銀行の損失は、11億ドル(約1000億円)に達します。
1995年7月井口は、大和銀行の頭取宛に手紙を書き、自らの手で不正を告白します。
告白を知った銀行幹部は、不可解な行動にでます。大蔵省銀行局と相談したうえで、米金融当局にこの事実を報告せず、隠蔽しようと企てます。
しかし、この事実はFBIに発覚、米連邦準備制度理事会(FRB)は大和銀行に業務停止命令を出し、同銀行は340億円の罰金を払ったうえ米国から全面撤退させられます。
また、最近大和銀行役員が、巨額損失の管理責任を問われ、多額の賠償金の支払いを命じられました。参考文献は、面白い本ですが、著者が大和銀行にお詫びする気持ちがなく、自己弁護に徹しているのには、あきれます。◆◆せめて印税は、銀行に支払うべきです。◆◆
(参考文献 告白| 山一證券の理由なき破綻 |
| 山一の社員は、まったく悪くありません。 山一がこうなったのは、すべて私達経営者の責任です。 |
1997年11月24日山一證券社長・野澤正平は号泣しながら、テレビで主張しました。テレビを見た私は、不覚にも、すっかり感動してしまいました。
山一證券には、過去の「飛ばし」で発生した簿外債務2648億円が存在していました。この会見は、簿外債務を隠しきれなくなった山一證券が、自主廃業および解散の方針を発表したときのものです。
私は、山一のことを直ぐに調べました。簿外債務を隠していたのは、確かに犯罪です。しかし、当時の山一の自己資本は、6000億円を越えていました。97年度の期間損失が加算されても債務超過にはなりません。新聞でも、債務超過でないので、迷惑がかからず廃業できると書いてありました。疑問が湧きあがります。
「えっ、何で廃業するの?社員や取引先や株主のことも考えずに。
芙蓉グループは何故助けないのだろうか?」
顧客資産保護の立場から日銀特融が直ちに実施されます。また、有能な人材が外資系のメリルリンチなどに引き取られます。約束した自主廃業ですが、翌年6月の株主総会で株主数の不足から、解散決議を実施できません。
また、顧客への預かり資産の返却に手間取り、赤字が増加していきます。99年6月1日、山一證券は、臨時取締役会を開き破産申立を決議、同日東京地裁に自己破産を申し立て、翌2日破産宣告を受けました。このときの債務超過は、約1600億円でした。
その後の証券業界は、急速に収益回復をしました。山一の唐突な自主廃業宣言は、惜しまれます。あの局面さえ切り抜ければ、再建できたかもしれません。
◆◆少し独断的かもしれませんが、◆◆
◆◆山一證券は自主廃業宣言する必要はなかったのだと、私は思います。◆◆
◆◆大企業の社長の皆さんへ◆◆
◆◆
政府から「自主廃業しろ」と脅されたぐらいで、会社を投げ出してはいけませんよ。◆◆
| 推理、詐欺師古倉義彦の 資金のカラクリ |
大手消費者金融T社は、証券業への進出を果たすため、古倉義彦をダミーとして使うことを決意します。
1997年5月古倉義彦の投資顧問会社TAC、大手消費者金融T社、大手信託銀行との三社の間で特定外信託契約が結ばれます。
| この契約は、信託銀行が大手消費者金融T社から資金を預かり、TAC(すなわち古倉)の指定する銘柄を購入するとの内容でした。 |
大手消費者金融T社は、56億円を信託銀行に振り込みます。この金で、古倉は、経営破たんした三洋証券グループから、三洋投信の発行済み株式数の約30%を取得します。さらに、97年10月中野証券(現在のエヌシーエス証券)を15億円で買収し、大手消費者金融T社の期待に応えます。
ところが、古倉義彦は、とんでもない詐欺師だったのです。
不備な契約を悪用して、これらの資産価値のある株券は、古倉義彦グループに売却されます。替わりに購入されたのが、まったく資産価値のない56億円分の架空の金融商品です。
大手消費者金融T社は、騙されたことに気づきますが、遅すぎました。(大手信託銀行と大手消費者金融T社は、やがて裁判で争うことになるかもしれません。)
その後、古倉義彦は、騙し取った金で、98年6月「日刊投資新聞」の買収 、98年7月上毛撚糸の増資引き受け、99年3月日本証券新聞(2000年10月27日再生法申請)の買収を行っています。
今年2月、大正生命は、金融監督庁より早期是正措置を発動されます。
大正生命は、わらをもつかむ心境で、詐欺師古倉義彦の懐に飛び込みます。
