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会報1号 1989年1月28日
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・六〇有余年後の故郷からの消息
・一〇月三一日付、ペチョリョン氏からの手紙
・事件後に出された「在日本朝鮮労働総同盟」の声明
《新聞記事》
『追悼碑建立し歴史に残そう』 (山陽新聞夕刊 1988.12.14)
『朝鮮人虐殺の真相を』 (毎日新聞名古屋本社版 1988.12.11)
『悲史刻む追悼碑を』 (北日本新聞 1988.12.11)
・熊野行きのスケジュール
・会則
・会計報告
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会報2号 1989年2月20日
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・現地木本で交流と追悼を行う
・イギユン氏の遺族の消息わからず
・呼びかけ文の賛同人、93名に達する!
《新聞記事》
『歴史にとどめよ「木本事件」』 (読売新聞 1989.1.30)
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会報3号 1989年4月1日
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・『吉野熊野新聞』の事実誤認を指摘する
《賛同者からの便り》
歴史問題研究所等
・呼びかけ文の賛同人290名、3団体に達する!(4月1日現在)
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会報4号 1989年7月4日
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・結成集会を運動の新たな展開につなげよう!
・熊野市市長と教育長に要望書を提出!
[要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
・4・23木本事件、追悼碑を建立する会・三重結成集会の報告
・会計報告
・緊急カンパのお願い
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会報5号 1989年8月30日
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・熊野市に再度要望を行う!
[回答] 熊野市教育委員会より
・遺族からの熊野市教育長への便り (ペチョリョン)
・記者の嘴
・渡韓だより
・イギユン氏の故郷を訪ねて
・慶州でまいたビラ
《新聞記事》
『「木本事件」で市史訂正要望』 (朝日新聞 1989.6.8)
『くろーずあっぷ 「敬洪さん』 (統一日報 1989.6.23)
『「朝鮮人への襲撃は愛町心の発露」熊野市史訂正へ』 (統一日報 1989.7.12)
・会計報告
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会報6号 1989年11月20日
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・熊野市との三度目の交渉行われる!
[要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
[回答] 熊野市長・熊野市教育長より
[要求項目] 熊野市長・熊野市教育長宛
・熊野を訪れて
・その他の会の活動について
・これからの活動予定
・会計報告
《新聞記事》
『窓 朝鮮儒学者の碑』 (朝日新聞 1989.10.13)
『熊野市の対応に“怒り心頭”』 (朝日新聞 10.11)
『追悼碑を重ねて要求』 (統一日報 1989.10.18)
『60年前、日本人に虐殺されたイギユン氏、ペサンド氏』 (朝鮮日報 1989.10)
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会報7号 1990年2月10日
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・熊野市との話し合い2月26日に決定!
[回答] 熊野市長・熊野市教育長より
[抗議・要請文] 熊野市市長・熊野市教育長宛
・写真 極楽寺の無縁仏
・熊野での意見交流会に参加を!
・熊野市に要請ハガキを送ろう!
・三重県教育委員会に協力要請を行う!
[要望書] 三重県教育委員会委員長宛
・解放同盟三重県連に協力要請を行う
・上田音市さんを訪ねて
・《木本事件と関東大震災朝鮮人虐殺》の講演会報告
・1月の例会に参加して
・呼びかけ文の賛同人439人7団体に達する!(1990年1月20日現在)
・三重県教育委員会を訪れて
・今後のスケジュール
・会計報告
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会報8号 1990年4月1日
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・二月の現地行動で確かな手ごたえ
地元の人からの聞き取り調査
熊野市民との意見交流会
熊野市との話し合い
・木本を訪れて
・熊野市行政の朝鮮人差別を問う―『熊野市史』『小学校百年誌』の出版を許したことについて―
・熊野を訪れて
・初めて行った熊野
・資料集『 (ピータム) 地下軍需工場と朝鮮人強制連行の記録』出版!
《紹介》
『ピータム 地下軍需工場と朝鮮人強制連行の記録』
『在日六〇年・自立と抵抗−在日朝鮮人運動史への証言』張錠壽著(社会評論社、1989年)を読んで
《新聞記事》
『波紋投じる追悼碑建立会の活動 韓国の土かけ供養』 (統一日報 1990.2.28)
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会報9号 1990年6月17日
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・現地の交流会に参加を!
・熊野市の回答進展せず
[回答] 熊野市長・熊野市教育長より
[回答に対する見解] 熊野市長・熊野市教育長宛
・テグッキの話 活動の一年を振り返って
・三重大祭で木本事件の寸劇
“寸劇木本事件”について
寸劇の感想
・呼びかけ文 韓国で紹介
・朝鮮人、中国人の強制連行・強制労働を考える全国交流集会が開かれます
・「死者のなまえを書きうつすとき、どうしようもなく、涙があふれた」
・会計報告
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会報10号 1990年7月31日
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・七月の現地交流会で地元から新たな反応
・木本へ行って(三重大生)
・地元の方からの便り
・岡本実氏と会って
・トッカビ子供会の“木本事件”フィールドワーク
木本の事 (小学5年)
木本のこと (中学1年)
・木本フィールドワークに参加して(三重大生)
・トッカビ子供会のフィールドワークに参加して
・九月に市長交渉の可能性!
・朝鮮人労働者「秋田三吉」のこと
・金靜美さんと鈴木裕史氏を迎えて (奈良県生駒郡同和教育研究会)
・さらなる、御支援と協力を!『(ウリ)生活』第六号の意見広告
・年内例会のスケジュール
・“7・7花岡事件の証言を聞き、戦後責任を考える集い”に参加して
・花岡事件のシンポジウムに参加して
・戦犯日本を国際裁判に提訴することにした太平洋戦争犠牲者遺族・参戦者の立場 (太平洋犠牲者遺族会会員一同)
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会報11号 1990年11月20日
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・熊野市との交渉、および夜の集まりにぜひ参加してください
・11月26日に熊野市との5回目の交渉!
