| 園 生 貝 塚 に 関 す る 文 献 |
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| 著 者 ・ 編 者 | 年次 | 論 題 ・ 書 名 | |
|---|---|---|---|
| 1 | 上田 英吉 | 1887 | 「下総國千葉郡介墟記」『東京人類学会雑誌』,2(19),pp.308 -315. |
| 2 | 若林 勝邦 | 1892 | 「下総武蔵相模ニ於ケル貝塚ノ分布」『東京人類学会雑誌』,7(23),pp.226-229. |
| 3 | 松村 瞭 | 1906 | 「発端」『東京人類学会雑誌』,22(249),pp.106-107. |
| 4 | 山崎 直方 | 1906 | 「地理」『東京人類学会雑誌』,22(249),pp.107-109. |
| 5 | 石田 収蔵 | 1906 | 「貝塚到着まで」『東京人類学会雑誌』,22(249),pp.109-113. |
| 6 | 柴田 常恵 | 1906 | 「貝塚到着から散会まで」『東京人類学会雑誌』,22 (249),pp.114-116. |
| 7 | 大野 雲外 | 1906 | 「園生貝塚に就て」『東京人類学会雑誌』,22(249),pp.116- 117. |
| 8 | 石田 収蔵 | 1906 | 「動物の残り物」『東京人類学会雑誌』,22(249),pp.117-119. |
| 9 | 坪井 正五郎 | 1906 | 「園生行の効果」『東京人類学会雑誌』,22(249),pp.119-121. |
| 10 | 江見 水蔭 | 1907 | 『地底探検記』,山岡書店,pp.129-137. |
| 11 | 東京帝国大学編 | 1907 | 『日本先史時代地名表 第二版』,p.161. |
| 12 | MUNRO Neil Gordon | 1908 | 『Prehistoric Japan』,写真. |
| 13 | 岸上 鎌吉 | 1911 | 「Prehistoric Fishing in Japan」『東京大学農学部紀要』,41(7),pp.327-381. |
| 14 | 東京帝国大学理学部人類学教室編 | 1917 | 『日本先史時代地名表 第四版』,p.115. |
| 15 | 東木 龍七 | 1926 | 「貝塚分布の地形学的考察」『人類学雑誌』,41(11). |
| 16 | 千葉県君津郡教育会編 | 1927 | 『千葉県君津郡史』 |
| 17 | 帝室博物館編 | 1927 | 『帝室博物館年報』 |
| 18 | 東京帝国大学編 | 1928 | 『日本先史時代地名表 第五版』 |
| 19 | 東木 龍七 | 1934 | 「第3篇 地理統計の分布図の演習法」『自然人文 地理図演習』,古今書院,pp.179-200. |
| 20 | 酒詰 仲男 | 1941 | 「貝輪」『人類学雑誌』,56(5),pp.249-272. |
| 21 | 松永 千里 | 1948 | 「下総園生貝塚出土の装身具」『考古学集刊』,2,p.9. |
| 22 | 大給 尹 | 1948 | 「立木、園生両貝塚魚骨」『史学』,23(3),p.124. |
| 23 | 酒詰 仲男 | 1949 | 「京成千葉線沿岸の貝塚」『京成文化』,1. |
| 24 | 吉田 格 | 1950 | 『東京近郊石器時代遺跡案内』,武蔵野博物館叢書,p.31. |
| 25 | 直良 信夫 | 1950 | 「貝塚発掘の二・三の貝殻について」『日本考古学』, |
| 26 | 酒詰 仲男 | 1951 | 「地形上より見たる貝塚」『考古学雑誌』,37(1),pp.1-14. |
| 27 | 酒詰 仲男 | 1951 | 「石器時代のアワビ(Haliotidae)について」『人類学雑誌』,62(1). |
| 28 | 西村 正衛 | 1951 | 「千葉県都賀村園生貝塚」『日本考古学年報』,1,pp.51-52. |
| 29 | 神尾 明正 | 1952 | 『千葉市園生貝塚1952年トレンチ発掘略報』 |
| 20 | 神尾 明正 | 1952 | 「園生貝塚(第3報)」『日本考古学協会第12回総会 発表要旨』. |
| 31 | 武田 宗久 | 1953 | 「原始社会」『千葉市誌』,pp.16-71. |
| 32 | 神尾 明正 | 1953 | 「沖積地質学的編年の構想と準備」『千葉大学文理学部紀要』,1(2),pp.130-132. |
| 33 | 神尾 明正 | 1953 | 「園生貝塚(第3報)」『日本考古学協会研究発表要旨』,12. |
| 34 | 神尾 明正 | 1954 | 『園生貝塚』(プリント),千葉大学文理学部地質学教室・人文地理学教室. |
| 35 | 神尾 明正 | 1954 | 「園生貝塚1954年トレンチ」『日本考古学協会第14回総会 発表要旨』. |
| 36 | 神尾 明正 | 1954 | 『一九五四年園生貝塚第二トレンチ西壁断面』(プリント),32p. |
