園生貝塚研究会の活動




2003年度第5回貝塚巡検
千葉貝塚(貝塚町貝塚群)
(「◆最近の活動◆」 2003年6月26日掲載記事)

 6月1日に,千葉県千葉市若葉区に所在する千葉貝塚と,東寺山貝塚群を形成している廿五里北貝塚,廿五里南貝塚を巡検いたしました。
貝塚台地
葭川脇から貝塚台地を望む
高品・東寺山
葭川の下流方向を見る
葭川
排水路になっている葭川
干場遺跡より
干場遺跡より千葉市中心部方面を見る


西光院貝塚
西光院貝塚(左)と西光院北遺跡(右)
西光院貝塚
 西光院貝塚は,縄文時代中期加曽利E式の点列環状貝塚です。
 住宅地内にあった西側の貝層は,住宅の建て替えで消滅した模様です。
 一方,西光院の境内にある貝層は,盛り土等で貝塚であることがだいぶ分かり難くなりましたが,地中に貝層が遺存しています。
 またここは,中世初頭の城跡である貝塚城の入り口脇に当たり,城跡に伴うものと考えられる台門塚が残っています。
西光院貝塚
本堂脇に貝が散布
台門塚
城に伴うものと考えられる塚(台門塚)

貝塚城跡
西井戸遺跡の下の道にみられる貝層
貝塚城跡
 千葉貝塚の範囲は,貝塚城跡の範囲とほぼ重なっています。腰曲輪や土塁,塚群が残されているほか,台地のまわりを段切りして低地を盛り土した武家屋敷跡と思える遺構が字殿屋敷や字殿作など残っています。葭川流域に形成された中世初頭に遡る城跡群の一つとして,保存状態が良い貴重な遺跡です。
 城跡の遺構が明瞭に残る西井戸遺跡の下の道路脇に,縄文時代の貝層がありました。道普請のために貝塚から持ち込まれたのか,低地の貝塚なのか,検討が必用です。

台門貝塚
宅地造成によるカッティングで露出した貝層
台門貝塚
 台門貝塚は,文化財保護法による工事停止の命令を無視して宅地造成工事が強行され,貝層の多くが破壊された遺跡です。その時に,関東地方では少ない千網式,荒海式土器がまとまって検出され,当地域での実態がわかっていない縄文時代と弥生時代を繋ぐ貴重な遺跡であることが明確になりました。
 また台門貝塚は,「中規模な貝塚で破壊された」と事実誤認されていますが,千葉貝塚の中でも荒屋敷を凌ぐ巨大な貝塚で,北・南・西の台地縁辺に貝層が残っています。

荒屋敷貝塚
往時の様子が見られる唯一の地点
荒屋敷貝塚
 荒屋敷貝塚は,1970年に京葉道路の造成で破壊されそうになりましたが,幅広い保存運動がおき,国指定史跡として保存されています。
 しかし,わかりやすく,しかも高い利用を考えた保全になっておらず,一面草で覆われている状況のため,貝塚の姿がわからなくなっていました。
 荒屋敷貝塚のすぐ西に京葉道路のインターチェンジが造られ,世界一の規模をほこる千葉貝塚が,なし崩し的に破壊されてきています。

荒屋敷(西)貝塚
縄文時代前期の地点
荒屋敷(西)貝塚
 荒屋敷(西)貝塚は縄文前期の貝塚もありますが,遺跡の中心は縄文時代中期の点列環状貝塚であり,縄文時代後期の貝塚も確認されています。これは,荒屋敷(西)貝塚は荒屋敷貝塚の集落の一部であり,台門貝塚,草刈場貝塚の集落の一部でもあることを示しています。
 荒屋敷北貝塚や谷津堀貝塚の一部を壊して造られた国道51号バイパスの延長により,荒屋敷(西)貝塚が大破しそうな状況です。
荒屋敷(西)貝塚
延長される国道51号バイパスの中心ライン
途中で止まっている国道51号バイパス
途中で止まっている国道51号バイパス道

