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進化論と創造論会議室過去ログ

1651→1700
2006年3月4日(土)〜2006年4月11日(火)

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それはそうと・・  投稿者:ノンクリ  投稿日: 4月11日(火)19時35分47秒 #1700  
  レスを下さったお二人の方、お世話様でした。m(__)m

創世記も人間が書いた物だからそれを書いた人間は一体どうやって神が天地創造をしたのかを知ったのだろうか?その後のいろんな創世記の話も何で書けたのか?過去へ行って見て来たのか?まさか・・・
 

Re: しつもん  投稿者:  投稿日: 4月11日(火)15時02分14秒 #1699  
  長らくROMでした。管理者さんはじめこの掲示板の皆さん、はじめまして。

> 第1章は「神」と書かれていて、第2章の第4節から突然「神」が「主なる神」へと変化

聖書学では著者(資料編纂者と呼ぶ方が正確かな)が違うせいであると推定されていますし、私もそれが理由と思ってます。
管理者さんも
http://members.at.infoseek.co.jp/kuha_72/genesis.html に書いておられますな。

むちゃくちゃな解釈やこじつけ(「科学的にも正しい」なんてのも含めて)をしてまで聖書の誤謬や矛盾を認めない人たちの心理、私にはわからないなあ。
 

Re: しつもん  投稿者:カメ  投稿日: 4月11日(火)14時48分47秒 #1698  
  > ええと、旧約聖書の創世記、第1章は「神」と書かれていて、第2章の第4節から突然「神」が「主なる神」へと変化します。これはいったい何故ですか?
>
ノンクリさん、面白い所に気が付きましたね^^1章の段階では、「アダム(被造物)」の存在が無かったからです。1章の後半に「我々の形に似せて…」とあります。何故複数形なのでしょう?此処に、唯一神で有りながら、「父・子・聖霊」の三人格が存在してるのです。
聖書はするめみたいに、噛(読)めば噛(読)むほど味が出て来て深みが出る書物です。
 

しつもん  投稿者:ノンクリ  投稿日: 4月11日(火)13時56分13秒 #1697  
  クリスチャンの皆さんへ

ええと、旧約聖書の創世記、第1章は「神」と書かれていて、第2章の第4節から突然「神」が「主なる神」へと変化します。これはいったい何故ですか?

>ノンちゃんお子様連れなら

ミニヨン様へ、僕には子供いませんが・・・(T_T)
 

ノンちゃん変よ!  投稿者:ミニヨン  投稿日: 4月11日(火)10時35分33秒 #1696  
  話が矛盾だらけレス

聖書関係ないんなら
考え過ぎもカンガルーも関係ないわよねぇ。
一度 キリスト書店においでください。関東近辺なら南新宿のオアシスがオススメです。銀座にお越しの節は中央通りのマツヤの斜め向かいの教文館がオススメです。特に教文館三階の聖書専門には進化論と創造論の専門書も充実です。
ついでに四階はキリストグッズ 絵葉書や人形やDVDも充実しております。六階は有名なナルニア国子どもの本専門で、ノンちゃんお子様連れなら、ガキッチョをお姉さんに預けて七階の新装リニューアルな喫茶店で洒落たクリスチャンなマダムの会話に時のたつのも忘れることでしょう。
実は 此処だけの話なんですよ
あの雅子様も藤城清治さんの展示場にお忍びでいらっしゃいました。マジ日テレに写っちゃったもん!