大正生命は、今期中にクレモント社(古倉グループ)から50億円の増資を得て自己資本を増強することを発表します。
古倉は、罠にかかった獲物の大きさに、ほくそえみます。
もちろん、古倉はもっと多くの資金を大正生命から引き出すつもりです。
50億円などその中から払えばいいのです。
2000年8月28日、ついに、詐欺師古倉義彦に遅すぎた天罰が下ります。古倉は、架空の譲渡性預金(CD)購入話で大正生命から85億円を詐取したとして、同生命取締役の山口隆志とともに逮捕されるのです。
古倉が、大正生命から引き出した金は、約260億円といわれています。このうち、108億円は、増資分として同生命に還流しています。
残りの150億円の大部分は、闇に消えました。
◆◆多額の金を騙し取る詐欺師の刑罰は、無期懲役にすべきである。◆◆
◆◆
これが、J_Cofeeの主張です。◆◆
| 投資ジャーナル事件 と中江滋樹 |
中江滋樹は、1978年に投資顧問会社「投資ジャーナル」を設立し、資金を集めて株式投機を行い一時は「兜町の風雲児」ともて囃されましたした。
「仕手の介入で確実に値上がりする株を安く分けてあげる」と言葉たくみに一般投資家を誘い、知名度を悪用して約8000人から約580億円を集めました。
ところが、実態は、株にはほとんど投資せず、私的な流用を続けていたのです。
例えば、当時のTVワイドショウの噂によれば、
以上が、有名な投資ジャーナル事件の顛末で、この被害を契機に、1986年、一般投資家を保護する投資顧問業法が制定されました。
1989年4月に中江滋樹は、懲役6年の実刑判決が確定し、1992年10月に仮釈放されました。出所後の中江は、上場会社の三井埠頭(三井グループとは無関係)、ヤハギ(昔の矢作製鉄)を舞台にした手形乱発事件の指南役を果たしたといわれています。(両社は、このために倒産しました。)
◆◆詐欺の刑罰はどうも軽すぎますね。◆◆
◆◆儲け話には、くれぐれも用心してください◆◆
| 皇民党のほめ殺し 中止の経緯 |
昭和62年竹下登が総理になる直前、霞ヶ関では、右翼団体日本皇民党の街宣車が、大音量のスピ−カーで「竹下に対するほめ殺し」を精力的に行い、田中角栄を裏切った竹下の首相選任の妨害を行っていました。
よくある右翼の活動のようでしたが、何らかの事情で、竹下と盟友金丸(当時は二人の蜜月時代)は、この活動を阻止することが絶対に必要であったのです。
政界の最大派閥竹下派の威光に従い、多くの政治家やフィクサーが資金援助提案をお土産に皇民党と接触しましたが、皇民党の稲本虎翁総裁を納得さすことはできませんでした。
この困難な課題に糸口をつけたが、政界のタニマチ東京佐川急便の渡辺広康社長です。
彼は、金丸信の意向を受け、こともあろうに暴力団稲川会の石井進前会長に皇民党の説得を依頼したのです。石井は、闇のルートから皇民党の意向を探ります。
その結果明らかになった皇民党の中止条件とは、お金ではなく、62年11月中曽根康弘総理は、三人の候補者の中から竹下を後任総理に指名します。
佐川急便の渡辺広康は、自分の果たした役割の大きさに満足し、石井進に心から感謝します。◆◆後になって、この二人は、暴力団に依頼したことを後悔するはめになるのです。◆◆
◆◆ 後編は、明日発表します。お楽しみに◆◆
| 稲川会前会長の 東急電鉄株買占め事件 |
バブル末期の平成元年10月、東急電鉄の株が、暴力団稲川会前会長・石井進の関係会社(北祥産業、北東開発)により買い占められ、市場の注目を集めました。
石井は、野村證券と日興證券の系列のノンバンクから融資を受け、債務保証は、東京佐川急便の渡辺広康社長が引き受けます。渡辺広康は、皇民党のほめ殺し中止の一件で石井に大きな借りがあり、援助を断れませんでした。
1000円台の株価は、年末には、3000円に跳ね上がります。東急電鉄は、野村の推奨株になったこともあり、人気化します。提灯筋も増え、後は、石井が売り抜け、借金を返せばよいのです。「もう少しの辛抱だ」と渡辺は思いました。
「ところが、いつまでたっても石井は、売り抜けを実行しません。」
そうこうしているうちに、バブル崩壊、チャンスは永遠に去り、石井の投機は失敗に終ります。その後も渡辺は、債務保証を増やし続けその額は、122億円に達します。(この他、35億円の直接融資も焦げ付きました。)
