進化論と創造論会議室過去ログ
1401→1450
2005年5月3日(火)〜2005年6月15日(水)
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 6月15日(水)22時24分36秒 #1450
管理者クハ 様
>まず「国の宗教活動の禁止を謳っている憲法は日本民族の作った物ではない」と、<
(日本民族って何ですか?日本は厳密には単一民族国家ではありません。)について
日本人です(日本国籍を有する人、日本国に税金を納めている人)訂正します。「日本人の総意により成りたった政府が、日本人の幸福、生存、その他の為に作った憲法ではない」との意味です。
>公務で死亡した自分の親族のお墓を国が祀らないのは変だと思いませんか。<
(墓じゃなくて神社なんですけど。)について
私はお墓だと思っています。特攻で肉体がばらばらになり遺骨がないから、遺族が戦死者の魂にお参りできるように国がお墓を作ったと思っています。お墓とか神社とかそのような名称にこだわらなくても、遺族が戦死者の霊魂に祈りを捧げられれば良いと思います。
特攻のことは、日本人なら涙なくしては思えない。このような日本人の魂の根幹に関わることに、いかにも局外者のような言葉尻をとらえて、クリスチャンとは他人の痛みがわからない人たちですか・・・墓か神社かはご理解にまかせかすが、肝心の質問についてはどうお考えですか(公務で死亡した自分の親族のお墓(神社)を国が奉らないのは変だと思いませんか)、数百年前のキリスト教圏の国に生きていて、自分の親が十字軍の戦いで名誉の戦死をしたと仮定して考えてみてください。
>力ずくで主張を曲げられたからといって敵国から押しつけられた憲法をありがたがる必要もないし、困ることは無視してもいいのではないですか。<
(わざわざ押しつけれらなければ信教の自由が疎かにされ兼ねなかったわけですし、困ることを無視されたら余計に困ります。)について
日本人は信仰の自由のために諸々のことについて活動しているわけではありません。それぞれの規模の集団において、その組織の最大公約数的な利益のために知恵をしぼっているのです。日本に居住している以上クリスチャンの方々にもそのように理解していただきたいと思います。
信教の自由も、過去に自由が拡大解釈されて為政者の意向に逆らい、国の政治の阻害となった教訓から、どこまでも自由だと言うことにはなっていないと思います。第一、敵と戦争しているときに信教の自由とか言ってると、敵を殺せないことにも成りかねません。国論を統一して臨まなければ、戦争には勝てないでしょう。戦争が終わった後でもそれは大事だと思います。人を殺さなければ生きられなかったほんの数百年前の戦国時代からずっと戦争を続けてきた日本人ですが、国民全体の生存が大事です。信教の自由とかは国が豊かになり安定してくれば自然にそうなることで、戦争当時の日本人全体は生き残るために必死だったのです。そんなときに信仰の自由がおろそかにされるとかされないとか、くりかえしますが信仰の自由の為に戦争していたわけではないし、為政者は感心はなかったと思います。
(島原の戦いはクリスチャンにとって大きな受難でしたが、力が正義の時代に自己の主張を貫くのですからそれなりの覚悟(死をも厭わない)が有ったことでしょう)
>変な憲法があっても軍隊(自衛隊)はあったし、それを考えれば靖国神社だって同じようなことだと思いますがいかがですか。>
(軍隊(自衛隊)と靖国神社は別でしょう。僕は国防にイデオロギーは不要と言う立場ですが、靖国神社は100%イデオロギーです。)について
国防は死を前提とした任務(特攻、イラクのニューヨークのビル破壊等)もあります。それを行う若者へ、なんと言って説明しますか。イスラム教でもキリスト教でも死の可能性がある任務につく兵士にたいして、その心(霊魂を)安んじるよう物語はあるのです。すなわち、死後はどうなるかと。そのように考えれば国防と靖国神社の関係はご理解いただけると思います。たしかにイデオロギーが不要な国防方法もあるでしょう。傭兵です。
しかし日本は太平洋戦争当時から今まで傭兵制度は採用してとっていません。
>それほどおおくの日本人が迷惑を受けているとも思えません。>
(少数派は無視していいんですか?極論を言えばファシズムですよ。)について
無視ではなく、多数派は少数派の意見が全体に及ぼす利益について認識するし、少数派も多数派の意見の集団全体への利益を考える。その結果、決定権者が皆の幸福を念じて決定する。自分の家庭のことをかんがえれば、自然にそのようにしていると思います。少数派の意見に利がないと知恵者が認識した結果そのようになっているはずです。
以上です。ご意見をお聞かせください。
追伸
(キリスト教の神はまさにそう言う存在です。人間がどの神を信じようと信じまいと万人に無償の愛が降り注がれるのです。)このように基本に愛があって諸々のことを説明できたらすばらしいですね。わたしには遠いですが。
横レス(靖国への私感) 投稿者:えめ 投稿日: 6月15日(水)18時21分54秒 #1449
横からすみませんちょいと(長めの)一言を
靖国神社って
明治の内戦=戊辰戦争で敗残した方々の追悼はされていないんじゃなかったっけ?
結局戦勝者側の死者追悼という儀式を精神的な部分も含め、皇国の支配体制強化に利用したと言うか
江戸→明治と言う支配体制がひっくり返った時代に政治的な目的で建立されたように思えてならないんですけど
例えば人が死んだ場合、日本ではまず死者の霊魂が怨霊化する事を恐れ、様々な祭儀が行われると思うんですが、
(死者が「家を守る」祖霊になるのは時間が経過してから)死んで即国を守る(言い方を変えれば死後も国に奉仕する)存在になるなんて…何か都合が良くありませんか? 人が国に対して恨む事すら許さないというか。
神道って、自分は素朴な形のものでしか知らないんですけど、ここまで人工的(エゴイスティック)なものなんでしょうか。
自分は、明治維新時には冷徹で頭の良い人がいた、と思います。靖国は「明治」のシンボルではないでしょうか
靖国で思う事は宗教の思い上がり
記憶なんですけど昔クリスチャンの自衛官の方が殉死なされた時に、家族の意向に関わらず国が御霊を靖国に奉ろうとした(奉った)事件がありませんでしたか?確か訴訟になった。
学生だった覚えがありますが、その時うけた異様な印象は消えません。かつての日本、「大日本帝国」の後姿が見えた気がしました。
つい先日も太平洋戦争で日本に協力して亡くなり、靖国に奉られた先祖の霊を引き取ろうとした東南アジアの方々に「御霊を分ける事は出来ない」とか拒否してるし。何故でしょう。何故靖国神社は死後の霊をも支配できると考えるのでしょう。
クリスチャンではないのですが、自分は公共の追悼施設を建設するべきだ、と考えます。
靖国神社は特定の宗教であり、現在の日本を代表する施設にはなれません。
※あくまでも靖国神社の思想背景に対する疑問です。奉られている英霊の方々に対する侮辱ではありませんよ。
戦時には精神的支柱として存在した事は確かだし、今でも肉親や知人が”靖国にいる”と考えている方々がいらっしゃいますが、その想いに口を挟むつもりもありません。
ポツダム宣言 投稿者:キンシャチ 投稿日: 6月15日(水)17時33分24秒 #1448
うまくリンクしませんね。ポツダム宣言でググッてみてください。敗戦の時,日本はこれを受け入れたんですよ。
護憲論者のささやき 投稿者:キンシャチ 投稿日: 6月15日(水)17時28分0秒 #1447
W.MOさん。以下はポツダム宣言の全文です。これを受け入れている以上,「敵国」というものは存在しないと考えますが,いかがですか。
http://list.room.ne.jp/〜lawtext/1945Potsdam.html
>現在の憲法は敵国に有利なようにつくられたもので、日本人が作った物ではありません。むりやり敵に押しつけられたものです。このような憲法をたてにして、日本人戦没者の慰霊に国が関与することに反対するのは利敵行為であり、とても日本人の行為とは思えません
さて、憲法改正論者には,W.MOさんの発言と同じ論旨がよく目につきます。しかしどうでしょう。大切なのは,誰がつくったか,ではなく内容だと考えます。いまの憲法はそんなにひどいものでしょうか。出来れば,どこがおかしいか、どう改正したいのか(W.MOさんの主観で構いません)を具体的に指摘していただけますか。
w.moさんへ 投稿者:とんからりん 投稿日: 6月15日(水)08時28分48秒 #1446
>国難に殉じた人々を公務災害の死亡者として国が管理する墓地(神社)等に祀ることが国の責務であると思います。ですから民間の管理ではなく国が管理するように憲法が改正されたら良いと思います。
私もクハ72さんも戦没者慰霊について異論は唱えていませんよ。靖国神社である必然性はないということです。
神社でなく無宗教の追悼施設なら憲法の改正も必要なく、民間の財産を取り上げることもなく、信教の自由も保障されます(信教の自由は帝国憲法でも認められていた)。
何か不都合があるのですか?