ま、とにかく、専門書充実しておりますから、
考え過ぎもまた楽しからずや。ナンチャってね♪
 

考え過ぎてない?  投稿者:ノンクリ  投稿日: 4月11日(火)09時56分13秒 #1695  
  >地も大地、地上、霊界に対する地上界これらの解釈が可能です。

聖書には「地は草を芽生えさせよ」と神は言われた、と書かれています。
つまりただの大地のことです。地上界なんて拡大解釈だと思う・・・
僕はノンクリだし聖書もどうでも良いんですが・・・
 

ブレイクタイム  投稿者:ABエビちゃん改めミニヨン  投稿日: 4月11日(火)09時08分43秒 #1694  
  旧約詩篇十九より

「天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、
夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、
その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、
そのことばは、地の果てまで届いた。
神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
太陽は、部屋から出てくる花婿のようだ。
勇士のように、その走路を喜び走る。

ヨブ記二十六章より
「神は北を虚空に張り、
地を何もない上に掛けられる。

ヨブ記三十八章より
「あなたはプレアデス座の鎖を結びつけることができるか。
オリオン座の綱を解くことができるか。
あなたは十二宮をその時々にしたがって
引き出すことができるか。
牡牛座をその子の星とともに
導くことができるか。
あなたは天の法令を知っているか。
地にその法則を立てることができるか。
 

Re: 聖書も科学も安易に間違えとは言えない   投稿者:カメ  投稿日: 4月11日(火)08時27分27秒 #1693  
  > 聖書も同じ表現でもその状況によって意味の違う場合が言葉故の限界性がありあり得ます。そして、科学もいろいろ専門研究がされているので表現方法(現象解釈)はともかく言わんとする現象があることは立証された範囲では間違えではないと思われます。

その通り、「科学で解明された所は、正しい」のです。しかし、それを持って「聖書解釈をすべきでない」と言いたいのです。
創世記の1章と2章の間で何が起こったのかは、I&Dさんなら聴いた事があるはずです(聖書本文には、記述が無いが「神学」として語られています)。「聖書解釈」は、全体像を見ないと本質から外れてしまいます。

ノンクリさん、ご指摘の通り「宇宙」との言葉は聖書には存在さえしません。ちまみに、「地球」もありません。「地」=を「大地(地球)」との解釈は間違いないでしょうが、「天」=「宇宙」とするのも、決して間違いではありません。
創世記をはじめ旧約は面白いので難しい所があっても読み進めてみて下さい。「天」の答えは何処かに記載されていると思います。
 

Re: 根拠  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)23時37分1秒 #1692  
  > 「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。神は大空を天と呼ばれた。」 神は言われた。「天の下の水はひとつどころに集まれ。〜後略〜」(創世記、第1章、第7〜9節)
>
> 以上を読むと天とは空の事だと理解できます。
ここでの大空を大気圏と理解していると考えてよろしいでしょうか?
 

 投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)23時25分32秒 #1691  
  2日目の記述ですね。
ただ、1日目で「神は初めに天と地を創造された」とあるのだから、2日目の天は大空を同様に天と名付けたと考え、別のものと理解しても問題はないと思われます。
 

根拠  投稿者:ノンクリ  投稿日: 4月10日(月)23時00分37秒 #1690  
  「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。神は大空を天と呼ばれた。」 神は言われた。「天の下の水はひとつどころに集まれ。〜後略〜」(創世記、第1章、第7〜9節)

以上を読むと天とは空の事だと理解できます。
 

聖書も科学も安易に間違えとは言えない   投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)21時53分39秒 #1689  
  聖書も同じ表現でもその状況によって意味の違う場合が言葉故の限界性がありあり得ます。そして、科学もいろいろ専門研究がされているので表現方法(現象解釈)はともかく言わんとする現象があることは立証された範囲では間違えではないと思われます。

言葉の表現でも聖書自体の中でこのような表現がされていると言う何カ所かを参考にしたり、その地域の習慣性まで調べると一つの言葉でもその時と場合によって何通りかの解釈が可能なことがわかります。

植物でも種子植物ができたと考えるとその時期では科学的には間違えとなりますが、子孫を残す植物ができたと言う意味なら科学的にも正しいことになります。これは翻訳上の問題であるわけです。このように多少聖書の知識がある方が書いたからといって、聖書を正しいもの貴重なものと思って読む立場と批判しようと思って読む立場とは明らかに解釈上の差が出るわけです。

