甲斐庄楠音研究12
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Date: Sun, 10 Oct 1999 12:01:21 +0900 mephistoです、こんちわ。 《引用はhakushouさんの「[gs-club:0183]感じてね!」から》 「ルネサンス絵画の語法に精通」は、「短絡」・・・言い過ぎですかね? ・・・・では、こうではどうですか? 「外国出版の高価な画集を入手」を解釈しますと・・・元の作品をかなり忠実に再現している大きな判の画集を手に入れた。甲斐庄は、絵を細部まで、見たいという欲求を持っていた。 「模写する」・・・・わざわざ年譜に書いてあるのだから、一、二枚模写した 「心酔する」「虜になる」・・・・ただぼんやり眺めていたのではなく、その創作の秘密を知ろうとして、人と議論したり、本を読んだり、考えこんだり、彼なりに、あらゆる努力をして、その芸術の秘密を吸収しようとした。 そういう努力をしていた甲斐庄が、もちろん白翔さんが、 彼がそんな疑問を抱いたあとで、すこし勉強すれば、ヨーロッパの宗教画は、独立の絵として存在しているのではなく、聖書の物語がその骨格であるのだ、そして人物の大きさから、手の組み方、登場する動物の種類まで、かなり細かいことまで神学によって定められていたのだ、などという知識を得るまで、そんなに時間はかからなかったと考えていいでしょう。 そのような、【物語にからんだものとして、作品を作る】というやり方は、「横櫛」をはじめとして、 >「文楽之図」昭和2頃 などの歌舞伎、文楽がらみの作品にあからさまに採用されています。 また、 >「畜生塚」大正4年頃 というように、甲斐庄が優秀な映画スタッフとして転身をはかれたのも、その修練があったからでしょう。 【小道具に意味をこめる】という手法は、 >「女と風船〈蝶々〉」大正15年 の「手紙」など、例をあげていけば、きりがありません。 また、特に「畜生塚」や「虹のかけ橋」は甲斐庄のライフワークですから、彼がこれらの手法を生涯愛用していた、ということも言えるでしょう。 《引用はhakushouさんの「[gs-club:0183]感じてね!」から》 と白翔さんは言われるが、このお言葉が、たとえば、甲斐庄の作品を、骨格をなしているストーリーを無視し、小道具を無視して、絵を純粋に眺めなさい、という意味でしたら、それは、ほかの画家の作品を鑑賞する場合はともかく、甲斐庄の作品解釈をする場合においては、あえて言わせてもらいますが、甲斐庄の個性を無視した、間違った方法だ、と言えるかもしれないと、思います。 ぼくは、むしろ、甲斐庄の作品は、映画のワンシーンのようなものだと考えて、理解したほうがいいだろうと思います。映画の脚本や、監督の演出スタイルを無視して、映画の一場面を「感じろ」というのはナンセンスです。もちろん、ストーリーを理解した上で、「感じる」ことは欠かせませんが。 作品に応じて、作者に応じて、解釈方法を変えなけれならないのは、当然のことですよね。・・・・釈迦に説法だとは思いますけど。 |
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> 白翔です。又一日が始まってしまった。今日もまた仕事か。休みなんかあった試しがない。皆さん連休でどこかお出かけ? 再度、解釈は後。まづ感性で感じてください。 「こんばんは。禰子です。 きらきらした言葉です。えっ?「モナリザ」って気持ちの悪い絵だった? 考えて見るに確かに気持ちの悪い絵だ。「モナリザ」は。神秘のほほえみ。世界一の名画。いろいろ気を取られているとつい分からなくなってしまう。この禰子さんの批評は甲斐の庄の深層の快感原則が「モナリザ」のどこに共振したかのお答えになっているわけです。 「レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ」甲斐の庄にとってはお守り札のような芸術家だ。口を酸っぱくしてこの天才達を語ったことか。 「この二人の天才を超える芸術家がその後一体でたというのでしょうか? えっ?あなた。はは・・・。いる筈もないですなあ。彼らこそ歴史上燦然と輝く天才でしょうなあ。ははは・・・。私にとっては神ですなあ。はははは・・・。」 言葉尻はどうでもいいんだ。甲斐の庄が何かにつけてとうとうと力説したであろう姿を感じてください。すがるように力説したことを感じてください。 自己肯定の深慮遠謀。人間の言葉や態度はこの一点に最大集中する。それは何物にも代えて守り抜かねばならない自我の使命。誰も傷つきたくは無い。しかし、傷つき挫折しなければ次の世界が見えてこない。ボロボロにならなければ次の麗しい世界が見えてこない。 |