荒屋敷北貝塚
土師の貝層が分布する地点
荒屋敷北貝塚
 草刈場貝塚と荒屋敷貝塚という2つの巨大な環状貝塚に挟まれた荒屋敷北貝塚は,東京湾北東岸地域では珍しい縄文時代後期初頭の貝塚です。また,土師の貝塚も重複しています。
 遺跡の西端を西側を国道51号線バイパスが通っていますが,バイパス沿いと農用地との間が荒れ地等で遮断されているため,エアーポケット的に田園風景が残っています。沿道サービス等の開発でアメニティー空間を蚕食しないように留意した地域整備が求められます。
国道51号線バイパス
荒屋敷北貝塚の西を通る国道51号線バイパス
国道51号線バイパス
正面の山に見えるところが荒屋敷(西)貝塚

草刈場貝塚
貝層南東部
草刈場貝塚
 草刈場貝塚は,環状貝塚第1形態として最大の規模をほこる貝塚です。
 草刈場南貝塚,向内東遺跡,荒屋敷(西)貝塚,殿屋敷貝塚など,草刈場貝塚から台門貝塚までの間に縄文後期の貝塚が続いています。これらの貝塚は,同一の集落と考えられます。
 草刈場貝塚は,酒詰仲男氏が環状貝塚の謎を解くために貝塚を縦断するトレンチを入れた学史的な貝塚ですが,都市スプロールが進んでおり,破壊の危機に立たされています。
草刈場貝塚
千葉県重要遺跡百選で立てられた標柱
水場遺構を破壊した道路
道路建設時に縄文時代の水場遺構が露出

草刈場東遺跡
縄文時代前期の小貝層
草刈場東遺跡・阿ら屋敷古墳群
 草刈場貝塚の東側に縄文時代晩期安行式の遺跡が続きます。また,縄文時代前期の小貝層が形成されています。縄文時代前期の貝塚は,荒屋敷(西)貝塚,尻籠貝塚にも形成されており,縄文時代前期には南北約400mの間に貝塚を点々とつくった集落が展開していたことがわかります。
 山林と畑の間に造った道路で一部破壊されましたが,阿ら屋敷古墳群が2列に並んでいます。これは,中世墳墓,もしくは近世の塚と考えられます。

谷津堀
都会に残った緑地空間にある貝塚町殿山貝塚
貝塚町殿山貝塚
 貝塚町殿山貝塚は,貝塚町字殿山の裾の道路沿いに形成されている低地の貝塚です。その規模は捉えられいませんが,現在わかっている限りで400m貝層が続いています。
 水田の中に貝が散らばり,縄文時代中期〜後期の土器が散乱しています。台地斜面に土器などの遺物が見られないことから台地上にある貝塚からの流れ込みでないことは明らかです。自然貝層中に縄文人による貝層が点々とあるので見極めにくいですが,巨大環状貝塚形成期の低地貝塚として注目されます。
貝塚町殿山貝塚
山裾の道に貝が散乱
貝塚町殿山貝塚
田圃の畦に見られる貝

廿五里北貝塚
東寺山台地最奥の環状貝塚
廿五里北貝塚
 東寺山台地には浅間南遺跡から北前原遺跡までの約2qにわたって貝塚が続いており,貝塚台地に次いで貝塚が集中しているところです。その中で,巨大環状貝塚が3カ所知られていますが,その中で最も奥にあるのが廿五里北貝塚です。
 廿五里北貝塚は,加曽利E3式〜堀之内式期を主体にした貝塚です。同期の遺跡は北前原遺跡,餅ヶ先貝塚,すすき山遺跡と連続しており,東寺山〜西寺山にわたる巨大な集落が形成されていたものと考えられます。

廿五里南貝塚
家庭菜園になっている廿五里南貝塚の西部分
廿五里南貝塚
 廿五里南貝塚と廿五里北貝塚は,浅い谷を間に挟んで接近してつくられています。
 廿五里南貝塚は,加曽利プレE1式〜加曽利E3式を主体にしています。これは,南にある東寺山貝塚,東寺山南貝塚がつくられた時期と同じです。東寺山台地の中心部に同期の村が広く展開していたことがわかります。
 ここはまた,箱形の土塁に囲まれた中世の館址が山林中に残った中世の遺跡でもあり,周辺から鎌倉時代・室町時代の遺物が出土しています。







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