紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人のはじめての追悼集会を開催
2008年3月9日に紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人のはじめての追悼集会を
紀州鉱山選鉱所跡前の広場(板屋旧坑口そば)にて開催しました。
追悼集会の後で紀和コミュニティーセンターにて屋内追悼集会を開催しました。
<追悼集会への呼びかけ文>
紀州鉱山を経営していた石原産業が、1946年9月に三重県内務部に出した「名簿」によれば、紀州鉱山では、アジア太平洋戦争中に1000人を越える朝鮮人が強制連行され強制労働させられていました。この「名簿」や紀州鉱山で亡くなった労働者の名を記した『従業物故者 忌辰録』(1955年10月10日現在調、石原産業)、紀和町の寺に残された遺骨や記録によって、紀州鉱山で、30人余りが亡なくなっていることがわかりました。
『紀和町史』には、紀州鉱山に朝鮮人が強制連行されていたことは、ひとことも書かれていません。また、紀和町にある鉱山資料館にも、朝鮮人についての「展示解説」はありません。
紀州鉱山には、日本が強行したタイメン鉄道工事で生き残ったイギリス軍捕虜300人も強制連行され働かされていました。うち紀州鉱山で亡くなったイギリス人27人の追悼碑が紀和町にあり、「外人墓地」と名づけられ、「紀和町文化財指定」となっています。これは、A級戦犯容疑者として逮捕された石原産業社長であった石原宏一郎の侵略犯罪を軽減するためにつくられたものでした。
また、『紀和町史』には、イギリス軍捕虜については、くわしく触れられています。
紀州鉱山の真実を明らかにする会では、1997年2月の会結成前から、紀和町と韓国での調査を繰り返してきました。
紀州鉱山に強制連行された人びとの故郷を訪ね歩き、存命の方たちにお話しを聞かせていただきながら、紀州鉱山での朝鮮人強制連行と強制労働の事実をおおくのみなさんとともに明らかにしていくとともに、いつか、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼するための何かをしたいと考えてきました。
それから、10年以上が過ぎました。わたしたちの怠慢をお詫びするとともに、みなさんとともに、紀州鉱山で亡くなられた朝鮮人を追悼する集会をおこないたいと思います。ぜひご参加ください。
紀州鉱山の選鉱所跡