「釣り船情報」の今昔。
【本木雄介】
「すごいこだわりようですねえ」とよくメールをいただく。
こだわるにはそれなりの成り行きというものがある。身内に「釣り漁師」がいて、地元では「名人」と誰もが認知していた。その漁師である祖父から「船釣り」の手ほどきを受け始めたのは小学生のころだった。まず最初に「最高レベルの釣り」をすり込まれてしまったわけだ。後々出会うこととなる幾多の「釣り船」のアラが見えてしまうのは勘弁していただきたい。
「釣り船」は私が知る限り、どの港にも古くからあったようだ。ただ、その(質)は今と変わらない。つまり、「素人船長」がやたらと多かった。「釣る腕」を持たない「三流漁師」のやる商売だった。その中で「現役を1歩退いた老船長」だけが本物だった。祖父も長年「釣り漁師」として一線で活躍した後に「釣り船」という第2の人生を送った。
当時の「釣り客」は今日のように充実(?)した「釣り船情報」をもっていないため、「口コミ」がほとんどだった。だからであろうか「本物」に客は的確に集まっていた。
しかし、現在ではインターネットによる船長自らの情報発信(HP)で当時の状況とは異なってきた。情報が瞬時に手に入るものの、皮肉なことに正確な情報をピックアップすることが困難になった。はっきりと言えば、偽りの宣伝が「釣り人」を混乱させているのだ。
自分の宣伝なのだがら、書きたいように書ける。「腕のない者」が「名人・釣り師」を名乗り、「釣り未経験転職組の漁師」が「プロの釣り漁師」をうたう。30年も前であれば実際の乗船した客の「生きた言葉」で広がっていたものが、20年前くらいからは情報誌等の媒体を介するようになる。どうもこのあたりから「釣れなかったなぁ…」というため息を聞くようになる。
ネット社会の幕開けとともに、それは加速度的にひどくなったようだ。今では「素人船長」がPC画面上で大手を振る時代だ。彼ら「素人船長」は魚を釣る腕はなくとも、客を釣る腕は日々磨いている。HP閲覧者の心をつかむために必死だ。「やさしく・楽しく」をキャッチフレーズに「三流釣り船」へと誘う。
「船長=釣りの師匠」という本来当たり前の図式を壊し、「船長=釣り友達」のイメージをでっち上げる。「とにかく××ちゃんと一緒に釣りを楽しもうよ」とくるわけだ。見当外れのポイントで本当に楽しめるのか?「釣りを釣らぬ船長」と「釣り」を語らうのか?けっして安くはない料金を支払ってだ。
規制のない、自主発信の情報を鵜呑みにしては失敗する。「船長の腕」も確かめずに乗船しては「船釣りってこんなものかぁ」と本物の釣りの醍醐味を知らぬまま「釣り人生」を終えてしまう。
多くの「釣り人」が公開しているHPのほとんどに「B級の釣り果でお恥ずかしい」という類の釣行記が見られるのはそのためだ。そして「もっと腕を磨かなければ…」と自分を戒めて結んでいる。「本物」さえ選んでいれば自慢に値する写真がいくらでも出てくるのに…と哀れに感じてしまう。
この国に永く引き継がれた「知識・技」を持つ「本物の釣り漁師」と巡り合う機会を、ネット社会は奪ってしまったのだろうか。
いや、そうではない。我々「釣り人」が「この釣り船って…?」と感じた時に初めて、「本物の釣り船」の存在に気づくだろう。
今日もまた、新鮮な釣り場情報を「素人船長」らは送り続けている。
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