新章・第三次試験
モンカンプ王国、四季の存在しない熱帯性気候に属する地域であり、たどり着いた当初は私にとって余り過しやすい地域ではなかった。それでも半年も過していれば、環境へのなれという奴ができてしまう。
「うむ、そろそろいつもの日課の時間であろ?」
井戸を背もたれに息を整えていると、背後から揶揄するような声が聞こえてくる。
薩摩香、私の新しい剣の師匠であり、見目はとても凄腕には見えない黒髪の女剣士。訓練方式は私が部隊に施していたものよりも苛烈で、相手の力量を見誤っているのではないかといつも考えさせられる。
実際の訓練後半はそんな事を考えている余裕は欠片もないが、休憩している最中は文句ぐらい考えても罰は当たらない。
私の横では息が時々不自然に止まるツァイスが転がっており、さらに状態を詳しく言えば白目を向いて舌がだらしなくはみ出ているため、死んでいるようにしか見えない。時々痙攣する様があまりにもうっとおしいので普段ならば有無を言わさず止めを刺すところだが、今はその体力すらが惜しい。
頭を上げるのも苦労していると、香は私たち二人目掛けてたっぷりと水を備えていた桶を盛大に振るってくる。水が来るとわかっていても避ける余力が残ってないため、まともにその水を浴びる羽目になった。
失われていた水分が皮膚を通して体に染み入るようで、ありがたいような気もするが笑っている香を見ていると感謝の念という奴が少しも沸かない。こちらの状態を見越してこれだけの事をやっても、大丈夫だと完全に伊見切られているのは腹が立つが、仕方がなかった。
私たちに対してはそれが許されるほどに薩摩香は強い。
個人の力が優れているものに組織の力で対抗する事は可能だが、残念な事に私に即座に自由に出来る部隊及び後ろ盾がない。それどころら負債のとしかいいようがない身内に、手間隙かかる剣の主が控えている。目下のところ抵抗に意味がない部分もある事を考慮すれば、強くなるためには必須と割り切れば怒りも何時の間に消えうせた。
水をかけられたところで少しは体に活力が戻った事もあり、井戸に手をかけて身を起こし、練習用の木刀を杖代わりにバランスを取りつつよろめきながら教会へと向かう。
顔見知りになった近所の住民と挨拶を交わしつつ、ゆっくりと道を歩んでいく。ようやく外から来たよそ者という警戒心を取り除く事ができてきたか、反応はまずまずといったところだ。疲労困憊の体に鞭を打ち教会へ向かうのは急に信心に目覚めたわけではなく、別のわけがあった。
ここモンカンプ王国ではある神を信仰しているが、崇拝の仕方にいささか違ったところがあった。
三面をもつ神のそれぞれの側面を信仰しており、ルカキ派とラルド派と呼ばれる宗派によってこの国の勢力は二つに分かれていた。残りのもう一つの面はヤンプー派と呼ばれているが、王国中でこの宗派を信仰しているのはほとんど皆無に近いので意識する必要はない。
ルカキ派は王家支持の正統派でその支持人数は第一勢力を誇り、維持と繁栄を題目に上げている。ではもう一派のラルド派はどうかというと主に貴族層に指示されており、革命という過激な思想を題目に上げている。最近注目されつつある魔石に目をつけ、魔石の鉱脈支配権を所持している教会を多数持っている所が特徴といえる。信仰人数こそルカキ派に劣るもののその影響力はかなりの物だ。
両派閥の総合力を見たところ、ラルド派のほうがやや強い。金の力はそのまま腕力に直結する。そんな状態でありながらルカキ派が第一勢力を誇るのは王家が保護しているからに他ならない。
ではこの状況を踏まえて私たちが接近すべきはどちらの勢力かというと当然ラルド派なわけだが、貴族支持を得ているこの宗派には付け込む隙がまったくなかった。金銭的、権利的にも市井の人間には興味がないらしく、そうなると他国の冒険者風情に門戸をあっさりと開いてはくれないのは当たり前だ。
だから今は仕方なく、市民にも開放されているルカキ派の教会へ通い、司祭と誼(よしみ)を通じるという地味な活動に精を出すほかなかった。
