「紀州鉱山の真実を明らかにする会」のあゆみ

 

1994年11月 1926年1月に在郷軍人ら住民に虐殺されたイギユン氏とペサンド氏の追悼碑建立。
1995年11月 第1回、紀州鉱山「現地調査」(追悼碑を建立する会編刊
     『熊野・紀州鉱山・新宮現地調査資料集』(1995年11月)。聞きとりせず。
1996年夏 「石原産業紀州鉱山1946年報告書
(1946年9月に石原産業が厚生省に提出した名簿)」入手。
1996年10月 佐藤正人、麟蹄郡(麟蹄邑、瑞和面、北面、麒麟面、上南面、南面:1邑5面)の、
     麟蹄邑、瑞和面、北面、麒麟面に行って聞きとり。
1996年11月14日 キムチョンミ、許氏から話しを聞く。
1996年11月16日 追悼碑集会。朴慶植先生が「今のような時代だからこそ、このような追悼式を
行うことが大切なのだ」と強調。
1996年11月17日 第2回、紀州鉱山「現地調査」。選鉱場あとや坑口あとに行くほか、板屋で分散
して聞きとり。惣房で、朝鮮人の宿舎のあと、三和小学校の校舎、筑後の朝鮮人飯場
あとなどを案内してもらう。『忌辰録』をみせてもらう。
1996年12月18日〜21日 佐藤正人、キムチョンミ、旌善郡(旌善邑、新東邑、舎北邑、
     古汗邑、東面、北面、臨渓面、南面、北坪面:4邑5面)に。
1997年1月1日 佐藤正人「・支払われなかった退職手当・明らかになった紀州鉱山の嘘」、
『パトローネ』28号。
1997年2月9日 紀州鉱山の真実を明らかにする会、創立集会。
1997年3月1日 韓国『東亜日報』に、紀州鉱山の真実を明らかにする会結成の記事。
1997年4月1日 斎藤日出治「発足紀州鉱山の真実を明らかにする会 
     紀州鉱山の強制連行の実態を調査!」『パトローネ』29号。
1997年5月1日〜5月5日 第1回韓国「現地調査」。江原道麟蹄郡で韓国の会員・友人とともに
聞きとり。
1997年5月18日 許氏から話しを聞く。
1997年6月21日 日本の侵略の歴史を知るわかやまの会創立 (追悼集会夜の話し合い、
翌日の「現地調査」がひとつのきっかけ)。
1997年6月21日 佐藤正人「熊野市の木本トンネルと紀和町の紀州鉱山」、『キョレ通信』5号、
梅軒研究会。
1997年7月下旬 第8回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会 (松江)で報告。
1997年8月3日〜8月16日 第2回韓国「現地調査」(江原道平昌郡・堤川)。
     平昌郡(平昌邑、美灘面、芳林面、大和面、珍富面、蓬坪面、龍坪面、道岩面)。
蓬坪面をのぞくすべての邑・面の事務所と老人会館を訪門。
1997年8月9日『江原道民日報』、8月15日『ソウル新聞』に紀州鉱山の真実を明らかにする会の記事。
1997年9月20日 在日朝鮮人運動史研究会編『在日朝鮮人史研究』27号発行。
1997年10月1日 キムチョンミ「強制連行された朝鮮人の故郷と朝鮮人が強制労働させられた地域を
    結ぶ民衆のきずなを!」(5月の麟蹄・旌善・江陵、8月の平昌・堤川での「調査」の報告)、
『パトローネ』31号。
1997年11月15日 追悼碑を建立する会とともに、イギユン氏とペサンド氏を追悼する集会。
夜、宿所で、朴慶植先生を囲んで交流会。
1997年11月16日 第3回紀州鉱山「現地調査」・聞きとり・地元の人との交流。
1997年11月17日 韓国からの参加者とともに、紀和町に抗議・要請。
1997年11月22日 キムチョンミ、佐藤正人、橋本市に住む朴氏 (紀州鉱山で働いていた)を訪ねる。
1997年 竹内康人「紀州鉱山への朝鮮人強制連行について」、熊野地方史研究会編刊
『熊野誌』第43号。
1998年2月 斎藤日出治「木本トンネルと紀州鉱山 日本の地域史における国家と企業の役割に
        ついて」、 『大阪産業大学論集 社会科学編』108号。
1998年4月1日 紀和町長中浦敏夫、紀和町教育委員会教育長久保幸一に話し合い要請(文書で)。
      一、 紀和町と紀和町教育委員会は、紀州鉱山への朝鮮人強制連行の
         歴史的事実を積極的に急いで調査し、『紀和町史』にその事実を明記すること。
      二、 紀州鉱山への朝鮮人強制連行の事実を示す展示がない鉱山資料館の展示内容を
変更し、解説を書きかえること。
      三、 紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする資料を探索し開示すること。
      四、 紀州鉱山に強制連行され、強制労働させられて亡くなった朝鮮人の追悼碑を建て、
定期的に追悼式をおこない、また追悼碑の維持・管理に責任をもつこと。追悼式に、
遺族および紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の参加を保証すること。
1998年5月18日 紀州鉱山の真実を明らかにする会会議(海南島と安東・軍威への「現地調査」の
日程など。ワークセンター松阪で)
1998年6月 キムチョンミ、佐藤正人、金智媛、海南島田独鉄山、「朝鮮村」、石碌鉄山などで「調査」。
1998年8月8〜9日 第9回朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える交流集会 (金沢)で報告。
     佐藤正人「日本の海南島侵略と強制連行・強制労働」、
第9回交流集会実行委員会編刊『報告集』1999年4月。
1998年8月10日〜15日 韓国KBS『海南島に埋められた朝鮮の魂』(金五重監督)
     制作のための訪日取材を佐藤正人がコーディネイト。
1998年 8月12日 KBS『紀州鉱山への朝鮮人強制連行』放映。