>靖国神社には歴史があるのですから、それを国会内に慰霊塔を設ければよいと言うようなものではないと思います。
歴史があるからどうだというのですか?歴史を一から作るということも必要でしょう。
>国として霊を弔う等はしないと言うのですか、まさに利敵行為的発想ですね。
追悼施設を作ろうと提案しているのに「霊を弔わない」とどうやったら理解できるのか不明です。
国内に宗教的対立を演出することこそ利敵行為だと思いますよ。
靖国神社でなければ、どの宗教に属する人もあるいは無宗教の人も容易に戦没者追悼を行え、戦没者に哀悼と尊敬の気持ちを表すことができるでしょう。
彼らの労苦に報いるためにももっと優れた方法を検討すべです。
>しかし非科学的なことで成果をだせるのは芸術の世界でしょう。
タイムリーな話題としては映画「いま、会いにゆきます」は非科学的な内容ですが、家族愛を考えさせるということで人々の考えに影響を及ぼしています。そうした映画や文学などは多くあげることができます。イソップの寓話も非科学的な内容ですが、長年全世界にわたって人々に教訓を与えています。
そうした芸術は非科学的な内容でありながら、そこから普遍的な価値観や教訓を読み取ることは人間の生物学的特色として科学的に説明可能です。
聖書の話からフィクションの部分を拝して学ぶべきところは学ぶというのは同様の作業です。
>原因がはっきりしていてその経過と結果は科学的です。
この論理をあてはめれば、Aが聖書に感銘を受けた→Aは聖書の言葉を伝えた→集団Bはそこに有用な価値観を見出す→集団Bは運動によってその価値を実現する。という過程は科学的です。
>被差別階級の有能者達が努力を継続した結果としての男女平等と人種差別撤廃と考えます。
ということは、男女平等も人種差別撤廃も差別階級がその理を認めているのではなく、闘争に敗れた結果受け入れているということですか?
ところで「国が霊を弔う」のは霊の存在が証明されていない以上、非科学的と言わざるを得ませんが、w.moさんの中ではその矛盾をどう解消しているのですか?
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 6月14日(火)22時09分12秒 #1445
とんからりん様
<靖国参拝はまさにW.MOさんの指摘するように「自分の宗教として信じるのはいいと思います。しかし他人に影響を及ぼそうとするのは困ります。」が当てはまるでしょう。
靖国という民間宗教団体の施設に祀られなければならないというのが、多種多様な宗教を信じている人へ影響を及ぼそうとしている行為ではありませんか?
戦没者追悼なら新たに戦没者慰霊塔をそれこそ国会の敷地内に設けるなどすれば話は簡単です。まさか戦没者の霊が靖国神社に眠っているなんて非科学的なことを信じているわけではないでしょう(宗教的にも疑問があるところでしょうが)。>について
靖国神社については以前に意見を述べましたように、国難に殉じた人々を公務災害の死亡者として国が管理する墓地(神社)等に祀ることが国の責務であると思います。ですから民間の管理ではなく国が管理するように憲法が改正されたら良いと思います。(現在の憲法は敵国に有利なようにつくられたもので、日本人が作った物ではありません。むりやり敵に押しつけられたものです。このような憲法をたてにして、日本人戦没者の慰霊に国が関与することに反対するのは利敵行為であり、とても日本人の行為とは思えません)多種多様な信教を信じている人々(そのような人々は国に害を及ぼさない範囲で自由に信じたら良いと思います)へ影響を及ぼすのではなく、国の責任の遂行(憲法改正が必要)です。それと靖国神社に戦没者(公務災害死亡者)の霊が眠っていなくても、国としてそのような慰霊所を遺族に提供することは必要です。靖国神社には歴史があるのですから、それを国会内に慰霊塔を設ければよいと言うようなものではないと思います。
国策として戦争(内戦も含む)をしている国々のことを考えてみてください。チェチェン紛争でロシア政府は何万と言う若者の命を失い、チェチェン側も死亡者は更に多く、国土は荒れ、未亡人となった婦人は爆弾を抱いてロシア人を殺害する。そのような状況で双方の為政者は遺族になんと言うのですか。信教の自由に影響を及ぼすから、国として霊を弔う等はしないと言うのですか、まさに利敵行為的発想ですね。
それと同じことが60年前に日本でもあったのですよ。(戦争の主たる原因は自国民を生活させるための経済的利益の奪い合いですが)このような考えについてどう思いますか。
<W.MOさんはフィクションに感動したり、自分の考えに影響を及ぼされたことがないようですが、一般にはそういう人は珍しいのです。
たとえ非科学的な内容であってもそれに感銘を受け、普遍的な価値観を見出し、その価値の実現にために努力し、多くの人の支持を受け偉業へと導く。…そのような過程は歴史上に少なくないでしょう。>について
珍しい、本当ですか、癒しとして音楽鑑賞、動物の世話等非科学的なことでストレス解消はします。しかし非科学的なことで成果をだせるのは芸術の世界でしょう。人の集団に関することを考える時は何でも理詰めです。そのようにしないとその集団の利益は得られないはずです。国会答弁でもそのようですし、古来、英知の結晶と思われる理論(孫子の兵法、戦争論、各種戦史の分析、日露戦争の勝因、日本が敗戦に至った原因等)が示すとおりです。
<男女平等も人種差別撤廃も科学的な必然として導かれるものではなく、非科学的な動機によって実現されましたが、私は喜んで受け入れています。W.MOさんはいかがですか?>について
何世代もかけて、被差別階級の有能者達が努力を継続した結果としての男女平等と人種差別撤廃と考えます。原因がはっきりしていてその経過と結果は科学的です。非科学的な動機によって達成された歴史的な偉業(日常のことも)を私はあまり知りません。非科学的と思われる芸術的な才能についても、私は何代にもわたった修業の結果が現世に現れたとのかんがえですから原因と結果、科学的です。全てのことには原因と結果があると考えます。(人のはかり知らないところにも)現在原因が見えていていることについて結果は必然的に訪れるとはいえませんが、起こったことには必ず結果となるような原因があると思います。 このくらいにします。ご意見をお聞かせください。
訂正 投稿者:とんからりん 投稿日: 6月14日(火)08時09分58秒 #1444
X)フィクションに感動したり
○) 非科学的な内容をモチーフにした
に訂正します。
それだけではなんなので、
「キリスト教は信じないけど、いいこと言うなぁ」って感心することは非クリスチャンの私にもありますけど、そんなに珍しいですか?
(無題) 投稿者:とんからりん 投稿日: 6月14日(火)08時00分46秒 #1443
靖国参拝はまさにW.MOさんの指摘するように「自分の宗教として信じるのはいいと思います。しかし他人に影響を及ぼそうとするのは困ります。」が当てはまるでしょう。
靖国という民間宗教団体の施設に祀られなければならないというのが、多種多様な宗教を信じている人へ影響を及ぼそうとしている行為ではありませんか?