元々『ジャッジメント』第3次試験の内容が内容なだけに、簡単にいくとは思ってなかったが、あのジャッジメントが意味もなく試験を課すわけではない事は読めている。近いうちに何かしら動きがあるのだろうが、生活費の関係上高い報酬を支払って情報収集を行う人間を雇う事ができてないため、何かが起こっても上手く活用できるかは正直難しい気はしていた。
かといって不利な点をあげつらったところで、事態が好転するわけもない。何が起こるかはわからないが、やれる事はやっておく。現王家の庇護下にあるルカキ派は市民から冒険者まで来るものを拒まずというスタンスでいるため、ここから機会を窺うというのはそこまで間違った選択ではないだろう。
教会の扉を開くと、朝の時間帯を祈って過す者たちはほとんどいなくなっていた。いるのは司祭のファムと呼ばれている女性だけだった。小柄体躯に未だに幼さの残る顔立ちだが、この若さで司祭まで上り詰めているのは伊達ではない。
高度な神聖魔術の使い手であり、近辺の洞窟でアンデットが大量にわいたときほとんど一人で片付けたのを間近でみて力量は十分にあることは知っている。だが高等神聖魔術の使い手というだけで、今の地位に上り詰める事は不可能というのは少し宗教関連の話をかじっているものなら誰でもわかるし、真に優れているのは政治的手腕なのだろうというのは察しがつく。
調べたところ貴族の子女というわけでなく、財産家の家から出たわけでもないというから驚きだった。自分の持つ腕力のみでのし上がったとなれば、何かしらの秘密があると見て間違いはない。
「もう、また遅刻ですよグロウさん。皆勤なのはいいことですが、そんな事ではルカキ様のご加護は得られません」
腰に手をあて、表情こそ眉をひそめているが言葉ほどには怒気が感じられない。
よく声が響くのは教会のつくりのせいだけではなく、ファムが元々持っている声質に加え長々とした説法で培った呼吸法と発声法によるものだ。私は軽く頷くとゆっくりと膝を折り、祭壇の前にかしずいた。
最早体も動かせる限界に来ていたため、ここから先は身動き一つせずに休息に努める。敬虔な信徒を演じていれば何かしらの縁ができるとみて、毎朝欠かさずこうしているがルカキ神に対してまともに祈った事など一度もない。
祈って運がよくなるのならば、世界中の人間はもっと救われていなければおかしい。このルカキという神もまた、その存在に足る奇跡を信じるものに示したりはしない。
この祈りの時間がまったくの無為かというとそうでもない。まず朝の修練において疲弊しきった体を休める事ができるという点があり、ついでこれからの展開について思索をめぐらせる時間でもあるからだ。
やる事とやらなければならない事を、今現状おかれた状況でどう動き処理していくか、考える事はいくらでもある。香はこの時間を瞑想に当てろといってくる為、一週間に一度の割合でやる事はやるが何の意味があるのかは未だにつかみきれてなかった。
剣の腕に関して言えば、半年前に比べて目に見えて強くなったとは思えない。
修練に関して言えば大半が体力づくりに当てられており、実戦形式での剣試合は勝負にならなかった。最も香と私とでは強さに天と地ほどの差があるわけで、比べるのもおこがましい。
他には様々な武器を使い、その武器の特徴を体で覚えさせられるといった事しかやらされていない。もともと前の師匠から中伝までしか伝授されていない非才なのだから納得はしている。香曰く、『お主に奥義など10年早い』ということらしいが、一々言われなくても分っている。
やっていることに関しての意味も大体は理解できた。
剣と剣で戦うことは滅多にないし、多対一や他の様々な武器との戦いに長じろということなのだろう。香の実戦経験は私の知る中で誰も追随できないほど膨大で、導き出された結論があらゆる敵と戦う経験がかけていると判断されているとしか思えない。
戦う場所もいつも整った地面を想定せず、手負いの状態になっても発揮できるよう動く訓練とでも言えばいいのかもしれない。万全の体制で必ず倒せる敵とだけ戦うというのが、真に取るべき武略であるそうだ。世の中なんでも詰め将棋のようには行かないので、それぞれに応じた闘い方を叩き込むらしい。
数十分の祈りの擬態を終え、目を開けると目の前にはファムがこちらをのぞきこんできていた。
