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11月28日 ドーラークーエーやーりーたーいぃー。
気を使わなきゃ、いけないんじゃないかと思う。思ってしまう。しかし、その「気を使わなくてはいけないと思っている」という心理を察知されて、そこへつけ込む人は一体何なのか??自分が身近な誰かより優位だとか、何かが優れているとか、それを証明したり誇示したりしなければ成り立たないでいる人。自分が最も優れていると思いたい心理は誰にでもあるであろうが、それを思っているだけでなく、周りの人全てに、もしくは世界中の全ての人にか「あなたこそが優れている」と賛美してもらわなければ気が済まなくて、自分が全世界の中心人物であり、最も優れているのだと、その優位性を証明するために、それをわざわざ誇示することに躍起になる。その欲望に忠実になり躍起になることは構わないが、その躍起になるやり方が人を侮辱することか?人を見下すことが?おめでたいね。自分がどれほどの人間だとお思いなのか、どの観点でどれほど優れていて、どういう結論で、自分が結果、他人を無差別に見下すことを許されているのだと主張なされる気なのでしょうか。自分が最も優れているのだと妄想の城を作り、その頂点に立っている。それだけならまだしも、その城は現実という荒野の上におっ建てられて、妄想でくねらせた虚構はいつでも穏やかに君を賛美するのだ。妄想の城の中では君は正に王様かお姫様で、それはもう理想的な現実が繰り広げられている。君こそが類稀なる美貌の持ち主で、異性はそんな君を一目見たら釘付け。お洋服もアクセサリーも他人と違う趣味とお洒落を持ったセンスの良い君は、いつも注目の的と成り得る人物だ。君の恋人は世界でまたとない、なにかしらの才能の持ち主で、みなにもてる良い異性だが、君こそが最高の恋人だと言って君だけを人生の中で一番に深く愛してやまない。その妄想の城へ妄想の軍隊が進軍してきて君は戦うのだ。ホラ、だだだだ、だだだだ、撃てよ。だだだだ、だだだだ、そうやって人を侮辱して見下すことでその城守って。だだだだ、だだだだ、倒さなきゃその城が崩れてしまうんだろう?だだだだ、だだだだ、君より優れている人間なんて存在してはいけないのだろう?だだだだ、だだだだ、だから君は城の頂点に立ち、そこから人を見下すことで自分の地位を守るのだ。だだだだ、だだだだ、君は一体、どんな観点からして何様であって、どれほど優れていて偉いのだろう?だだだだ、だだだだ、優れていることは偉いこと?だだだだ、だだだだ、だだだだだだだだだだ。虚構の城を建てない人間はそれぞれの持ち家を守る方法を知っているので、他人の家にも進軍などしない。それを勝手に自分だけが城に住んでいる住人だと勘違いして王様やお姫様を気取るようなやつは、実はその家が城などではなくて長屋であることを隠すために他人をやたらと見下したがる。さげすむことや哀れむことが自分をただ守っているだけの虚構の言葉だと気づかない。一番哀れなのはお前だ。 |
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11月27日 手を変え装いを変えて同じような問題が起こる。一難去るとまた一難が。もしくは一難が去ったので次の一難を見ることができるのか。まっつんのライブに行って深夜にハコを出た。その時点で起床してから24時間以上経過していたので、アルコールは入ってないけれど素ででろでろ状態だった。なんだか込み上げてくるものがあって「ここで叫びたい」と、突発的に246号沿いで叫んだ。「太陽のバカヤロー」並みの暴言と世界に呪いごとを。人はこれを酔っ払いが暴れていると思ったでしょうか。友人は正真正銘酔っていたので横でげらげら笑い転げていた。「あ。ねーねーキンタマ坂下?金〜玉、金〜玉〜♪」と喜んでいたら「金王坂下」で、また笑い転げる友人。「やめなさい。」となだめられた。ここ数日、嫌だなあと感じていたことは、私が数ヶ月前まで別の人のことで同じように気持ち悪いなあと感じていたことが、絡んでくる人が変わっただけで、問題の中身は同じようなものであることに気づいた。