| 37 | 大川 清 | 1954 | 「日本古代栓状鏃の用途について」『古代』,1・2,pp.21-25. |
| 38 | 神尾 明正 | 1955 | 『園生貝塚1954年トレンチ発掘略法』(プリント),千葉大学文理学部先史地理学研究室,4p. |
| 39 | 神尾 明正 | 1955 | 「園生貝塚1954年トレンチについて」『千葉大学文理学部紀要』,1(4),pp.300-303. |
| 40 | 神尾 明正 | 1955 | 『園生貝塚−芳林小学校6年生諸君のために−』(プリント),千葉大学文理学部地理学研究室,5p. |
| 41 | 神尾 明正 | 1956 | 『千葉市園生貝塚1955年トレンチ発掘略報』. |
| 42 | 神尾 明正 | 1956 | 『千葉市園生貝塚1956年トレンチ発掘略報』. |
| 43 | 神尾 明正 | 1957 | 「千葉県千葉市長者山貝塚」『日本考古学年報』,5,pp.61-62. |
| 44 | 酒詰 仲男 | 1957 | 「日本原始農業試論」『考古学雑誌』,42(2),pp.1- 12. |
| 45 | 伊藤 和夫 | 1958 | 「貝塚より見た千葉市附近の海進海退」『古代』,28,pp.23-35. |
| 46 | 江坂 輝彌 | 1958 | 「日本石器時代における骨角製釣針の研究」『史学』,3(1-4合),pp.316-336. |
| 47 | 神尾 明正 | 1958 | 「千葉県千葉市園生貝塚」『日本考古学年報』,7,p.58. |
| 48 | 神尾 明正 | 1958 | 『千葉市園生町長者山園生貝塚1957年トレンチ』(プリント),千葉大学文理学部先地理学研究室・史地理学研究室,6p. |
| 49 | 坂口 新次 | 1958 | 「自然遺物」,早稲田大学高等学院歴史研究部編『千葉県香取郡奈土貝塚発掘調査報告書』早稲田大学高等学院歴史研究部,p.118. |
| 50 | 早稲田大学考古学会 | 1958 | 「早稲田大学考古学研究室調査遺跡表(T)」『古代』,29・30合,p.1. |
| 51 | 酒詰 仲男 | 1959 | 『日本貝塚地名表』,土曜会,p.81. |
| 52 | 伊藤 和夫・金子 浩昌 | 1959 | 『千葉県石器時代遺跡地名表』,p.8,pp.54-55,pp.134 -140. |
| 53 | 小林 行雄 | 1959 | 「そんのう−かいづか」『図解 考古学辞典』,東京創元社,p.603. |
| 54 | 神尾 明正 | 1959 | 「沖積地質学的編年の現段階」『日本考古学協会第23回総会発表要旨』. |
| 55 | 京都大学文学部編 | 1960 | 「千葉市園生貝塚」『京都大学文学部博物館考古学資料目録第1部 日本先史時代』,p.100. |
| 56 | 神尾 明正 | 1960 | 『園生貝塚1959年トレンチ発掘略法』(プリント),千葉大学文理学部地理学研究室,8p. |
| 57 | 神尾 明正 | 1960 | 『園生貝塚1960年トレンチ発掘略法』(プリント),千葉大学文理学部地理学研究室,10p. |
| 58 | 金子 浩昌 | 1960 | 「縄文石器時代の魚類遺存体(一)−T.その種類−」『金鈴』,11,早稲田大学考古学研究会,pp.10-15. |
| 59 | 酒詰 仲男 | 1961 | 『日本縄文石器時代食料総説』,p.67. |
| 60 | 神尾 明正 | 1961 | 「縄文式貝塚の終末について」『日本考古学協会発表要旨』. |
| 61 | 金子 浩昌 | 1961 | 「縄文石器時代の魚類遺存体(二)T その種類(承前)」『金鈴』,14,早稲田大学考古学研究会,pp.3-13. |
| 62 | 神尾 明正 | 1962 | 「沖積地質学的編年の準備−南関東を中心とした1962年9月試案」『千葉大学文理学部紀要』,3(4),pp.613-616. |
| 63 | 神尾 明正 | 1962 | 「園生貝塚」『日本考古学辞典』,東京堂,p.320. |
| 64 | 千葉県地学教育研究会編 | 1962 | 「岩石の利用」『千葉県地学図集 第3集 岩石編』,pp.26-27. |
| 65 | 直良 信夫 | 1963 | 『古代人の生活』(日本歴史新書),至文堂,p.134. |
| 66 | 神尾 明正 | 1963 | 「園生(そんのう)貝塚の発掘による地形面とその考察」『千葉大学文理学部紀要(自然科学)』,4(1),pp.79-101. |
| 67 | 神尾 明正 | 1963 | 「千葉県千葉市園生貝塚」『日本考古学年報』,10,p.80. |
| 68 | 神尾 明正 | 1963 | 「縄文後・晩期園生貝塚と縄文早期鳥込東貝塚との編年上の関係」『日本考古学協会第29回総会 発表要旨』. |
| 69 | 神尾 明正 | 1964 | 「千葉県千葉市園生貝塚」『日本考古学年報』,12,p.79. |
