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テッキョンとは
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テッキョン..
テッキョンは東洋で最も古い武芸。
テコンドーはテッキョンと別個の武芸。

 

**テッキョン

 テッキョンは一言で、高句麗時代から伝承されてきた我が民族固有の伝統武芸と言える。節度ある直線運動を基本とする武芸とは違い、繊細で軟らかい曲線運動を基本として、我が民族独特の動作である飾り気なく素朴な「もぞもぞ」や「ゆらゆら」、「ぐんぐん」といった動作を基本とする独特の武芸だ。
 「もぞもぞ」、「ぐんぐん」、「ゆらゆら」などの表現は馴染みが薄いが、河回仮面舞や鳳山仮面舞を連想すれば、大体どんな動作だか分かる。 このような動作は後に詳しく説明するが、数千年間伝えられてきた我が国固有の動作であり、このような動作から抜け出した技芸(武芸、踊り...)は我々のものとは言えない。
これは伝統を人に頼った各種のエセ集団と区別される重要な基準であると言っても疑う余地がない。

        
 「高句麗時代から伝承されてきた
                         我が民族固有の伝統武芸」


 国語辞典では、「テキョン」またはテッキョン、二つの単語を同一に使っている。
片足でお互いに相手の足を蹴って倒す競技[脚戯]と表現していて、また、これより古い「朝鮮語大辞典」では、「テッキョン」とは片方の足でお互いに倒す遊戯[脚戯]と表現している。遊戯という言葉の通り、遊びである。テッキョンを武芸と表現する代りに、遊戯と表現することに注目する必要がある。
このような表現は、一種の武芸の起源を古代の祭天儀式から始まった遊戯的行事に置くように、そして我々がよくするシルムを遊びの一種類として見るように 、「テッキョン」もまた普通に一種の遊び文化として見ることができるということだ。

たとえ武風を蔑視した朝鮮時代だといっても、祝祭日にもなると、町の青年たちはもちろん、子供たちまでもが編を作ってテッキョン勝負を繰り広げるほどに、我々の先祖はテッキョンを日常化した。現在、我々がシルムの技を1、2種類は知っているように、過去、先祖たちの大部分はテッキョン技は数手ほど覚えているほど、テッキョンはシルムぐらい大衆的な遊びであった。道場という限定された枠で成り立つ一般武芸という概念よりは、場所を問わず日常で行なわれた遊びとして見るのがテッキョンを見る正しい方法なのだ。

そのような大衆的スポーツであるテッキョンが、日帝治下に入り、様々な弾圧でやっと命脈だけを維持するしかなかったのは、不幸な我々の歴史と言えよう。

テッキョンは前に見たように、主に足を蹴って倒す。
このような姿ゆえにテッキョンは脚戯とも呼ばれたが、これは固有語「テッキョン」に対する両班式漢字表現だと思われる。文献によると、テッキョンを様々な名称で呼んできたということが分かる。

高麗史では手搏(スバク)、
貞操年間(1777-1800年)に刊行された「才物譜」では「タッキョン」、
丹斎 新采浩(1880〜1936) の朝鮮上古史では高句麗の祭天行事を説明する一節でトッキョンとなっていて、
梅下 崔永年の<海東竹枝:我が国の風俗について記録した本>では托肩戯と記録されていて、安廓の<朝鮮武士英雄伝>の記録では
 「近来でも青年たちがシルムより小異な手搏戯を行なうことがあったようだが、いわゆるテッキョンというものがその種類だ。」と説明されている。
このように見ると、多少の差はあるがテッキョン,テキョン,タッキョン,托肩戯,脚戯,そして手搏戯というものは、今のテッキョンを称していることが分かる。
今日では、いわゆるこれら全ての用語を一つに統一して、テッキョンと呼んでいる。
 
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**テッキョンは東洋で最も古い武芸

丹斎 新采浩の朝鮮上古史に出てくる高句麗に関する場面を見ると、次のような文がある。

 「... 太祖時代になり、毎年3月と10月の臣蘇塗大祭で、あらゆる群衆を集めて、或る者は剣で踊り、弓で射ち、或る者は片足跳びも行ない、或る者はトッキョンも行なって... 松都の手搏が先輩(ソンベ)競技の一部分であるから、手搏が中国に入って拳法になり、倭に渡って柔道になり、朝鮮では武風を蔑視して以来、その足跡がほとんど全滅する...」

東洋武芸の根源を高句麗武芸から始まったと書いている。
多くの古書の記録を見ても、高句麗人の気性は強靭で戦いに長けていた。
当然、武風を尊ぶことは基本であり、
戦史と変わりないこの民族の歴史によって、具体的な資料は王朝の滅亡と共に消えてしまったが、多様な武芸の発展が成されたのは当然だと思われる。

中国武術の根本である「拳法」は「少林武術」に基礎を置いている。少林寺拳法を基本に多様な門派が生成され、現在のクンフーという中国拳法の脈を持つようになった。中国人たちは少林拳法を全世界の武芸の元祖として既定事実化している。


