■コラム【地方】
レゲエとエチオピアまんじゅうと失われたアーク
第3回 エチオピア饅頭(まんじゅう)
■植民地分割のはざまで
19世紀の後半を過ぎると、それまで緩やかだった植民地獲得の競争が、急ピッチで進みだす。
内戦の終結にともなうドイツ、イタリア、アメリカなどの国民国家の成立、企業の淘汰による独占資本の形成が決着すると、昂揚した国民の力と利潤を求める資本の力が外へ外へと膨張しはじめる結果を生んだ。
帝国主義の時代である。
もはや植民地獲得などとは悠長な言い方で、植民地分割である。アフリカも、中近東も、東南アジアも、中国沿岸も、太平洋の島々も、カリブ海の西インド諸島までも、きれいさっぱり分割されつくした。
19世紀末から20世紀初頭まで、わずか10年足らずの出来事であった。こんな時代のモットーは
「棍棒を持って、穏やかに話せ」である。
これで話しかけられてるほうは、歯の根も合わないで震えてしまうだろう。もっとも原始人ではないのだから、ここでの棍棒とは軍艦のことである。「砲艦外交」という直接的な用語もあったりする。
この「砲艦外交」で
「泰平の眠りをさます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」
と、跳び起きるはめになったのが、日本なのはご存じのとおり。
国の独立が保てるのか、という不眠症になった日本は、評判の安眠まくらがあると聞きつける。その安眠まくらとは、なんのことはないペリーが使ってたあの軍艦。軍艦をつくるためには、技術を教えてもらわなくてはいけない。
こうして結局、日本は植民地分割のはざまで生き残るために、開国をして自らも植民地分割の競争に加わるというディレンマの中に陥ったのである。
■国民というひとつのフィクション
この植民地分割という嵐をくぐり抜けて、独立国の面目を保った非欧米の国は、トルコ、エチオピア、ペルシア(現在のイラン)、シャム(現在のタイ)、日本ぐらいなものであった。
独立を維持できた理由をあげると、列強同士の緩衝地帯となりうる位置関係にあった、西欧文明の改宗者として国内の改革につとめた、列強の接触と相前後して国民国家として再編成された、の3つがあがるだろう。
このなかで国民国家について取り上げたい。
黒人が黒人を白人に売り飛ばしていたことを思い出してほしい。黒人に同じ黒人としての連帯感はなく、いい気になって隣の黒人を売っていたら、誰もいなくなった土地に白人が入り込んで、虫食いのように喰われていって、いつのまにか取り囲まれて一巻の終わりである。
アフリカだけではない。
インドのマハラジャたちはてんでばらばらで、皇帝がムガル帝国から大英帝国に代わったぐらいで、自分たちは安泰だとしか思わなかった。
北米では、ネイティブ・アメリカンの部族たちも、カスター将軍を倒したクレイジー・ホースとシッティング・ブル、アパッチ族のジェロニモの勇猛果敢をもってしても、最期は個別撃破される運命にあった。
彼らに共通しているのは、部族間の連帯はあっても、同じインド人であるとか、国民である意識に欠けていたことだ。
国民国家を形成するナショナリズムの欠如である。
そして、今も彼らは部族のままで、国民ではない。アフリカで、内戦が頻発するのも、ここに原因がある。
さて、国民としての意識は、民族意識とは近似ではあるが、同一のものではない。最初の国民国家であろうスペインは、レコンキスタの完成とともに成立したが、カタローニャやバスクにおける独立運動は今も根強い。
イギリスは、イングランド人とスコットランド人とウェールズ人とアイルランド人で、いがみ合ってる。
ベルギーにいたっては、ワロン人とフラマン人でまっぷたつだ。ひとつの国として維持するために払う彼らの努力は並み大抵のものではない。
チェコとスロバキアなど、ビロード離婚といわれて分離してしまったではないか。
ようするに複数の民族がひとつの国民であることは珍しいことではないが、複数の民族がひとつの国家を分裂させる原因となることも多い。
これは、ひとつの国民としての意識を育むことも維持することもむずかしいことを示している。
国民とはひとつのフィクションなのである。
■究極の国際結婚とは?