・三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン氏・ペサンド氏)の追悼碑を建立する会の会議のおしらせ
・三重県学事文書課県史編さん室への手紙
[要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
[要望書] 部落解放同盟三重県連合会執行委員長宛・同共闘対策部長宛
・ペギョンホン氏の病気について
・杉浦新吉氏のこと (金靜美)
・トッカビ子供会の“木本事件“フィールドワーク 作文第2集
きのもとのこと (小学1年生)
きのもとのこと (小学1年生)
22・23・24日の出来事(木本のこと) (高校3年生)
木本のこと (中学1年生)
・木本事件を知っていますか
・木本トンネル前の地蔵
・会計報告
・公開書簡 海部総理宛 (太平洋戦争犠牲者遺族会会員一同)
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会報12号 1991年3月20日
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・第5回の熊野市交渉から非公式折衝までの経緯について
・11・26熊野市交渉報告
《新聞記事》
『「木本事件」の追悼碑を』 (中日新聞 1990.11.28)
・11・26意見交流会の報告
・11・26交渉に対する教育委員会の回答
[回答1] 熊野市教育委員会委員長
[回答2] 熊野市立木本小学校長宛、熊野市教育委員会委員長
[回答3] 熊野市史の一部削除について、三重県熊野市教育委員会
・追悼碑の建立に向けた新たな動き−非公式折衝始まる
・日航機内誌における差別表現について
・また、やるんやないか?
《新聞記事》
『韓人労務者虐殺事件 64年ぶりに真相あきらかに』 (中央日報 1990.8.18)
《韓国からの手紙》
金蓬洙先生へ
《資料紹介コーナー》
『六十三年後からの出発』
『第一回 朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会 報告集』
『ぽんそんふぁ』
・トッカビ子供会の“木本事件”フィールドワーク 作文第3集
木本のこと (小学4年生)
木本のこと (小学4年生)
木本のこと (小学5年生)
・「奈良県での朝鮮人強制連行にかかわる資料を発掘する会」の活動について
《新聞記事》
『再び同じ悲劇を繰り返さぬよう』 (朝日新聞 1991.1.20)
・「木本事件」の寸劇について (三重大4年)
見てくれた人の感想 (小学生男子)
やった人の感想 (三重大1年)
・「三重県在日朝鮮人史研究会」について
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会報13号 1991年5月20日
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・熊野市が追悼碑の建立に向けて前向きの姿勢を示す
・木本小学校長との面会
・4・14熊野市の人達との意見交流会
・谷川義一氏の訂正について
・建立する会の活動に参加して
・『木本小学校百年誌』の「鮮人騒動の記」について
《A》熊野市立木本小学校長あての手紙
《B》熊野市教育長、木本小学校長あての要望文
・トッカビ子ども会の“木本事件”フィールドワーク 作文第4集
木本のこと (小学5年生)
7.22、23、24日のこと(木本) (小学6年生)
「木本」 (小学6年生)
木本の勉強をして (小学6年生)
《新聞記事》
『熊野市 追悼碑建立許可へ』 (統一日報 1991.4.25)
・呼びかけ文への賛同とさらなる追悼碑カンパのお願い
・会費・会報購読料納入のお願い
・『六十三年後からの出発』(増補版)を読んでください
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会報14号 1991年10月20日
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・追悼碑建立に向けて具体的な検討に入る
・「イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会」結成される
・10月7日、熊野市に提出した会の建立プラン(案)
[追悼碑建立の実現までに(案 要旨)] 熊野市長・熊野市教育長宛
・熊野市と当会との合意の確認
[熊野市内区長会議(第1回)における報告内容]
・パンフ『六十三年後からの出発』(増補版)の会計報告
・熊野現地調査報告 91.7.6.〜7.7
《新聞記事》
『碑文作り開始決定』(朝日新聞 1991.10.8.)
・戦後責任を考える−熊野現地調査に参加して−
・7月6日・ハタイ旅館会議の報告
・意見交流会報告(7月6日)
・極楽寺のふたつの「墓石」
・第二回『朝鮮人・中国人、強制連行・強制労働を考える全国交流会』の参加報告
全体会と第9分科会に参加して
「映像・ビデオの分科会」に参加して
《新聞記事》
『「木本事件」犠牲者追悼 建立へ具体化急ぐ』 (毎日新聞東海版 1991.10.8)
・会計報告
・『三重県史』、部分的に西暦使用
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会報15号 1992年5月10日
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・追悼碑建立の予算、熊野市議会を通過 今年度内に建立が正式決定!
・四月九日熊野を訪れて
・昨年11月の熊野市との話し合い
・1991.11.24〜25の熊野市行きの報告
・『広報くまの』での市民への協力要請
『犠牲者二人の追悼碑を』 (広報くまの 1991.11.5)
《新聞記事》
『26年の同胞労働者虐殺「木本事件」 追悼碑建立へ検討作業』 (統一日報 1991.11.22)
『三重の戦争14 朝鮮人労働者2人を虐殺』 (朝日新聞伊賀版 1991.12.13)
『木本事件 追悼碑、来年予算で』 (統一日報 1991.11.27)
・碑の文案がまとまりました
[追悼碑文案(第一案)]
・パンフ会計
・敬洪さんに会ったときのこと
・『三重県史資料編』ができました
『三重県史 資料編 近代4 社会・文化』p390-391
《新聞記事》
『三重県史 年号の表記を西暦に』(朝日新聞 1992.5.3)
・トッカビ子ども会の活動報告
『チングワンハムケ なかまとともに』 (トッカビ子ども会 1990年度活動報告集)
木本フィールドワーク日程表
報告 木本フィールドワーク 7月22・23・24日三重県熊野市 同胞が殺された町をチョゴリで歩いて 私たちに受けつがれたもの
・「長生炭鉱事故」で犠牲になった、183人の朝鮮人・日本人を追悼する碑を!!
《新聞記事》
『鮮人(ママ)町民と 物凄い大爭鬪 三重縣木本町に起る』 (神戸新聞 1926.1.5)★と町民と 物凄い大爭鬪 三重縣木本町に起る』 (神戸新聞 1926.1.5)
[新聞解説]
『朝鮮人労働者の墓参り ひとり芝居の新屋英子さん』 (朝日新聞熊野版 1992.1.12)
・民族差別図書問題によせて
・結婚における民族差別と闘う会 裁判報告!