戦没者追悼なら新たに戦没者慰霊塔をそれこそ国会の敷地内に設けるなどすれば話は簡単です。まさか戦没者の霊が靖国神社に眠っているなんて非科学的なことを信じているわけではないでしょう(宗教的にも疑問があるところでしょうが)。
>偉大な指導者はその超人的な聡明さゆえに人々を導く(人が信奉する)のであって、非科学的な教えをもとに指導はしていないと思います。釈迦でも空海でも個人の能力によって人々を感化したと思います。
W.MOさんはフィクションに感動したり、自分の考えに影響を及ぼされたことがないようですが、一般にはそういう人は珍しいのです。
たとえ非科学的な内容であってもそれに感銘を受け、普遍的な価値観を見出し、その価値の実現にために努力し、多くの人の支持を受け偉業へと導く。…そのような過程は歴史上に少なくないでしょう。
男女平等も人種差別撤廃も科学的な必然として導かれるものではなく、非科学的な動機によって実現されましたが、私は喜んで受け入れています。W.MOさんはいかがですか?
(無題) 投稿者:W.MO 投稿日: 6月12日(日)22時40分21秒 #1442
管理者クハ 様
<聖書の記述は非科学的である。しかしだからと言って聖書やキリスト教に価値がないと言っている訳ではない。過去においては十字軍や植民地支配といった過ちもあったがリンカーンやキング牧師のようなことは聖書がなければなかったに違いない。>について
十字軍と植民地支配を過ちと言っておられますが、当時の権力者及びそのブレーンが国の利益の為に行ったことだと思います。現在でも国の利益(国民の生活を維持する)のために武器を売る等の行為(日本以外のほとんどの先進国は行っている)はなされています。良いこととは言えませんが、その国の為政者及び商人等とすれば必要なことでしょう(必要悪)。これらのことは昔から繰り返されてきたことであって、その理由も明白(利益を得る)です。現在でもあらゆる社会で生存競争は行われていて、敗者は滅びる場合もあります。諸々の悪に近い行為、その他に手を染めなくても生きてゆけるのは世界の中の裕福な一部の勢力でしょう。現在でもそうなのですから、過去においてはなにをかいわんやです。裕福になったから、皆が食べていけるようになったから平和な意見が言えるようになったと思います。ですから、過去の過ちをどう評価するとかはそれぞれの国の現状において様々であり、「弱肉強食の時代を良く生き抜いてくださいました」とご先祖様にたいして感謝はしますが、過ちだ、過ちだとはとても言えません(日本の場合)。それらの人々の困難があったから現在の裕福な我々の生活があると思います。過ちの多い国を脱出するのなら別ですが、そうしても、世界の国々は過去から現在まで過ちだらけでしょう。
それと、<リンカーンやキング牧師のようなことは聖書がなければなかったに違いない>については、管理者様も<聖書の記述は非科学的である>と言っておられますが、偉大な指導者はその超人的な聡明さゆえに人々を導く(人が信奉する)のであって、非科学的な教えをもとに指導はしていないと思います。釈迦でも空海でも個人の能力によって人々を感化したと思います。第一、非科学的な教えのおかげである集団の中から偉大な人物が出て、皆がその人に従うとは、少し前の共産主義の国々のようです。その誤りは証明されましたが、聖書においてもそのような証明の事例はないのですか。以前に、「米国でも聖書に書いてあることをまともに受け取らない人々が増えてきている」との記事を目にしたことがあります。非科学的であるならば、普通の人は信じないと思うのですが、いかがですか。自分の宗教として信じるのはいいと思います。しかし他人に影響を及ぼそうとするのは困ります。自分の家にも時々そのような人々がきます。目に見えないことでも推論してこのような理屈であればつじつまが合う、それを証明できたらそれは科学と成っていくでしょう。証明できないことでも推論が成り立てば、信じるに値すると私は思います。仏教についてはそう思っています。以前に家にきた○○の塔の人たちは輪廻転生はしないといいました。クリスチャンの教えではどうなのですか。仏教とキリスト教の違いについて知りたいと以前から思っています。よろしければ教えてください。
とりとめのないことになりましたが、ご意見をお聞かせください。
w.moさんへまとめてレス 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 6月12日(日)05時37分46秒 #1441
昨日はファイターズがボロ負けして不貞寝したから朝早く起きてしまった。
>ご理解いただけたでしょうか。
まあ大体。
>聖書では戦争についてはどのように教えているのですか。
解釈にも拠るでしょうね。エリコでの大量殺戮の例もあり好戦的な印象を受けますが、イエスが「剣を取る者は剣によって滅ぶ」と言っているように平和的な主張もあります。クリスチャン次第でしょう。
>その土地に生活している以上、最低限の義務(納税)を果たしていれば(犯罪はしない)、
それは同感です。
>キリスト教ではこのようなことを強要しているのですか。
それは教会にも拠ります。現実には大半の人が仏壇に手を合わせているでしょう(ここは訂正します)。僕のところでは信者の判断に任せています。
>「誰の魂も向上して欲しい」との教えだと思うのですが(中略)キリスト教ではどうなのですか。
キリスト教の神はまさにそう言う存在です。人間がどの神を信じようと信じまいと万人に無償の愛が降り注がれるのです。
>まず「国の宗教活動の禁止を謳っている憲法は日本民族の作った物ではない」と、
日本民族って何ですか?日本は厳密には単一民族国家ではありません。
>公務で死亡した自分の親族のお墓を国が奉らないのは変だと思いませんか。
墓じゃなくて神社なんですけど。
>力ずくで主張を曲げられたからといって敵国から押しつけられた憲法をありがたがる必要もないし、困ることは無視してもいいのではないですか。
わざわざ押しつけれらなければ信教の自由が疎かにされ兼ねなかったわけですし、困ることを無視されたら余計に困ります。
>変な憲法があっても軍隊(自衛隊)はあったし、それを考えれば靖国神社だって同じようなことだと思いますがいかがですか。
軍隊(自衛隊)と靖国神社は別でしょう。僕は国防にイデオロギーは不要と言う立場ですが、靖国神社は100%イデオロギーです。
>それほどおおくの日本人が迷惑を受けているとも思えません。
少数派は無視していいんですか?極論を言えばファシズムですよ。
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 6月11日(土)23時30分30秒 #1440
管理者クハ 様
<第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】
(1) 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
(2) 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
(3) 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
日本国憲法
キリスト教団体の多くが首相の靖国神社公式参拝に反対する最大の理由がそれです。
戦没者を追悼するなと言っているわけではありません。靖国という宗教施設に国家が関わるのは政教分離の原則に反すると言っているのです。何も靖国ではなくても追悼はできます。だからこそ無宗教の国立墓苑を作れという声が上がっているのです。>について
まず「国の宗教活動の禁止を謳っている憲法は日本民族の作った物ではない」と、ここから始めなければ、日本の国難を救うために散った人々を奉ってある靖国神社のことは語れないと思います。
国の難事を救うために死んだ人々を国として奉ることに意義を唱えるのは奇妙なと言うか、戦争中であれば敵国の人であれば当たり前でしょうね。
公務で死亡した自分の親族のお墓を国が奉らないのは変だと思いませんか。近い将来改正されるであろう新憲法ではこのような情けない議論がおこらないような配慮も必要でしょう。いずれにせよ、敗戦によりねじまげられた諸々のことは改善されるべきです。多くの心ある人々は憂慮していることでしょう。力ずくで主張を曲げられたからといって敵国から押しつけられた憲法をありがたがる必要もないし、困ることは無視してもいいのではないですか。真に日本のことを心配する人たちがいたから、変な憲法があっても軍隊(自衛隊)はあったし、それを考えれば靖国神社だって同じようなことだと思いますがいかがですか。
<日本人だからといって神社に参拝しなければいけない理由はありません。
極論を言えば信教の自由さえ保証されればいくらでも政教分離が反故にされて構わない。が、今の日本に(靖国に限らず)神社参拝をしない自由を受け入れる土壌は果たしてあるだろうか。それとも靖国神社でキリスト教礼拝を行わせてくれるのだろうか。靖国神社と靖国教会があったとすれば僕は迷わず後者を選ぶ。>について
「神社参拝をしない自由を受け入れる土壌は果たしてあるだろうか」などということは個人のこと、枝葉末節であって、それほどおおくの日本人が迷惑を受けているとも思えません。日本人でないならどうでも良いですが、日本人であるなら国難に殉じた人々を奉ってある神社が、早くまともに国として管理できるようになることのほうがよほど大事だと思っていることでしょう。これについてはどう思いますか。
自分の子供が公務で死亡した場合のことを考えればわかりやすいと思いますが。
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 6月11日(土)23時27分28秒 #1439
管理者クハ 様
<わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。(後略)
旧約聖書(新共同訳)出エジプト記20章4-7節>
