甲斐庄楠音研究6
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From: "Masao Kohmura" <komura@cg.tuad.ac.jp> >送信者 : hakushou <copper@par.allnet.ne.jp> モデルは兄嫁の彦子・大正4年8月結核で没。南座の沢村源之助の歌舞伎「切られお富」を見終わった後着物を脱ぎながら、それの真似をしている >加筆修正の前の作品らしい、写真です。 京都国立近代美術館と笠岡市立竹喬美術館で平成9年に開催された・大正日本画の異才―いきづく情念・「甲斐庄楠音展」のカタログを入手しました。いろいろな疑問が解けました。 とりあえず。マム・山形 |
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> 白翔です。 >楠音と将来を誓い合っていたが、 横櫛のモデルは明らかにフィアンセだね。なんと匂い立つような清楚な美人。相当な美人じゃないかい? 彼女をモデルに横櫛を描いた。マムさんの言うようにモデルは兄嫁ではない。多分。それに南座の沢村源之助の歌舞伎「切られお富」を見終わった後着物を脱ぎながら、それの真似をしているという風評も間違い。でなければその後のただおとの分裂症状とこの絵の変遷の説明がつかない。 力作で彼のデビュー作であり出世作になるはずだった。一校目の作品は本当に良い作品だねえ。日本画の順当な描き方。つまり最初の作品。「切られのお富」を入れ込む前の作品のこと。海老さま命というのはどちらかというと「ただおと」の趣味でしょう。「横櫛」の物語設定は囲いものか遊女か芸者の設定でしょう? 旦那のおいでで着物を脱いでいるところ。 >楠音と将来を誓い合っていたが、 この金色夜叉の物語は恐らく甲斐の庄の方の言い分だね。そういう理由で婚約者が去って行ったと。だから云々と。甲斐の庄は間(はざま)貫一を演じた。どこまでも芝居じみた男だ。彼は男色者となって宮や世間に対して復讐しようとする??? さて本当の物語なのかどうか?だが恐らく違う。後年、彼が言い訳のように語った事柄に真実はない。甲斐の庄ただおとに女を喜ばせる意欲があったかどうか? 彼は根っからの女性願望者だ。若い頃の写真はそれを伺わせる。十四〜五のときから稚児遊びで手馴れたものでしょう。そこまで惑溺していてチンチン使おうたって容易くは無い。 しがねえ恋の情けが仇、十四のときから手癖が悪く、男と見ればたらしこみ、めぐる月日も十年ごし、すっっぽりはまった悪癖に、悪い浮名も龍の口、名さえゆかりの甲斐の庄ただおととは俺のこったあ。 それに分裂症の気配はあったと思うのだが・・?いかに? お母さんと一身同体であった時期、これを一次的ナルシシズムの状態と呼ぶ。もし彼の自意識がそこから分離できなくて、自分の事をお母さんに同化して女であると思ったとすると、男から愛される事を望む様になったとしても不思議ではない。 ただおとは3歳を過ぎてもずっと、7歳を過ぎても尚母親の乳房に顔を埋めて眠りにつく。生まれてこの方15歳になるまで母親の胸から離れたことがない。幼い頃からの習慣で眠りにつくまでの間布団の中で母の乳房をもてあそんだ。時にはホトを弄繰り回したけれども自分の体をいじるのと同じ気分であった。お尻の穴とちっとも変わらない。母親の穴という穴には指を突っ込む。何の違和感もない。拒否されたことも無い。母親が喜ぶように自分も喜ぶ。まるで一心同体。母の乳房を噛めば自分が痛い。彼の乳首が感じるのだ。 こんなん書いてみましたけど。これではまだ次の疑問を解いたことにはならない? 一体全体、直腸のどこに失神するような快感の所在があるのか? これはもう才能としか言いようが無いのだろうか? それに次のような疑問だ。「ほう?分裂病と同性愛?何か閏係がありますか?」「はあ。発症時に男の患者がよくその妄想を口走るということですがねえ。フラチオの妄想なんですが・・。何故かきまってそうなんです。」 甲斐庄楠音の生涯を辿ることで先の答えを出すべし。宜しく。 |
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From: "Eiji Yamane" <eiji_yamane@hotmail.com> こんにちは。ヤマネです。 mailto:eiji_yamane@hotmail.com ----- Original Message ----- ----- Original Message ----- 同じ図録ですね。ぼくは近くの図書館から借りてきているのですが、まだ販売しているのでしようか。作品だけでなく、紹介しましたが珍妙な写真も多く、とても楽しい本ですね。できれば購入しておきたいものです。 ----- Original Message ----- いやぁ、そんなに凄いことてはないんですよ。図書館で甲斐庄で検索して、図録を見つけ、それからスキャナして、ネット上にアップ下だけのことですから。確かに、たくさんの写真の中から選択したのは、僕の判断力ですが、印象的なのは限られていましたから、どなたが選ばれたとしても、同じような写真を抽出すると思いますので、今回はぼくはそんなに大した仕事をしたという気はしていません。・・・・手数はかかっているので、それに、ご苦労さま、と言っていたたけるのは、うれしいことですけど。 |
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From: "Masao Kohmura" <komura@cg.tuad.ac.jp> >いやぁ、そんなに凄いことてはないんですよ。図書館で甲斐庄で検索して、図録を見つ 大変ありがとうございます。さらのお願い。 マム・山形 |
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From: "Eiji Yamane" <eiji_yamane@hotmail.com> こんにちは。ヤマネです。 mailto:eiji_yamane@hotmail.com 明治27 1894 明治34 1901 7歳 |