百人一首に秘められた謎
参考文献:林直道著「百人一首の世界」(青木書店)
このHPで、いくつかの歌を駄作と決めつけてきた。
もちろん主観ではあるが、例えば能因法師や後徳大寺左大臣の歌などは
どうみても駄作としかいいようがない。
嵐吹く三室の山の紅葉葉は 竜田の川の錦なりけり(能因法師)
ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞのこれる(後徳大寺左大臣)
では何故定家はこれらの駄作を選んだのか、そのヒントは百首全部を
俯瞰した時に見えてくるものにある。
百首の中に同じ言葉がよく出てくることはすぐに気づくはずである。
「月」「花」「風」などはありふれた言葉なので多く使われるのもうなづけるが、
例えば「有明け」「朝ぼらけ」という言葉、「ひとりかも寝む」「名こそ惜しけれ」
といった言い回しそれに「逢坂」「竜田川」「高砂」の地名や固有名詞も
複数見受けられる。
上記の二首にも、「嵐」「山」「紅葉」「竜田(の)川」「錦」「鳴く」「有明け」「月」など
他と重複する言葉が多く含まれている。
となると定家はこれらの歌を、「秀歌」としてではなく、それぞれの言葉を含む
という理由で(本意ではないが)選んだのではないかと思われる。
定家は自身優れた歌人であり、百首すべてを高い水準の歌でまとめたかったに
違いないが、その歌人としての矜持を脇においてまでこのような駄作を選び
その百首の歌を使ってあるひとつのことを表現しようとしたと考えられる。
それでは定家は一体何を表そうとしたのか。