甲斐庄楠音研究11
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> 白翔です。 あくまでも絵は深層の無意識的な快感原則の表現と私は思っていますから、特に「穢い絵」ということが問題となっている甲斐の庄にとって仮に「白百合と女」にどんな清清しい百合を描こうと可愛い天使を描きこんだとしても、あの腹の中にはとぐろを巻いた大蛇が入っているように見えるのは変わらない。禰子さんのこの感性は遠からずじゃない? 甲斐の庄の無意識を言い当てているんじゃあないかい? モナリザから受ける感性と言い禰子さんの直感は確かだ。モナリザに関しての感覚には冷水を浴びせられた思いがする。惚れてしまえばあばたもえくぼ、おまけに頭で絵を読もうとするヤナネさんやマムさんよりも麗しき巫女のご託宣をとる。彼女は肌で感じている。無論、マムさんの感じ方が間違いかと言うとそうではない。確かに神々しいという読みもあります。 聖母と働く女、女郎と奥さん、これらの描き別けが出来ていないじゃないかという問題でもない。甲斐の庄は何を描こうが「穢い」と麦僊は言うでしょう。甲斐の庄はその意味するところを本当には分かっていませんから。穢い絵で綺麗な絵に打ち勝たねばならぬと胸中深く刻み込む。果たして本当に穢い絵という意味をここでも分かっていたかどうか? それに百合の描き方にしても・・・ウ〜ン? 甲斐の庄にそんな細かい象徴を使い分けたとは思えない。まあ、借りてきただけだね。百合はせい一杯純潔に白く描いてる。と思っている。要は孕んだ女に執着している事実。それだけを注目すればいい。少なくともエロスの表現ではあるよねえ。未練なのかねえ?それとも屈折した欲望なのかねえ? やはりトクの妊娠と無関係とは考えにくいねえ。ウ〜ン? アンビヴァレンツ。恋人の裏切りをどうにかして越えようとする営為であろうということは想像できる。ここらへんの深層心理をどう解するか? 複雑怪奇。嫌になる。 -----Original Message----- |
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Date: Sun, 10 Oct 1999 00:40:39 +0900 mephistoです、こんちわ。 《引用はhakushouさんの「[gs-club:0178]RE: [gs-club:0177] 白百合」から》 どうかなぁ。 《引用元はEiji Yamaneさんの「[gs-club:0150]甲斐庄楠音の年譜」から》 この年譜を読む限りでは、甲斐庄は、ルネサンス絵画の語法に精通していたと考えた方がいいのではないんですか。 そして、ブレイクと言えば、聖書や、ダンテの「神曲」の挿し絵を描いた人なのだから、バリバリに象徴的技法を駆使した人でしょう。そのブレイクに心酔していたと言うのだから、甲斐庄が「そんな細かい象徴を使い分けたとは思えない。」というご意見には、納得できません。 そして、 《引用はhakushouさんの「[gs-club:0178]RE: [gs-club:0177] 白百合」から》 こちらのご意見も、どうかなぁ、です。 「白百合と女」大正9年 を見たら、yamaneさんの言うとおり、葉が黄色くて、葉の先がもげています。これを「せい一杯純潔に白く描いてる。」とおっしゃられても・・・・ 「純潔であったはずの白百合が、傷つけられた」というところでしょうか。 で、「もはや純潔とは、かわいそうですが、言いがたい」という状態にあると思います。 |
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> 白翔です。 -----Original Message----- 甲斐の庄の絵をざっと見てきて、ルネサンス絵画の語法に精通とは何をイメージしているのかが分かりません。百合の花言葉を知っていた。これが精通ですかねえ? mephistoさんもあばたもえくぼの口? 栗田勇を恩人とまでおっしゃる? 甲斐の庄の絵を見比べて、「レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロに傾倒し、」というキャプションが何か別な意味をもって語られているかに思える。確かにミケランジェロを参考にした絵はあるね。群像の絵で。おそらく。「レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ」甲斐の庄にとってはお守り札のような芸術家だ。口を酸っぱくしてこの天才達を語ったことか。この二人の天才を超える芸術家がその後一体でたというのでしょうか? えっ?あなた。はは・・・。いる筈もないですなあ。彼らこそ歴史上燦然と輝く天才でしょうなあ。ははは・・・。私にとっては神ですなあ。はははは・・・。 そう。実に繊細で有能な人達がいる。性倒錯者の彼等を対象に昔からよく話題に上るのは、卓越した能力を持っている人々と犯罪者との類似に関してであります。監獄の中というのは、あらゆる逸脱行為と混じり合って同性愛的行為は日常茶飯事ですが、もう一方の極めて高度な知性の持主である芸術家や哲学者達の中にもその様な傾向が見られるというのも有名な話です。ダ・ビンチやミケランジェロという芸術家などは頷けるにしてもアレキサンダー大王を含めて国王や権力者の幾人かはそうであり、ローマ皇帝へリオガパルスにいたっては常に女装をして愛する男達の為に奉仕したと言います。 >そして、ブレイクと言えば、聖書や、ダンテの「神曲」の挿し絵を描いた人な ウンウン。こういう解釈でもいいんです。だったら「切られのお富」横櫛のように直裁にしおれた百合を描けばいい。その方が言葉として伝わる。言葉も典型的な象徴(シンボル)ですから。ただこんな細かいものいいがあるのかどうか? あまり知らない。私はこのことにあまり関心は無い。 むしろ、mephistoさんの最初の着想。「孕み女」は甲斐の庄にとって何故繰り返し描かざるを得ないのか? 繰り返し描くことで怨念を越えようとしているのは間違い無いわけですから。 「孕み女」を描くことがどうしてこえることと関係しているかの物語をむしろ聞きたいわけです。栗田勇はそのことに触れていますか? 触れていたらご紹介下さい。 |
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> 白翔です。 なるべくならご自分の感性で感じてください。 日本経済新聞社『甲斐庄楠音展』の年譜。前にお話したけれど、甲斐の庄の年表そのまま卯のみにしたらだめですよ。編者が変われば一変する。でもこの編者おさえてかいてある。同性愛の文字さえ出てこない。かろうじて次の記述。 18歳 昭和49 1974 80歳 フ〜ン? 私もこれにはかけつけた。最初のパンダが上野動物園に来た時と同じように、人の流れで身動きならず、ただ押し流されるように遠くで首だけ動かして見ただけでした。恐らく展覧会始まって以来の人出。それにしても甲斐の庄長生き。 |