| 『真夜中のバースデー・ケーキ』 チリンチリンチリン…… 真夜中呼びベルが鳴り響き、マリークロッカスはうるさそうに起き上がった。 「なんだ、こんな時間にいったい誰だろう…」 マリークロッカスがドアを開けるとそこにはイナフが立っていた。 まぶしすぎるぐらいの月光に照らされて、イナフの身体は後光を浴びたみたいに光り輝いていた。 「イナフじゃないか こんな遅くにどうしたんだい?」 見るとイナフは手に箱を持っていた。イナフは両手でそれを差し出した。その瞬間にイナフのとうめいな水晶のような目玉の底に、月光が映ってゆらゆらときらめき、それはこんこんと涌き出る泉を連想させた。 「これを私にくれるのかい…?」 するとイナフの耳元からワッシャーワルツが眠たそうに這い出してきて助言をした。 「それ、イナフが誰かからもらったものらしいわよ。もらっとけば?」 「何で私にくれるんだい?」 イナフに問いかけてみてもまったく返事は返ってこない。ただ差し出したままの箱があるだけ。マリークロッカスは仕方ないのでとりあえず箱を受け取ることにした。 ワッシャーワルツが「おやすみ」といってイナフの耳の中に舞い戻る。イナフも手を振って長い影をマントのように帯びながら帰って行った。 「おやすみ」 マリークロッカスもそう言うと、ドアを閉め、持っていた箱を机の上に置いて一息ついた。 眠い目をこすりながら、その箱と対面し、中身は何だろうと思いながら開けて行く…。 一瞬中から香りがこぼれた。それは花のあまずっぱい蜜のような匂いで、マリークロッカスは思わず唾を飲み込んだ。 中を開けたとたん、マリークロッカスの眠気は一気に吹っ飛んだ。 あわいブルーのクリームで完璧にデコレーションされたそれはそれは美しいケーキだった。そしてその真中に『イナフくんへ お誕生日おめでとう!!』と書かれたホワイト・チョコレートのプレートが真中にあり、その周りはパステルカラーのまじパンの花で華々しく飾り立てられていた。 「1月1日…今日はイナフの誕生日なのかなぁ? でもなんで私にくれるんだろう」 マリークロッカスはそういいながらこのケーキを食べてみたい衝動にかられていた。 「ほんとうに食べても良いのかなぁ?」 マリークロッカスはちゅうちょした。 「でもイナフがくれたものだし、変なものじゃなさそうだし…」 そう何度も自分にたずねるように言うと、 「よし、食べちゃおう!」 と手を叩いた。 「そうと決まったら、お茶にしよう」 マリークロッカスは素早くお湯を沸かして紅茶を淹れ、テーブルクロスを敷いて、切り分け用のナイフと、食べる用フォークを用意し、部屋の明かりをつけ、あれこれ気になるところを掃除してから、準備万端、そのケーキと向かい合った。 かすかに奮える手でナイフを入れる。八分の一、切込みを入れてのぞくと、中はきれいに3段に分かれていてそのあおいクリームのあいだからは、薔薇色に染まったイチゴや、みずみずしいメロンや、おおぶりの桜桃や、香高いブルーベリーに、完熟のバナナがぎっしりと詰まっていて見た目にはとても豪華な気分で、マリークロッカスの心は一気に晴れやかになった。 それをお皿に盛ると、しばしマリークロッカスはため息をついて見入ってしまった。完璧な美しさにいろどられたそのケーキはまばゆいばかりで、時に神々しささえ覚えた。 恐る恐るフォークをにぎりしめ、ひとくち口に含む。すると、その果物たちの匂いが鼻から鼻へ駆け抜けて行き、さらにあまずっぱい何ともいえない夢見るような味覚が口の中いっぱいに広がって、なおかつあわいブルーのクリームがなんの材料を使っているのか予測できないほどさわやかな後味だった。 マリークロッカスは一口食べるが早いか、真夜中にワンホールのケーキをすっかり平らげてしまった。 そしてお腹いっぱいになった後、マリークロッカスはなぜか自信喪失になった。自分にはとうていこんなすごいものは作れないだろう…とひどく落ち込んでしまった。 それから何故か目がさえてどうしようもなくなったマリークロッカスは、ひさびさに砂浜へとおもむいた。 まだ肌寒い潮風が耳のあたりをくすぐって、体温を次々とすずしい色で染め替えるので、マリークロッカスは自分の羽毛に顔をぐいっとうずめて寒さをしのいだ。 「おお、ひさしぶりだな」 黒猫がかわらずそこにいた。見ると砂浜の上に何か奇妙な絵が描かれていた。幾何学的で何か変なもようの羅列がどこまでも描かれていた。マリークロッカスには何の絵かさっぱり分からなかった。 ザザアーンと波が寄せては返し、黒猫の苦労して描いた絵をいとも簡単に消してしまう。しかし黒猫は何度でも描きつづける。そしてまた消されてしまう…。 マリークロッカスはそんなくりかえしの情景を見ながら、ふとうつむき、小さな声で語り出す。 「私、今夢をあきらめかけているよ…。 自信がないんだ。 まったくなくなってしまった」 「なんでさ? おまえには才能があるよ。 