料理人M氏の「釣りへのこだわり」。
【本木雄介】
近所に小粋な料理屋がある。そこの店主・板前であるM氏とは10年来のつきあいだ。
このM氏、若い頃には京都の有名料亭で修行をしており、腕前はなかなかのものだ。そしてなにより、素材となる「魚」にはめっぽううるさい。毎日市場での買いつけにもするどい眼光を光らせる。気に入ったものがなければ当然仕入れない。だからその日は休店となる。
私は彼の妥協を排したプロらしさが好きだ。そんなM氏は私が釣ってきた「魚」には合格点をつける。10回のうち3・4回はクーラーを抱えてM氏へ渡す。網で傷ついた「養殖魚・網捕獲魚」に比べれば、見てくれも味もまったくの別物だ。
M氏もまた「釣り」を唯一の趣味とする男だ。知り合う以前から常連の「釣り船」を見つけており、その船はまぎれもなく「本物の釣り漁師」の船である。
彼は「魚」を見る確かな目をもち、同時に「船長の腕」をも見切る目をもっている。
「日本料理」と「中華料理」の違いだな、と彼は言う。つまり、「本物船長」と「素人船長」をたとえてこう言うのだ。
「日本料理」は素材を活かす料理であり、微かな「甘味」等を最大限に引き出す繊細さが要求される。素材の切り方加減ひとつで料理の味がまったく違ってしまうという。作り手の「センス・才能」が厳しく問われる世界であるらしい。一方「中華料理」は素材をきざみ、大鍋で手際よくいため、適切な味付けさえほどこせば、素人でもそれなりのものができるという。
これは「釣り」と通じる、と彼は言う。
「俺がチャーハンを作ればそれなりのものを出してみせるよ」と彼は自信たっぷりだ。「だけど、中華屋の親父が俺の吸い物を作ろうったって無理なんだ」「つまり、釣り漁師が網で魚を獲ることはまったく無理ではないだろう。だけど、網漁師が釣りで魚を釣れるだろうか」
「無理だろうね」
「本木さん、繊細さを要求されるのは日本料理も釣り漁師も同じだろう」
「うん、同じだ。しかしMさんも釣りにまで筋金入りだね」
専門分野が違えばいろんな例えが出てくるなあ、と私は感心していた。「釣り漁師=日本料理」「網漁師=中華料理」か…。
「釣り漁師も俺たちと同じ職人だから…」と彼は少しの照れもなくそう言う。
「プライドだね」と私。
「そう、プライド。それがなきゃノレンは出せないよ」
ノレンか…。そういえば船に「看板」かけてるやつがいるが、あれはプライドか?
「看板釣り船は大きなノレン出してるけどね」私はにやけて言った。
「ハハハ、素人船長さんだからこそ客引きは必要だ」
「それがけっこう流行るっていうんだから情けない」
「本物を知る人が増えればいつかすたれていくよ」そう言う彼の顔は職人の自信に満ちている。
釣り船の常連となっているそこのあなた。ひょっとしたら「中華親父」の作った「日本料理」に、美味いなあ、なんて舌鼓を打っているのかもしれませんよ。
「季節料理の名店 料亭××ちゃん」なんてノレンに釣られてね。
ま、「本物職人」の味をいちど知れば分かることですが。
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