「釣り漁師」と「網漁師」
【本木雄介】
親戚の者から電話があった。「網漁師の印象が悪くなることばかり書かないでくれ」と言う。
私の祖父、そして本家の先祖をたどると、すべて九州の「1本釣り漁師」になる。しかし親戚の中には「網漁業」を現在営んでいる者もいる。叔父は大型船2隻を所有し「底曳き網」で生計をたてている。電話はその息子のSからだった。
身内と「素人船長」が相手だと、私の口調は荒っぽくなる。
「お前な、タイトルよく見ろよ。「釣り船」だ。釣りの現場に素人はいらねえって言ってるだけだ」
「目のかたきにしてるみたいだろ。網、網ってよ」
「そりゃそうだ。「釣り」と「網」じゃまったくの別物だ。お前だってわかるだろ」
「そりゃ、そうだけどな…」
Sは納得いかないようだった。
彼がひっかかっているのは「網漁師=素人船長」という短絡的な解釈をしているせいだ。正しくは、「網漁師=釣りの素人船長」なのだ。
そもそも「釣り船選びの達人」という、こんなHPを作る気になったのは「素人釣り船」の宣伝のひどさにめまいがしたからだ。
「釣りを知らぬ者」が「釣りのプロ」の顔をして、海を語り、潮を語り、釣りを語る。無法地帯であるネット上で言いたい放題の現状に一言申したかったのだ。それに気づかずに客となる多くの「釣り人」を被害者とまでは言わない。だが、損をさせられている。
釣り雑誌やテレビで心ときめかせ、高い釣り道具を買い揃え、いざ出港。ボウズでさえなければ万万歳。それで本当にいいのだろうか。最後の「詰め」が抜けてやしないか。
「本物の釣り漁師」の船にさえ乗っていれば、カーボンロッドを大きくしならせる獲物に当たったかもしれない。なにより、ヒットの数は格段に違ったはずだ。その日狙える最良のポイントを戦い抜けたはずだ。次回につなぐ手応えをつかみとれたはずだ。「釣り」の奥深さに武者震いしたはずだ。
それを与えられるのは「本物の釣り漁師」以外にいるはずがない。低レベルの釣果を前に「今日は潮回りが悪くてねえ」などという子供をたぶらかすようなコメントはいらない。それが言えるのは「本物の釣り漁師」だけだ。
「素人船長」に最も多い「網漁業者」。「網漁業」は大仕掛けの漁法だ。彼らはそのプロだ。繊細さを要求される「釣り」にはとうてい対応できない。そんな彼らが我々素人相手に「釣りモドキ」を知った顔で指南されては困る。一方で「釣り漁師」は「網漁業」では素人なのだから、互いの両分をわきまえなければならない。「釣り人」という「釣らせてなんぼ」の第三者がそこに介在してくればなおさらだ。
「釣り船」業界のトップは「釣り漁師」だ。しかしネット上でふんぞり返っているのは、「広告戦略」に長けた「素人船長」なのだ。堂々と「釣り漁師」を名乗りながらだ。これでいいはずがない。「てめえら皆、三流もいいとこじゃねえかよ」と言いたくなるのだ。
Sはなんとなく納得したようだった。最後に私はこう言ってやった。
「親父さんに釣り船でもやらせたらどうだ。いい小遣い稼ぎになるぜ。インターネットで釣り客たぶらかすのはわけないぜ」
「へっ」
Sは鼻で笑って言った。
「べラも釣ったことのない人間がどうして釣り船できるんだ?」
そう、叔父は針さえ結べない「網漁師」なのだ。
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