◆ 貝 塚 を 訪 ね て ◆

Part 11(March,2001)

辺田ノ台貝塚(へたのだいかいづか


辺田ノ台貝塚の貝層北西部


貝層の形状
1:辺田ノ台貝塚,2:月ノ木貝塚


所 在 千葉県千葉市中央区仁戸名町
立 地 下総台地低台地上〜台地斜面 標高:14〜23m
時 代 縄文時代中期・後期(阿玉台U・V,加曽利E2・3,堀之内1・2,加曽利B2・3),古墳時代,中世,近世
形 態 環状貝塚第1形態
主な貝層は3クラスタに分かれ,「コ」の字状に分布。
まだ埋没貝層があるものと思われる。
規 模 貝層直径:約110m,層厚約1m
主な貝種小形ハマグリ主体。カガミガイ,アカニシ,イボキサゴ,アサリ,イボニシを含む。サルボウ,シオフキ有り。
貝類以外の動物遺体イノシシ,シカ
遺 物 打製石斧,磨製石斧,石鏃,石皿,磨石,石剣,土器片錘,縄文式土器
土師器,須恵器,土錘,カワラケ,陶器,土製碁石
遺 構 竪穴住居址,土坑
現 状 畑,宅地,荒れ地,山林
史跡指定なし
遺跡の特徴 
  1. 月ノ木貝塚の南側と繋がる断層により,こけし状となった洪積台地の「頭」部に形成された貝塚。
  2. 貝層の密度は千葉県下随一。ボーリング棒が途中で止まり,刺さらなくなるところが多い(月ノ木貝塚以上の密度)。
  3. 貝層のほとんどが小型ハマグリ。イボキサゴが卓越する都川流域の縄文貝塚としては稀な存在。むしろ,千葉東南部丘陵の,縄文時代中期後半の貝塚に類似している。
  4. 縄文時代の遺物の大半が加曽利E3式に限られている。比較的短期間に形成された貝塚と考えられる。
  5. 月の木貝塚とは主体となる土器型式に微妙な時期差があるが,両遺跡は同一集落とみて良いものと思われる。時期によって,両地点のメジャーランドユースの仕方が違っていたものと見られる。
備 考 
  1. 圃場整備として凹地状地形の堤部の土を凹地部に入れたため,凹地状地形の堤部に貝層が巡る環状貝塚であることが認識できなくなっている。
  2. 地表面の貝殻散布範囲と貝層の位置とがずれていた。しかも貝層の厚い南,および北側の貝層部の表土が現在より厚く,貝殻散布が少なかった。後藤(1974)で,小さな貝層が点在する貝塚と誤認したのは,そのためと思われる。小さな谷を隔てて西に隣接する月ノ木貝塚と比べれば貝層規模は小さいが,直径約110mの環状貝塚を小規模というのは当たらない。
  3. 月ノ木貝塚と同様,小型ハマグリが多いのは,捕りすぎによる資源枯渇をあらわしているという主張を度々目にするが,海産物が小型化するのは大量に発生し餌が不足したときに生じる現象で,資源枯渇は意味しない。
  4. 東貝層部が小宅造で貝層が見られなくなった他(貝層は住宅の下に遺存),西縁辺部を中心に小宅造で破壊が進んでいる。
  5. 1980年代以降,ミニ開発に伴う事前発掘が千葉市の手で数度行われている。その結果,縄文時代の遺構の他に,古墳時代の集落であることが判明している。
主要参考文献 上田英吉(1887),下総国千葉郡介墟記,東京人類学会雑誌,2(19).
武田宗久(1953),原始社会,千葉市誌.
酒詰仲男(1959),日本貝塚地名表,土曜会.
伊藤和夫・金子浩昌(1959),千葉県石器時代遺跡地名表,千葉県教育委員会.
後藤和民(1974),縄文中期の遺跡,千葉市史 原始古代.
千葉市史編纂委員会編(1976),縄文時代,千葉市史資料編1.
千葉県教育庁文化課編(1983),千葉県の貝塚.
園生貝塚研究会(1998),活動記録,貝塚研究,3.





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