クリスチャンは唯一神以外への礼拝を聖書で硬く禁じられています。それゆえ原則として寺社仏閣への参拝はしません。もちろん葬式などで手を合わせることはありますが、仕方なくやっているといっても過言ではないでしょう(中にはそれすら拒否しなければならないという人もいる)。 先祖代々受け継いだ位牌を焼却する人もいます。>
キリスト教ではこのようなことを強要しているのですか。初めて知りました。
葬式で自分の親の成仏を祈り、育ててくれたことに感謝を込めて手を合わせすことは子供の感情として自然なことだと思います。親の死から時間が経過した後に、神(霊として高位の存在と考えます)に対して諸々のことについて祈りを捧げることもあります。
私は神(高位の霊)にも礼拝するし、親の霊にも礼拝します。キリスト教で戒めを守りなさい、死んだ親は礼拝するなと言うのであれば、キリスト教の神とは何か特定の人たちの教師のような感じを受けますね。例えば文明の進んだ宇宙人のような。私は個人的にそう思っています。昔、文明の進化した宇宙人が未開の人類の中の選ばれた民に対して教えを授けた。それ故にその教えを受けた人たちは、他の選ばれなかった人たちの宗教等に対して関心が薄いと言うか、否定的と言うかそのように思います。私が信じるお釈迦様は人から進化した存在で、因果律により人に生きている意味を教え、「どの人でも今の結果は過去の原因によるもので、今の行為は将来の結果を作っている、現世に生まれてきたことの意味を成長の機会ととらえれば、どのように生きるか、苦難の連続であっても意味はある」との教えだと思っています。「誰の魂も向上して欲しい」との教えだと思うのですが、偉大な存在、(霊)があるとすれば、その存在は、何を信じている人であれ人類全体の幸を願うと思うのですが、キリスト教ではどうなのですか。
独り言 投稿者:谷庵 投稿日: 6月11日(土)05時24分24秒 #1438
断定したがる人、信じたがる人の気持ちがどうしても分からない。
「断定してはならない、疑いを排除してはならない」というのは、科学だけに有効だというわけじゃないと思う。
よく分からないことに安易な答えで満足するのではなく、すでに分かっていることから推論し、比較的ありそうなことに賭けるというのは良い方法だと思わないだろうか。
サッカーのワールドカップに出場が決まった。
みんな喜んでいる。
なんだ、みんな愛国心を持っているじゃないか。
(無題) 投稿者:高木 桜花 投稿日: 6月 7日(火)21時45分22秒 #1437
人間が、人間たる人間性とは、神が、神たる、神性の如く概念上にしか、存在せず
人とは、血と肉でできた、幻想だ
思想でヒトは、理想へとみちびかれるか?
否
思想ですら、ヒトの手による
ロゴスで構築された幻想だからだ、その、ロゴスですらも
しかし、そうであっても人々はそれを信じなければいけない。、
何故なら
愛も
あなたが、血が通い心通じ合うと思う人も
理想も
それが不確かで
虚ろであっても
だからこそ
そうであるほど
信じなければならない
何故なら
信じなければ
不確かである、それは、永遠に
世界から
消えてしまうからだ
思考の等価交換 投稿者:キンシャチ 投稿日: 6月 6日(月)21時49分10秒 #1436
表題に深い意味はありません。
w.moさん。
>国家は巨額の税金を納める個人、企業等を大事に思うでしょう。そのお金でその他大勢の国民の医療費等がまかなえるのですから、高額納税者は偉いでしょう。等価交換とはそのようなことだと思います。
税金を100万円払っている人が,50万円払っている人よりも二倍の行政サービスを受けるわけではありません。ということで、僕の「等価交換」という言葉は不適当でした。申し訳ありませんが,撤回させてください。
単純な税制として、人頭税があります。一人につきいくら、と決められた額を支払う方式です。一見公平に感じますが,実は不公平ですね。多額の収入を得ているひとほど得をします。自由になるお金の中に占める税金の割合が少なくなりますから。その格差を減らそうとして、税制は複雑になっていくのです。
と、ここまではタテマエ。国家にとって高額納税者は大事な存在です。だからというわけでもないのでしょうが,たとえば銀行がつぶれそうになると、泡くって援助するのです。不祥事(不良債権など)が発覚したら,市民は預金を引き上げるべきです。それが抗議の手段です。話がずれましたね。すいません。
>良く、「金を出すか、知恵を出すか、汗を出すか」といわれます。その人の器に応じた貢献を共同体に対してしていれば、他人はそのように評価しているでしょう。そのようにしない、能力に応じた貢献をしない利己主義的な人はどの社会でも困った人です。
「共同体への貢献」「他人の評価」という表現が引っかかりますが,おおむね同意します。
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 6月 5日(日)22時23分2秒 #1435
キンシャチ 様
<以前の投稿とあわせて判断すると,「国民は税金を払うことで国家に貢献している」というのがW.MOさんの考えですね。僕は税金というのは,行政サービスの代金だと考えています。国家と国民は対等です。等価交換が経済の原則だと思うのですが,いかがですか。>
そうですね、税金を払っている人には特に言いたいことはありません。明治時代には、たしかある一定の税額を納めている人しか選挙権がなかったはずです。高額の税金を納めている人は国家のテリトリーの中で商業活動等をおこない利益を得、それに比例した税を納める。納める税が高額な人ほど大きな自分の商業活動が安定しておこなえるよう、より真剣に国家の安定を願う(国家の心配をする)(愛国心の一例)。国家は巨額の税金を納める個人、企業等を大事に思うでしょう。そのお金でその他大勢の国民の医療費等がまかなえるのですから、高額納税者は偉いでしょう。等価交換とはそのようなことだと思います。良く、「金を出すか、知恵を出すか、汗を出すか」といわれます。その人の器に応じた貢献を共同体に対してしていれば、他人はそのように評価しているでしょう。そのようにしない、能力に応じた貢献をしない利己主義的な人はどの社会でも困った人です。以上が私の考える等価交換です。
(キモは、「共同体への協力の範囲が人によって異なる」とわかったことです。)
<国のため、国民のため,などと言われても小指一本動かしたくはありません。しかし住んでいるマンションが火事になったら、別の部屋の子供を助けるために火の中に飛び込んでゆくかもしれません。国家などと言うあまりリアルでないモノを、信じていたくないからかもしれませんね。>
別に国のためとか漠然としたことでなく、「目の前の家族の危機に際して身を挺する」それが普通のことだと思います。国家もそのような人たちに対してそれ以上のことは求めないでしょう。そのような任務を持つ公務員がいるのですから。
クルミの中の世界 投稿者:キンシャチ 投稿日: 6月 5日(日)20時57分17秒 #1434
W.MO さん。
>「共同体(家族・・地域社会・・会社・・・・・・国)の維持、危機、その他の事態に際して、誰でも何らかの貢献はしている」(愛国心)
以前の投稿とあわせて判断すると,「国民は税金を払うことで国家に貢献している」というのがW.MOさんの考えですね。僕は税金というのは,行政サービスの代金だと考えています。国家と国民は対等です。等価交換が経済の原則だと思うのですが,いかがですか。
>キモは、「共同体への協力の範囲が人によって異なる」とわかったことです。
国のため、国民のため,などと言われても小指一本動かしたくはありません。しかし住んでいるマンションが火事になったら、別の部屋の子供を助けるために火の中に飛び込んでゆくかもしれません。国家などと言うあまりリアルでないモノを、信じていたくないからかもしれませんね。
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 6月 4日(土)22時57分1秒 #1433
管理者:クハ様
>それと(あなたは地域社会の世話、スポ−ツのリ−ダ−、もっと身近なことでは自分の子供のために自分のなにかを犠牲にする等、他の人の為に自分を犠牲にすることについてはどう思いますか。)について。
私はそのような行為が、それをする人の成長のために役立つとの考えですから(自分のため)賛成しています。そのことをどう思うかとの質問です。それをする人が立派でしない人が立派でないとも思いません。
おっしゃる意味が良くわかりません。もう少しわかりやすい表現でお願いします。<
国とか大きい範囲のことを言うと身近に考えられないために、他人事のような感覚でものを考えることもあるかと思います。ですから自分の心配すべきこととして誰でも真剣にならざるを得ない、共同体としての最小単位である家族のことを例にしました。「子供の成長の為に親は無償の労力を提供する」「野生の木であれば、自分が朽ちた跡に堆肥となって小さな芽の成長の支えとなる」、自然で無意識な自己犠牲の例だと思います。全ての生物は自然にそのような行為を、生きている間に行っていると思います。人間もその生成サイクルを行っていますが、私はそのサイクルに参加する事(現世に生きること)により様々な経験を経て、自己の霊魂が成長すると考えています。「霊魂はクリスチャンである以上聖書の教えに従うことで成長するでしょう」とのご意見については、一度聖書を読んでみないと何とも言えません。共同体の最小単位である家族から範囲を拡大していった先に国家があると思います。どの範囲の共同体についてまでが自己の責任の範囲と自然に認識して、共同体の為に協力するかが個人により異なるところだと思います。ご理解いただけたでしょうか。
それと過去に聖書の教えに従う人たちが一致協力して戦争を行ったことがあります(国に近い大きさか国を超えたレベルで共同体の利益に協力した)
聖書では戦争についてはどのように教えているのですか。仏教の意義は人に生きている意味を教え、人の魂を救うことだと理解していますが、キリスト教の教えの意義は何ですか?
