釣行記
【本木】(2001. 7)
W港には2年ぶりくらいだった。見慣れたH丸が波止場につながれていた。
取引先から招待されてのことで、船の段取りも今回は先方まかせにしていた。「H丸を選ぶなんてやるじゃないか」と私はうれしくなった。
H丸船長との出会いは15年ほど前だと記憶している。漁師気質の気難しさはあるものの、操船の技術も釣りのキャリアも十分もっていた。当時、私の釣る手つきを見て「ワシの道具で釣ってみろ」と愛用の細い仕掛けを結んでくれたものだ。使い勝手の悪い仕掛けだったが、真鯛のアタリは格段に多くなった。それ以来、いかに細い仕掛けで魚を誘い、細心の注意をもって仕留めるかに私は密かな情熱を燃やすこととなる。仕事の関係もあって足が遠のいていたが、久々に見る船の姿は変わっていないようだった。
しかし波止場に姿を見せたのはあの船長ではなかった。髪を金色に染め上げた青年だった。船長の息子であることは面長な顔立ちから察することができた。船に乗りこんで沖へと走る道すがら、盛り上がる仲間とは裏腹に私の気分は沈んでいった。港を出る時の急な舵の切りよう、必要以上にエンジンを吹かせた突っ走らせ方。船底が波でたたかれて客が尻を痛めようとおかまいなしだ。若さゆえのことだろうが、正確なポイントに果たしてたどり着けるのかどうか。今日の潮・風を読めるのか、この若造で…。
その日の釣果うんぬんをこの場で長々と書きたくはない。同乗した仲間たちは「ボウズはまぬがれた」「まあまあ釣れたんじゃない」と談笑していたが、私は最後まで気分が晴れなかった。
潮の流れは思うよりも遅かった。潮が止まっていたあの2時間、私にはトライしたい場所があった。Mヶ鼻の西の沖だ。かつて船長に案内され、何度かそのポイントで大物の真鯛をヒットさせ、ついに上げることがかなわなかった因縁のポイント。
「潮が眠ったときよ。沖のうねりがあそこに魚を集めよる」
船長の呪文のような言葉が懐かしい。息子船長に私は言ってみた。「親父さんにあの鼻の先によく連れていってもらった」と。しかし彼の返事はこうだ。「あそこは素人じゃ無理だなあ」そしてこうも言った。「このへんでねばっていればオカズ位は釣らせてやる」
そして彼は約束通りしっかりとオカズだけを釣らせてくれた。これが息子船長の実力なのだろう。潮に流され続ける操船だった。点在するポイントを攻める気配はなかった。いいポイントの上にきても留まる術を持っていなかった。いや、ポイントすら彼の頭には最初から無かったのかもしれない。砂地の雑魚しかアタらなかったのがその答えだ。
港に着くと、すっかり白髪になったあの船長が出迎えてくれた。みんなの荷物を引き上げてくれる。私の顔を見るなり、おお、と頬を緩めて「あんたかい。いやに久しいねえ」と笑ってみせた。「今日は養殖に出ていたもんでな。すまんかった」
彼は私の軽々としたクーラーを手渡しながらそう詫びた。
「養殖やってるんですか」
「あいつ(息子)にやらそうと思ってねえ」
「釣りじゃだめなんですか」
「だめだあ。若いモンは根気がないもんでなあ」
「せっかくいい師匠がいるのに」
「魚は餌放りこんで育てるもんだって言いよりますわ」
「そうですか。さびしいですね」
「まあいいさ。わしらの時代はもう終わりだしねえ」
次はワシが必ず乗りますから、と約束して船長は頭を下げた。
時代の流れなのか、またひとつ本物の漁師の血が途絶えようとしている。
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