・『中国東北部にける抗日朝鮮・中国民衆史序説』キム チョンミ著、現代企画室
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会報16号 1992年7月25日
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・追悼碑建立に向けて地元での折衝進む
・事務局の連絡先が変わりました
・三重県史の西暦採用実現する
《新聞記事》
『「木本事件」にふれた県史 年号表記は西暦使用』 (朝日新聞熊野版 1992.5.9)
西暦採用をめぐる新聞の投書 (朝日新聞 声)
『木本町鮮日人の血闘は日本人側が悪い/けんかの原因は面会にきた朝鮮人を明治座主人が先に切りつけたため』(時代日報 1926.1.6)
(時代日報 1926.1.5)
・『六十三年後からの出発』をぜひ読んで下さい
・会計報告
《会員からの便り》
・12月、追悼碑除幕式(予定) イギユン氏とペサンド氏の追悼碑建設に最終カンパを!
・熊野市民に浄財を呼びかける趣意書の文案
木本事件犠牲者追悼碑建立への想い 「趣意書」に代えて・・・(熊野市にペサンド氏・イギユン氏の追悼碑を建立する会)
・金靜美さんの訪中のための再入国許可をかちとる
経過報告(結婚における民族差別と闘う会)
《新聞記事》
『朝鮮人追悼碑の年内建立へ 木本事件を教訓に人権尊重を誓う』 (朝日新聞三重版 1992.6.9)
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会報17号 1993年2月25日
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《表紙》
*熊野市が碑文案で、われわれに「謝意」を要求
*殺害の事実関係をあいまいにし、追悼碑建立の日を「吉日」とする
*朝鮮人差別をかくし、人権問題に一般化
*行政の責任を回避し、謝罪を拒否
・去年10月28日までの碑文作成の経過
・熊野市が提案する碑文(案)の内容と、追悼碑建立の方向性について
・力関係や民主主義
・わたしたちは、どこにいたのか ―本当の追悼碑を一日もはやく建立するために―
・10月28日ののち
・熊野市民の「市民感情」について ―「吉日」と「異常なまでの警戒心」ということばがなぜでてくるのか―
・これからどうするのか
民衆のちからをさらにあわせ、1日もはやく熊野に追悼碑を建立しよう
熊野の追悼碑は、日本人に殺されたアジア太平洋民衆の碑のひとつ
《資料》
碑文案
熊野市がだしたもの(1992年10月28日)
「イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会」の地元会員の一人がだしたもの(1992年11月3日)
三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会の案(1992年11月3日)
・ほんとうの追悼碑の建立をいそごう!
・追悼碑カンパが、140万円を超えました
・事実をまっすぐ受けとめる勇気をもってほしい
《新聞記事》
『暴行鮮人団を隧道に追込む』 (福岡日日新聞 1926年1月5日)
『残党は山に逃げ鮮人騒ぎ一段落』 (福岡日日新聞 1926年1月6日)
・なぜ私はこの会に参加するのか
・ヨーロッパで考えた追悼碑建立の意味
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会報18号 1993年7月20日
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・熊野市は「敬洪さんに、謝罪せよ!
・謝罪もせず、土地もださず、資金(市民カンパ、補助金200万円)もださず 昨年11月から、熊野市、会議に出席せず
・木本事件年表
・熊野市の姑息さ 「謝罪しなければならないものに、逆に礼を言わせる碑文」を熊野市は、いかに実現しようとしたか!
・木本トンネルの幽霊
・ロスアラモスと熊野市
・追悼碑のデザインをかんがえてください
《新聞記事》
『「原爆の子の像」姉妹碑建立 小学生の熱意に反発』
・車いす族の視点
・侵略・強制連行・公害――紀和町の紀州鉱山と四日市市の石原産業のこと――
・姜富中さんのねがいを、ともに
・イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑建立に、協力をお願いします
・『サイ』第7号(1993年6月)を読んでください
・追悼碑カンパが、約160万円になりました
・会計報告
・多文化社会の共生を求めて―ヨーロッパで考えたこと―
・第4回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会を前にして
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会報19号 1994年4月2日
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・これからの予定
・私たちの会で、追悼碑の建立を!
・会独自の追悼碑建立について地元の理解を得る
・「熊野市の会」に建立費の基金カンパの提供を求め、承認される
・「熊野市に建立する会」は、2月26日の話し合いにもとづき、熊野市にたいして、以下のような要望と話し合いの要求をおこないました。
[要求書] 熊野市長・熊野市教育長宛(イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会)
《新聞記事》
『追悼碑、独自で建立へ 碑文案で熊野市と対立』 (毎日新聞 1994.3.24)
・「慰安婦」犯罪責任者への告訴・告発の不受理に抗議する
・東京にアイヌ料理店「レラ・チセ(風の家)」が出来る!異民族交流の拠点に
・会計報告
・パンフ(六十三年後からの出発)会計報告
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会報20号 1994年7月3日
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・追悼碑建立最終段階へ 除幕式は10月16日(日)に決定!
・4月以降現在までのスケジュール
・これからのスケジュール
・追悼碑除幕式実行委員会にご協力を! 7月17日(日)津市橋北会館(津駅そば)
・起工式行われる
・追悼碑完成予定図(1994.6.29.作図)
・イギユン氏・ペサンド氏へ (三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会)
・会計報告 [碑文 最終案] (三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会)
・尹奉吉・イギユン・ペサンド―神岡の石を熊野に― (キム・チョンミ)
・基金カンパの提供をめぐって 熊野市との話し合い
イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会様 (熊野市「碑建立」事務局)
1994年5月30日付の熊野市「碑建立」事務局の回答について (イギユン氏・ペサンド氏の追悼碑を熊野市に建立する会)
《会員からの便り》
・まさかマルコムXが映画化されるとは思わなかった私がつらつら思ったこと
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会報21号 1995年2月20日
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《表紙》
68年後の追悼
[イラスト] 追悼碑と木本トンネル
・除幕式
・「あわの一粒一粒がぜんぶ・・・・」 除幕式集会でのペチョリョン氏のあいさつ
・碑のまわりに花を 除幕式に寄せられた?敬洪氏のことば
・追悼碑除幕式集会の報告
《新聞記事》
『虐殺された朝鮮人の追悼碑 日本で除幕』 (釜山日報 1994.11.25)
・追悼碑が建って
・追悼碑建立関係の会計報告
・お願い
・会計報告
・追悼碑の維持と第二の追悼碑について
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会報22号 1995年10月15日
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・1995年6月14日未明 ペギョンホン氏が亡くなられました
・ペギョンヒン氏 追悼
・極楽寺の「墓石」を移転する―「墓石」の展示とレプリカ(複製)の製作へ―
・熊野市との話し合い
[熊野市長の回答]
・熊野市による『熊野市史』の訂正
[「熊野市史」の一部削除及び訂正について] (三重県熊野市教育委員会)
[「熊野市史」削除及び訂正の通知先(団体のみ)]
《新聞記事》
『木本事件被害者2人の墓石贈る 大阪の人権博物館に』 (産経新聞 1995.10.2.)