金は当然戻らず、渡辺広康は157億円の損害を東京佐川急便に与えた特別背任容疑で、東京地検特捜部の家宅捜索を受けます。(佐川急便事件)
この過程で明るみにでたのが、東京佐川急便から、金丸信・前自民党副総裁への五億円違法献金問題です。金丸は、政治資金規正法違反の略式起訴(罰金たったの20万円)で難を逃れますが、世論の猛反発をかいます。
津波のような検察批判をかわすため、特捜部も威信回復に必死になり、金丸は別件の脱税容疑で逮捕され、政治的に失脚します。一方、暴力団に系列ノンバンクを通じて融資を行った野村と日興も批判を受け、この一件は、大口顧客に対する損失補填とともに証券スキャンダルへと発展します。
◆◆金丸逮捕の際の関係者の対応は、◆◆
◆◆その後の自民党分裂の原因にもなっているそうです。◆◆
◆◆何とも、奥行きの深い事件ですね。◆◆
| ロシア危機とLTCM破綻 |
1998年夏、アジア通貨危機は、ロシアに波及します。8月17日ロシア政府と中央銀行は、ルーブルの実質的切り下げと対外債務の返済猶予を発表します。(ロシア危機)
ロシア危機を契機に中南米などすべてのエマージング・カントリー債は大暴落します。その結果、破綻したのがLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)という名のヘッジファンドです。
LTCMは、二人の経済学者、マイロン・ショールズ教授とローバート・マートン教授が経営参加している有名ファンドです。二人は、デリバティブの基本式の考案者としてノーベル経済学賞を受賞しています。(NASAの技術者しか理解できないといわれる難解な式です。)
LTCMは、二つのよく似た金融商品を選び、その過去のデータを集めていました。
そして、そのデータから両者の価格差の理論値を算出していたのです。そして、理論値が拡大すると高い方を売り、安い方を買っていました。例えば当時LTCMは、アメリカ・モーゲージ債を買い、米国債を売っていました。あるいは、イタリア国債を買い、ドイツ国債を売っていました。
自己資本は48億ドルしかないのに、何十倍ものレバレッジをきかして投資していたのです。| ロシア危機がおきると、投資家の心は安全志向になり、 危険な債券と安全な債券の価格差は、かつて例のない幅に拡大します。 |
なお、危機の発表とともに、ニューヨーク連銀が仲介役になり、欧米の大手金融機関約35億ドルの出資が決まりLTCMは救済されました。大蔵省は、この素早さを見習うべきです。
◆◆金融工学に強烈な劣等感を感じていた、J_Coffeeはこの破綻に溜飲をさげました。◆◆
◆◆妻によれば、美酒に酔いしれて、次のようなクダを巻いたそうです。◆◆
◆◆
ロシア危機の影響も読めないようじゃあ、ノーベル賞もたいしたことないねぇ。◆◆
| プリンストン債に 騙された一流企業 |
クレスベール証券東京支店(瀬戸川明会長 )は、年利28%(3〜5年の場合)の私募債プリンストン債を日本の一流企業67社に合計約1200億円販売しました。
クレスベール証券の親会社は、アメリカにあるプリンストン・エコノミクス・インターナショナルという企業で、マーティン・アームストロングという名の男が会長です。1200億円は、すべて、アメリカの親会社に流れ、そして、消えました。つまり、国際的な詐欺だったのです。
クレスベール証券は、「悪いのは親会社で自分達も被害者だ。」とでも言いたいのか、1999年9月親会社を告発する茶番劇を演じ、詐欺が発覚します。そして、50人の従業員に2億円もの退職金をプレゼントして、解雇します(逃亡させたというべきか)。
詐欺師のマーティン・アームストロングは、「あの金は、別の証券会社に預けたのでその会社の責任だ。」といっています。
そういえば、多くの人が騙された豊田商事の営業マンも「銀河計画という会社に資金は投資しているので、私たちは無実だ。」と言っていました。
アメリカの闇に消えた1200億円は、二度と戻らないでしょう。
今度の事件の際立った特徴は、騙されたのがお年寄りや青年ではなく、67社の超一流企業のベテラン財務担当者だったことです。
何故騙されたのか?セールストークが目に浮かびます。
