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自分について2
就職活動。 大学は何の為にいくか?何でいい大学へ行くために勉強するのか。結論として、この活動時期に実感するのがこの就職時期である。国立大学でのランク。私立大学でのランク。学部でのランク。大学時代での優の数のランク。 あたかも、その人格価値まで、決定するように決められてしまったようである。 自分が若かりし20年まえ、価値観が大いに変格始祖の理論もかわりつつある。 人生のぬかるみはそのあたりにはじまるのである。 いまだに忘れない、中学時代の英語の教師、 「成績にいい順に、通知簿を渡す。」 これは、いまだに心に刻んででいる。成績にいい人は優れた人間であるような言い方をされたのである。 勉強なんでするんだ、する気も起こらない。 「●●高校にいかなあかんになるよ!」恥ずかしいことなのか?その高校に行くのが? その英語の教師は、人生について何も教えてくれず、成績をあげることがいい人生をみじびくとばかりに 説いた。 その愚かなる公務員は数年後、中学生を妊娠させ首になったのである。 成績はあからズ、工業高校にいく羽目になった。 男しかいない、もっさいところで、文化的衝撃をまた、感じた。 工業高校では実習があり、ねずみ色の作業服を着せられるのである。 僕は、小学6年から片想いの美由紀ちゃんがその高校の前に住んでいるのである。 自分がすごく恥ずかしく感じたのである。 母親は僕に勉強させる為に、高卒の父親が大企業にもかかわらず安月給であると だから、お前も勉強しなければ、安月給の人生になるぞ!と警告するのだ。 父親のねずみ色の作業服。その服の色と同じ、色の服をみて、 決して、この服を着ない仕事をしようと思ったものだ。
なぜ大学にいくのか、うっすらとわかったようなつもりだった。 そんなとき、深夜ラジオで、鶴瓶さんを知った。鶴瓶さんはラジオでいろいろ人生観や 生き様をかたってくれた。なぜ大学にいくのかを語ってくれた。 友達を見つけるためだ。世間を知る道具だ。
それから猛烈に勉強した。高校3年間の想いでは、深夜ラジオと受験勉強、それと、一回だけのデート。 であった。
何とか念願の京都産業大学に合格した。しかし、そこには無いも無かった。 悶々とした大学生活をおくった。
とりあえず就職した。 僕が大学に行くために、何年も貯金してくれていた両親。 国民のほとんどが高卒以下で、安い月給は国民全体であったこと、 その労働力が日本を支えたこと。 作業服着て真剣に汗を流して働く人を見て、「美しく、かっこよく」見えるようになった。
大学をでて、たくさんの友人を得たこと、経験をつめたこと。 学問も少しは、かじった、そこからみる世界を垣間見ることも出来た。
人生の価値観は自分の中で、変わっていった。 就職活動のときに思ったこと。 大手上場企業から求人が来なくても、相手にされなくても、そこしばかにされても 自分は自分だ、自分というブランドを持ってるんだ。 胸を張って、自分の大好きな母校と自分の名前を叫ぶ。 |