・1995年活動の記録
・熊野・紀和町・新宮への現地調査へのご案内
・第6回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会に参加して
・「木本事件」関係資料
《新聞記事》
『木本事件犠牲者の追悼碑除幕 韓国在住の遺族も参列 歴史的事実解明へ一歩』 (社会新報東海版 1994.12.2.)
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会報23号 1996年2月18日
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・1996年。木本虐殺事件70年。熊野市に対する怒りをあらたに!虐殺の責任は、どこに?
・イギユン氏とペサンド氏の追悼式を行う
・熊野・紀州鉱山現地調査の報告
・『熊野・紀州鉱山・新宮現地調査資料集』を読んでください
・熊野市教育委員会が市立図書館における当会の資料の展示を拒否
[熊野市教育委員会より届いた展示拒否の文書]
[会からの質問書]
[熊野市教育委員会からの回答]
・追悼碑建立1年後、熊野市図書館で 熊野市と熊野市教育委員会は、木本事件の事実を隠すな!
・『熊野市史』の「削除」と「訂正」
《紹介》
『石の証言――宮崎「平和の塔」をさぐる』
・会計報告
・墓石のレプリカ設置
・イギユン氏、ペサンド氏の「墓石」展示について (大阪人権博物館)
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会報24号 1996年10月25日
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・11月16日の追悼集会に参加を!11月17日の現地調査に参加を!
・追悼碑の建立と歴史教育を考える集い
・身近な地域の歴史の学習と教材
《新聞記事》
『「民族差別正す子らに育って」』 (朝日新聞三重版朝刊 1996.5.31)
・「追悼碑の建立と歴史教育を考える集い」への参加よびかけ文より
・この「事件」と碑の建立が、小学生の教材になり得るか
・1996年夏、ペサンド氏とイギユン氏の故郷で
・紀州鉱山に強制連行されていた朝鮮人
・11月17日(日)、紀州鉱山の現地調査に参加してください
・第7回朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働を考える交流集会で
・差別語と歴史観
・『パトローネ 民衆の生活と闘いを写真に残そう!』
・第7回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会(岐阜集会)に参加して
・「追悼碑の建立と歴史教育を考える集い」の感想
・インターネットで6月9日の集会のことを伝えてくださった方へ (事務局)
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会報25号 1997年3月16日
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《表紙》
熊野市は事実を市民に伝えよ!熊野市は行政責任をとれ!
[写真] 旌善の三峰老人会館で
・第3回の追悼集会開かれる
・紀州鉱山の「現地調査」の『資料集』を読んでください
・『文学者の侵略責任と藤岡皇国史観』
・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会の感想
・追悼集会に参加して
・熊野市に『熊野市史』の書き換え、および図書館の資料コーナー設置について再度の要望書を提出
[抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
[熊野市長の回答]
[『熊野市史』における「木本事件」の記述の訂正についての要望] 熊野市長・熊野市教育長宛
[熊野市立図書館における「木本事件」の資料展示コーナーの設置の要望] 熊野市立図書館長・熊野市教育委員会
[全国図書館大会 第9分科会(図書館の自由)]
・紀州鉱山第2回「現地調査」
・麟蹄で
・旌善で
・紀州鉱山の強制連行の実態を調査する会発足される
・朴慶植先生からのメッセージ
《新聞記事》
紀州鉱山の強制労役を明らかにする (東亜日報 1997.3.1)
・紀州鉱山への朝鮮人強制連行状況
・紀州鉱山への連行年表
・『パトローネ』を読んでください
・[図] 紀州鉱山への朝鮮人強制連行
《新聞記事》
『旧紀州鉱山で聞き取りや資料集め強制連行の実態旧鉱山に尋ねる』(朝日新聞三重版朝刊 1996.11.22.)
『戦時中の紀州鉱山 朝鮮人労働者延べ875人』 (中日新聞三重版 1996.12.15)
『紀州鉱山“陰の歴史”に光 歴史研究家ら来月9日、調査会設立』 (中日新聞 1997.1.20)
『旧石原産業紀州鉱山の朝鮮人連行 実態解明へ調査会』 (朝日新聞三重版朝刊 1997.2.5)
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会報26号 1997年10月19日
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《表紙》
熊野市は事実を市民につたえよ!熊野市は虐殺の行政責任をとれ!『熊野市史』を書きかえよ!
[写真] 江原道昌平
・追悼碑の建立と日本民衆の歴史認識の変革について (三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(イギユン・ペサンド)の追悼碑を建立する会)
・熊野市との交渉経過
[熊野市長の回答]
[熊野市教育長の回答]
[再要望書] 熊野・熊野市教育長宛
[再要望書] 熊野市立図書館長・熊野市教育委員会宛
[熊野市教育長の再回答]
[熊野市長・教育長の再回答]
・強制連行させられた朝鮮人の故郷と朝鮮人が強制労働させられた地域を結ぶ民衆のネットワークを!
