釣り船の失敗談
「こんな船で釣れるか!」
【葛城 伊佐夫】
体験 その壱
10年程前になろうか。社員旅行でM県へ行った時の事だ。2日目に釣り好きが別班になって釣りをする事となった。どうせなら釣り船を1隻雇おうじゃないか、と気前良く地元の船を用意させた。
7人の仕立船。だが、乗船した途端に私は嫌な予感がした。船べりに無造作に転がされた釣り竿、リールの錆びようからも、何の手入れもなされていない事が分かる。T港を出港して15分。沖に着くと、船長が仕掛けを結び始めた。市販のサビキである。餌は凍ったオキアミを金槌でごんごんと割り、洗面器に入れて各人に手渡す。船長の仕事はここまでであった。帰港するまで、彼の顔はついぞ見る事はなかった。後はアンカーを打って、船内に引きこもってしまったのだ。
6時間、我々は何のアタリもないポイントの上で、竿を上下させ続けた。空しい時間だった。5万円の金が惜しいわけではない。釣れなかったのが悔しいのでも断じてない。「釣り」の価値がそれにあったのかどうか。
船を降りる際、何のためらいも見せず金を受け取った船長の顔は未だに忘れる事はない。
体験 その弐
つい、3年前の話だ。離島の釣り船に乗った。若い船長でやたら威勢が良かった。我々が仕掛けを作っているのを覗き込んでは「これはいかん。そうじゃない」と注文をつけた。釣り始めてからも彼は後ろに立って喋り続ける。「アタリはこう、こうやって合わせなあかん。そんなんやない、こう!」彼の口調は「・・・やない」の否定で結ぶ。常に上からものを申していた。
2時間程で我々は各人10匹を釣り上げた。しかし、私は周りの地元漁師さん達の妙な視線に気づき始めていた。隣り合わせになる船がことごとく我々を避けていく。舌打ちしている様が分かる。1度や2度ではない。私は分かった。この船長は他の漁師さん達のポイントへ常に割りこんで入っていたのだ。だから嫌気が差して離れていっていたのだ。
そして、潮が変わったのか、周りの漁船がいなくなり、我々だけがぽつんと取り残された。ポイントを1人では見定められないため、1匹も釣れなくなった。若い船長はそれからの3時間、暇そうに煙草をふかすだけだった。約束の1時間前に彼は口を開いた。「今日はもうこのへんでしまおうか」
後日、釣り仲間に誘われて、同じ港の別の釣り船に乗る事になった。
今度は熟練の船長だった。私は機会をみて、先日の若い船長の事を尋ねてみた。思ったとおりだった。地元でも鼻つまみ者で、漁師仲間では相手にしない船長だという。しかも釣りは全くの素人で、父親の底引き網漁の助手をしているという。親子間でもいさかいが多く、最近は釣り船の宣伝に力を入れ、客商売で小遣いを稼いでいるのだという。内情を知れば全て納得がいく。この日の船長は時間いっぱいをポイントを惜しみなく攻めてくれた。釣果は先日とは比べ物にならないものだった事は言うまでもないだろう。
事前調査の大切さを改めて思い知った。この半年後、本木氏と知り合い、西日本FLECの活動を通じて、ハズレの船には乗らなくて済むようになるのである。
良い釣り船とは何だろう。
私は「当たり前の釣り船」であろうと考える。世の中には、上述したような、「当たり前でない釣り船」が多すぎる。釣り船稼業をやる者に本物の「釣り漁師」は1人もいないのか!と腹が立つ。
また、釣果だけが「良い釣り船」かどうかを計る物差しにしてはならない。偶然良いポイントに居合わせただけのハズレの船長を信じてはならない。
私達の仲間の提言する「鉄の5ヶ条」でいうところの「本物の船長」がまさしくアタリだ。ここまで厳しい眼で見ないと「真の釣り師」には巡り合うことはないであろう。
最近よく思う。釣りを趣味としていて本当に良かった、と。
大海にぽつんと浮かぶ1艘の船に集う仲間。師と呼べる船長との語らい。都会へ帰ってきた時、浄化されている自分に気づく。ぎすぎすと心がささくれ立ち始めると、我が師匠、あの船長の顔を見たくなる。
★「釣り船船長」〓「そのほとんどが素人」
頂点にいるひとつかみが本物の釣りのプロだ。
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