「素人船長たちよ!」
【葛城伊佐夫】
我々「釣り人」が「船長」に求めることは、「釣り船として、まともなサービスをしてくれ」という非常にシンプルなものである。
サービス、といっても
「あたたかい茶を出せ」とか「弁当をつけろ」「もっとあいそよくしろ」ではない。
「その港、その漁場に確かにある、魚を釣るべきポイントをしっかりと攻めてくれ」という至極当然のことなのだ。
ただし、これまでの経験から、この当たり前の要求に応えられる「釣り船」は少ない。なぜなら、ポイントすら知らない「釣り未経験漁師」が「釣り船」を営んでいるケースが目を覆いたくなるほど多いからである。我々は彼らを「素人船長」と名づけている。彼ら自身「釣る腕」を持ち合わせていないため、「釣り」を本業としては飯が食えない。我々「釣り人」の素人相手なら騙し騙しでやっていける、という安易な商売をやっている。
この類の「釣り船」はホームページ上に溢れかえっている。
数少ない「本物の釣り漁師の釣り船」の尻にくっついてポイントを攻めるが所詮は素人。悲しいかな勝負にはならない。となりの船ではぴしゃりとポイントを押さえてアタリを楽しんでいるのに、こちらはたまにくる雑魚ばかり。これでは情けないではないか。ホームページでは「釣り」のうんちくを並べ立ててはいるものの、実際の漁場では三流以下だ。そんな「釣り船」にかぎってこまめな情報更新や船長のイメージ造りに必死になっている。
そんなホームページを見て、直感で選んでしまうのは危険ではないか。彼らのイメージ戦略にひっかかってしまっている。そしてまた、自分のひいきの「釣り船」が、実は地元では「笑い者」になっている「素人船長」だとしたら、これはまずいと感じなければ嘘だ。毎度毎度の「中途半端な釣り果」を自分たちの「釣りの腕」だとしょげかえっている場合ではない。
「釣りは自然相手だから釣れなくても仕方ないじゃない」とは正論だが、それは「本物の釣り漁師」の船でのみ通じる話だ。「本物船長」と「素人船長」を比較するには、年間通しての「釣り果」にはっきりとした差が出ている。同じ港に在籍している「釣り船」が2隻以上あるならば、年間比較がズバリの答えであろう。
私が「釣り船」を選ぶ場合、必ず所属の漁協へ問合せをする。「釣り漁師のキャリア」をはっきりと聞き出すためだ。あいまいな答えの場合、知人を通じてでも聞き出す。ここまで徹底しないと、規制のないホームページ広告だけではとうてい真実は見えてこない。
我々は金を支払う。船長を雇う。釣り果などは所詮結果にすぎないが、せめて「プロの知識・技」で「さあ、このポイントが駄目なら今日はもう無理だ!」というくらいの気合がほしい。
世の「素人船長」達よ、金を受け取る手が痛まないか。
そして世の「釣り人」達よ、我々はそれを「船長」に問う資格がある。
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