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> レオナルド・ダ・ヴィンチと甲斐庄楠音? ああ、問題ならん。笑止千万。きたない。きたない。並べて持ち出すな。馬鹿たれが。カチカチのアカデミズムの評論家は言うかもしれない。 昭和49 1974 80歳 念願の初恋の人が日本へやってくる。何をおしても会いに行くのは当然だとしても、彼は何かを確かめに行ったと思う。何を?? 「通奏低音として横櫛や肥えた女シリーズに共通する、 「私が生まれてから今までで一番恐れている絵は「モナリザ」です。私が3歳くらいのころ、父が毎月一冊ずつ「世界名画全集?」を買って来ました。そのころ、家にはまだ大きな本棚が無くて、その全集はカバー絵が見えるようにして壁に立ててありました。そのカバー絵にモナリザがいたのです。彼女は一ヶ月の間、私をにらみつづけました。モナリザの目は何処にいても、不意をついて振り返っても3歳の私を絶対に見つめています。しかもひび割れているのです!!次の全集がやってきてそのカバー絵をふさいでしまうまで、その部屋に入るのが怖かったものです。」禰子の言葉です。 これでマムさんの説が実感として繋がったね。 続けて、模倣者の悲劇という話をしようと思ったが、私ばかりになるので止めましょう。甲斐の庄楠音面白かったね。一万円の本を買って読んだ感じ。これもヤマネさんのおかげやね。インターネットの月6000円。安い!安い! |
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From: "Eiji Yamane" <eiji_yamane@hotmail.com> こんにちは。ヤマネ(ml運営者)です。 mailto:eiji_yamane@hotmail.com ----- Original Message ----- ----- Original Message ----- 「まず理解」とおしゃるmephistoさんと、 卵か鶏か、みたいな議論ですが、この「芸術と思想」というメーリングリストにふさわしい議論であると思います。 しかしまぁ結局は、「どちらも、大切」というあたりに、おちつくには決まっているのですから、感性派も、理性派も、どちらのがわも等しく、修正をうけいれられる柔軟性が不可欠だと思います。 >人間の感性的側面と、理性的側面の接触、合一をめざします。 と、mlのホームページに書かせてもらってますが、両者の間によこたわる深淵は、とてつもなく深いように思えますが、しかし、そこに架橋することは、ぜひとも必要なことです。(ここは、みなさん、議論の余地なしですよね)あきらめずに、皆でとりくんでいきましょう。 仲良くやりましょう。くれぐれも喧嘩別れおわるようような、【ヒートアップ】はなさらぬよう、人格攻撃などに陥ったりせぬよう、お願いします。 失礼な、お節介をしました。おゆるしください。こういう差しでがましい口をはさむのも、ml運営者の仕事のひとつのように思いましたので、気がすすみませんでしたが、あえて、やらせていただきました。お察しくださいませ。 では。 ・・・・そうそう、mlの世界での【ヒートアップ】の反対語は、【クールダウン】です。 |
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From: "hakushou" <copper@par.allnet.ne.jp> 白翔です。 それにヤマネさんへごめん。まあ、ここを仕切るのはヤマネさん。だから異論はないけど、まだケンカには程遠い。私にしても数十年絵のことを考え続けた仲間と議論するようにしているから、はしょってお話している。ケンカというのもまだまだずうっと先だねえ。 |