また、天と地でも天は夜空をみれば星々が広がっており天体と考えても良いわけですが空とも見れますし天使、天軍の天ととらえれば霊界でも良いわけです。地も大地、地上、霊界に対する地上界これらの解釈が可能です。何でもありではないが、肯定できる解釈があるのに否定的な解釈で間違っていると思う必要はないと思います。確かに知識がなくて聖書が間違えのように感じることもあるでしょうが、クリスチャンとしては安易に間違えと言わず意味があると思って信仰するのが望ましいと感じます。
 

僕の解釈  投稿者:ノンクリ  投稿日: 4月10日(月)19時25分35秒 #1688  
  >天は天体とも霊界とも考えられ、

僕は天とは空の事だと思う。で、地とは大地。それだけ、これは僕の解釈。
 

天と地  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)19時11分16秒 #1687  
  天は天体とも霊界とも考えられ、これは解釈難しいところです。
地は形ないものとして・・・それは霊的なものとして創造されなかったと考えられ、ここでの形なくむなしくとは意味が違うと考えられますが・・ただ、科学で解釈するというより、今の科学はそう当てはめられると言うだけのことだと思っていただきたい。
科学を重視しすぎるのは確かに危険ではあります。
 

ちょっと失礼  投稿者:ノンクリ  投稿日: 4月10日(月)17時15分55秒 #1686  
  >「初めに、神が天と地を創造した」と言う宇宙創生に始まり、

「天と地を創った」と書かれているだけで宇宙を創ったとは書かれていませんが・・・
 

Re: 第一日  投稿者:カメ  投稿日: 4月10日(月)13時09分53秒 #1685  
  > 創造の第一日とは、「初めに、神が天と地を創造した」と言う宇宙創生に始まり、地は茫漠として、何もなかった」と言う原始太陽系の微惑星の衝突と合体が繰り返されて原始地球が誕生し『火の玉地球』ができる。そして「やみが大水の上にあり」で原初の海の誕生、さらに「光があれ」で雲や大気によって散乱した光が地表に届くようになった。

興味深いと思いましたが、預言書に、「神は地を形の無いものに創造されなかった」との記述に反します。
聖書を科学で解釈をする顕著な感じがします。I&Dさんなら分かるはずです。科学的証拠を持って聖書を説明する事の愚かさが。
僕も、「光よあれ」が「ビックバン」だと考えていましたが、自分の頭で理解し易い解釈が危険な事に気付きました。信仰が、信仰でなくなってしまいますから…

そして、進化論は、「適応能力」以外は、基本的に間違いです。反証するのは難しいので聞き流して下さい。神に寄って造られ・絶滅したか、偶然(必然)的に造られ、淘汰されたかの違いです。
 

第二章の記述  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)12時04分0秒 #1684  
  第一の創造物語 植物 --> 動物 --> 人間(男女)
第二の創造物語 男(アダム) --> 植物 --> 動物 --> 女(エバ)
第二の創造は構想段階を示し人間の立場は表した物と考えると矛盾がない。
まず人間アダムの創造を構想を思い描かれた。そしてその環境を構想され、その環境に対する人間の立場を構想された。そして、アダム一人では孤独であり、家族も必要だと考えられ妻としてのエバを人類の母として創造することにした。そして、神様の構想では、人とその妻は罪なき無邪気なすがただった。それが、第一章で書かれた実際の天地創造の由来となったと考えればごく自然なはなしとならないだろうか。
 

第一日  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)11時51分8秒 #1683  
  創造の第一日とは、「初めに、神が天と地を創造した」と言う宇宙創生に始まり、地は茫漠として、何もなかった」と言う原始太陽系の微惑星の衝突と合体が繰り返されて原始地球が誕生し『火の玉地球』ができる。そして「やみが大水の上にあり」で原初の海の誕生、さらに「光があれ」で雲や大気によって散乱した光が地表に届くようになった。  

進化論は間違えか?  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)10時34分43秒 #1682  
  私は現象的にはほぼただしいだろうと思います。(一部怪しい点はありますが)ただ、神様とは関係がなく多種多様の生物が出来たとの主張は誤りだと思います。進化といわれるもののシステムはすべて解明されていないものの、そこには全て神の見えざる手があったとはずです。