過去に織田信長の軍が、越前で一向宗の門徒を大量殺害したことがあります。偽政者からみれば、自分の意に反して自分の勢力範囲内に納税しない自由な勢力範囲を作ろうとする団体を弾圧する。比叡山でも同様なことは起こりました。(このような目的の行為には反対ではありません、クリスチャンの行った戦争でも同様な目的であれば理解できます)
一番賢い人が偏りのない世の中を維持してくれれば良いと思います。その土地に生活している以上、最低限の義務(納税)を果たしていれば(犯罪はしない)、何を考えようと国の為に協力している(愛国心はある)と思います。
(無題) 投稿者:W.MO 投稿日: 6月 3日(金)23時48分46秒 #1432
キンシャチ 様
分かり難くてすみません。私が言いたいことは、「共同体(家族・・地域社会・・会社・・・・・・国)の維持、危機、その他の事態に際して、誰でも何らかの貢献はしている」(愛国心)ということです。社会で活動している立場の違いによって国のことまで心配している人もいますが、多くの人は家族の扶養、仕事のこと・・・だと思います。最初に愛国心というタイトルで考え始めましたから、国と言う大きな範疇のことを言いました。しかし、この会議室の意見を読んでいる内に、国ということに対して、私とあきらかに違う考えの人もいると思いましたから、それらの人たちの愛国心とはこのようなものだろうかと想像もして、税金による国家への貢献等を述べました。私の考えは変わりません。相手に合わせてここまでなら同意してもらえるのではないかと思い、表現を変えました。キモは、「共同体への協力の範囲が人によって異なる」とわかったことです。キンシャチさんはどこまでですか
主張の整理をお願いします 投稿者:キンシャチ 投稿日: 6月 3日(金)21時40分58秒 #1431
w.moさん、レスが遅くなりました。
何度かw.moさんの文章を読み返しているのですが,いまいち主張がわかりません。できれば喩えをやめて,簡潔に述べていただけますか。愛国心について,以前の投稿と矛盾があるようにも感じます。いや、やり取りの過程で考えが変わってゆくのは構わないんですよ。ただ、なにがキモなのかよくわからないので。お願いします。
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 5月30日(月)22時10分10秒 #1430
キンシャチ 様
<腕が国民で,脳が国家という解釈でよろしいですか。でしたら、腕が自分の責任で脳に協力しないことは,一向にかまわないと思います。脳が腕のために働くべきです。さらにいえば,事故の譬え話は不適当だと感じます。本当の腕には判断力などありません。自己犠牲精神などかけらもないでしょう。
>国家に守ってもらいながら国家の危機に際しては、自分のことを優先し協力しない。そのような考えの人が多いと国は乱れていると思います。
国家は国民の共同体です。一人ではできないことを替わりに行う機関です。国家に守ってもらっているのではなく,国民を守るべきものが国家なのです。国家は当然の義務を果たしているだけです。国が乱れているとしたら,その国の内政がどこかで間違っているのです。>
腕と国家の例えは適当ではありませんでした。間隔があきすぎていますから誤解をまねきますね。自分の脳と腕と細胞であれば自然に協力しあっているでしょう。細胞が国民で、自分の脳が国家と例えれば細胞は無意識に脳に協力している。たとえが間違っていると言われるかもしれませんが、国民は税金を払っているだけで立派に国家に協力していると思います。自分と家族、会社と自分、ここぐらいまでですか、共同体の危機に際して協力するのは。「会社から給料をもらっているから、(会社に生活を守ってもらっている、社長であれば従業員の生活を守っている)会社の危機に際しては協力する」これに賛成であれば、国家に十分に協力していると思います。会社は国家に税金を払っているのですから。
会社が乱れていたとしたら会社の経営がどこかで間違っているのでしょう、社員にも問題は少しはあると思います。会社がつぶれると生活できなくなるから何とかしようと考えるか、会社を辞めて別の会社に属するか、自分で企業するか、いずれにしても「愛個人、愛社、その結果、直接的、間接的に税金を納めることに協力している人は愛国心がある」というのが私の考えです。日本では経済的な危機感が主ですが、他の紛争状態にある国では危機の種類が違います。いずれにおいても、何とかしようとしている人は数多くいると思います。
国家は国民のためにある 投稿者:キンシャチ 投稿日: 5月25日(水)21時30分1秒 #1429
w.mo さん。ぼくはw.moさんとW.MO さんとWWW さんとは同一だと想定しております。違っていたら,どなたか訂正してください。
さてぼくは、国家とは、国民の生命と財産を守るために存続してゆくものだと考えています。
> しかし、脳が危機だと思っているときに、腕が腕の危機でないと自己判断して協力しないのはこまると思います
腕が国民で,脳が国家という解釈でよろしいですか。でしたら、腕が自分の責任で脳に協力しないことは,一向にかまわないと思います。脳が腕のために働くべきです。さらにいえば,事故の譬え話は不適当だと感じます。本当の腕には判断力などありません。自己犠牲精神などかけらもないでしょう。
>国家に守ってもらいながら国家の危機に際しては、自分のことを優先し協力しない。そのような考えの人が多いと国は乱れていると思います。
国家は国民の共同体です。一人ではできないことを替わりに行う機関です。国家に守ってもらっているのではなく,国民を守るべきものが国家なのです。国家は当然の義務を果たしているだけです。国が乱れているとしたら,その国の内政がどこかで間違っているのです。
(無題) 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月23日(月)23時20分20秒 #1428
>仮にあなたが会社の社長だとして、社長としては仕事をして欲しい時に、自分のことを優先する社員が社長の意図に反して個人の事情を優先して休みを取れば、その人の評価はどのようにするのですか。
会社と人間の体を一緒にするのはかなり無理がありますが、社員としての評価は下げざるを得ないでしょう。もっとも近年の傾向としてそんな社員は自分から辞めていく事が多いでしょうが。
>私はそのような行為が、それをする人の成長のために役立つとの考えですから(自分のため)賛成しています。そのことをどう思うかとの質問です。それをする人が立派でしない人が立派でないとも思いません。
おっしゃる意味が良くわかりません。もう少しわかりやすい表現でお願いします。
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 5月20日(金)22時50分35秒 #1427
管理者:クハ72様
自分のため、そのとおりだと思います。「自分のことを優先する」いいんじゃないですか。私は、自分自身のために共同体に協力することを否定しているのではありません。
脳からみれば、手足が脳の意志が分からなくても手足がその危機を感じて協力していると言う状況は多くあると思います。なにをするにしてもそれぞれの思考のレベルで信念をもって行うことが自分自身の成長になると思います。スポ−ツの試合でも全体を見ながら、指揮者(脳、国)の意図を理解し幅広く行動する選手もいるし、狭い範囲を守る人もいて、それぞれが必要な役割を果たしています。
しかし、脳が危機だと思っているときに、腕が腕の危機でないと自己判断して協力しないのはこまると思います。仮にあなたが会社の社長だとして、社長としては仕事をして欲しい時に、自分のことを優先する社員が社長の意図に反して個人の事情を優先して休みを取れば、その人の評価はどのようにするのですか。