1998年8月18日〜22日 韓国の友人たちと慶尚北道安東郡と軍威郡で「聞きとり」。
        安東MBC、同行取材。
1998年年8月末 キムチョンミ、韓国政府記録保存所で「南方朝鮮報国隊」にかんする資料探索。
1998年8月31日 『海南島に埋められた朝鮮の魂』放映。
1998年8月31日〜9月3日 安東MBC、『紀伊半島に隠された真実』のための訪日取材。
1988年9月2日 いまなお、朝鮮人虐殺を「まことに素朴な愛町心の発露」とする『熊野市史』の記述を
根本的に改めようとしていない熊野市、安東MBCの取材を拒否。
1998年9月4日、熊野市役所で、紀州鉱山に強制連行されたイギリス軍「捕虜」との「交流」を続けている
紀南国際交流会主催の集会 (オーストラリアの日本兵「捕虜」の墓参報告会)。
1998年10月1日 「海南島1998年夏ーー田独万人坑・石碌万人坑・八所万人坑・朝鮮村ーー」、および
     「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷安東・軍威と紀和町で」『パトローネ』35号。
1998年10月15日 韓国安東MBC『紀伊半島に隠された真実』放映。
1998年11月15日 追悼集会。熊野市極楽寺で、『紀伊半島に隠された真実』ビデオ上映。
1998年11月16日 追悼碑を建立する会とともに、紀州鉱山「現地調査」・聞きとり。
     紀和町教育委員会、鉱山資料館での紀州鉱山の真実を明らかにする会の資料展示合意。
1999年3月25日 鉱山資料館展示用として「紀州鉱山関係資料」(13種、11点)を紀和町教育委員会に送る。
1999年4月25日 紀南国際交流会、「朝鮮人墓地の慰霊祭」を「実施」。
1999年7月6日〜8月29日 大阪人権博物館で、企画展「熊野から朝鮮人虐殺を問う」。
1999年8月 キムチョンミ「日本占領下の海南島における強制労働ーー強制連行・強制労働の歴史の
総体的把握のためにーー」、朴慶植先生追悼論文集『近現代韓日関係と在日同胞』、
ソウル大学校出版部。
2000年3月〜4月 キムチョンミ、佐藤正人、斎藤日出治、海南島で「調査」。
2000年3月・6月 キムチョンミ「日本占領下の海南島における強制労働」『戦争責任研究』27・28、
日本の戦争責任資料センター。
2000年5月24日 キムチョンミ「海南島の場合(とくに「朝鮮村」と「朝鮮報国隊」について)」
    (ソウル、第9次国際歴史教科書学術会議第3主題「日本における過去清算問題」における
報告(「日帝期・ 強制連行問題・関して」。
2000年7月1日 「海南島 2000年春 朝鮮村・后石村・大坡村・羊角嶺水晶鉱山 」、『パトローネ』42号。
2000年10月20日 斎藤日出治「海南島での聞き取り調査」、追悼碑を建立する会『会報』32号。
2000年11月19日 追悼碑を建立する会」とともに、紀州鉱山「現地調査」・聞きとり・地元の人との交流。
2001年1月12日〜 「朝鮮村」で「発掘」。
2001年3月 1日 韓国MBC、3・1独立運動記念特別ドキュメンタリー『海南島の大虐殺』放映。
2001年3月30日 キムチョンミ「海南島・朝鮮村で 2001年1月」、追悼碑を建立する会『会報』33号。
2001年4月 1日 「海南島 2001年1月 海南島駐屯日本海軍第16警備隊に虐殺された朝鮮人の遺骨が
発掘された」、『パトローネ』45号。
2001年4月 キムチョンミ、佐藤正人、韓国で、かつて「京城刑務所」で看守をしていた人、「朝鮮報国隊員」
として海南島に強制連行されな がら幸い帰国できた人、日本軍海南警備府16警備隊に
所属していた元朝鮮人兵士などから聞きとり。
2001年4月、および7月 神戸に聞きとりに。
2001年5月27日 オタルで『海南島の大虐殺』ビデオ上映。
2001年8月 キムチョンミ「国民国家日本の他地域・他国における暴力ーー海南島の場合ーー」
(→洪鍾泌氏退職記念論文集)。
2001年10月24日 佐藤正人、第10次国際歴史教科書学術会議(上海)で報告
    (「日本占領下の海南島における朝鮮人虐殺 アジア民衆共同の東アジア近現代史認識をめざして」)。
2001年11月11日 和歌山で『海南島の大虐殺』ビデオ上映。
2002年10月 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、韓国挺身隊研究所と共同で、海南島における日本の
侵略犯罪の「現地調査」をおこなった。
2002年11月 ブックレット『紀伊半島・海南島の朝鮮人−木本ンネル・紀州鉱山・「朝鮮村」』を発行する。
2003年3〜4月 海南島で「現地調査」(第6回)を行なう。
2003年3月 「紀州鉱山の真実を明らかにする会」のウェブサイトを開設する。
2003年7月 ドキュメンタリーフィルム『海南島で日本人はなにをやったか! 日本軍の海南島侵略と
抗日闘争1』制作する。
2003年7〜8月 海南島で「現地調査」(第7回。韓国KBS取材スタッフとともに)
2003年9月 韓国KBS『海南島大虐殺 “祖国はかれらを二度見棄てた”』放映する。
2004年4月 ドキュメンタリーフィルム『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』完成
2004年7月 ドキュメンタリー・フィルム上映会を開催する
     「日本で占領された海南島で」・7月16日:京都大学にて ・7月25日:大阪人権博物館にて
2004年11月27、28日 ドキュメンタリー・フィルム 「日本が占領した海南島で 
―60年まえは昨日のこと―」上映会を三重県熊野市で開催する
2004年10-11月 韓国で展示会『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』開催