| 70 | 神尾 明正 | 1964 | 「千葉市鳥込東貝塚発掘概報」『千葉県文化財調査報告』. |
| 71 | 渡辺 誠 | 1964 | 「後期縄文文化人とサル」『古代学研究』,39,pp.5-7. |
| 72 | 直良 信夫 | 1965 | 『古代人の生活と環境』,校倉書房,p.63,p.116. |
| 73 | 早川 智明 | 1965 | 「所謂安行式土器について−土器型式の再編成に関する予察−」『台地研究』,16,pp.15-35. |
| 74 | 岡本 勇・戸沢 充則 | 1965 | 「関東」『日本の考古学U』,河出書房,pp.97-132. |
| 75 | 神尾 明正・森谷 ひろみ | 1966 | 「鳥込(とりばみ)東貝塚1962年トレンチ断面図とその説明」『千葉大学文理学部紀要』,4(4),pp.663-665. |
| 76 | 宮地 伝三郎 | 1966 | 『サルの話し』,岩波新書,pp.2-5. |
| 77 | 酒詰 仲男 | 1967 | 『貝塚に学ぶ』,学生社,p.187,p.225-226. |
| 78 | 文化財保護委員会編 | 1967 | 『全国遺跡地図(千葉県版)』,p.10,p.11. |
| 79 | 神尾 明正・森谷 ひろみ | 1967 | 「南関東を中心とした沖積地質学的仮編年表」『千葉大学文理学部紀要』,5(1),pp.179-181. |
| 80 | 荒木 ヨシ | 1968 | 「縄紋式時代の網代編み」『物質文化』,12,pp.20-26. |
| 81 | 神尾 明正 | 1968 | 「沖積地質学的にみた縄文式時代の編年」『人文地理の諸問題−小牧實繁先生古稀記念論文集−』,大明堂,pp.197-206. |
| 82 | 千葉自然研究会編 | 1969 | 『千葉県の自然』,p.19. |
| 83 | 寺門 義範・芝崎 のぶ子 | 1969 | 「縄文後・晩期にみられる所謂「製塩土器」について」『常総台地』,4,pp.5-14. |
| 84 | 神尾 明正 | 1970 | 『岩井貝塚発掘調査概報』,千葉県教育委員会,13p. |
| 85 | 後藤 和民 | 1970 | 「原始集落研究の方法論序説」『駿台史学』,27,p.365. |
| 86 | 千葉県教育委員会編 | 1971 | 『千葉県記念物所在地図』,p.24. |
| 87 | 小笠原 長和・川村 優 | 1971 | 「遺跡の宝庫」『千葉県の歴史』(県史シリーズ12),山川出版社,pp.14-16. |
| 88 | 堀越 正行 | 1972 | 「縄文時代の集落と共同組織」『駿台史学』,31,pp.399-427. |
| 89 | 神尾 明正・森谷 ひろみ | 1972 | 「沖積地質学的仮編年表の修正」『千葉大学教養部研究報告』B−5,pp.25-27. |
| 90 | 直良 信夫 | 1973 | 『日本および日本周辺地域の古代家犬骨』,校倉書店,p.243. |
| 91 | 吉田 格 | 1973 | 「石器時代(縄文式)貝塚地名表」『石器と土器』さ・え・ら文庫,p.154. |
| 92 | 千葉県教育委員会編 | 1973 | 『千葉県文化財総覧』. |
| 93 | 直良 信夫 | 1973 | 「縄文人の漁労生活」『どるめん』,創刊号,pp.56-72. |
| 94 | 後藤 和民 | 1974 | 「縄文晩期の遺跡」『千葉市史 原始古代』,pp.129- 130. |
| 95 | 神尾 明正 | 1974 | 「沖積層の断面にみられる房総の歴史」『千葉県の歴史』,8,pp.1-8. |
| 96 | 芹沢 長介 | 1975 | 『陶磁大系 第1巻 縄文』,平凡社,写真. |
| 97 | 佐原 眞 | 1975 | 「海の幸と山の幸」『日本生活文化史1 日本的生活の母胎』河出書房新社,pp.21-44. |
| 98 | 直良 信夫 | 1976 | 『ものと人間の文化史・釣針』,(財)法政大学出版局,p.110. |
| 99 | 千葉市史編纂委員会編 | 1976 | 「縄文時代」『千葉市史資料編 T』,p.12,p.70. |
| 100 | 岡本 勇 | 1977 | 「原始社会の生産と呪術」『岩波講座日本歴史1 原始および古代1』,岩波書店,pp.76-112. |
| 101 | 永峯 光一・水野 正好編 | 1977 | 『日本原始美術大系3 土偶・埴輪』,講談社,p.47. |
| 102 | 石井 則孝・金子 浩昌ほか | 1978 | 『シンポジウム縄文貝塚の謎』,新人物往来社. |
| 103 | 岡田 茂弘 | 1978 | 「園生貝塚」『京葉の貝塚』,日本考古学協会,pp.8- 10. |
| 104 | 後藤 和民 | 1979 | 「狩漁撈の技術と変遷」『日本考古学を学ぶ(2)』,有斐閣選書,pp.132-133. |
| 105 | 神尾 明正 | 1979 | 「貝塚の構造について」『第四紀研究』,17(4),pp.285-286. |