ただ、生物には環境対応の自由度が比較的が大きいもの(細菌、ウィルスなど)とほとんど変化しないものがあるのではと考えられます。それは科学の研究でわかってくると思います。
 

管理様に対する返答まとめ  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)09時58分24秒 #1681  
  >文字通りの意味で解釈する必要はないということですか?
啓示が与えられた言語とその地域での習慣性を考慮する必要はあるでしょう。
>科学は神による創造ではなく、進化が正しいと主張していますが。
それは解釈上の問題であり、創世記1章の記述とは離れていません。強いて言えば進化の痕跡と思われるものをどう理解するかと言う哲学的問題くらいです。
>僕は進化論を「現在の科学で最も妥当な説」としか認識しておりません。信仰とは別次元の問題と考えます。
創造論側の反進化論的な主張を読むのをためらったという内容を見て不思議に思っただけです。信仰者ならより、神の創造を信じることが出来るなら読みたいと思うはずです。それで、それにふさわしくなくがっかりしたというなら分かるのですが???
>本質的な誤りとは具体的に何を指すのでしょうか。
イエス様が実在しなかったとか、神の摂理そのものが史実にまったくない話だったとか言うことです。神様の創造か否かと言うのも細かい内容はともかく重要だと思います。
これを抜かしたら神様が現実とは関係のない存在となってしまいますから・・。
 

科学と聖書  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)06時15分48秒 #1680  
  私は科学をもとに信仰するのは危険だとは考えます。それは、科学が間違えであった場合の反動が大きいからです。ですが、科学が聖書の創造を否定していると考えることはマイナスだと思います。あえてリンクは張りませんが、古い地球の創造論でちょっと検索してその創世記1章と科学の比較を見てください。矛盾は決してしていません。自然史の基本的なところは今後も変わらないでしょうから、おそらく聖書の創造の内容が科学で否定されることはないでしょう。科学は絶対視はできないし、聖書の記述は科学的事実を重要視したものと言うより神の愛と摂理を伝えるものだということを思っていれば良いと思うのです。

だから、もしかしたらその登場人物の年代は科学的事実からは違う可能性もあるかも知れません。しかし、神様がそのような摂理をして人類を導いたことは事実だと思います。そのような意味で科学的意味では食い違いがあったとしても神様が人類に伝えたい信仰の内容に間違いは無いと私はこのように思っています。
 

文字通りかどうか  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)04時52分6秒 #1679  
  現代語の意味からすれば文字通りでない場合もあリ得ます。これは、誤解を与えないように書きますが、何でも解釈が可能と言うわけではありません。啓示が与えられた場所のイスラエル民族ならイスラエル民族の風習や言葉の使い方、また、言葉そのものの表現方法とその限界性を研究しないと本来の意味がわからない箇所もあるだろうということです。  

種と創造  投稿者:I&D  投稿日: 4月10日(月)04時31分15秒 #1678  
  分類は確かにはっきりしていません。基本的に同機能を持った類似した生物で多くの場合、雄雌の子孫を残すための交配が可能で社会性のようなものを持っているものと言えます。生物は凝り固まった定義に当てはまるものではありませんが、多少の自由度はあるもののこのような種と言うものが存在すると考えることは妥当ではないでしょうか。

科学が進化か神かはどちらが正しいかを今断定できてはいないでしょう。
創造に関しては、見る視点次第で、ほぼ文字通り(一部の訳をのぞけば)の記述で聖書の内容と科学は一致します。強いて言えば聖書は信じるための最低限くらいしか書いていないと言うことぐらいじゃないでしょうか。
 

Re: 固有種とは違います 他  投稿者:管理者・クハ72  投稿日: 4月 9日(日)23時30分6秒 #1677  
  > 種でも半種というような現象もありますが、それは地域性に対応した種の保存が目的であり、種が拡大して別種になったと考えるよりも、その地域的な対応の為に範囲を狭めたと見るのが妥当ではないかと言うことです。