《新聞記事》
(江原道民日報 1997.8.9)
(ソウル新聞 1997.8.15)
・麟蹄と平昌で
・江原道平昌を訪れて
・私の聞き取り体験―紀州鉱山に連行された人々の聞き取り調査に参加して―
・「全国」という思想について (佐藤正人)
・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会が発足しました
・現在と未来の日本の侵略を阻止するための私見
《新刊紹介》
季刊『パトローネ』31号(1997.10.1刊)
『在日朝鮮人史研究』27号(1997.9.20刊)
『キョレイ通信』5号(1997.8.15刊)
・会計報告
・会からのお願い
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会報27号 1998年3月15日
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《表紙》
朴慶植先生が2月13日未明、交通事故で亡くなられました。
[写真] 追悼碑前で
・4度目の追悼集会が開かれる
・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会を行う
・第3回紀州鉱山「現地調査」
・追悼集会・現地調査の感想
・熊野市との交渉経過
[抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
[熊野市長・熊野市教育長の回答]
[再要望書] 熊野市長・熊野市教育長宛
・朴慶植さんの追悼
笑顔が忘れられない朴慶植さん
追悼集会の夜の朴慶植先生を囲む出会いから
朴慶植先生へ
歴史研究と運動の場で
朴慶植先生と強制連行の調査について
追悼碑を支えてくださった朴先生
追悼
朴慶植さんの不慮の死に寄せて
《新聞記事》
『何を語る朝鮮人遺骨 紀州鉱山の地で市民グループ発見』 (中日新聞三重版 1997.11.21)
『「木本事件」碑補助金6年宙に浮いたまま』 (中日新聞 1997.12.10)
『「木本事件」の悲劇 かみしめ追悼集会 熊野』 (中日新聞紀州版 1997.11.16)
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会報28号 1998年10月18日
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・第5回追悼集会に参加を!三グループ共催による会結成10周年記念集会 紀州鉱山に関する紀和町交渉
・スケジュール
・納得のゆかない熊野市の対応―あいまいな回答と取材の拒否―
[熊野市長・熊野市教育長の回答]
[要請文] 紀和町長・紀和町教育長宛 (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
・海南島の田独鉱山と紀伊半島の紀州鉱山
・『パトローネ』を読んでください
・紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷の地図
・慶尚北道安東郡・軍威郡の聞き取り調査報告
・海南島でのこと
・韓国でのこと
・紀州鉱山
・聞き取りを終えて [写真] 軍威郡召保面の老人会館で
・安東MBC 訪日取材
・第9回 朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会報告)
・第9回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会5分間のスピーチ原稿
・第3分科会「木本事件について、なぜ、どんな、調査・保存が必要か。」
《新聞記事》
『紀州鉱山の歴史“発掘”を』 (中日新聞 1998.)
『紀州鉱山 強制連行の実態報告会』(1998.8.31)
・訃報
・[写真] 追悼碑除幕式後の交流会で、歌をうたう朴慶植先生
《新聞記事》
『韓国の戸籍で「死亡」の記述 戦時中の紀州鉱山で「逃亡」の男性』 (中日新聞牟婁版 1998.9.20)
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会報29号 1999年3月21日
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《表紙》
[写真] 熊野市に抗議要請文を手渡す会のメンバー
・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会、「建立する会」結成10周年集会を行う
・紀和町との話し合いに大きな成果
・第4回紀州鉱山「現地調査」
[抗議要請文] 熊野市市長・熊野市教育長宛
[熊野市長・熊野市教育長の回答]
・「告発の言語」に応える思想があるか
・追悼集会と現地調査に参加して
・「木本事件」についての企画展を大阪人権博物館にて開催します!・会計報告
・会からのお知らせ
・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会からのお知らせ
・ドキュメンタリー上映案内『紀伊半島に隠された真実』
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会報30号 1999年10月20日
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《表紙》
熊野から朝鮮人虐殺を問う
・《木本事件》の企画展がリバティおおさかで開催されました
・「“木本事件”を語り継ぐ」
・“木本事件”を語り継ぐ 1999年7月24日リバティおおさかで
ぼくの思いは生涯のこるだろうか
展示室の「感想ノート」 そして展示担当者の一人としての「感想」 (大阪人権博物館)
・「朝鮮人墓地の慰霊祭実施について」について (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
・紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を日本人が「慰霊」するとは?
(紀州鉱山の真実を明らかにする会)
・第10回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会九州実行委員会の「よびかけ」と「ご案内」に示された根深い日本ナショナリズム克服のために
・「10年目の幕」は正しい選択か 「第10回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会inきゅうしゅう」に参加して (日本の侵略の歴史を知るわかやまの会)
・宮森幹男さんが突然いなくなった
・宮森幹男さんを偲ぶ会
・朴慶植先生追悼論文集『近現代韓日関係と在日同胞』(ソウル大学出版部 1999.8)
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会報31号 2000年3月19日
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《表紙》
[写真] 極楽寺で
・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会を行う
・昨年(1999年)4月、紀和町板屋の共同墓地で紀南国際交流会は、何を「実施」したのか?
・熊野市への申し入れ
熊野市の回答
紀和町教育長への申し入れ
山口善秋さんからの聞き取り
・差別戒名について (足立知典 極楽寺住職)
[抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
[要請文] 紀和町長・紀和町教育委員長宛 (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
[公文書公開請求にたいする回答] (熊野市長)
[公文書公開請求書] 熊野市長宛
《新聞記事等》
『無縁の塔 揺れる朝鮮人の慰霊』 (中日新聞 1999.8.14)
『虐殺の朝鮮人追悼』 (中日新聞 1999.11.22)
『「木本事件」で惨殺の朝鮮人労働者を追悼』 (中日新聞 1999.10.26)
『依然タブー視される「木本事件」の追悼集会』 (週刊金曜日 1999.12.3号)
・会計報告・会からのお知らせ
・日本の侵略の歴史を知るわかやまの会からのお知らせ
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会報32号 2000年10月20日
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イギユン氏とペサンド氏の追悼集会のご案内
・イギユン氏とペサンド氏の墓石
・「追悼碑を建立する会」のホームページを開設しました
・「木本事件」のパンフレットを作成中
パンフレット案 『紀伊半島・海南島の朝鮮人』―木本トンネル・紀州鉱山・朝鮮村―
・小樽市と熊野市における民族差別
《新聞記事》
『労働の跡、今は廃墟 収容所があった村』 (伊勢新聞)
・田辺海兵団のことを知っていますか
・海南島での聞き取り調査
・「石原都知事の三国人差別発言」と「関東大震災朝鮮人虐殺事件」と木本と「北朝鮮への食料支援反対の声」について思うこと)
《新聞記事》
『「外国人不法滞在者が治安乱す」小樽市がHP掲載 市民団体指摘で削除』 (朝日新聞夕刊 2000.7.25)
7月24日の夕刻削除された小樽市のホームページ
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会報33号 2001年3月30日
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《表紙》