          
 「中国拳法の元祖である少林拳法より何と600年以上も...」

ところで、面白いことに少林寺拳法の出現を見ると、中国「宋」代に至ってのことだというのだ。
それ以前まで(隋,唐)、武芸に関する記録が見あたらないが、少林武術を初めとした中国武術についての記録が現れ始めるのが、中世時代と言える宋の時代からだ。中国武術の歴史はあまり長くないということが分かる。これは高句麗全盛期と、何と600年以上という時間差がつく。古代中国の歴史の記録に武術についての内容がないというのは信じ難いが、とにかくこれを通じて、隋,唐のような古代中国王朝は、基本的な記述はあっただろうが、武芸についての体系が全く把握されていなかったことは推し量ることができよう。確かに高句麗にもやはり確実な考証資料はないが、古墳壁画に現れたシルム,手搏を行なう姿が高句麗人の生活像ならば、当時の高句麗の武芸水準は隋,唐とはさぞ違っただろう。
宋と同時代である高麗だけ見ても、「手搏」という武芸についての記録がたくさん見られるが(もちろん、高麗史は後代王朝である朝鮮で記録した歴史書物であるが、)これは高句麗から伝えられてきた手の技を多く使用する武芸を称していると思われる。
そして、高麗から宋に武芸が伝播されたという記録が往々に見られるように、中国拳法の起源は信じ難くても、はるか昔の高句麗の武芸だといっても間違った話ではないようだ。

日本の武道もやはりその起源を中国に多く求めるが、これは一部に過ぎず、根本は高句麗の武風に起因すると思われる。サムライ、すなわち武士という語源も高句麗のサウラビという言葉に求められることがそれだ。
根拠ある資料はないが、過去に古代三国の文化が倭に多くの影響を及ぼしたように、高句麗を初めとした百済,新羅の武芸もやはり日本に流入したであろうことは公然な事実だ。


  高句麗の手搏が中国に入って拳法になり、
   倭に渡って柔道になり、
  朝鮮では武風を蔑視して以来、その足跡がほとんど全滅する..


高句麗の武芸は中国と日本はもちろん、当然百済と新羅にまでつながって伝えられてきた。
百済の王と貴族層は、高句麗人として、高句麗の風俗をそのまま世襲したように、武芸もまたそうだと思われる。新羅は高句麗の先輩制度を摸倣して花郎(ファラン)を作ったという記録があるが、花郎の修練種目が高句麗のそれと同じだから、やはり高句麗の武芸は新羅に流入したことが分かる。後に高麗になると手技が発達していたと思われる手搏が、朝鮮になると手搏と足技のトッキョンの技芸が交わって近代のテッキョンにつながって来たように、高句麗の武芸は現在の「テッキョン」の中に命脈が維持されていることが分かる。

朝鮮上古史では手技の手搏と足技のトッキョン(テッキョン)は別の技芸として表現しているので、明確にこの二つは別の次元として理解をするべきだが、現在、手搏の技は現存するものがなく、それでも我々が幼くしてやった手の平遊び(「セッセッセ」のような遊びではなく、二人が手の平をぶつけながら重心を失うようにして倒す遊び)などであらまし窺い知ることはできるが、それを手搏(手の平打ち=スビョクチギ)と言うにはあまりに不充分だ。代わりに、現代のテッキョンの中に入っている手技を通じて手搏を推し量るだけであり、そしてこの二つの技(手技 & 足技)が合わさったものが今日の「テッキョン」だと言えよう。

ただし、そういう武芸の技法が、朝鮮朝の崇文賎武思想で形跡が消え、ただ志ある先人たちにより秘密裏に伝授されて来るか、あるいは遊戯としてであっても脈をつないで来るようになったということが惜しいばかりだ。..

とにかく、全ての武芸の始まりは高句麗の武芸から始まり、不充分であってもテッキョンは高句麗の武芸をつないできた名実共に我が国伝統武芸であり、全ての武芸の母胎でもあった東洋最高の武芸だ。

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** テコンドーはテッキョンと別個の武芸。

上で話したようにテッキョンは朝鮮民族固有の独特の体の動き(もぞもぞ,ぐんぐん,ゆらゆら..)を持っている武芸であり、
現存するその他の別の武芸とは根本的に運動方式で多くの差を見せている。他の武芸とどのように違うのかを調べることは、ひょっとしたらテッキョンを理解するのに最も早い道かもしれない。

しばしば「テッキョン」と言うとテコンドーの昔の形態程度に考えている方が多いが、
実際のところ、テッキョンとテコンドーは全く関連がない別個の武芸だ。
テコンドーは日本の空手道(カラテ,唐手)を母体として発展させ、1950-60年代に新しく再構成された新興武芸であり、不足した歴史性、すなわち、伝統性をテッキョンを通じて引き入れただけであり、同一でない。
だからと言って、テコンドーを平価切下げ扱いすることはできない。テコンドーは、テッキョンと同じく足蹴りが主をなす武芸という点のためだ。足蹴は朝鮮人に馴染みのあるよく発達した身体的行為だ。


                    
テッキョンは軟らかい曲線運動を... テコンドーは強い直線運動を...

これは、いつでも外国の人々と比較してみればすぐ分かる。我が国の幼い子供たちは教えてやらなくても跳び蹴りのような高難度なテクニックを容易に成し遂げるが、他の民族には見られない特性だと思う。
これは足蹴りが長い歳月の間に体に刻まれた我が民族だけの固有性と言うことができ、テコンドーもまたこのような民族固有の特性が溶け込んでいると思われるのだ。
このような縁由で、テコンドーが他のどの武芸よりも急速に根を下ろし、今日に至ることが出来たのだろう。
故にテコンドーは国技であり、後世にやはりきちんと伝授されなければならない我々の武芸であることには疑う余地がない。
ただ、テッキョンとは違うだけだ。

テッキョンは数千年の歴史の伝統武芸であり、軟らかい曲線を基本として弾力あるように足技・手技をするのに比べて、
テコンドーは直線的な運動を基本として強い破壊力を重要視する。

根本が違う。
 
 

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