論点をはっきりしていただけないでしょうか。
ちなみに「種」という分類も定義がはっきりしません。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/species.html

> 他の創造論者の言っていることと変わらないとの話ですが、聖書の見方の視点が違います。聖書は地域性のある言葉や時代的な用語で書かれている箇所もあり、現代の科学の言葉の意味で捉えると誤りと感じる部分がありますが、実際は本来の意味からいえば合致している内容があります。科学は自然啓示ですから科学で完全に正しいとされるものと聖書の記述が合わない場合は、聖書の解釈の仕方がおかしいこともあるという考えです。
> 一般の創造論者は聖書の私の解釈は正しいと信じて原点の意味に返ったりしようとはしません。創世記1章の内容は少なくても科学から見て確実に間違っていると言える記述はひとつもありません。

文字通りの意味で解釈する必要はないということですか?
科学は神による創造ではなく、進化が正しいと主張していますが。

> 一応、紹介したページは古い地球を支持するページでしたが、管理人様が進化論を価値視する理由は何ですか?また、管理人様は神の創造はないとでもおっしゃるとしたら、クリスチャンと言うより、単なる聖書道徳信者になってしまうと思うのですが、どちらですか?私は聖書の6000年が文字通りかは聖書の本質的問題に問題に関わらないと思います。久保氏のものでも予型論とか数秘術と言うものがありますが、その中に込められた意味の方が重要かもしれません。

「進化論を価値視する」とはどういう意味でしょうか。
僕は進化論を「現在の科学で最も妥当な説」としか認識しておりません。信仰とは別次元の問題と考えます。

> とにかく、聖書に多少人間的間違えがあったと仮にしても、それは神に導かれた書物で本質的な誤りではないと私は思いますが・・どう考えますか?管理人様?

本質的な誤りとは具体的に何を指すのでしょうか。
全体的におっしゃる意味が良くわからないのです。もう少しわかりやすい表現でお願いできないでしょうか。
 

I&Dさん  投稿者:エビちゃん  投稿日: 4月 8日(土)11時54分3秒 #1676  
  レスありがとうございます!
世界観の違いですか

判りやすい解説ですね!

では

敬具

相馬。
 

世界観の問題  投稿者:I&D  投稿日: 4月 8日(土)11時47分21秒 #1675  
   異種格闘技ではあるが、無神論者が進化論を神の創造を否定する道具として用いているため、これに対しては多少代案を示す必要があるのではと思う。
 新しい地球主義(^-^)の方が言うには、進化と見るか創造と見るか、神と見るか自然淘汰と見るかは科学の話でなく世界観の違いであると言うのですが、その点、私は同意します。 ニュートンやコペルニクスは宇宙の調和が神様によっていかにもたらせたかを研究して法則を発見したのである。もともと、全宇宙が唯一神である創造主の神様で創造されたと考えなければ、宇宙全体に適用できる法則性を見出そうと言う科学の発展はもたらされなかった。ユダヤ人が科学に大きく貢献したのは昔からそのような観点で原因と結果を追求していたからであったと私は思う。
 ある意味、ダーウィンの進化論は神様を自然に置き換えただけのところから始まっており、ダーウィンが様々な不幸で神様を不信していなければ、新しい神学をダーウィンは提唱していたと思われる。しかし、ダーウィンは多神教からの自然神学として進化を説明し、後に無神論者となった。最近、進化論者も偶然と言う言葉を嫌って自然淘汰は必然性を生み出すと言っている。しかし、これほど多くの生物の合目的的機能がすべて何の知性的力の介在もないというのは無理ではないだろうか?突然変異で起こったならそこには神の見えざる手が働かなければなるまい。
 

はじめまして  投稿者:エビちゃん  投稿日: 4月 7日(金)17時36分51秒 #1674  
  一応クリスチャンですけど、
ネットサーフィンで波乗りして此処お邪魔しました。
進化の話は良くわかりませんが、聖書の創造についてコメントスルッと
一日がどんな長さとかなんだとか、自然科学と
神さまは合わせる必要はないと思いますけど。
信仰の話と科学や進化を問題にする前提が
最初からオカシイです!異種格闘技って言うか、土俵の上でゴジラ対エビちゃんみたいでオカシイです!