[写真] お二人の新しい「墓」の建立式(極楽寺墓地)
・仏陀の法孫として
・2000年11月、7回目の追悼集会を行う
・熊野市で写真パネル展実現する
・「素朴な愛町心の発露」という暴力の根
・75年目に取り戻した自分の名のもとで眠る韓国人―‘木本事件’で虐殺されたイギユン氏・ペサンド氏―
[抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
[熊野市長・熊野市教育長の回答]
《新聞記事》
『熊野で「木本事件」の追悼集会 2霊安らかに』 (伊勢新聞 2000.11.14)
『木本事件 『本名』の墓石にめい福祈る』 (中日新聞 2000.11.19)
『木本事件のパネル展始まる 熊野市民会館で』 (吉野熊野新聞 2000.11.19)
『木本事件の資料40点 大正15年朝鮮人殺害・追悼集会』 (南紀新報 2000.11.19)
『写真で見る木本事件 当時をしのぶ22点展示』(読売新聞 2000.11.18)
・海南島・「朝鮮村」で 2001年1月
・『パトローネ』を読んでください
《新聞記事》
『本名刻んだ墓で安らかに』 (中日新聞 2000.11.16)
・会計報告
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会報34号 2001年10月30日
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・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会のご案内
・木本事件を知って
・大阪産業大学の市民講座で会の運動を報告
・教科書問題が問いかけるもの
・聞き取り調査の報告
・9・11事件と民衆運動
・「報復戦争」を許さない市民抗議行動 市民討論集会と在札幌アメリカ合州国領事館へのデモ
《新聞記事》
『攻撃の中止訴える 道内団体』 (北海道新聞 2001.10.9)
『これ以上民衆の血流すな』 (北海道新聞 2001.10.10)
『米総領事館に市民団体抗議 札幌で空爆反対集会』 (朝日新聞 2001.10.10)
『報復は連鎖を招く 米空母に反対する市民の会 佐藤正人さん』 (北海道新聞 2001.10.21)
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会報35号 2002年3月20日
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・第8回木本事件追悼集会報告
・8回目の追悼集会―同じ場所で同じ想いを―
・極楽寺にて
・木本事件パネル展から
・第2回「木本事件」写真パネル展での感想
・熊野市と紀和町への要請文について
[抗議・要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
[熊野市からの回答]
[「紀州鉱山の真実を明らかにする会」の要請文] 紀和町長・紀和町教育長宛
[紀和町からの回答]
[紀州鉱山の真実を明らかにする会からの「要請および質問」] 紀和町長・紀和町教育長宛
・聞き取りで知る強制連行の歴史
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会報36号 2002年10月21日
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・イギユン氏とペサンド氏の追悼集会のご案内
・熊野市からの奇妙な申し出について
[新屋英子さんの寄付金について] (熊野市長・熊野市教育長)
[新屋英子さんの寄付金について] 熊野市長・熊野市教育長宛
・ブックレットがついに完成しました
・海南島の朝鮮人犠牲者の遺骨発掘調査を韓国大統領に要望する
[金大中大統領への手紙] (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
・歴史教育者協議会の現地見学に参加して
・三重県人権フォーラムのパネル展について
[三重県人権フォーラム実行委員会事務局からの出展を拒否する通知]
[写真パネル出展の却下に対する質問]
・在日朝鮮人に対する暴行事件の発生に防止の要望書を提出
[朝鮮人学校の児童生徒に対する暴行事件発生の防止について(要請)] 三重県知事他宛
・海南島調査に参加して
・海南島調査に参加して
・会計報告
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会報37号 2003年5月3日
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《表紙》
あらたな侵略の時代に抗する民衆運動を共に!
・大阪人権博物館での企画展
[趣旨(案)]
・2002年の追悼集会に参加して
・熊野市との話し合い
・ブックレット会計
・ブックレット(主に木本事件)の感想
・和歌山での反戦市民抗議行動
・ぼくの戦争反対、みんなの戦争反対―イラク攻撃反対デモに参加して思ったこと
《わたしたちの会の海南島の調査活動を報じる現地新聞の記事》
(海南日報 2003.3.28)
(海南日報 2003.3.31)
・拉致事件に対する日本政府の姿勢とマスコミ報道について思うこと
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会報38号 2003年11月1日
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《表紙》
イギユン氏とペサンド氏の10回目の追悼集会です!
・2003年夏、KBS関西・海南島取材 (キム)
・紀南高校の職員研修で「木本事件」の学習会を開催 (三重県紀南高校、人権同和教育推進委員)
・海南島の聞き取り調査に同伴して (大阪にて)
《「朝鮮村」の朝鮮人虐殺と追悼碑について報ずる『海南日報』》
(海南日報 2003.4.4)
《『海南日報』(海南島の地元新聞)が当会の調査活動を取材する》
(海南日報)
《上記新聞の日本語訳》
『日韓学者は海南島における日本軍の侵略犯罪の調査』
・世界人権宣言55周年記念の「第4回みえ人権フォーラム」のブースに「木本の会」から、「木本事件」の写真を出典します。
[出典の趣旨]
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会報39号 2003年12月25日
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《表紙》
[写真] 廃墟となった南渡江鉄橋
・11月22〜23日の追悼集会・写真パネル展に参加して
・無関心・無知・傍観は不正義の共犯者 1926年、木本事件(三重県)朝鮮労働者虐殺事件に寄せて
・無念の想いに涙する! 1926年『木本事件(三重県)』の犠牲者 イギユン氏・ペサンド氏2003年追悼集会に初めて参加して
・熊野市に抗議要請文を送付
[抗議要請文] 熊野市長・熊野市教育長宛
・人権フォーラムみえの写真パネル展
・日本に対する印象
・会計報告
・「朝鮮村」発掘協力基金
・韓国で日本による海南島侵略の企画展を開催
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会報40号 2004年11月1日
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・追悼碑のまえで
[熊野市の回答]
・太平寺夜間中学校の人たち 熊野一泊校外学習に同行して
・ドキュメンタリービデオ京都上映会を行っての感想
・幸運に恵まれたビデオ制作
・「日本が占領した海南島で」を大学生はどう見たか
・ドキュメンタリー・ビデオ『日本が占領した海南島で』販売いたします
・特別展『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』 韓国の独立紀念館で開催中(2004年10月15日〜11月21日)
・「朝鮮村」発掘・鑑定の展望 (紀州鉱山の真実を明らかにする会)
・「南方派遣朝鮮報国隊」の真相究明にかんする要請・大阪人権博物館における企画展の中止について
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会報41号 2005年5月1日
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・会員として思うこと
・真実を伝えたい……
・三重県人権フォーラムに、”木本事件“の写真を出展しました
・ドキュメンタリー・ビデオ『日本が占領した海南島で』を観て
・“こころして墓標を残す”――『日本が占領した海南島で』を見て
・海南島戦時性暴力被害訴訟 林亜金さん、張応勇さんが東京地裁で証言
・韓国(西大門刑務所歴史館と独立紀念館)で特別展開催
・朝鮮と日本のあいだの海の呼称について
・8回目の海南島“現地調査”
・日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会との話し合い
・海南島と“カラフト”における朝鮮人虐殺の真相糾明
・佐世保で 2005年4月
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会報42号 2005年11月10日
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・熊野市への抗議・要請文
・熊野市の回答
・熊野市の回答にたいする、追悼碑を建立する会の批判
・大韓民国民団三重連合会との、本龍寺に残されている朝鮮人遺骨についての話し合い
・浅茅野旧共同墓地での遺骨発掘
・猿払村浅茅野の遺骨はだれか?