「いつもいつも熱心に祈ってますけど、確か懺悔しておられるわけではなかったんですよね。何をそんなに願ってるんですか?」
どうやったらこの国が安定するかだといっても信じてはもらえない事は間違いない。大きな戦略目標はそういうことで、とかく小さな戦術目標はファムと信頼関係を築く事にある。
しかし、今までの人生で聖職者を口説いた事は一度もない。本心から神を信じ、祈るだけで飯を食えるという身分はどんな異性が好みなのか、一度たりとも考えた事がなかっただけに酷く悩ましい。答えてくれるというのならば、少しばかり探りを入れてみるか。
「ええ、実は気になる女性がいるのですが、上手く振り向いてもらえなくて悩んでいるんです。やはり流れ者の冒険者がそんな想いを持つのは分不相応とはわかっているつもりですが」
笑みを含めば逃げると判断した私は、一切の表情を消して真正面からファムを見詰める。
「そうなんですか……グロウさんのその真摯な姿が偽物でなければいずれ叶いますよ、きっと」
恋愛相談にはとんと疎いらしく、珍しく慌てたそぶりを見せてくれる。ただ、擬態の匂いがするような気もするし、何処に本音があるのかが探れない。司祭という地位は決して純粋な信仰の力で奪い取れるものではないのだから、何処までが演技なのかはそろそろつかみたいところだ。
虚虚実実はある意味何かを隠そうとする人物には当たり前に見られる方法で、それだけに長けた人物の嘘を見破るのはそれ相応の労力がいる。
「そうだ、ファム様に聞いてもらえば少しは状況が変わると思うのですが、お時間はよろしいでしょうか?」
曖昧な物言いは許さないと言葉で退路をふさぎにかかると、ファムの口の端が引きつるのが見えた。
「は、はい。私程度のものでよろしければ、迷える子羊の悩みをお聞きしましょう」
羊ね、狼であったり獅子であったりすることはあったが、羊になったことはあったかな。いや強者の前では常に羊となって慈悲を受けてきた事を思えば毛皮ぐらいはあるだろう。
「実は気になっている女性はルカキ派の聖職者なのです。出会ってきた中でも彼女は特別で、何をしていいのか見当がつかず困り果てています。人によって好みというのは様々でしょうが、同じルカキ派の信者としてファム様はどのような方が理想の相手か、参考までにお聞きしてもよろしいですか?」
なんと返答するかと心持身構えていると、ファムは両指を絡ませて眉をこれでもかというほど寄せて困り果てていた。
「私の好みですか。ええっと、ルカキ様というわけには行かない……ですよね」
神こそが理想の相手など傲慢極まりない話だ。信仰に生きて、信仰に死すと言うのも聖職者の在り処だろうが、モンカンプ王国の宗教は妻帯を禁じていない。勿論女性の信者も結婚が許されている。
唯一許されていないのは、司祭を束ねる司教のみだ。
「参考のお話です。勿論、ここで聞いた話は絶対に他言いたしません」
「うぅ、つまり私はグロウさんの悩みと引き換えというわけですね。そういうのあんまり善くないですよ」
「分ってます。こういう悪徳を消す為に私は日々こうしてこの教会に通っているのです。さぁ、昼の祈りが始る前に出来れば解決の手がかりだけでもお願いします」
頼み込めば嫌とはいえない性質を思う存分つかせてもらった。本当か嘘かはどうでもよく、多く会話する事でファムの本質を垣間見る事ができればそれで御の字といえた。
唸っている様子は警戒している幼い獣のようだが、諦めたようにため息をつくとぼそぼそとした小声で答えを言い出す。
「せ、誠意のある方が、その、好ましいと思うことはありましたけど」
誠意か……なんてことだ、まさかお布施を要求してくるとは。これが本音だとすると、司祭の地位にあるファムの心を取るためにはいくら詰まなければならないか見当がつかない。
「違います。誠実な方って事ですよっ!!」
どうやら考えが口から僅かに漏れていたようで、ファムは大声で怒鳴った後にどすどすと地面を踏みしめながら教会の奥に引っ込んでいった。
誠実か。
はて、私は今まで常に誠実に生きてきたが、ファムが言う誠実というのはどういう誠実なのか……そこからまた考える必要があるようだ。