それにしても、皆さん良く勉強されていますね。チンプンカンプンな私です。お邪魔しました。
ゲーム再開です!楽しんでいるみたいですね〜
 

考え  投稿者:カメ  投稿日: 4月 7日(金)17時18分9秒 #1673  
  I&Dさん、こんにちは!
進化論の言っている部分で「適応能力」の部分が正しいのです(自論)。

しかし、進化論の「進化」の起源は、単細胞から始まり、突然変異による、種の誕生であり、種の枝分かれ…複雑な動物へと…

I&Dさん、「突然変異により、種の誕生」「神の手(言葉)により、種の創造」なにか似てませんか?創造科学が擬似科学でも構いません。進化論が科学的で構いません。僕には同じ様に受け取れるからです。

さて、創造の期間ですが、科学の範囲では、数十億年かけないと説明しずらいのでしょう。しかし、聖書は「人は、御霊によって、この世が6日間で造られた事を知るのです。」と有る様に、6日間なのでしょう(しかし、「1日は千年…」ともあるが、信仰には無関係)。

管理人さまではなく、僕の意見で申し訳ございません。
 

創造論  投稿者:I&D  投稿日: 4月 7日(金)12時32分45秒 #1672  
  一応、紹介したページは古い地球を支持するページでしたが、管理人様が進化論を価値視する理由は何ですか?また、管理人様は神の創造はないとでもおっしゃるとしたら、クリスチャンと言うより、単なる聖書道徳信者になってしまうと思うのですが、どちらですか?私は聖書の6000年が文字通りかは聖書の本質的問題に問題に関わらないと思います。久保氏のものでも予型論とか数秘術と言うものがありますが、その中に込められた意味の方が重要かもしれません。

とにかく、聖書に多少人間的間違えがあったと仮にしても、それは神に導かれた書物で本質的な誤りではないと私は思いますが・・どう考えますか?管理人様?
 

固有種とは違います  投稿者:I&D  投稿日: 4月 7日(金)11時15分19秒 #1671  
  種でも半種というような現象もありますが、それは地域性に対応した種の保存が目的であり、種が拡大して別種になったと考えるよりも、その地域的な対応の為に範囲を狭めたと見るのが妥当ではないかと言うことです。

他の創造論者の言っていることと変わらないとの話ですが、聖書の見方の視点が違います。聖書は地域性のある言葉や時代的な用語で書かれている箇所もあり、現代の科学の言葉の意味で捉えると誤りと感じる部分がありますが、実際は本来の意味からいえば合致している内容があります。科学は自然啓示ですから科学で完全に正しいとされるものと聖書の記述が合わない場合は、聖書の解釈の仕方がおかしいこともあるという考えです。

一般の創造論者は聖書の私の解釈は正しいと信じて原点の意味に返ったりしようとはしません。創世記1章の内容は少なくても科学から見て確実に間違っていると言える記述はひとつもありません。
 

Re: 創造の考え方の視点 他  投稿者:管理者・クハ72  投稿日: 4月 6日(木)22時18分55秒 #1670  
  > 環境対応のある程度の自由性がありますが、地域での保存性を考えての交配を限定したりするそのような方法もあるという考え方を持ってもいいでしょう。

これは「固有種」を残すということでしょうか。

> 6日の創造を科学で説明しようとすれば結局聖書に書いていないことを書いてあると説明することになってしまい誤解を与える危険行為となります。ある程度の現実世界との調和的な認識が必要と思います。

その「調和的な認識」、言いかえれば妥協の産物として有神論的進化論が出てきたのでしょう。

> >間違っていても信じるのが信仰です。
> 私は正しいがゆえにそれを完遂するのが信仰と思います。

これは科学的に間違っていれば信じないという意味じゃないですよね……!?