数日前の日記のことで、友人が、「これは、もし(以前に関係していた人たちに)見られることがあったら、また自分たちの事を言われていると思って誤解されるかもしれないよ」と忠告されて、そう思って読み直してみると、なるほど本当だなと。以前、私が不快だと感じていた人たちについてのことは、もうまるですっかりカタが着いているはずで、まさか向こうの人たちの耳に入るようなことがあったとしても、もう自分たちのことでないことは分かってもらえるだろうと思っていたのだが、・・・まさかね・・・。あのときのあの言葉で、まるでうまくいってなかったとしたら、なんてやるせないんだろう。しかしいくらなんでも、そこまで思考がおかしいことはないだろう。。。いや、まさか・・・?? いやいやまさかそれは、ないだろう。期待と希望を込めて。。。疲れちゃうよ。
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11月26日 11月も終わり。で、今年もすぐに終わり。12月のスケジュールは私にとってはハードです。また倒れないように。「がんばらない」ように。 何かを書けば、何かを言えば、こっちでは勘違いをされて、あっちではイヤミを言われ、向こうでは僻みなのかもよく分からない揚げ足とりで途方もない批判など。私は妬まれるようなことなど何もしていない。そして何も成してなどいない。人の田んぼにやたらと毒を仕込みたがる輩。しかしその輩にも幸運や幸福が平等を装い訪れる。happyですか?人に分け与えられるくらいhappyですか?不幸を分け与えるよりも幸せを分けることのほうが難しいです。
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11月22日 やっと出社できたかと思えば、朝の電車では相変わらず貧血を起こし、あと5分だと思う攻防が果てしなく長い。意識が遠のき始めるので、手すりにつかまりしゃがみこむと「大丈夫ですか?」と声をかけられた。意識を保っていられるラッキーが、あと何回続くだろう。ライブと日常、ライブというショーについて考えている。やはり、隣の芝生は青く見える。
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11月21日 隣の芝生は青く見える。
田んぼでお米を作っていたら、隣人がしきりに私の田の稲を欲しがった。欲しそうな目つきで私の田の稲を見ているのに、欲しいとは一言もいわず、隣人は闇に隠れて私の田に害虫を放したり、枯葉剤を撒いたりして、私の田の稲を駄目にしようとするだけであった。私は隣人に、隣人が夜毎、田に害虫を放したり、枯葉剤を撒いたりしていることを追及して、それを咎めると、隣人は「そんなことはしていません」と言うばかりであった。私は隣人に困り、稲を田んぼごと放棄した。私が放棄した田んぼに入り、よく実った稲を手に入れた隣人は、誇らしげに稲を育て、それを見せびらかしては、自分の手柄だと自慢した。隣人は、私がまた新しく田を作るために、岩や草で荒れ放題の土地を耕し、苦労している様子を知ると、よりいっそう、自分は優れている、米作りの名人だと吹聴して、自分を誇らしく感じているようであった。日が経つにつれ、ようやく私の新しい田にも、また稲が育つようになった。その間、隣人は、私が残した稲を刈り、私が残しておいた苗を使って新米を作り、また私が残したお米の作り方のメモを見て米を育てていた。しかし時間が経てば、私が育てていた稲はお米にして食べ尽くしてしまい、私の残していった苗もなくなり、私が残していったメモだけではお米作りの問題に対処することができなくなっていた。そして隣人の田は、荒れ放題の相を示し始めてきたようであった。隣人は自分の田が荒れ始めたことについて怒り、また他人の田が青々とよく育っているような気がしてならないようであった。隣人は私が稲を育てていた田をうらやましく思い、それを手に入れたことで私に勝ち誇ったような気になっていたが、私がその田を作るためにどれほど苦労していたかには、まるで目を向けようとはしていなかったため、自分が手に入れてしばらく経ったとき、思うように稲が育たなくなることが、自分には起こり得ることではないことが起こったのだと思って、怒りに震えたようでもあった。