ナショナリズムは民族単位に限定されることもあれば、ユニバーサルに近づくほど普遍化されるものもある。
ナショナリズムの限定的なタイプは、トルコがいい例になる。
オスマン・トルコ帝国の衰退期には、異民族の反乱と列強の侵略でやられっぱなしだったが、小アジアに引きこもり、トルコ人だけの国民国家になると、元来の強さを発揮した。
灰色の狼ケマル・アタテュルクのもと、ギリシア軍をはじめとした各国を追い出した。
一方、違う民族で構成されながら、人類普遍の理念をかかげて、強大な力を周辺におよぼす国民国家もある。
アメリカ合衆国やフランス、在りし日のソビエト連邦がそれである。人権宣言や独立宣言だったら民主主義、共産党宣言はもちろん共産主義を旗印に布教活動しているようなものだが、やってることは国家エゴまる出しの利益追求である。
人権宣言だの共産党宣言だのいっても、しょせんフィクションでしかない。なんの保証もない。むしろここではフィクションが神話化しているのだ。
神話が歴史的事実かどうか疑問を呈されるようでは、神話ではない。同様に人権宣言の理想が実現するかどうかは問題視してはいけない。前提として受け入れられているからこそ、ある種、盲目的な団結力を得て、組織として動くのである。
戦前までの日本では、ナショナリズムの基礎に神話があった。
昭和天皇は、124代のアマテラスの直系子孫で現人神であらせられる。
エチオピアも同様に、ハイレ・セラシエ1世は、ソロモン王とシバの女王の直系子孫でJAHであらせられる。
日本は日露戦争でロシアを撃破した。
エチオピアはアドワの戦いでイタリアを撃破した。
そんなわけですごく親近感が湧いてきたので、エチオピア皇帝の甥・アラヤ殿下は日本女性をめとろうと思し召しました。
1934年1月20日の各新聞につぎの見出しがのぼった。
(引用始め)
『エチオピア妃の宮に光栄の二女性選ばる』
東京世田谷区の子爵 黒田広志氏の二女・雅子さん(23)
九州門司市の資産家 田畑亀太郎氏の二女・茂子さん(22)
[ 南條岳彦 NANTA'S SALON『エチオピア鉄道小旅行』エチオピアとニッポンより ]
(引用終わり)
まるで当選者発表のノリだが、案外そんなに違わなかったんだろう。でも、この究極の国際結婚は破談した。
性格の不一致ではない。
イタリアの横やりでした。
ちなみにアメリカの横やりで破談したのが、第7代ハワイ王カウカウラの姪と山階宮定麿王との縁談だった。
カウカウラ王が亡くなると、土着ハワイ人と白人農園主と日本人移民のせめぎ合いの結果、白人がクーデターを起こし、第8代リリウオカラニ女王を廃位。
アメリカの傀儡となるハワイ共和国を建国して、のちに併合された。
アメリカのやり口でもわかるとおり、エチオピアと日本の縁談に横やり入れるのは自分がほしかったからである。
かつてアドワの戦いに破れたイタリアは、虎視眈々と復讐の機会を狙っていたのだった。イタリアはムッソリーニのファシスト政権の時代になっていた。
■エチオピアまんじゅうの奇妙な誕生
1935年10月〜1936年5月
1年とかからず、エチオピアはイタリアに侵略されて併合された。皇帝とその甥であるアラヤ殿下はロンドンに亡命を余儀なくされた。
この戦いにおいてイタリア軍は戦車投入はもちろん毒ガスまで使用していた。未だかつてこれほど激しい近代イタリア軍は、なかっただろう。筆者が見るスクリーンの中のイタリア軍は、恋の片手間に鉄砲を撃っているような連中だったのに、である。
エチオピアが、そんなイタリアと戦っていたニュース映画を日本の高知県・南国土佐の映画館で見たのが「近森大正堂」という和菓子屋の主人だった。
圧倒的に不利な状況の中で戦う褐色の戦士たちにいたく感激した。そのときふと思い到ったのが、白下糖と呼ばれる地元特産の黒砂糖を皮に使った創作菓子「黄饅頭」のこと。
「褐色の皮に、こしあんは当然のように黒いではないか!」
ならばよろしい。
南国土佐名物「エチオピア饅頭」に改名決定だ!
こうして「近森大正堂」の創業店主の安易な発想で「エチオピア饅頭」はこの世に生をうけたのでした。
これも究極の国際結婚ではある。
なにかがおかしいですか。
今までを思い出してほしい。
エチオピアの皇帝はソロモン王とシバの女王の直系子孫なので、失われたアークはエチオピアの山中にあり、イスラムに無敵のプレスター・ジョンはエチオピア皇帝の仮の姿で、かつ黒人の現人神JAHであらせられる。
というのにくらべたら、「エチオピア饅頭」の一口くらい素朴なものではございませんか。
そもそも、ここまで述べてきた事例にあった伝統も社会も国民も、虚構の存在ではなかったか。それがひとたび発生し、伝統につちかわれ、社会に根付き、国民の間に広く伝われば、フィクションであってもフィクション以上のものになったのだ。もちろんプレスター・ジョンのように中世のホラ話もあった。しかしそれも当時の人々にとっては、切実な問いかけに対する深奥からの真摯な解答であったかもしれない。
実際、宗教としてのラスタファリズムのキテレツさと、どう違うというのか。プレスター・ジョンや黄金の国ジパングが大航海時代の動機となり、結果として根本の欲求が解消されれば、役割を終えて歴史の一コマになったに過ぎない。
すなわち、そこに組織的な要請があれば、あと付けの理論が、たとえ突拍子なくても、作為の契機によって、ある種の企画が成立しうるのだ。その企画の生命が持続するかもまた時代の要請であるのはいうまでもない。