> ところが平和と言う言葉を地が平らと解釈したり、神様が創ったから地球を中心として世界は回っていると思ったり、人間は身勝手な解釈をします。

身勝手な解釈をしているひとは自分が身勝手な解釈しているという認識はないんですよね。

> そのためにインテリジェントデザインは知性の介在のみを証明しようとする科学として現れました。科学は仮説であり間違いうるものだからです。そして、だからこそ、デザイナーを神様とは言わなかったのです。

宗教教育と見なされないためのカムフラージュの意味もあるのではないでしょうか。
少なくとも統一教会にはそういう意図がありそうです。

>
http://www.konkyo.org/のホームページは見ていただきたいですね。

ざっと見てみましたが、創造論者の言っていることとは余り変わらないようです。
 

創造論の別な解釈  投稿者:I&D  投稿日: 4月 6日(木)09時54分17秒 #1669  
  http://www.konkyo.org/のホームページは見ていただきたいですね。  

聖書の人間的解釈で誤解される  投稿者:I&D  投稿日: 4月 6日(木)09時36分45秒 #1668  
  聖書の表現は信仰に必要な内容を書いてあるのであって科学の書ではありません。当然、その与えた地域にわかりやすい表現であったり、時にはヒントだけ与えて後の時代にそういう意味だったのかと悟らせるような内容もあると思います。ところが平和と言う言葉を地が平らと解釈したり、神様が創ったから地球を中心として世界は回っていると思ったり、人間は身勝手な解釈をします。

そのためにインテリジェントデザインは知性の介在のみを証明しようとする科学として現れました。科学は仮説であり間違いうるものだからです。そして、だからこそ、デザイナーを神様とは言わなかったのです。
 

創造の考え方の視点  投稿者:I&D  投稿日: 4月 6日(木)09時21分57秒 #1667  
  >I&Dさんの記事を読む限り有神論的進化論を主張しているように見えます。6000年前に6日間で創造されたと信じている創造論者から見れば聖書否定と言えるでしょう。

確かに1日を文字通り受け取ればそうなります。ヘブライ語の言語から見れば期間の意味もありますし、「夕となり朝となった」と言う表現は普通の表現ではありません。その地域の考え方でも1日を夕から夕と表現することはあっても夜だけの期間で創造したとするのは不思議な表現です。すなわち、夜の間に創造したとの表現はヘブライ語の表現からの誤解を避けるための暗示的な表現であり、これは長い期間があることを意味するのでないかと言う解釈が成立します。もう絶版になっているので手に入りにくいですが、ヒューロス博士の「宇宙創造と時間」いのちのことば社 を見ていただければその真意が詳しく書いてあります。

また、有神論的進化論は、一般に神様の直接介在を一般に認めませんが、私は、ある程度、段階性を踏まえながらも、新しい基本種を作る際にはまったく新しい要素の創造をされたと見ます。すなわち、すると共通先祖があるように見えますが、神様が介在する中でまったく違う種が創造されたと考えるので進化論とは言いません。

また、この種は一般的な種と違います。生物が生きるには生存のためにはある程度の社会的集団性が必要です。環境対応のある程度の自由性がありますが、地域での保存性を考えての交配を限定したりするそのような方法もあるという考え方を持ってもいいでしょう。

私は神様の奇跡は信じますが、この世界には時間的秩序が必要なので段階性を作らなければなりません。ですから、仮にいっぺんに神様が創造したとしてもその組み合わせに段階性を後からでももたらさなくては、この世界は作れません。これは、実際は人間にはわかりませんが・・。啓示には自然啓示もあるのです。6日の創造を科学で説明しようとすれば結局聖書に書いていないことを書いてあると説明することになってしまい誤解を与える危険行為となります。ある程度の現実世界との調和的な認識が必要と思います。

>間違っていても信じるのが信仰です。
私は正しいがゆえにそれを完遂するのが信仰と思います。
 

Re: 信仰  投稿者:管理者・クハ72  投稿日: 4月 5日(水)22時51分37秒 #1666  
  > これは、例えですが、「創世記の1〜3章」間での記述に誤りがあったとします。しかし、「事実」だと信じるのが「信仰」ではないでしょうか?