| 106 | 千葉市の遺跡を守る会編 | 1980 | 「園生貝塚」『千葉・市原の遺跡めぐり』,文化財保存全国協議会,p.1. |
| 107 | 中口 裕 | 1982 | 「縄文漁師とクジラ」『実験考古学』,雄山閣,p.81. |
| 108 | 千葉県教育委員会編 | 1982 | 『千葉県記念物所在地図』. |
| 109 | 今井 公子 | 1982 | 「いわゆる馬蹄形貝塚の中央凹地についての一考察」『論集 房総史研究』,pp.27-35. |
| 110 | 石井 則孝 | 1982 | 「食生活と貝塚」『古代の集落』,教育社歴史新書,pp.65-66. |
| 111 | 古谷 尊彦 | 1982 | 「1. あゆみ」『空中写真集 千葉県の自然と社会』,日本地図センター. |
| 112 | 竹内理三・井上辰雄・江坂照彌・加藤晋平・小林達雄・坂詰秀一・佐原真編 | 1982 | 『日本歴史地図(原始・古代編〈上〉)』,柏書房,pp.103-104,p.108,pp.116-117. |
| 113 | 堀越 正行 | 1983 | 「縄文時代 貝塚−関東地方−」『考古遺跡遺物地名表』,柏書房,p.357. |
| 114 | 千葉県文化財保護協会編 | 1983 | 『千葉県の貝塚』,p.34・131・155. |
| 115 | 千葉市教育委員会編 | 1984 | 『千葉市埋蔵文化財分布地図』,p.7・14. |
| 116 | 千葉県文化財保護協会編 | 1984 | 「縄文時代の遺跡」『房総のあけぼのT−貝塚と弥生のむら』(ふるさとの遺跡シリーズ1),千葉県文化財保護協会,p.60. |
| 117 | 千葉県文化財センター編 | 1985 | 『房総考古学ライブラリー 2 縄文時代(1)』. |
| 118 | 金子 浩昌・忍沢 成視 | 1986 | 『骨角器の研究 縄文篇U(考古民俗叢書<23>)』,慶友社. |
| 119 | 西川 博孝 | 1986 | 「原始・古代の装い−縄文の耳飾り−」『千葉県立風土記の丘年報』,9,pp.47-60. |
| 120 | 千葉県文化財センター編 | 1986 | 『千葉県埋蔵文化財分布地図(2)』. |
| 121 | 寺門 義範 | 1986 | 「製塩」『千葉県生産遺跡詳細分布調査報告書』,千葉県教育委員会. |
| 122 | 千葉県文化財センター編 | 1987 | 『房総考古学ライブラリー 3 縄文時代(2)』,pp.276- 308. |
| 123 | 加藤 周一 | 1988 | 『はじめにかたちありき(日本その心とかたち 1)』,平凡社,p.67-68. |
| 124 | 宇田川 浩一・小笠原 永隆 | 1988 | 『小仲台川園生支谷流域の遺跡』. |
| 125 | 鈴木 加津子 | 1988 | 「千葉市園生貝塚の晩期安行式土器」『利根川』,9,pp.25-28. |
| 126 | 日暮 晃一 | 1989 | 「園生貝塚研究の歩みと課題」『利根川』,10,pp.20- 30. |
| 127 | 武田 宗久 | 1989 | 「縄文時代における東京湾岸地域の海進・海退(2)」『貝塚博物館紀要』,16. |
| 128 | 島田 正文・霊山 明夫・宮下 英之 | 1990 | 「都市地域における緑地の現状と課題−千葉県をケーススタディとして」『環境情報科学』,19(1),p.111. |
| 129 | 寺門 義範・山下 亮介 | 1990 | 『埋蔵文化財調査(園生貝塚)報告書−昭和63・平成元年度』千葉市教育委員会. |
| 130 | 日暮 晃一・井東 澄雄 | 1990 | 「地域計画における歴史的環境の保全について[1]−千葉市園生貝塚を核とする『町づくり』」『開発学研究』,1(1)pp.36-45. |
| 131 | 武田 宗久 | 1990 | 「縄文時代における東京湾岸地域の海進・海退(3)」『貝塚博物館紀要』,17,付図1・11・13. |
| 132 | 杉山 博久 | 1990 | 「六 直良先生の遺稿」『直良信夫と考古学研究』,吉川弘文館,pp.149-210. |
| 133 | 元山 雄 | 1991 | 「なぜ日本一の貝塚が千葉にあるの?」『CHIBA カルチャー千葉』,26,pp.35-36. |
| 134 | 千葉市文化財調査協会編 | 1991 | 「24 園生貝塚」『埋蔵文化財調査(市内遺跡)報告書−平成2年度−』,pp.4-5,32-33. |
| 135 | 日暮 晃一 | 1992 | 「千葉市園生貝塚研究の現状と課題」『房総の郷土史』,20,pp.47-57. |
| 136 | 内山 純蔵 | 1992 | 「縄文時代における関東地方の漁撈活動−後期における漁撈用骨角器文化の展開」『人間・環境学』,1,pp.57-58. |
| 137 | 日暮晃一・宇田川浩一・小笠原永隆 | 1993 | 「発掘調査における層位・層序の認識について−千 葉県園生貝塚周辺地域の調査より−」『利根川』,14,pp.26-35. |