それと(あなたは地域社会の世話、スポ−ツのリ−ダ−、もっと身近ことでは自分の子供のために自分のなにかを犠牲にする等、他の人の為に自分を犠牲にすることについてはどう思いますか。)について。
私はそのような行為が、それをする人の成長のために役立つとの考えですから(自分のため)賛成しています。そのことをどう思うかとの質問です。それをする人が立派でしない人が立派でないとも思いません。
家族と国家は違います 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月20日(金)00時41分4秒 #1426
よく読んで欲しいのですが、僕は
>ですから国家の危機が自分の生存を脅かすと判断すれば大抵の人は何らかの行動を起こすでしょう。
と書きました。つまり国家のために戦うのも結局は自分(や自分の家族)の生存のためなのです。自分のことを優先するからこそ国家の危機に協力するのです。
> あなたは地域社会の世話、スポ−ツのリ−ダ−、もっと身近ことでは自分の子供のために自分のなにかを犠牲にする等、他の人の為に自分を犠牲にすることについてはどう思いますか。あなたは自分の霊魂はどのようなことで成長すると思いますか。
立派でしょう。しかしそれだって結局は自分自身のためなのです。霊魂はクリスチャンである以上聖書の教えに従うことで成長するでしょう。
全般的に論点がはっきりしません。WWWさんもそうでしたが、リモートホストや文章("ー"を"−"と書く等)を見る限りお二人は同じ方と見て差し支えないでしょうか。
(無題) 投稿者:W.MO 投稿日: 5月19日(木)22時45分20秒 #1425
管理者:クハ72様
(しかし、国家の存続のために国民が犠牲にならなくてはならないとなれば本末転倒です
愛国心とは結局自分自身の生存のための手段の一つに過ぎないと言うのが僕の考えです。徹底抗戦を叫ぶのも白旗を掲げるのも手段としてはありでしょう。)について
あなた自身の体で考えてみましょう。交通事故で体が宙に浮いたとすると本能的に脳を守るために体を丸くし、手で頭をかばう、その結果手の骨が折れるかもしれないが脳は生き残る。これが国家の生存です。その生存の目的はあなた一人(手の指1本)だけを守ることではなく、その他多くの国民(他の手足)の生存を守ることです。それは結局は脳(国家)が生存するためではあるのですが、そのことについては皆が了解していることでしょう。豊かで安全な日本の中にいるから様々な活動ができるのですから。国家に守ってもらいながら国家の危機に際しては、自分のことを優先し協力しない。そのような考えの人が多いと国は乱れていると思います。
あなたが家庭の主で、主が死ねば家族の生計が成り立たないという場合に、強盗があなたの家に侵入したとします。
1 家族を守る為にあなたと家族は一体となって対処する。
2 抵抗しないと決めたけど、相手は妻子に危害を加えようとする。妻子は手足だから犠牲にな っても脳であるあなたが生き残れば良い。
3 白旗を揚げたが全員殺された、または全員助かった.
白旗うんぬんは相手によりけりですが、あなたの家庭であればあなたが責任者ですからその決定者はあなたです。国であればもっと大きな責任を有する立場の人です。
国民全体の命運を左右するのですから。
あなたは地域社会の世話、スポ−ツのリ−ダ−、もっと身近ことでは自分の子供のために自分のなにかを犠牲にする等、他の人の為に自分を犠牲にすることについてはどう思いますか。あなたは自分の霊魂はどのようなことで成長すると思いますか。
世の中の乱れって何だろう 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月18日(水)23時26分32秒 #1424
国家とは個人の生存のためにあります。ですから国家の危機が自分の生存を脅かすと判断すれば大抵の人は何らかの行動を起こすでしょう。しかし、国家の存続のために国民が犠牲にならなくてはならないとなれば本末転倒です(徹底抗戦を叫んだ太平洋戦争でどれだけの日本人の命が奪われたか)。共同体の利益は重要ですが、最終的に個人の利益の方が優先されます。共同体の利益はそのための手段でしかありません。
愛国心とは結局自分自身の生存のための手段の一つに過ぎないと言うのが僕の考えです。徹底抗戦を叫ぶのも白旗を掲げるのも手段としてはありでしょう。
言葉尻を捉えたのではありません。提案をするのであればなおのこと事実に対して正確にならなくてはなりません。
(無題) 投稿者:w.mo 投稿日: 5月18日(水)22時27分47秒 #1423
管理者:クハ72様
(現在の米国民に兵役義務はありません。兵役義務と世の中の乱れに相関関係があるという統計的なデータはあるでしょうか?) (体の一部である細胞や器官と、独立した体である人間を一緒にはできないでしょう。多くの人は結局は自分自身の生存のために努力しているのですから。)について
私の言う愛国心とは共同体の利益に協力する事です。その一例として細胞が一個の生体の構成をなしていること、危機に際して個々の人間がばらばらの考え、行動をしたのではその組織は有効に力を発揮出来ないから、兵役義務のことを実例として出したのです。
(米国のことは誤りです、韓国では兵役義務はあるでしょう)
このような言葉尻をとらえたりすることで時間を費やすのではなく、愛国心とか、白旗を揚げることについての、あなたの考えはどうなのですか? 世の中が乱れているとしたらどのような施策を実施すれば、有効だとお考えですか?そのようなことを他の人たちは興味を持って見ているとおもうのですが、この会議室の目的はそのようなことではないのですか。(兵役義務の統計はなくてもそれは私の提案です。統計的にデ−タがなくても現に危機があれば(隣国の核実験計画等)、何かの策を考えるのが普通だと思います)
#1422 投稿者の要望により削除
訂正 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月17日(火)23時47分39秒 #1421
×「イエスを処刑したユダヤ人」
○「イエスを処刑したユダヤ人」という偏見も理由の一つになったかもしれません。
マルチレス(遅くなって済みません) 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月17日(火)23時38分58秒 #1420
W.MOさん
>米国でも同様に兵役義務はあるでしょう。我が国でそのような政策が実行されれば、世の中の乱れも少しは治まると思います。
現在の米国民に兵役義務はありません。兵役義務と世の中の乱れに相関関係があるという統計的なデータはあるでしょうか?
>自然のなかで存在している一本の木でも、その生存の為に木の中の細胞はそれぞれ別の行為は しないでしょう。肉食獣が獲物を狩る時でも体内の全細胞、諸器官はその行為にひたすら協力し ているはずです。
体の一部である細胞や器官と、独立した体である人間を一緒にはできないでしょう。多くの人は結局は自分自身の生存のために努力しているのですから。
WWWさん
ヒトラーがユダヤ人を迫害した理由は一つではありません。キリスト教社会に根強い「イエスを処刑したユダヤ人」
全般的におっしゃりたい事が今一よくわかりません。論点をはっきりできないでしょうか。
ユダヤ人とヒトラ− 投稿者:WWW 投稿日: 5月15日(日)22時03分22秒 #1419
管理者:クハ様 投稿者:WWW
(ところがヒトラーはまさにそのようなことを主張したわけで、北方民族(アーリア人)優越説なるものをぶち上げユダヤ人等を迫害したわけです。
その割には東洋の黄色いサルの国やアフリカに近い国と軍事同盟を結ぶということをしていたわけですが。)について
ヒトラ−を中心とするドイツ人がユダヤ人を迫害したことについて、上記のようなことが理由だとお考えですか?
