![]() 畑に貝がパラパラと散っている ![]() 東田貝塚の貝層形成地点 |
| 所 在 | 千葉県千葉市若葉区高品町 |
| 立 地 | 台地上〜台地斜面 標高:約27〜10m |
| 時 代 | 岩宿時代 縄文時代草創期前半,草創期後半(稲荷台,花輪台),早期(木の根,三戸,田戸下層,田戸上層,子母口,野島,鵜ヶ島台,茅山下層),前期(諸磯,浮島,興津),中期(加曽利E),後期(堀之内,加曽利B,安行), 弥生時代後期,古墳時代,奈良・平安,中世,近世 |
| 形 態 | 地点貝塚 |
| 規 模 | 貝層:直径約1m |
| 主な貝種 | ハイガイ・ハマグリ主体,サルボウ,オキシジミ,マガキを含む。 |
| 貝類以外の動物遺体 | |
| 遺 物 |
フレイク, 石鏃,焼け礫,使用痕のある剥片,縄文式土器 弥生式土器,土師器,須恵器,陶器,カワラケ,土製碁石 |
| 遺 構 | 炉穴 |
| 現 状 | 畑,山林,宅地 |
| 史跡指定 | なし |
| 遺跡の特徴 |
貝殻の高さが20oほどの小さなハイガイ,ハマグリを中心として貝層が形成されている。清水作貝塚,向原遺跡,向ノ台貝塚など,千葉市域にある野島式・鵜ヶ島台式期の炉穴内貝層は貝が小さく,茅山下層式の貝層になると大きくなる傾向がある。小さな貝は若齢か大量に発生したことを示すが,当地域の野島式・鵜ヶ島台式期は貝塚をつくり始めた時代と一致することから,当期に泥底性の貝が大量発生し,貝が食卓に上るようになったためと考えられる。 小規模な貝層が1カ所確認されているだけだが,遺物散布量は多い。また,貝層上から焼け礫が検出されており炉穴内貝層とみられること,地表面に焼土粒が円形に散っているところが点在するなどから,炉穴群が広範に展開していると考えられる。以上から本遺跡は,高品・貝塚地域における縄文時代早期後葉の生活の拠点である居住地域であったと推察される。 東田貝塚は,清水作貝塚から向ノ台貝塚まで続く東西の千葉縄文時代早期貝塚ベルトと,南北の縄文時代早期前半の遺跡ベルトが重なったところにあたる。千葉市周辺地域では縄文時代早期前半の遺跡は少ないが,高品台地上には,東田遺跡の北に貝塚向遺跡,駒形遺跡,横座遺跡が浅い支谷を挟んで連なり,さらにわずかな空白域を挟んで,葭川の水源である紅嶽弁天の近くに,紅嶽台北遺跡,紅嶽台遺跡,渡戸台北遺跡群,渡戸遺跡,渡戸西遺跡が,そして下総地域に特徴的な押型紋土器を出土した東寺山石神遺跡が支谷を挟んだ西対岸に形成されており,縄文時代早期前半の遺跡密集地域として注目される。本遺跡は,それらの中で居住の場になったとみられている遺跡の一つである。 |
| 備 考 |
耕作等の関係で充分な地表面調査ができていない。貝層が小さいこと,当期は斜面貝層が多いが下草が繁茂する山林で地表面が見にくいことから,未発見の埋没貝層が存在する可能性がある。 東田貝塚は,岩宿時代から近世にいたる複合遺跡である。貝層は小さく目立たないが,きわめて重要な遺跡である。貝塚形成期以外では次の各点が特筆される。@岩宿時代の石器ブロックが見込まれる。A有舌尖頭器が採集された新堀込北遺跡とともに数少ない草創期前半の遺跡である。B千葉市には少ないが,当地域に集中する弥生時代後期の遺跡である。C葭川沿岸の台地先端部に形成された古墳群の一角をなす。D中世城跡の一部であること。 貝塚向遺跡が未調査で住宅建設によって半壊したほか,都市開発で周辺の遺跡が次々に破壊されている。本遺跡は都市の谷間の田園空間にあるが,地域史上の意味を理解しないと本遺跡を目立てのない遺跡と見紛うので,周辺の他の遺跡と同様未調査で破壊されてしまう虞さえある。園生貝塚,草刈場貝塚,荒屋敷(西)貝塚,荒立貝塚と同様,重点監視遺跡といえよう。 |
| 主要参考文献 |
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