■コラム 【地方】
レゲエとエチオピアまんじゅうと失われたアーク
第4回 今日の夢は明日の現実になる
■野市町をエチオピア菓子の町にしよう
平成8年12月。
高知県野市町にある和菓子屋「近森大正堂」にときならぬ客が来訪した。駐日エチオピア大使であった。
「エチオピアの名前を勝手にパクるな!」
と、怒鳴りつけに来たのではなく「エチオピア饅頭」に
“エチオピア大使公認”
のお墨付きをくれたのでした。
初代店主のちょっとした発想からはじまったに過ぎなかったこのまんじゅうが、フィクション以上の存在になった瞬間でした。
こうして筆者は、このコラムを書く動機になったこのエピソードにまで到達できた。長い前振りでした。
エチオピアとまんじゅうという突拍子もない組み合わせから、エチオピアにまつわる話を探るにつれて、出るわ出るわの奇妙なエピソードの数々。
エチオピアには人を引き付ける奇妙な引力が働いているのかと、考察してみたわけです。
あげていくと、ソロモン王とシバの女王のロマンス、失われたアークの行先、プレスター・ジョンの国、ラスタの神様になったエチオピア皇帝、エチオピア皇室と日本女性との縁談話などがありました。
フィクションがフィクションを呼び、連鎖するうちにフィクションを超越して、得体の知れない、なにものかになった。
これらの原動力は簡単にいうと人の願いだったりする。
では、たとえばそこに野市町の人の欲求があったらどうなるかという仮定のもとに話を進めていくとして、野市町の町起こしにエチオピアが利用できないか、というわけです。
エチオピア大使に敬意を表しつつ、
「野市町をエチオピア菓子の町にしよう」
もっともエチオピアっぽい菓子になりそうです。
なにせ、エチオピア菓子がなんであるかの資料がないんです。
どうか妄想が実りあるものになりますように。
■“エチオピアっぽい菓子”リスト
空想商品番号1番
「アークようかん」
ところはエチオピアの古都ラリベラ、岩盤を垂直にくり抜いたギョルギスの岩窟聖堂がある。
伝説では失われたアークが隠されているという。
失われたアークとは、契約の箱のことです。
その特異な十字架の形をした聖堂を忠実に再現した羊羹。
羊羹の中には、モーゼが、神様からもらった石版を模した板チョコ入り。しかしそれでは味がくどすぎるかも。
空想商品番号2番
「エチオピア三色菱餅」または「エチオピア三色ケーキ」
エチオピアの国旗に使われる赤・黄色・緑の三色で彩ってみました。当然、上には黄金獅子が鎮座します。
スポンジケーキにするなら下敷きに三色国旗を使ってみるのも一興。健康家族に朗報、添加物にはガンジャは含まれていません。お子さまにも安心して召し上がれます。
レゲエの人はガンジャばっかり吸ってて、だらけてそうとか思われがち。
しかしながら、彼らはれっきとした健康と安全を重視する菜食主義者。
彼らはそれらの食べ物を「アイタル・フード」と呼んでいる。
空想商品番号3番
「ラスタラスク」または「ラスタせんべい」
王の象徴である、王冠をかぶり錫杖を持った黄金獅子が、焼き印されています。
ラスタにこだわらなければエチオピア十字でもいいし、ダビデの星でもいい。
または「ソロモンくん」というキャラクターを創作して、アピールにつとめてみたい。
■もしも村がひとつの国だったら?