ドイツ国民は日本と同じくらい優秀な国民が多いと思います。多くの優秀な国民がヒトラ−の優秀性を認め首相にしたのです。ヒトラ−は某国のように世襲で権力者になったのではないのです。当時ユダヤ人の迫害はドイツ国民の総意に近い物であったと思います。第一次世界大戦当時、ドイツの兵士達が前線で戦っているときに、ドイツ国内のユダヤの商人達は何をしていたと思いますか。ユダヤの人たちは商売の世界での成功者が多いのですが、すなわち、敵にも味方にも利益になれば物を売るのです。その結果、ドイツは後方から足を引っ張られる形となり敗戦、多額の賠償金を背負ったのです。大量虐殺はその恨みからきているのです。昔、カルタゴという、自国の商売の利益のみを追求して繁栄していた国がありました。大国ロ−マから恨みを買い、「カルタゴは滅ぼすべし」との要求のもとに都市の跡形もなくなるくらいに攻撃を受け破壊されたのです。日本はそのような歴史から教訓を学び、世界に多額のODA等を拠出しているのです。現代社会でヒトラ−の悪だけが強調されているのは、国際経済社会において優位に立つダヤ勢力の宣伝効果によるところが大なのです。ドイツも虐殺の人数がけた外れなので、表だって反論はしません。しかし虐殺は中国でも数百万単位であり、現在でもチベットを迫害中です。北朝鮮でもしかり、旧ソ連でも収容所群島と言われたぐらいです。ところが、ヒトラ−だけがいつまでも悪の権化のように言われるのは、まさに被害者であり(何故被害を受けたかは言わない)世界の経済社会で優位に立つユダヤ勢力の情報戦略のおかげです。日本が原爆により数十万人の非戦闘員の命を失ったことは、敵から見れば理由があるし正当なことなのです。死亡者の数に違いはありますが、原爆での死亡者もヒトラ−の虐殺の犠牲者もそれを行った側には正当な理由があるし、それが戦争です。この会議室の目的は様々な視野からの客観的事実を多くの人が知り、啓蒙されることだと思います。
一言だけ 投稿者:えめ 投稿日: 5月15日(日)00時47分13秒 #1418
W.MO さん はじめまして
>「およそ生物の発展してきた過程は生存競争を繰り返しながら、優勝劣敗、適者生存、優位な個体が生き残り、その種が発展してきた」
生物は”多様化”によって発展した。つまり”お互いに違う”事が種の生きる選択肢を広げ、発展をもたらしたのだと思います。
自分にとって愛国心とは自らの所属する文化(日本というカテゴリーの)に誇りを持ち、風土を愛する事。そして自分が自分の国を好きなのと同じくらい他の国の人もその国に誇りを持ち、風土を愛しているのだと思う事です。
自分に取って良い国は
どんな人でも人として認めてくれる国のことです。
愛国心、良い国 投稿者:W.MO 投稿日: 5月14日(土)23時24分32秒 #1417
管理者・クハ72様 投稿者:W.MO 投稿日: 5月14日(土)23時24分
>この状態を維持・発展させて次の世代に申し送るのが現世に生きている我々の努め(愛国心)だと思います。
今の状態を肯定する人もいれば否定する人もいます。これからの日本をどのように維持・発展させていくかも考えの分かれるところです。あくまで極論ですが、他国の武力攻撃に対して命を懸けて戦うよりも、犠牲者を出さないために白旗を揚げるべきという考えもあるでしょう。
より良い国を作りたいといっても、「良い国」の定義だって曖昧です。あなたにとって愛国心とは何でしょうか?具体的にお願いいたします。
前回の意見でも述べましたが、私の考える良い国、愛国心とは以下のとおりです。
1 今の状態の肯定と否定について
戦後の皆が貧しかった時に比較して今は豊かですから、今のほうがよいと言う単純な思いで す。
それと、否定すると言われますが、大多数の国民の支持を受けて成り立っている政府が現在の 状態を肯定しているわけですから、否定を具現化するには、イラクが参考に成るでしょう。肯 定も否定も命がけです。
2 これからの日本をどのように発展させていくかについて
豊かな社会が良いと思いますから、より経済的に豊かになるのが良いと思います。
ただし、心の豊かさについては各人が分に応じて経験を通じて成長していくのが普通だと思いま すが、そうでない場合もあるでしょう。それが世の中の種々問題の原因となっていると思いま す。韓国では、国を守ることに対する危機感が我が国とはまるで異なるために、若者は一定期間 軍隊経験をすることが義務づけられています。それによる効果は、若者に国を守るという意識を 植えつけることが出来るし、「個々人が協同して目的を達成する」ということも経験できます。 米国でも同様に兵役義務はあるでしょう。 我が国でそのような政策が実行されれば、世の中の 乱れも少しは治まると思います。
3 「他国の武力攻撃に対して命を懸けて戦うよりも、犠牲者を出さないために白旗を揚げるべき という考えもあるでしょう」とのご意見について
中国の春秋時代、日本の戦国時代、現代に比較すれば人の命は羽毛のごとく軽かったことでし ょう。
それでも、各種の戦闘の中では犠牲者を出さないために白旗を揚げた場合も歴史の中には出て きます。多くの場合は戦闘の後に、ぎりぎりの状態に追いつめられた指導者の判断によってなさ れたことだと思います。国が白旗をあげるとかあげないとか、そのような重大なことは、国民の 支持を受けて成った首相、その他我が国の英知を結集した頭脳集団が判断することであって、そ の他多くの人達は自分の持ち場を守ることが大事だと思います。頭脳と手足のそれぞれの役割を 果たすことが愛国心にもつながると思います。
(個人の肉体に例えれば、原始時代に猛獣に襲われているときに、頭脳が我が身を守れと指令して いるのに、手足が皮膚が傷つくから従わないなどということはないと思います)
個人には自由な意志があると言われるかもしれませんが、ぎりぎりの状態に追い込まれた人間 の集団は、敵前逃亡、獅子身中の虫、集団を守るための自己犠牲等様々な様相を表すでしょう。 過去に集団を守るために散った人たちは数多くいます。武力攻撃とかではなく、経済活動でも 生存競争はしているのですから、同じことはいえると思います、必死に利益を上げようとしてい るときに白旗を揚げるというのは、社長であれば競争者の傘下に入ることですが、それは社長だ から決められることであって、社員であればその組織をやめることでしょう。
4 「より良い国を作りたいといっても、「良い国」の定義だって曖昧です。あなたにとって愛国 心とは何でしょうか?具体的にお願いいたします」について
「およそ生物の発展してきた過程は生存競争を繰り返しながら、優勝劣敗、適者生存、優位な個 体が生き残り、その種が発展してきた」ということだと思います。進化論的にはそうですが、心 の領域については、人が現世に生きている意味は霊魂の成長だと思います。 霊魂の成長が出来 る社会を維持発展させていく。個人の延長に集合体がある訳ですから集合体(社会、国)の目的 は、個人の生存・成長に有益な環境を提供することだと考えています。
自然のなかで存在している一本の木でも、その生存の為に木の中の細胞はそれぞれ別の行為は しないでしょう。肉食獣が獲物を狩る時でも体内の全細胞、諸器官はその行為にひたすら協力し ているはずです。人でも国でも自然な動作だと思います。
愛国心とは上記のような集団の状態を守ることであり、良い国とは、責任を伴った上での自由 な活動が保証され、経済的、精神的に成長していける国です。
南山宏さんについて 投稿者:ORA 投稿日: 5月13日(金)23時22分26秒 #1416
南山宏さん及びSF研究会に連絡を取りたいのですが
メール以外の連絡方法を知っていたら教えてください
また、SF研究会の所在地を教えてください
まあ 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月12日(木)23時50分13秒 #1415
最初に言っておかなかった僕にも不注意があったという事で。
(無題) 投稿者:キンシャチ 投稿日: 5月12日(木)15時54分12秒 #1414
クハ72様、もうしわけありません。HNはどなたもこだわりがあるのですから,略すのは失礼でした。以後気をつけます。