「ここだけの話ですが、財務のプロがいるヤクルトさんも御買いになりました。アルプスさんや群栄化学さんも。」財務部仲間の情報交換で事実だと確認すると、安心してしまうのです。
◆◆「赤信号みんなで渡れば恐くない」といいますが◆◆
◆◆ 車は止まらず、みんなで大怪我をした事件でした。◆◆
| 尾上縫事件の 不思議な真相 |
昭和61年ミナミの料亭のおかみ尾上縫が、株式投資を始めます。證券マンの言いなりの素人でしたが、彼女には、長年愛人としてつくした旦那から贈与された時価数十億円の担保の土地があったのです。
当時は、株は買えば上がる時代、驚いたことに證券マンの餌食になるはずの彼女の資産は、増大し続けます。
そして、昭和62年買えば絶対儲かるとの前評判のNTTの第一次放出。彼女は、證券マンの勧めるまま、なんと2000株を160万円で落札します。これは、入札をもとに決定された一般価格の120万円と比べると常識はずれの高値でした。しかし、幸運にもNTT株は上昇を続け、300万円で売り抜けに成功します。尾上縫は、1ヶ月で28億円稼いだのです。
「NTT株で28億円儲けた、霊感占いの女性相場師がミナミにいる。」
こんな噂が、北浜中を駆け巡りました。彼女の店には、株の注文や預金を獲得しようとする證券マンや銀行マンがおし寄せます。寂しがりやで男達にかしずかれるのが好きな彼女は、借金を増やしても株やワリコーを彼らに買ってあげます。
そんなことが長く続くはずがありません。男達に見放されたくない尾上縫は、木津信用組合や東洋信用金庫の支店長と共謀して、架空預金証書を偽造してノンバンクに持ち込み資金繰りをつけます。
最初の偽造は、早くも昭和62年7月に始まっています。(木津信用組合分)
ついに、バブル崩壊、株は暴落。毒を食らわば皿まで。
東洋信用金庫元今里支店長の発行した架空預金証書の合計は、何と4160億円に膨れ上がります。
(参考文献 女帝―小説・尾上縫 朝日新聞社 清水一行著)
◆◆信じられない話ですが、これが真相のようです。◆◆
◆◆バブル景気が生んだ犯罪ですね◆◆
| 光進代表・小谷光浩の 資金のからくり |
昭和61年から平成元年にかけて、コーリン産業(後に光進と改名)という名の仕手筋が兜町に登場。飛島建設、蛇の目ミシン、藤田観光、国際航業等の株を次々と買い占め旋風を巻き起こしました。代表の小谷光浩は、2000億円を動かす男といわれ人気がありました。
しかし、その資金調達には、カラクリがあったのです。
小谷は、平成元年8月、「指定暴力団稲川会関係企業に、株を売却する」と蛇の目ミシンを恐喝して、約300億円の資金を得ていたのです。
「買占め企業から、金を借りて絶対に返さない」と言うのが、小谷流の錬金術です。
実は、過半数の株を買い占めて、経営権を握った国際航業からも、190億円を借りるのに成功しました。しかし、小谷の誤算は、ここから始まります。小谷に送り込まれたはずの友納春樹社長が、このままでは特別背任で検察が動くと、返済を強く迫ったのです。ところが、小谷には、金がなかったのです。小谷は、ここで起死回生の妙手を放ちます。
平成元年の4月、3700円台で低迷していた藤田観光は、小谷の株価操作で、わずか5日間で5200円に暴騰します。大引け前に大量の買い注文の入る、不自然な上げでした。
そして、小谷は、飛島リースに藤田観光の全株を市場外で時価の5200円で売却したのです。(飛島建設の某役員と小谷は、親密だった)その資金から、国際航業に190億円を返済、特別背任の危機脱出に成功します。
しかし、悪いことはできないものです。この株価操作は7月に露見、小谷は東京地検に証券取引法違反で逮捕されます。そして、他の悪事も芋づる式に明らかになります。資金に行き詰まった光進は倒産、小谷は、蛇の目ミシンの300億円恐喝で懲役七年の判決を受けます。◆◆歴史は、繰り返します。◆◆
◆◆さて、この事件、最近のK氏、T生命の一件とそっくりですね。◆◆
| ブーン・ピケンズと 小糸製作所の熱き戦い |
ブーン・ピケンズは、特に石油関係が得意なアメリカの大物グリーン・メラー(乗っ取り屋)です。ガルフ、ゲティ、フィリッブス、ユニオンの株を次々と買い占めては高値で企業に買い戻させ、差益を稼ぎ、ウォールストリートを震撼させていました。
麻布建物社長、渡辺喜太郎は、以前から小糸製作所の株を買い集めていました。
