釣り船船長の「資質」とは。
【本木雄介】
これまで船長の「腕・キャリア」等の技術面を強調して書いてきたが、今回は「心技体」でいうところの「心」を考えてみたい。
長らく「釣り漁師」という職業に真摯(しんし)にたずさわっていれば、素人に教える程度の「技・知識」は誰にでも具わるものだ。だがそれを「釣りの醍醐味」を与えながら、的確に伝えるにはそれなりの「素質」が必要ではないか。
だが多くの「素人船長」にそれを求めるのは酷かもしれない。私の経験からいえば、彼ら「素人船長」には大別して2通りある。とにかく乗船直後から喋りたおし、我々の腕前を確かめぬうちから、いらぬ「釣りテクニック」をまくしたてる「攻めタイプ」。あとは勝手に釣ってくれ、といわんばかりにキャビンにこもって出てこない「逃げタイプ」。どちらにも共通しているのは、貧しい「技・知識」を必死にごまかそうとしている点だ。たいていの「釣り客」はなんの疑いもなしに「釣り」のみに没頭してしまうが、「釣り船」のサービスの原点は「釣りの腕を少しでも上げていくための教えを受ける」ことにないだろうか。
昨今の「釣り船船長」は「やさしく楽しい」船長が多いのは事実だ。ほとんどは善良で人当たりのよい人間だろう。しかし「技・知識」が伴わなければ、まともな「釣り指導」は望めない。接客がよくても「釣り」という専門分野では不合格なのだ。我々釣り客が得るものは「釣果」だけではないはずだ。その日学べるもっと大事なものがあったはずだ。船を沖まで出してもらった。ただそれだけに支払う料金だとしたら高すぎる。
船の上では、基本的に我々は「魚」と対峙する。「名船長」はその姿をまずは黙って見ているだけだ。相手が素人だから言いたいアドバイスは山ほどあろうが、最初からいらぬ口はけっしてはさまない。そしてひとたびこちらが投げかけた質問には、まさに的を得た「師の名答」を返してくれるのだ。素人が10人いれば10通りの的確な指示を出せるのではないかと感じてしまうほどだ。よほど各人をしっかり観察し、その腕前・性格まで見ぬいていないとこうはいかない。「素人船長」がよくやる的外れなアドバイスとは雲泥の差だ。
釣行を重ねるたびにステップアップしている自分に気づく。それは「よき指導者」あっての話なのだ。
「名船長」に通うたびに私は思う。長年「釣り漁師」をしてきた者は「魚」を釣る術を研鑚するうち、「人間」に対する接し方まで体得していくのだろうか、と。
力任せに入っては相手は散ってしまう。間合い・呼吸を読まなければならない。ひとたびヒットしたからといって気は抜けない。引けばテグスを滑りだし、機をみてテグスをたぐりよせる。まさに人の「心」のかけひきと通じるではないか。
船長の資質とは、うわべの人当たりのよさではない。相手にどう対応すべきかを自然に読み取り、各人に合ったアドバイスができる指導能力である。
我々の知る「名船長」は皆、懐深い人間ばかりだ。推理・かけひきの達人だ。誰よりも郷里の海を愛し敬い、その誇りに胸をはって生きている。ひとたび我々がその地を訪れれば、「今日できる最高の釣り」をさせてやろう、と手腕をふるってくれる。
その見事な指さばきで魚をたぐりよせるように、我々の心をも引きつけて離さないのだ。
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