| 138 | 井東 澄雄・日暮 晃一 | 1994 | 「地球環境保全システムと農林業開発の関連性について」『開発学研究』,4(1),pp.68-77. |
| 139 | Masahiro SUZUKI | 1994 | 「A New Perspection on the Archaeology of Sonnou Shell Mound」『人類学雑誌』,102(2),p.203. |
| 140 | Koichi HIGURASHI | 1994 | 「Why Presentation Must be Necessary about Sonnou Shell Mound Now ?」『人類学雑誌』,102(2),p.203. |
| 141 | Shoichiro SHISHIKURA, Hiromasa KANEKO | 1994 | 「Clarifying the Residence Area and the Community Which Centering Around」『人類学雑誌』,102(2),p.204. |
| 142 | Toyohiro NISHIMOTO | 1994 | 「An Inclusive Task for the Development of Shell Mound Research」『人類学雑誌』,102(2),p.204. |
| 143 | Masahiro SUZUKI | 1994 | 「Archaeology and the Adanced Information Age」『人類学雑誌』,102(2),p.205. |
| 144 | Koichi HIGURASHI | 1994 | 「The Need of City Planning that Makes Sonnou Shell Mound」『人類学雑誌』,102(2),p.205. |
| 145 | Makoto SATO, Shigeto TSUNEMATSU, Koichi UDAGAWA | 1994 | 「Several Comments on the Research of Sonnou Shell Mound」『人類学雑誌』,102(2),p.206. |
| 146 | 宍倉昭一郎・日暮晃一・鈴木正博・鈴木加津子・佐藤誠・常松成人・宇田川浩一 | 1994 | 「園生貝塚の研究−『石器時代における海岸集落の社会構成』序論−」『日本考古学協会第60回総会 研究発表要旨』,日本考古学協会,pp.18-21. |
| 147 | 鈴木 正博 | 1994 | 「1993年の考古学界の動向 縄紋時代(東日本)」『考古学ジャーナル』,375,pp.31-37. |
| 148 | 鈴木 正博 | 1994 | 「シンポジウム『園生貝塚の現在,そして未来』」『人類学雑誌』,102(5),pp.515-516. |
| 149 | 日暮 晃一 | 1994 | 「2.なぜ今,園生貝塚なのか? −研究史とアグロフォレストリの視点−」『人類学雑誌』,102(5),p.516. |
| 150 | 宍倉 昭一郎・金子 浩昌 | 1994 | 「3.園生貝塚集落の空間構造」『人類学雑誌』,102(5),pp.516-517. |
| 151 | 西本 豊弘 | 1994 | 「4.貝塚研究の課題」『人類学雑誌』,102(5),pp.517-518. |
| 152 | 宇田川 浩一 | 1994 | 「5.園生貝塚の埋葬について」『人類学雑誌』,102(5),p.518. |
| 153 | 常松 成人 | 1994 | 「6.製塩土器文化研究から観た園生貝塚」『人類学雑誌』,102(5),pp.518-519. |
| 154 | 佐藤 誠 | 1994 | 「7.中妻貝塚と園生貝塚」『人類学雑誌』,102(5),p.519. |
| 155 | 鈴木 正博 | 1994 | 「8.高度情報社会と園生貝塚研究」『人類学雑誌』,102(5),p.520. |
| 156 | 日暮 晃一 | 1994 | 「9.園生貝塚を核とした町づくり」『人類学雑誌』,102(5),pp.520-521. |
| 157 | 宍倉昭一郎・日暮晃一・鈴木正博・鈴木加津子・佐藤誠・常松成人・宇田川 浩一 | 1994 | 「総括:『日本先史学』における本シンポジウムの果たした役割と新たなる着地点」『人類学雑誌』,102(5),pp.521-523. |
| 158 | 宇田川 浩一 | 1994 | 「書評 丹青研究所編 『ECOMUSEUM−エコミュージアムの理念と海外事例報告−』」『宇奈加美』,2,pp.68-74. |
| 159 | 園生貝塚研究会編 | 1995 | 『縄文人の海と貝塚−東ノ上(西)貝塚発掘調査結果抄録−』,筑波書房. |
| 160 | 鈴木 正博 | 1995 | 「小さい貝塚の真相,そして社会考古学へ−日本考古学は地域資産としての遺蹟に真の価値を与えているか?−」『第49回日本人類学会・日本民族学会連合大会研究発表要旨』,p.54. |