隣人は、田を手に入れた当初は、自分で稲を育てる工夫はしなくとも、その田にはたわわに実っている一角があり、害虫が発生しても、稲が疫病にかかっていても、そのたわわに実っている田の一角だけを眺めて、「私の田の稲はこんなに良く育っています」と言えば満足であった。また、それを言うことによって近隣の村人がうらやましがるのが聞きたいだけであった。そうして誇らしげにしている自分が好きなだけであり、優越感に浸りたいだけであった。隣人は私の持っていた田を手に入れたことで、しきりと私を悔しがらせようとした。私よりも米作りの名人であることを立証させるために「この田んぼからこんなにも良いお米がとれました」と逐一言っていたが、私は以前、その田んぼでは秋田小町を作っていたが、新しく開拓した田んぼでは、コシヒカリを育てていたため、隣人の自慢する秋田小町をうらやましがることができなくなっていた。隣人は、私が隣人の手に入れた秋田小町のことを誉めたり妬んだりしないので、また怒りに震えるのであった。私は今、コシヒカリをたわわに育てている最中である。 |
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11月20日 ダウンしてほとんど1週間仕事を休む。
飽和して、崩れたような気がする。心身ともに疲れきってしまって、とうとう。疲れきるほど、まだ私はなにもできていないはずだが。 |
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11月14日 どこまでが権利で、どこからが傲慢なのか、分からない。どこまでがしょうがないことで、どこからが怠慢なのか、分からない。なにかを言い始めたら全て言ってしまいそうで、他の人と比べながら、どういうことか考える。ときどきいたたまれなくて、泣くことや怒ることを抑えられなくなってしまう。私はほんとに、ときどき自分が女であることが無性に嫌だし、全ての男のチンコを切り落としてやりたいと思うことがある。体について、刺されたり殴られたりすること以外の恐怖を感じてしまうなんて、そういう恐怖を感じなきゃいけないことに腹が立つ。ライブをやることで、段々と身の危険も増えつつあって、以前のように「性的な欲求を感じました」という類の感想をもらうことを喜べなくなっている。着替えているときに「僕が脱がしてあげる♪」と着物を無理やり剥がされる。こういうことがどれくらいの屈辱なのか、男で、しかも酔っ払った相手には分かるまい。「嫌だ」と言ってもそれが通用しない屈辱に耐えれば、耐えた裏で心はズタズタに傷ついている。表現活動をしている女の人はみんな平等にどこかで嫌な思いをしてるんだろう。男ってどこへいっても、どんな世界でも、やることは同じみたいで、だからこそときどき根こそぎ抹殺してやりたくなる。
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11月13日 人に文句をつけることが生き甲斐の人って、かなしいね。
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11月7日 おてだまなげる そらにあかいいぶつがまい なにもつかまずに てのなかにおちる くすぐりつづけている おとこのことおんなのこが ひみつをかんじあうひまで そんなにじかんはかからずに おたがいをさがしあうことに たのしみをおぼえてから しょうねんとしょうじょはねむることをほうきした さぐることをやめられないのは そこになにもないからにちがいなくて かけばかくほどむなしいでしょう あとにのこる ひっかききず せつだんされたひふと さいぼうがないているようにしんでいる おなじひとがいきかえらないのとおなじで おなじようにさきほこれないじかんをきりすてて おしのけたひとのぶつかるおとを こまくのまえでとどまらないようにのがし みみぬきをすると ふっとかるいなさけなさがただよう たばこのけむりのようなおもみもなく せめていろめきたっていればね ぬりかえられることだってできたのかもしれないけれど ほそいうでがだきしめたがっているおんなのこの きゃしゃなからだはそのうでよりもほそくて ひがたつにつれてうしなわれていく