・第9回海南島“現地調査”
・2005年9月海南島で
・『伊勢新聞』のドキュメンタリー紹介記事
・四日市市と大阪での上映会
・犬山上映会のこと
・東京三鷹市での対話フォーラム実行委員会主催の上映会
・『週刊金曜日』のビデオ紹介
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会報43号 2006年3月1日
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・『熊野市史』書きかえなど、公開で熊野市に抗議・要請。
・紀州鉱山で死亡した朝鮮人労働者とその家族の本籍地などの調査・開示を要請。
・「2005年の追悼集会に参加して」。
・「2005年冬 韓国で」。
・「大阪人権博物館の総合展示がリニューアル」。
改装した大阪人権博物館の“木本事件”にかんする新展示。
・「第10回海南島“現地調査”と“朝鮮村発掘”の展望」。
・新ドキュメンタリー『朝鮮報国隊』制作開始。
・「2005・9・28裁判傍聴記」。
・「海南島戦時性暴力被害訴訟」口頭弁論と証言集会。
3月8日13時半から、原告の陳亜扁さんが証言します。
18時半から、陳亜扁さんを囲んで証言集会。
・「だから私は正義を訴える 張応勇さんの思い出」。
・丹波マンガン記念館特別展示:「日本は海南島でなにをしたのか」。
・2005年9月第9回海南島「現地調査」関係新聞記事。
・『伊勢新聞』05年12月17日記事「中国・海南島占領の実態暴く」。
・『中日新聞』06年2月15日記事「記録にない朝鮮人殉職 市民団体が調査要請」。
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会報44号 2006年11月10日
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・「木本虐殺(熊野虐殺)80年後」。
・熊野市への公開抗議要請経過報告。
・「“朝鮮村試掘”の経緯」。
・紀州鉱山の真実を明らかにする会 「“朝鮮村試掘”にいたるまで」。 「“朝鮮村試掘”の目的」。
・「初めての海南島訪問で考えたこと」。
・「海南島で 2005年9月」。
・「海南島戦時性暴力被害訴訟判決報告」。
・「集会“戦場における死 その責任をめぐって”」。
・「高麗博物館特別展示“海南島で日本は何をしたか”」。
・「『日本が占領した海南島で』伊賀上映会」。
・「 オタルで特別展“海南島で日本はなにをしたのか”」。
・「“第7次朝鮮報国隊”隊長衣笠一氏のこと」。
・「日本軍と戦った人たち 第10回海南島“現地調査”報告」。
・「日韓学者来瓊尋訪日軍罪証」(『海南日報』2006年3月24日)。
・「海南島 無念の骨探る」(『朝日新聞』西部版2006年4月4日夕刊)。
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会報45号 2007年5月25日
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《表紙》
「足跡」。
・「“木本事件”80年後の追悼集会」。
・「2006年追悼式に参加して」。
・「追悼集会報告(2006年12月2日〜12月3日)」。
・2006年追悼集会参加者一同「熊野市に対する公開抗議要請文」(2007年1月)。
・熊野市長・熊野市教育長「公開抗議要請に対する回答」(2007年2月)。
・2006年追悼集会参加者一同「抗議文」(2007年3月)。
・「大阪の上映会の報告」。
・「三重県名張市の上映会の報告」。
・「“海南島展”終えていま」。
・「海南島から生還できた“朝鮮報国隊”の人たちを尋ねて」。
・「元日本海軍海南警備府海軍巡査の証言」。
・「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会は、“真相調査”を完了したのか」。
・「第12回海南島“現地調査”報告」。
・写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』完成。
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会報46号 2007年7月7日
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《表紙》写真:朱学平さんと子どもたち 月塘村で。
・海南島近現代史研究会創立集会のご案内。
・海南島近現代史研究会会則(案)。
・第13回海南島「現地調査」報告。
・『南国都市報』5月24日記事「13次来瓊調査日軍侵瓊真相」。
・写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』を見て
「“侵略犯罪に時効はない!”とする立場からの歴史証言」。
・写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』を見て
「写真の古老たちに勇気づけられる思いがします」。
・『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』桑名上映会報告。
・月塘村でドキュメンタリー『月塘村惨案』制作。
・日帝強占下強制動員被害真相究明委員会の「‘南方派遣報国隊’真相調査報告書」について。
・万城鎮月塘村全村民の「要求日本国政府賠償請願書」。
・「海南島におけるアヘン栽培」。
・会計報告。編集後記。
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紀州鉱山の真実を明らかにする会:創刊号 年月日
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会報47号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報2号 2007年11月9日
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《表紙》李基允さんと「相度さんの追悼集会の案内。追悼碑写真(カラー)
・熊野市への要望書
・「熊野市の話し合いの拒否に強く抗議する」
・「この運動に初めて参加して」
・「ヨ チャボンさんの証言」
・「写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』を読んで 歴史再考の旅立ちへ誘われる」
・「海南島報告」
・ 海南島近現代史研究会「海南島近現代史研究会が創立されました」
・ 第1ドキュメンタリーの紹介、写真集の紹介、『パトローネ』特別号の紹介
・ 裏表紙:『‘朝鮮報国隊’』・『海南島月塘村虐殺』(カラー)
・同封チラシ1 追悼集会の案内
紀州鉱山追悼集会の案内(「紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼するはじめての集会をおこないます」)
・同封チラシ2 月塘村追悼碑建立第2期基金要請文
海南島近現代史研究会の案内(「海南島近現代史研究会に入会を」)
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会報48号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報3号 2008年2月25日
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《表紙》紀州鉱山で働かされた人の故郷(江原道)、紀州鉱山選鉱場跡
・紀州鉱山の真実を明らかにする会「紀州鉱山の真実」
・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人 」