| 161 | 宍倉 昭一郎・常松 成人 | 1995 | 「東ノ上(西)貝塚の調査とその意義」『第49回日本人類学会・日本民族学会連合大会研究発表要旨』,p.55. |
| 162 | 日暮 晃一 | 1995 | 「食文化からみた東ノ上(西)貝塚」『第49回日本人類学会・日本民族学会連合大会研究発表要旨』,p.56. |
| 163 | 佐藤 誠 | 1995 | 「先史漁撈活動の体系的復原のための『考古情報学』」『第49回日本人類学会・日本民族学会連合大会研究発表要旨』,p.57. |
| 164 | 宮森 正博・日暮 晃一 | 1995 | 「エコミュージアムを越えて−歴史的文化資源を地域生活の糧にするには−」『第49回日本人類学会・日本民族学会連合大会研究発表要旨』,p.58. |
| 165 | 大村 裕 | 1995 | 「千葉市園生貝塚遺跡の西南限界を確定する一資料」『下総考古学』,14,114-118. |
| 166 | 『土偶とその情報』研究会編 | 1995 | 「千葉県」『土偶シンポジウム3 栃木大会 関東地方後期の土偶−山形土偶の終焉まで−』,『土偶とその情報』研究会,pp.121-144. |
| 167 | 堀越 正行 | 1995 | 「中央窪地型馬蹄形貝塚の窪地と高まり覚書」『史館』,26,pp.1-19. |
| 168 | 中山 吉秀 | 1995 | 「園生貝塚」『日本古代遺跡事典』,吉川弘文館,pp.218-219. |
| 169 | 千葉市文化財調査協会 | 1995 | 『千葉市文化財調査協会年報−平成5年度−』. |
| 170 | 小笠原 永隆 | 1996 | 「まとめ」『千葉市西唐沢遺跡(千葉県文化財センター調査報告第283集)』,千葉県都市公社・千葉県文化財センター,pp.34- 36. |
| 171 | 宍倉 昭一郎 | 1996 | 「東ノ上(西)貝塚の発掘と貝塚研究」『房総の郷土史』,24,pp.45-46. |
| 172 | 宍倉 昭一郎 | 1996 | 「園生貝塚研究の目的と方法」『貝塚研究』,1,pp.1- 3. |
| 173 | 常松 成人 | 1996 | 「園生貝塚の概要」『貝塚研究』,1,pp.4-9. |
| 174 | 日暮 晃一 | 1996 | 「園生貝塚研究史抄」『貝塚研究』,1,pp.10-20. |
| 175 | 日暮 晃一 | 1996 | 「園生貝塚に関する文献」『貝塚研究』,1,pp.21-25. |
| 176 | 神尾明正・宍倉昭一郎・鈴木正博・鈴木加津子・日暮晃一・常松成人 | 1996 | 「【研究討論会】学位論文としての園生貝塚研究から今日まで−神尾明正先生の研究の到達点」『貝塚研究』,1,pp.26-41. |
| 177 | 宇田川 浩一 | 1996 | 「【園生貝塚研究の課題】先史葬制からみた問題提起」『貝塚研究』,1,pp.58-62. |
| 178 | 常松 成人 | 1996 | 「【園生貝塚研究の課題】土器製塩からみた問題提起」『貝塚研究』,1,pp.63-66. |
| 179 | 佐藤 誠 | 1996 | 「【園生貝塚研究の課題】古鬼怒湾貝塚群からの問題提起−園生貝塚と中妻貝塚の比較検討−」『貝塚研究』,1,pp.67-72. |
| 180 | 鈴木正博・中妻貝塚研究会 | 1996 | 古鬼怒湾の先史漁労文化と『貝塚鎖複体』の社会構成−『考古情報学』から観た先史集落としての『中妻貝塚モデル』−」『日本考古学協会第62回総会 研究発表要旨』,pp.90-93. |
| 181 | 日暮 晃一 | 1996 | 「貝からみた出島村の縄文貝塚」『茨城県考古学協会誌』,8,pp.56-64. |
| 182 | 鈴木 正博 | 1996 | 「出島村の縄紋式貝塚研究事始め」『茨城県考古学協会誌』,8,pp.65-73. |
| 183 | 千葉市文化財調査協会 | 1996 | 『千葉市文化財調査協会年報−平成6年度−』. |
| 184 | 沖松 信隆 | 1996 | 「房総地域の安行3a式を中心とする三叉文・入組文系土器について」,『考古学雑渉 西野元先生退官記念論文集』,pp.125-141. |
| 185 | 高橋 誠 | 1996 | 「鹿島川中流域における縄文時代集落と貝塚」『千葉県佐倉市坂戸念仏塚西遺跡』,エヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社,財団法人印旛郡市文化財センター,pp.34-39. |
| 186 | 千葉県立房総風土記の丘編 | 1996 | 『開館20周年記念 平成8年企画展ちば3万年の遺産〜房総の人と用具〜』,千葉県立房総風土記の丘,p.3,p.33. |
| 187 | 常松 成人 | 1997 | 「古鬼怒湾『製塩遺跡』を中心とした安行式集団の動態」『茨城県史研究』,78,pp.22-42. |