どうでもいいことのかずだけがにじみでて ひろったものよりすてたもののかずのほうがおおい わからはじまるごじゅうおんのしらべをゆびではじいたら じめんすれすれのばしょをささるようにとんで ささることなくちゃくちした あきもせずひとをけおとすひとの むししたこころのかずは うらぎったひとのかずよりおおく なによりいちばんうらぎられていたのはそのひとじしんで なによりいちばんそのひとにきづつけられていたのはそのひとであった うそをつかないかわりに しょうじきということもしらず なにかをいうまえになにかをきかなければひとつもなりたたないわたしの あとさきはたいくつなしごとのやまなのでした
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同じく11月5日 ゴールデン街にまぎれてかげをおとす 朝焼けを拝むころには そのかげをひろい ゆめともきぼうともつかぬげんじつのきょこうのとうをめがけて おりかさなる すぽんじのようになってしまった ちそうははがれ ゆくゆくはまあたらしきかなこの身の ばくちはうてばうつだけのねうちがさがり さけのあわほどもない おもいはちりじりに したたってふれるときには いっぺんのかけらさえもひろえない きはくしてゆくにくしんのちの かおをしらぬままゆきすぎてしまうあやまちをふりかえらず まうえにむかういしのうずのなかで しんえんをえがききれないでやつあたりしていたの ぼうふううはおとなしくてやさしい どれだけみだれてもそんざいはかたくなにひしめきあって あしどりをおなじくするさまはまるでなにかのステージのようだ |
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11月5日 JAMをうたいながら帰るかえりみちに車が一匹 点灯する ここはどこぞの国やとな
きかれておどける小人がおどるは どこへでも とこたえて走るは おさない子どものしわざである 夕闇にかくるるは 音沙汰のないゆめからのたよりで あくる朝ひらきますからと なんどうったえてみようかとね せいぶいけぶくろ線の準急と各停が きそく正しく時間をなぎたおして コンクリートのはやしにうめたたからをほりおこしても すずめのなみだほどのぴんくいろから らっかしてゆく こうかそくどのはしっこつかまえた 街灯にかたむける政治のことばをゆゆしきれきしのままに たわむれども たわむれども くりかえされてしまっては やまのては毎日かかさずけっかいをえがき けっかいをといてはきゆる おいていかないでと だまってみまもってくださいは同意語ですからね ここではじめてのあなた あなたというはじめて 手をつないでまいりましょう てをつないだまままいりましょう ことばなど とおらなかったばしょで どれだけのりょうをまぜようともちしりょうにもみたない ヘリウムガスのようにとけこんでゆく うしろすがたにのせたララバイを しるよしもなく まわしたうでとくびさきにはきいたこともない絆が結ばれていて ちょうちょうはひらひらとむじょうではくじょうであった 私はかよわきかとな うたれてかれるようにすんなりとはきえゆくことのできぬじじょうは はじらいのためかと かんぐられればかんぐられるだけ はじはふえゆく いばらはいばらのままにくもりゆきては はれのにわのきょうかいせんをよごすのだ あああはれか なぐさみなき世なのかとな うたがうはさざめき はれるは夕凪 ことばなどしらぬ ことごとくくさりゆきてはことばなどいらぬ ためらいのなかにかくされたもうたちぎりの肉はかたぶつのままなるかな そのようなはなしをしたおぼえなどないのに こうしてこころよ落とされて わけなどなく ただとめどなくたゆたうはかなさをおぼえた少女は次のひらめきがおとずれるまえに汚されているのだ きづくかな おとなとこどものはざまのじかんを ひっそりともゆるあかいたましいのゆらめきをみながら なにをおもうかかんじるか でんりゅうのようなまなざしにかどわかされずにゆくがいい どこへもにげず でんしゃのように
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