・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する集会までの道程」
・「埋もれた歴史を明らかに」
・年表・紀州鉱山史(抄)
・「紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷へ」
・「麟諦からの10年」
・「熊野市との話し合い」
・「2007年 イギユン氏・ペサンド氏の追悼式」
・「2007年の追悼集会に参加して」
・「海南島展」と私の“宿題”」
・「横浜の外人墓地で」
裏表紙 板屋の共同墓地内にある「無縁塔」
朝鮮人労働者の墓石と言われている石
慈雲寺本堂に置かれている「紀州鉱業所物故者諸精霊」
『紀州鉱業所物故者霊名』(朝鮮人の名も記されている)
本龍寺に残されていた朝鮮人の遺骨
1943年に石産業が建てた「慰霊塔」
紀州鉱山坑道(湯の口付近)
板屋の朝鮮人労働者宿所跡
筑後の朝鮮人労働者の宿所跡
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会報49号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報4号 2008年8月20日
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《表紙》江原道麟蹄郡麟蹄邑を流れる昭陽江(ソヤンガン)
・「紀州鉱山でのはじめての追悼集会」
・「屋内追悼集会の報告」
・「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会から」
・「追悼集会に参加して」
・「3月9日の追悼集会に参加して」
・【新聞記事】『紀南新聞』(2008年3月14日)
『読売新聞』(三重版)(2008年3月9日)
『日刊熊野新聞』(2008年3月5日)
・「紀州鉱山に強制連行された人たち 故郷で 麟蹄・平昌・安東・軍威」
・「2008年春 紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷で」
・「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷の地図」
・「紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人の追悼碑建立にかんする要望書」
・「熊野市長・熊野市教育長からの回答」
・「『海南島近現代史研究』が創刊されました」
《裏表紙》追悼のことば
紀州鉱山で亡くなった人たち
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会報50号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報5号 2008年11月4日
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《表紙》木本トンネルイラスト、追悼碑、称名寺、笛吹橋
・「会が出発してから20年」
・「碑文」
・「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会 発会式にいたるまで」
・「熊野市との話合いについて(報告)」
・【新聞記事】『伊勢新聞』(2008年9月1日)
『朝日新聞』(三重版)(2008年9月1日)
『読売新聞』(三重版)(2008年9月1日)
『毎日新聞』(三重版)(2008年9月1日)
・「石原産業との話し合い」
・「聖公会平和学習委員会の方々と木本、紀州鉱山に行きました」
・「海南島とベトナム」
・「海南島近現代史研究会第2回総会の報告」
・「月塘村村民の日本政府への要求書を送付する」
・「会の20年、わたしの20年」
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会報51号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報6号 2009年8月25日
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《表紙》紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑のある風景(絵)
・斉藤日出治「15回目の追悼集会」
・パクリョンヒ「李基允氏と「相度氏の追悼集会、そして紀州鉱山の跡を訪ねて」
・2008年秋追悼集会・紀州鉱山「現地調査」新聞記事
『紀南新聞』
『中日新聞』
『毎日新聞』
・佐藤正人「2008年秋、紀州鉱山「現地調査」報告」
・竹本昇「追悼碑を建立する土地のこと 場所、入手経過など」
・竹本昇「熊野市に対する要求と熊野市の回答」
・POW(戦争捕虜)研究会 笹本妙子「入鹿収容所と“史跡外人墓地”」
・POW(戦争捕虜)研究会提供
大阪俘虜収容所第16分所→名古屋俘虜収容所第4分所(入鹿)」の死者名簿
大阪俘虜収容所第17分所→名古屋俘虜収容所第5分所(石原産業四日市工場)の死者名簿
・ア久保雅和「妙法鉱山について」
・日置真理子「2009年3月15日の薬師炭鉱跡での聞き取り調査」
・竹本昇「在日韓国民主統一連合三重本部主催のセミナーでの報告」
・嶋田実「李基允氏・「相度氏の「墓石」について」
・キム チョンミ「李基允氏と「相度氏の「墓石」複製 在日韓人歴史資料館で展示」
・アイヌモシリの道市町村史を考える会 小林ホピー「アイヌモシリの『泊村史』を考える」
・佐藤正人「『熊野市史』をかならず書きかえさせよう!」
・会計報告
・編集後記
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会報52号 紀州鉱山の真実を明らかにする会:会報7号 2009年11月4日
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《表紙》紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の「場」(絵)
・竹本昇「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会第2回集会報告1」
・斉藤日出治「記者会見報告」
・ア久保雅和「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会第2回集会報告2」
・『朝鮮新報』(2009年8月26日)の集会案内記事
・グループ ほうせんか 西崎雅夫「いま、追悼碑はここにあります」
・佐山和子「第2回集会に参加して」
・紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑 碑文(案)、説明文1(案)、説明文2(案)
・第2回集会を伝える新聞記事
『朝日新聞』(9月7日)
『統一日報』(9月16日)
『民団新聞』(9月30日)
・「第2回集会に参加して」(集会参加者のアンケートより)
・斉藤日出治「紀州鉱山の調査と追悼碑の建立作業」
・ひおきまりこ「新宮地域でうかがったこと」
・キムチョンミ「野中の清水のトンネル」
・竹本昇「韓統連三重本部が熊野市と紀州鉱山で「現地調査」」
・韓統連三重本部の熊野市と紀州鉱山での「現地調査」」を報道する『民族時報』(10月1日)の記事
・日置真理子「海南島近現代史研究会第3回総会」
・「英国人墓地」問題にかんする紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会の質問状
(2009年9月11日)
・「英国人墓地」にかんする熊野市の回答(2009年10月16日)
・佐藤正人「熊野市指定文化財「英国人墓地」について」
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