NORTON3rd様、ご指摘ありがとうございます。
キンシャチ様(笑) 投稿者:NORTON3rd 投稿日: 5月12日(木)14時31分59秒 #1413
管理人様が先日来より、HNの"クハ"と"72"は分離不可だと訴えておられますよ。
進化論を覆す新説に期待が高まる 投稿者:キンシャチ 投稿日: 5月11日(水)22時52分9秒 #1412
クハさんとここでもかぶった。
>そこに進化論の楼閣が砂上にあることを示す根拠があります。だまされてはいけません。
コロさん,それでは進化論にだまされていないコロさんの考える生物論をお聞かせください。
(無題) 投稿者:キンシャチ 投稿日: 5月11日(水)22時46分36秒 #1411
コロさん、はじめまして。
>進化の実例が、ひとつでもあれば、論争は終わります。
長谷川真理子「進化とはなんだろうか」(岩波ジュニア新書)には自然選択の実験(限られた地域の中でですが)について詳しく書いてありますよ。ほかの方にもお勧めしましたが,コロさんにも一読をお勧めします。
>同じ種のなかの変異ですから。確実に種を飛び越えた例があげられないのはなぜ。
「種」をどのようなものとお考えですか。
コロさん初めまして 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月11日(水)22時29分13秒 #1410
まず「種」の定義を明らかにして下さい。議論はそれからです。
進化論 投稿者:コロ 投稿日: 5月11日(水)18時03分6秒 #1409
これだけ論争になってることが、科学とはいえない、一つの証拠では。進化の実例が、ひとつでもあれば、論争は終わります。馬のはだめです。同じ種のなかの変異ですから。確実に種を飛び越えた例があげられないのはなぜ。そこに進化論の楼閣が砂上にあることを示す根拠があります。だまされてはいけません。創造論者は、地球が丸い等の科学的事実は、受け入れています。答えはどちらかです。どちらも仮説です。観察される事実は、
見事に「 」論に一致します。
とがちゃん、それノーテンだから 投稿者:えめ 投稿日: 5月10日(火)22時58分29秒 #1408
どこにでも出てくんのな
前にも言っているが君のは論とは言えない。
役が出来てないから
チョンボね
人工世界論 投稿者:富樫 投稿日: 5月10日(火)18時34分13秒 #1407
http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/において、人工世界論を公開しています。取りあえず完成しました。反論が可能ならどうぞ。
W.MOさん初めまして 投稿者:管理者・クハ72 投稿日: 5月 9日(月)23時13分31秒 #1406
>この状態を維持・発展させて次の世代に申し送るのが現世に生きている我々の努め(愛国心)だと思います。
今の状態を肯定する人もいれば否定する人もいます。これからの日本をどのように維持・発展させていくかも考えの分かれるところです。あくまで極論ですが、他国の武力攻撃に対して命を懸けて戦うよりも、犠牲者を出さないために白旗を揚げるべきという考えもあるでしょう。
より良い国を作りたいといっても、「良い国」の定義だって曖昧です。あなたにとって愛国心とは何でしょうか?具体的にお願いいたします。
愛国心について 投稿者:W.MO 投稿日: 5月 8日(日)23時25分41秒 #1405
「1億3千万の愛国心がある」との文章を目にしました。そのことについて一言。私の考える愛国心とは、最小単位から言えば原子、分子、細胞がありその集合体である小宇宙(個人)、その生存に知恵を絞るのが愛個人。次は家族、親類縁者、地域社会、・・・国です。大きな集合体の利益を守ることに協力することで個人の生存も保証される。昔から繰り返されてきたことです。安定した国の中にいるから生存・進歩が保証される。人を殺さなければ生きられなかった昔の過酷な時代から、優れた指導者達が失敗も繰り返しながらそのような努力を重ねてきたから、現在の国の姿があるのです。世界の悲惨な状況にある国々を見れば、それらの悲惨な状況を良くするのにその悲惨状態にある国民の数だけ異なる愛国心が必要だと思いますか。敗戦後の焼け野原で日本の指導者達が、皆が食べていけるようにするために知恵を絞ってきた結果が、豊かな現在です。この状態を維持・発展させて次の世代に申し送るのが現世に生きている我々の努め(愛国心)だと思います。従業員5人の会社で全社員が生存していくのに会社の利益(愛社心)がわからなければやがて淘汰されるでしょう。そのようなことは本能的にわかるものだと思います。幾通りもの愛国心(愛社心)があると言っても、個人、家族の生存と思えば考え方は皆同じだと思います。「どんなに小さな集団でも心を束ねて力を有効に発揮させたい」と。
残された者の心情 投稿者:Kosuke 投稿日: 5月 6日(金)22時38分42秒 #1404
>事実のまえに「いのち」がある、
事実のまえに生命?何を仰りたいのか全く理解不能です。
真相の究明よりも当事者の遺体を遺族の元に返すことを優先させろという主張は、私には理解できません。
もう少し意味が解かるように説明して下さいませんか。
私にもこの運転士とそう年齢の違わない息子がいます、まだ学生ですが。
もし彼がこのような人命を預かる仕事についていて、残念ながら重大な事故の当事者(しかもかなり重大な責任を担っていそうな)になってしまった場合を考えます。
私は我が子の死を悼む前にすべきことが有ると考えます。
彼の死を無駄にしない為にも、真相究明のためにできる限りのことを当局にはして頂きたいと思います。
それが終わるまでは彼の仕事も終わったことにはならないでしょう。私は息子に仕事をきちんとやり遂げて欲しい。
人の命は肉体の死と同時に消えるものではありません。彼を愛する者の心の中では徐々に死が訪れるのだろうと思います。
いずれは納得して息子の死を受け入れたい、その為には何が事実だったのかを徹底的に知りたいと私は考えます。
そうでなければ、息子の死という現実を受け入れることは私には難しかろうと思います。
事実のまえに 投稿者:てつお 投稿日: 5月 6日(金)00時13分40秒 #1403
>事実を知ることの妨げになる「感傷」なんてものは持ちたくないものです。
すみません。ただ、事実のまえに「いのち」がある、
運転士にも残された家族がある、
ということを言いたかったのです。
まず事実を 投稿者:Kosuke 投稿日: 5月 4日(水)13時28分51秒 #1402
> 罪を犯した者のように、彼の死は区別された。
電車の運行責任を担っていたのは乗客ではなく、運転士である彼です。
その扱いが乗客と同じであろう筈がありません。
しかしその扱いの違いそのものが罰ではありません、まずは事実を明らかにするためのものです。
>> 司法解剖
>> 無罪かも知れないから解剖されるんだと思います。
> そういうこともあるのですね。。。
解剖によってアルコールや薬物が検出される可能性もあるわけですから、
その結果、より重大な責任が判明する可能性も、もちろん有るでしょう。
司法解剖は、事実はどうだったのかを明らかにするために行われるべきもので、それ以上でもそれ以下でもありません。
ましてや、予断を持って運転士を罰するために行われるものではありません。
事実を知ることの妨げになる「感傷」なんてものは持ちたくないものです。
(無題) 投稿者:えめ 投稿日: 5月 3日(火)22時56分0秒 #1401
そうか、マタイ伝にありましたね、そういえば
自分は他の話(どこにあるかは忘れました)
”借金をチャラにされるなら借金の額が多いほうが嬉しいでしょう?”の例えから考えたんすけどね
人間の観点で神を計る事は出来ない、ただ神の意(慈しみの存在に)早く気づき、身をゆだねなさい
神なる存在をアバー(父ちゃん、と言う意味だそうで)と呼べる彼自身の信仰、と言うか想いの真実は未だに未だに想像も付きませんわい。
ただね、非クリスチャンとしてですが歴史上に彼が存在したのは人間にとって”救い”だと思います。カン違いの理屈かもしれませんけれど、閉鎖的な宗教から自らの死を通して偉大なる普遍を産み出した人がいた事。