定家はいくつも共通の言葉を用いた百首の歌で、何を表現しようとしたのか。
まず思いつくのがしりとり
の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに」
さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり」
「月見ればちぢに物こそかなしけれ 我が身ひとつのにはあらねど」
の田のかりほの庵の苫をあらみ 我が衣手は露にぬれつつ」
君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪は降りつつ」
君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな」・・・・・・・・
続けるだけならいくらでも続きそうだが、たいした意味があるとは思えない。
ではそれを縦横2方向に繋いでみればどうだろう。

62
をこめて
のそら音は
はかるとも
よに逢坂
はゆるさじ
25
名にしおはば
逢坂
さねかづら
知られで
くるよしもがな
66
もろともに
あはれと思へ

花よりほかに
知るもなし
78

かよふ
なく声に
いく寝ざめぬ
須磨の
47
八重むぐら
しげれる宿の
さびしきに
人こそ見えね
秋は来にけり
61
いにしへの
奈良の都の
八重ざくら
けふ九重に
にほひぬるかな
18
住の江の
岸による波
よるさへや
夢のかよひ
人目よくらむ
28
里は
冬ぞさびし
まさりける
人目も草も
かれぬと思へば
73
高砂の
尾上の
咲きにけり
の霞
たたずもあらなむ

78と47では「いく」と「くる(来に)」のようにややこじつけの感はあるが
なんとか縦横を共通の言葉でつなぐことができた。
そしてこれを10X10の升目にはめ込むとなると至難の業であるが、
見事に完成し「歌織物」と名付けられた。

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