ここで話を戻して、村起こしとはなんであろうか、について
考察して、本論のまとめをしたい。
村をひとつの国と考えてみよう。
隣町や隣村が、境を隔てて隣国になる想定だ。
当然、そこにあるだろう人の往来やモノの移動が、製品やサービスの貿易ということになる。
専門用語をくり出して恐縮だが、収支でいえば、貿易収支と貿易外収支になる。ふたつ合わせて経常収支となる。
移転収支もあるにはあるが、ここでは除外するとして、村起こしの目的はこの収支を黒字の入超にすることである。
たとえ話が続く。
東京が先進国とすれば、為替レートもあるだろうから“東京円”の1円はこちらの村の100円ぐらいの価値があるかもしれない。
こっちの村でつくった1円のモノを東京で売れば100円になるのだ。
かくてすべての製品は東京を目指すことになる。もちろん競争は激しい。とびきりの美人に求婚するようなもので、ごくごく普通では振り向いてもくれないだろう。
そこで村起こしの出番だ。
村起こしにおける、ありとあらゆる努力は、品質やイメージを高めて、付加価値をつけるために行なわれる。
村起こしでは大分県の一村一品運動が好例であろう。そこでは地道に品質をあげる努力が続けられている。
さて、プロポーズ競争のたとえを続けよう。
見事に品質やイメージをあげたとして、いざご対面というところにまで、こぎ着けた。ところが日本男児たる者は寡黙を美徳としてきたために、アピールが下手でしようがなかった。
自分という製品の品質を縷々説明しても、女性は論理的な話は苦手で、感覚で判断しやすい。そこでまたもやアピールのうまい都会育ちに、この田舎者は女性をかっさらわれてしまうのだ。
見た目やセンスを磨くにしても、都会に一日の長あり。
田舎者がいくら追いかけても勝負にならないのは明らかだ。
かといって田舎暮しの良さを強調するにしても日本全国どれだけの田舎があるんだかわかったものじゃない。
そこで通常では考えられないイメージの組み合わせを持ってきて、人をつかむインパクトを与えてみるのもあながち悪くはない。これを“三枚目、つかみはオッケー戦略”と名付けてみる。なにやら脱線してきましたが、その三枚目ぶりを駆使して、プロポーズに成功して彼女が村にやってくることになった、としよう。
さっきの収支の話にすると、人の移動だから無理やり観光収入にあてはめてみて、経常収支の中の貿易外収支ですか。
ここでようやく、高知県にある野市町の登場になる。
この野市町に、エチオピアとレゲエのイメージを結合して、
インパクトある村起こしをする。
これは「エチオピア饅頭」の奇しき縁から発想した。
まあ、イメージの国際結婚です。
もちろん弱点もある。
インパクトが強ければ、それだけ飽きられるのも早い。
イロモノ俳優やコメディアンみたいなことになってしまうだろう。嫁さんに逃げられてしまいます。ある意味では、突拍子もない話なのだから、信憑性を与えるフィクションや飽きさせない仕掛けが必要になってくる。
それをやっているのが、おとぎの国を演出する某テーマパークの手法。某テーマパークではフィクションをフィクション以上のものにするために、日夜並々ならぬ努力を重ねているわけだ。そして、某テーマパークがひとつの国として、入場者に観光収入を落としてもらっている。
その手法をまねるなら、最後には打ち上げ花火があるようなレゲエのコンサートを開催したり、誰でも踊れるような、盆踊りと融合したレゲエ踊りで町の通りを行進するとか、地元特産のさつまいもを使った創作菓子をお土産にしてもらうなどでしょうか。
ただ、いかんせん投入できる資本が、某テーマパークと村起こしレベルではケタも違ってくるだろう。方法論としては同じでも、媒体に露出して、囲い込んで確実に買ってもらう洗練さや顧客に訴求する力などで、まるきり勝負にならない。
まず無難にネットを媒体に使って宣伝なり、ネットショップにして物販なりをおこなうことと、毎年イベントを継続してイベントのリピーターに創作菓子のお土産を買ってもらうことを心掛けるべきだろう。
幸いにしてというべきか、「エチオピア饅頭」を販売するネットショップがないので、地元ではまずこれをご考慮いただきたい、というところか。
筆者はフィクションの効用やその成り立ちを述べてきた。
また多少フィクションのシュミレーションもしてみた。
その成り立ちを見る限り、フィクションには常に膨大な努力が投入されていた。そういった意味で、フィクションは文明の所産であるし、文明そのものとも言える。
それが大げさだとしても、人間にしかつくれないものなのは間違いない。人の営みである以上、文明は継続されるものであるのと同時に流動的なものだ。
なにかをつくろうとする人間の意志によって左右される。
ならばそこに未来に対して開放的な意志によってつくられる文明が良いのはいうまでもない。
文明の一様相である村起こしにおいても同様である。
理念として村をこうしていきたい、という方向性が準備されているべきだ。そのとき、村の伝統に範をとりながら、革新的に制度や実態を変えていこうとする意識が村人にはあるだろう。毎日、明治維新をやっているようなものかもしれない。
そして、それはじっくりと果実のように成熟する。
そこでのポイントは新しい制度が確立するまでは、あわてず古い制度と並行して、対応していくことである。
これがまずは「エチオピア饅頭」のネットショップを開設する理由となる。
そのサイトをコミュニティとして、議論をつくしてみるのもいい。
さて、今回の三題噺、レゲエとエチオピアまんじゅうと失われたアーク。
失われたアークが神様の教えを広めるための石版だから宣伝媒体としてのネット。
音楽のレゲエで人を集めるイベント。
エチオピアまんじゅうから村起こしのお土産菓子ということでよろしいか。
まずは「めざせ南国No.1ショッピングサイト」で、本日はお開きです。