昭和63年ブーン・ピケンズは、渡辺喜太郎から同株を取得して、突然トヨタを抜き第一位の大株主に踊り出たのです。
ピケンズは、来日して小糸製作所の株主総会にも出席し話題となりました。彼は、次の主張をしました。
そして、政治力を用い、この件を日米経済問題に入れようと企てます。
しかし、トヨタは、「ここで妥協すると日本企業がアメリカの乗っ取り屋に次々と狙われる。」と考え、毅然として一歩も譲らず戦います。
日米経済問題にもならず、長期間にわたる法廷闘争の末、トヨタ、小糸側が全面的に勝利しました。
| 悪人の元祖、松谷天一坊 |
天下泰平の江戸時代、葵の紋章入りの脇差を証拠に、八代将軍・徳川吉宗のご落胤と称し、策士・伊賀之亮 と共謀、吉宗と対面して、幕府乗っ取りを企てた風雲児がいました。後に処刑されるこの男の名は天一坊、この事件を天一坊事件(1729年)といいます。
さて、明治時代、株の世界で松谷天一坊(本名、松谷元三郎)と呼ばれた、極悪人がいます。彼のエピソードを一つだけ紹介しましょう。
豊川稲荷と三河の間を走る単線、豊川鉄道。明治33年この会社をめぐって株の仕手戦が繰り広げられました。売り方は、松谷天一坊ただ一人、買い方は、10人を超える投資家が連合していました。
その日は、納会の前日でした。株は、買い占められていてありません。明日は踏むしかないのです。松谷天一坊は絶体絶命のピンチを切り抜けようと、何を思ったのか株屋、首籐の場立ちキザ新を酒と女で接待します。
分厚い金入り封筒をキザ新に手渡し、ついに篭絡に成功します。
さて、翌日、前代未聞の椿事がおこります。場立ちキザ新は、前場で松谷天一坊が必要なだけの大量の株を超安値で売り渡してしまうのです。(もちろん、売り注文をつないでいるわけでなく、独断です。)そして、すべてを売り終わると、取引所の大混乱に目もくれず、キザ新は一目散に逃亡します。一時的には、松谷天一坊は、首尾よく危機を脱したそうです。
◆◆株にまつわる大物悪人は、その後、数多く登場しますが、◆◆
◆◆松谷天一坊は悪人の元祖ですね。◆◆
| 史上最強の悪の帝国BCCI |
BCCIは、1972年パキスタン人アガ・ハサン・アベディによって設立された銀行です。アベディは、同じイスラム教徒の利点を生かし、中東の産油国の要人(特にアラブ首長国連邦のザイド大統領)と親しくなりBCCIを発展させます。
BCCIは、70カ国に拠点を構える、第三世界のための初の国際銀行という看板を掲げましたが、真の姿は驚くべきものでした。
BCCIは、銀行のスケールを遥かに超えた、史上最強の悪の帝国だったのです。
パナマのノリエガ将軍、マルコス、フセインなどの独裁者は、自国の富を略奪し、BCCIの協力でケイマン諸島を経由して、資産を隠すことができました。ケイマン諸島には秘密法があり、ここを経由すると口座の持ち主はわかりません。
同様の方法で、コロンビアの麻薬王、核兵器関係の武器商人、密輸業者などのマネーロンダリング(資金洗浄)や輸送にも協力します。簿外の信用状を彼らに発行し、荷物は盟友のゴーカル兄弟の船会社で運んだのです。
BCCIは、ブラックネットワークという名の武装した情報機関を持っていました。ブラックネットワークは、アメリカのCIAと協調関係にあったといわれています。パキスタンの核武装を援助し、北朝鮮の武器輸出入の手引きもしたようです。
BCCIは、粉飾決算を繰り返し、本当は黒字を出したことは一度もない、とも言われています。パキスタン、バングラディシュ、カメルーン、コンゴなどの貧しい人の預金、アラブ首長国連邦のザイド大統領の出資金、ペルーの中央銀行の外貨(なんとBCCIに預けられていた)は、全てパキスタン人アベディ個人のものだと考えていたのです。
1991年7月5日午後1時、アメリカ、イギリス、ケイマン諸国、スイス等7カ国からの業務停止命令が同時に出され、同7カ国内のBCCIの資産は凍結されます。取り付け騒ぎが世界中で起こりますが、預金者達に資金は戻りませんでした。
(参考文献 「 犯罪銀行BCCIの興亡―金融エスタブリッシュメントに挑戦したイスラム銀行◆◆東京支店が破綻した時、これほどの銀行とは、知りませんでした。◆◆
◆◆参考文献は、命がけで調査した素晴らしい本です。◆◆
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