| 188 | 鈴木重治・日暮晃一・宍倉昭一郎・大村裕・鈴木正博・飯塚博和・佐藤誠 | 1997 | 「【ワークショップ】貝塚研究の源流 酒詰仲男の人と学問」『貝塚研究』,2,pp.62-80. |
| 189 | 日暮 晃一 | 1997 | 「園生貝塚に関する文献〔U〕」『貝塚研究』,2,pp.81 -82. |
| 190 | 日暮 晃一 | 1997 | 「堀越正行著『中央窪地型馬蹄形貝塚の窪地と高まりの覚え書き』」『貝塚研究』,2,pp.83-86. |
| 191 | 千葉市教育委員会編 | 1997 | 『千葉市園生貝塚−平成5年度・平成6年度調査報告書−』,千葉市教育委員会,44p. |
| 192 | 我孫子 昭二 | 1997 | 「関東地方縄文後期の動態」『土偶研究の地平』,勉誠社,pp.55-72. |
| 193 | 学習院大学史料館編 | 1998 | 「学習院輔仁会高等科史学部発掘調査一覧」『旧制学習院歴史地理標本室移管資料目録 学習院大学史料館所蔵史料目録』,14,学習院大学史料館,p.130. |
| 194 | 堀越正行編 | 1998 | 「人類学雑誌の千葉県考古関係記事」『千葉県史研究』,6,pp.172-185. |
| 195 | 宇田川 浩一 | 1998 | 「パナマ中央地域における貝塚村落の漁場分割の違いについて−貝塚採集の貝類から復原される漁労活動の地域差−」『貝塚研究』,3,pp.1-15. |
| 196 | 吉野 健一 | 1998 | 「貝類の組成からみた古鬼怒湾の縄文中・後期貝塚」『貝塚研究』,3,pp.16-33. |
| 197 | 日暮 晃一・石川 重雄 | 1998 | 「土壌が示す東ノ上貝塚F4区の土地利用」『貝塚研究』3,pp.50-61. |
| 198 | 宇田川 浩一 | 1998 | 「パナマ中央地域における土壌層位と考古層位−考古層位の整備のために−」『貝塚研究』,3,pp.62-78. |
| 199 | 江坂輝彌・日暮晃一・佐藤誠・関俊彦・鈴木正博・斉藤弘道 | 1998 | 「【ワークショップ】貝塚研究の源流〔U〕 貝塚研究の原点・そして未来」『貝塚研究』,3,pp.122-143. |
| 200 | 日暮 晃一 | 1998 | 「園生貝塚に関する文献〔V〕」『貝塚研究』,3,pp.144-148. |
| 201 | 園生貝塚研究会 | 1998 | 「活動記録」『貝塚研究』,3,pp.152-169. |
| 202 | 岡本 勇 | 1998 | 「縄文社会の生産と呪術」『縄文と弥生』,未来社,pp.61-101. |
| 203 | 日本考古学協会編 | 1998 | 「日本考古学協会総・大会発表一覧」『日本考古学の50年』,日本考古学協会(吉川弘文館),pp.239- 280. |
| 204 | 大阪府立弥生文化博物館編 | 1998 | 『平成10年春期特別展 縄紋の祈り弥生の心−森の神から稲作の神へ−』大阪府立博物館,pp.22-23,82,107,110. |
| 205 | 宍倉 昭一郎 | 1999 | 「花見川流域の貝塚を研究するにあたって」『貝塚研究』,5,pp.3-6. |
| 206 | 小笠原 永隆 | 1999 | 「花見川左岸の貝塚」『貝塚研究』,5,pp.49-66. |
| 207 | 日暮 晃一 | 1999 | 「花見川流域に形成された貝塚の諸特徴」『貝塚研究』,5,pp.79-67. |
| 208 | 宇田川浩一・日暮晃一・佐藤誠 | 1999 | 「パナマの貝塚:貝塚の特徴と貝塚研究の現状」『貝塚研究』5,pp.94-106. |
| 209 | 日暮 晃一 | 1999 | 「園生貝塚に関する文献〔W〕」『貝塚研究』,5,pp.107-110. |
| 210 | 渡邉 智信編 | 1999 | 「附章 資料・データ集」『千葉県文化財センター 研究紀要』,19,財団法人千葉県文化財センター,pp.193-376. |
| 211 | 斉藤弘道 | 1999 | 「遺跡研究 貝塚」『縄文時代』,10(3),縄文時代文化研究会,pp.241-249. |
| 212 | 佐藤 誠 | 1999 | 「遺構論 古鬼怒湾岸における貝塚研究」『縄文時代』,10(3),縄文時代文化研究会,pp.250-259. |
| 213 | 常松 成人 | 2000 | 「遺跡のある町―千葉県八千代市大溜入遺跡を題材として―」学習院考古会編『考古学へのアクセス―ひと・世界・未来―』,pp.45-54. |
| 214 | 佐藤 誠 | 2000 | 「21世紀の考古学―文化財保護のために―」学習院考古会編『考古学へのアクセス―ひと・世界・未来―』,pp.124〜133. |
| 215 | 宍倉 昭一郎 | 2000 | 「谷津台貝塚の発掘調査について」『貝塚研究』,5,園生貝塚研究会,pp.6-13. |
| 216 | 日暮 晃一 | 2000 | 「園生貝塚に関する文献〔Y〕」『貝塚研究』,5,園生貝塚研究会,pp.70-71. |