2005年1月22,23日 三重県人権フォーラムにおいて、「木本事件」「紀州鉱山」「海南島」の写真パネルを
出展しました。
2005
年9月17日 クレオ大阪西(大阪市内)において、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部」の会員の皆さん
     による学習会で、「日本が占領した海南島で(60年前は昨日のこと)」のビデオ上映会が開催される。
2005年9月17日〜12月14日 丹波マンガン記念館第4回特別展にて「日本は海南島でなにをしたのか」
        パネル展示・報告集会開催。
2006年3月4日 集会「戦場における死−その責任をめぐって−」(【主催】テロリストは誰?九条の会 
        【共催】現代企画室 【賛同】靖国解体企画)にて『日本が占領した海南島で
         ―60年前は昨日のこと―』映画上映とディスカッションを行う。
2006年3月〜4月 海南島で「現地調査」(第10回)を行なう。
2006年4月〜5月 海南島で「現地調査」(第11回)。 5月2日「朝鮮村試掘」を行なうも中断となる。
2006年5月17日-7月16日 高麗博物館における特別展示において
パネル展示海南島で日本は何をしたか
        
― 戦時朝鮮人強制労働・虐殺 日本軍『慰安婦」が開催される。
        同特別展示の企画として、ビデオ上映会にてドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』 と 
        『朝鮮報国隊』 を上映する。
2006
年11月4日 伊賀上野にてドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映会開催。
        主催 『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』上映三重実行委員会。
2006年12月2日〜3日 イ・ギユン氏とペ・サンド氏の追悼集会開催 三重県熊野市追悼碑前広場にて
        
熊野市民会館 1階ラウンジでのパネル展示・ビデオ上映会も実施する。
2006年7月 ドキュメンタリー『“朝鮮報国隊”』、高麗博物館で試写会を行なう。
2006年12月〜2007年1月 海南島で「現地調査」(第12回)を行なう。
2007
年8月5日 大阪産業大学にて「海南島近現代史研究会創立集会」を開催する。
2008年3月9日 紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人のはじめての追悼集会を紀州鉱山選鉱所跡前の広場にて開催