お前のパンには人を魅了する力があると思うよ」 「ちがうんだ、私なんて足元にも及ばない そんなことがあるのに気が付いたのさ」 マリークロッカスの沈痛な態度を見て黒猫は眉をひそめてたずねた。 「どうしたんだ? 何かあったのか?」 「ケーキが届いたんだ、うちに」 「ケーキ?」 「今夜、真夜中にさ、イナフが尋ねてきたんだ。誰かからもらったらしい自分宛てのお誕生日ケーキをくれたよ。私は食べたんだ 真夜中に、しかもワンホールごと! あれは神の仕業だ、そうとしか考えられない、でなきゃあんなに完璧なものを誰が作れるというんだろう?」 「そんなに美味かったのか?」 「ああ、そりゃあもう。見た目から何から完璧なのさ」 「ふうん、俺も食べたかったな」 「黒猫くん 私は真剣に悩んで…」 マリークロッカスはそう言ってからそういえば黒猫は死んでいるから、何も食べることができないのだということを思いだし、それから何を言って良いのかわからなくなってうつむいた。そして黙りこんで考えているうち、こんなことで悩んでしまう自分はやっぱり弱くてどうしようもないやつなんじゃないかと思えてくる。 すると黒猫はまた絵を描き出した。 「俺は絵描きになりたかったんだ。だけどぜんぜん売れなかった。苦労もしたぜ 結局夢はかなわなかったけどさ、俺には忘れられない出来事があった。 俺の絵を素晴らしいと言ってくれた人がいたんだ。 『この絵には魂がある。きみは素晴らしい画家だ。この絵を是非売ってくれ』 その言葉は本当に心からのものだった。そのひとは持っていた有り金全部払ってその絵を買っていった。中にはなんと500ゴールドもあった。500ゴールドだぜ!? 俺は単純にその大金を歓び、ほめられたことでいい気になって一晩で使ってしまった。だけどそれ以来ぱったり絵は売れず、元の生活に逆戻りした…。 生きているうちはわからなかったけど、死んでしまった今深く心に残っているのは金なんかじゃなく、そのひとの言葉だ。たった一人でもいい、自分の働きを心の底から認めてくれる、そういう人がいれば自分のしたことは報われるんじゃないか…今ではそう思うんだ。できるならもう一度その人のために絵をかきたい、だけど今の俺にできるのはこんな波に消されてしまう砂浜の範囲で何度も描くことだけなんだ」 「そうか…」 マリークロッカスはまだ自信なさげにうつむいてため息をついてから、黒猫の何のにごりもないまっすぐな瞳を見た。 「お前もそんな人を見つけろよ 決して夢をあきらめるな 必ずいる お前を認めてくれる誰かが この世のどこかに絶対に…! 信じてやるんだ 自分自身を」 黒猫はそういいながら、自分に言い聞かせているようだった。その真剣な表情を隠そうとして笑いながら黒猫は言った。 「しかしイナフってやつも妙なやつだよな、なんだって自分に届いたものをおまえに食わせたんだろう?」 「わからないよ、私は誕生日でもないし…」 と海岸線にマリークロッカスが目をやると、遠くのほうにイナフの姿が見えた。 イナフはぴったり目を閉じて、天に手をかざして岸壁に立っていた。なにをしているんだろう、とマリークロッカスと黒猫が見ていると、少しあい色がかり始めた空から白い羽のようなものが、光の輝きを放ちながら降ってきた。 それはそれは幻想的で、うっとり見とれてしまうような光景。目を凝らしてよく見ると、それは小さな子供の手のひらだった。 それはまるで、生まれたばかりの美しさ。 イナフは手を広げてそれを迎え入れた。その産毛を帯びた羽毛のような子供の手のひらはイナフのすぼめた両手の中に、ふんわりと着地した。 「イナフ…」 マリークロッカスがつぶやくように言うと、イナフはこちらをちらりと見て振り返った。 そしてその羽を、両手にあたたかいものに包み込むように組み手を合わせて、祈るように額に組み手を当て、顔を上げると微笑んだ。それはまるでマリークロッカスたちに向けて、ありがとうと言っていたように見えた。 空は闇のいとしさをはらんで青く澄んでいた。どこまでも神秘的に透き通る美しさに、マリークロッカスと黒猫は、ただ、ただただ見とれてしまった。 それはまるで神様からの贈り物。 そう思えて仕方なかった。そしてなぜか悲しかった。 イナフは泣いていたんだ。 闇の中で手に入れたものの尊さに、そしてそれを苦しめてたまらなかったものに、涙していた。 マリークロッカスは声をかけようとしたが、やっぱり声をかけられなかった。何をいったらいいかわからなかったから…。 「今はそっとしておいてやろう」 黒猫が静かにつぶやいた。 空はもう明けようとしていた。 黒猫は何度も何度も振り返りながら、天にかけのぼっていった。 マリークロッカスは、イナフの涙がどうしてだか悲しくてつらくて切なくて、いくらぬぐっても押さえきれず泣きじゃくって、とぼとぼと帰っていった。 だってイナフの贈り物は、 嬉し涙でもあり、悲し涙でもあったから・・・。 そして自分の無力さを知ってしまったから・・・。 「ねえ、神様。残酷です」 |