| 217 | 常松 成人 | 2000 | 「12 千葉県」『日本考古学年報』,51,日本考古学協会,pp.139-145. |
| 218 | 鈴木 正博 | 2000 | 「木戸口貝塚序説―東京湾東岸における大型ハマグリ・マガキ主体『宮ノ台式』直前期弥生式貝塚の形成―」『利根川』,21,利根川同人,pp.28-39. |
| 219 | 加納 実・山田 敏史 | 2000 | 「1999年の考古学界の動向 縄文時代 関東」『考古学ジャーナル』,pp.33-43. |
| 220 | 常松 成人 | 2000 | 「八千代市神野貝塚の研究」『房総の郷土史』,28,pp.45-47. |
| 221 | 岡田 茂弘・宇田川 浩一 | 2000 | 「205 園生貝塚」(財)千葉県史料研究財団編『千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)』,pp.746-749. |
| 222 | 岡田茂弘・宍倉昭一郎・斉藤弘道・佐藤誠・日暮晃一・鈴木正博 | 2001 | 「【ワークショップ】貝塚研究の源流〔V〕 酒詰仲男博士の貝塚研究の方法と残された課題」『貝塚研究』,6,園生貝塚研究会,pp.4-25. |
| 223 | 山田 敏史 | 2001 | 「園生貝塚採集の貝製品」『貝塚研究』,6,園生貝塚研究会,口絵,p.31. |
| 224 | 日暮 晃一 | 2001 | 「園生貝塚に関する文献〔Y〕」『貝塚研究』,6,園生貝塚研究会,pp.79-82. |
| 225 | 斎藤忠監修・中山清隆編 | 2001 | 『江見水蔭「地底探検記」の世界』(復刻版),雄山閣出版. |
| 226 | 領塚正浩 | 2001 | 「(3)園生貝塚」『「地底探検記」の世界』(解説・研究編),雄山閣出版,p.173. |
| 227 | 加納 実・山田 敏史 | 2001 | 「2000年の考古学界の動向 縄文時代 関東」『考古学ジャーナル』,473,pp.34-47. |
| 228 | 酒詰 仲男(石部正志解説) | 2001 | 『貝塚に学ぶ〈解説付新装版〉』,学生社,257p. |
| 229 | 宍倉昭一郎・宇田川浩一・小笠原敦子・小笠原永隆・佐藤誠・常松成人・日暮晃一・吉野健一・山田敏史 | 2001 | 「縄文時代の貝の調理法に関する研究−調理法からみた縄文貝塚の年代差と地域差−」『要旨集 食文化助成研究の報告』,11,(財)味の素食の文化センター,pp.57-64. |
| 230 | 青沼 道文・建石 徹・古谷 渉・森本 剛 | 2001 | 「千葉市内縄文時代中期遺跡出土黒曜石の原産地推定」『貝塚博物館紀要』,28,千葉市加曽利貝塚博物館,pp.42-71. |
| 231 | 高橋 誠・林田 利之・小林 園子 | 2001 | 「縄文集落の領域と『縄文交通網』の継承〜佐倉市坂戸草刈堀込遺跡発見の晩期貝層から〜」『印旛郡市文化財センター研究紀要』,2,財団法人印旛郡市文化財センター,pp.74-109. |
| 232 | 岡崎 完樹 | 2001 | 「−江見水蔭『地底探検期』の世界−」『東京の遺跡』,69,東京考古談話会,p.869. |
| 233 | 武田 宗久 | 2002 | 「加曽利貝塚の保存−みんなで対策を講ぜよ−」『貝塚博物館紀要』,29,千葉市加曽利貝塚博物館,pp.12-13. |
| 234 | 武田 宗久 | 2002 | 「日本一の加曽利貝塚−世界的な“文化”をみんなで守ろう−」『貝塚博物館紀要』,29,千葉市加曽利貝塚博物館,pp.14-18. |
| 235 | 小笠原敦子・日暮晃一・常松成人・小笠原永驕E山田敏史 | 2002 | 「向ノ台貝塚」『貝塚研究』,7,pp.4-6. |
| 236 | 日暮 晃一・宍倉 昭一郎・吉野 健一・佐藤 誠・小笠原敦子・小笠原永鬣常松 成人・山田 敏史・宇田川 浩一 | 2002 | 「縄文時代の貝食への接近」『貝塚研究』,7,pp.7-26. |
| 237 | 日暮 晃一 | 2002 | 「園生貝塚に関する文献〔Z〕」,『貝塚研究』,7,pp.55-56. |
| 238 | 小笠原 永 | 2002 | 「斎藤忠監修・中山清隆編『江見水蔭「地底探検期」の世界』」 『貝塚研究』,7,pp.57-59. |
| 239 | 谷口 康浩 | 2002 | 「貝塚」,田中琢・佐原真編『日本考古学事典』,三省堂,pp.106-110. |
| 240 | 加納 実・戸谷 敦司・山田 敏史 | 2002 | 「2001年の考古学界の動向 縄文時代 関東」『月刊 考古学ジャーナル』,488,pp.31-42. |
| ※この文献一覧表は,『貝塚研究』bP〜bWに掲載された「園生貝塚に関する文献」〔T〕〜〔[〕を纏めたものです。 この表に漏れている園生貝塚にかかわる文献をご存知の方は,ご教示の程,お願いいたします。 higurashi2@mail.goo.ne.jp | |||