甲斐庄楠音研究3
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From: "Eiji Yamane" <eiji_yamane@hotmail.com> こんばんは。ヤマネです。 ----- Original Message ----- え〜。悪口だなんてぜんぜん思いませんでしたよ。 同性愛者の知り合いが何人かいますので、白翔さんに言われてみると、ああ、なんか、甲斐庄の顔も、彼らと共通しているところがあるような気がするな、と思ったのです。 その感触をみなさんと共有できればと思いまして、彼の顔写真を投稿したのです。 |
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From: "Masao Kohmura" <komura@cg.tuad.ac.jp> >http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9871382014&USER=GUEST ヤマネさんがアップしていただいた「京都の日本画1910‐1930」を私も持っていてその展覧会を見たあとしばらくして栗田勇のこの本が出版され買い求めたものと思います。おそらく10年振りにざーと読み返してみました。 甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)楠正成の25代目だそうです。 弔辞/新藤兼人/岩波新書/1998年2月発行という本がありここに甲斐庄楠音のことが書かれているらしい。読んだ人がいますか? 山頭火(1882)、辻潤(1884)、放哉(1885)で甲斐庄楠音(1894)は一回り下の世代に属す為なのか京都の粋人という立場か、またすこし斜に構えたところがあって、祇園の芸者さんや太秦の女優たちに囲まれて概ね幸せな生涯だったのだろうか? とりあえずここまで。 マム・山形 |
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> 白翔です。 私の記憶によれば(実にいいかげんだが・・。ごめん。)男色は男色でも彼の自意識は女性願望の役割だと思った。おねえ言葉を操っていたふしはありや無しや? それとも女装の写真有りや無しや? 老境に入りなんしなびた裸体をくねらせながら頑強な男に貫かれている甲斐の庄の姿が残っている。一体全体、直腸のどこに失神するような快感の所在があるのか? 「ねえ、入れておくれやしい。」京都弁ではもっとはんなりほんなりするんでがしょう? だから、違和感があった。つまり栗田勇の「女人讃歌―甲斐庄楠音の生涯」に。「ん?まあ、遠まわしで言やあ女人讃歌ではある。ウン。あるある。」彼の絵はそもそも順当な女人讃歌の絵ではあるまい。まるで女になった私を描いているようだ。自画像だと言っても良いくらいだ。「きたない絵」そう評された甲斐の庄の驚愕たるや想像にあまりある。手首を切ったという記録はありやなしや? 「手首なんか切れへん。切れへん。男はんにいっぺん抱かれてしもたらもう死ねられへん。」彼の生涯が概ね幸せな人生だったということは恐らくは無い。こうありたいと思う心とそうである自分との乖離が大き過ぎる。今はやりの性同一性障害。ん?あってるかなあ?性適応意識障害。こっちの方がいいか?わたしゃうる覚えが多いんだ。ごめん。この自意識地獄にはまりこんだら刃は醜き己に向けられる。そして解決することが無い。 お母さんと一身同体であった時期、これを一次的ナルシシズムの状態と呼ぶ。もし彼の自意識がそこから分離できなくて、自分の事をお母さんに同化して女であると思ったとすると、男から愛される事を望む様になったとしても不思議ではない。 彼の絵は複雑怪奇。 いったんマムさんへお返しする。続編が待ち遠しい。子供の頃の紙芝居のようだ。 |
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Date: Sat, 02 Oct 1999 23:06:03 +0900 mephistoです、こんばんわ。 《Masao Kohmuraさん wrote in [gs-club:0123]RE: [gs-club:0102]
「畜生塚」》 白翔さんが見抜かれていたように甲斐庄は同性愛者だったのですね。(さすが白翔さん。) ということは、彼は男性にリビドーが向かっていたはずなのですが、それではなぜ、あのような、魅力的な女性の絵を描くことができたのてしょう? その心理的メカニズムはどのようになっていたのでしょうか。 >デビュー作の「横櫛」は後年加筆修正され今のようになった。顔の横の色紙の所に 「お富」で広辞苑に載っていました。 おとみ【お富】 よわなさけうきなのよこぐし【与話情浮名横櫛】 |
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Date: Sat, 02 Oct 1999 23:21:35 +0900 mephistoです、こんばんわ。 また、白翔さんの投稿を読む前に、自分の投稿《[gs-club:0125]なぜ女の絵を描けた?》をしてしまいました。すいません。 《hakushouさん wrote in [gs-club:0124]甲斐の庄ただおと。》 自分がなりたい理想像としての女性の絵なのですね。 >こうありたいと思う心とそうである自分との乖離が大き過ぎる。 これは、苦しそうです。化粧鏡の前に座る、オカマの苦痛。 |