その通り。間違っていても信じるのが信仰です。
 

Re: Re: 信仰  投稿者:カメ  投稿日: 4月 5日(水)08時26分57秒 #1665  
  知的好奇心なら、僕にも有ります。
創世記の記述特に11章までは…しかし、「分かり易い」論法が、自分自身の信仰の「害」に成る事に気が付きました。

これは、例えですが、「創世記の1〜3章」間での記述に誤りがあったとします。しかし、「事実」だと信じるのが「信仰」ではないでしょうか?
「創世記の1〜3章」が間違い(科学的根拠が無い)から「信じない」と言うのなら、福音書に記載されている、「十字架の贖い」も「信じない」と言ってるのと同じです。ゆえに、「クリスチャンではありません」と宣言してるのです。

面白い試みでもあると思います。どうぞ、サイトを発展させ「聖書の注解書」に匹敵する物にして下さい。
 

Re: 信仰  投稿者:管理者・クハ72  投稿日: 4月 4日(火)22時48分24秒 #1664  
  > 管理者・クハ72さん興味深いHP運営されてますね!

ありがとうございます。

> しかし、管理者・クハ72さんは、何故世の知識を求めたのか?が、疑問です。

もともとは単なる知的好奇心からです。そしてデタラメな科学知識を垂れ流す人を放置できなくなってしまいました(大袈裟な表現)。
 

信仰  投稿者:カメ  投稿日: 4月 4日(火)18時36分17秒 #1663  
  管理者・クハ72さん興味深いHP運営されてますね!
僕は、20数年前の「サイエンスブーム」の時に色々な科学を見聞きしました。同時に、現在クリスチャンです。
正直、すばらしいサイトです。着目点も良いし、論法も正しいし、分かり易い。
しかし、管理者・クハ72さんは、何故世の知識を求めたのか?が、疑問です。御言葉は、科学で解釈される物ではなく、御言葉によって解き明かされる物なのです。
そして、御言葉(聖書)を理解するのに、知識は不要です。必要なのは「信仰」です。

聖書に科学的な裏付けは不要です。聖書を科学的に証明するのもナンセンス。科学の発展によって、聖書の真実味が増す事も無いでしょう(これは、望みたいのですが)

聖書は、「聖霊によってのみ、聖書が真実である事を知る。」と有ります。サイトの目的自体を否定しかねませんね…済みませんm(__;m
 

Re: 聖書  投稿者:管理者・クハ72  投稿日: 3月26日(日)23時28分5秒 #1662  
  今まで放置して済みません。

> ところで、ここの管理人様はクリスチャンでありながら聖書の創造はまったく非科学的で進化論を信じるというようなことを公言しております。

FAQにもかいてありますが信じているのではなく支持しているのですけどね。

> 聖書は信仰を目的に書かれた神のメッセージであり、その表現は必ずしも科学的な正確性を重要視したものでなく、その時代に合わせた内容や数に意味を込めたり、あるいは比喩や象徴である場合が沢山あると思われます。

I&Dさんの記事を読む限り有神論的進化論を主張しているように見えます。6000年前に6日間で創造されたと信じている創造論者から見れば聖書否定と言えるでしょう。

> 進化のように見えるが実は創造であると主張するのがインテリジェントデザインです。

それは進化論否定ということいでは?

> もちろん、進化論の間違った憶測やでっちあげは修正しないといけません。

それが本当にあるのならそうですね。
 

その通りです  投稿者:  投稿日: 3月26日(日)19時47分32秒 #1661  
  アーメン!  

十字架のあがない  投稿者:I&D  投稿日: 3月26日(日)16時08分52秒 #1660  
  罪は聖書によると簡単に言えば人類始祖であるアダムとエバの不従順から入り込み、カインとアベルにおいてそれは兄弟の殺人と言う形までに発展しました。

しかし、その罪は罪びとである人間自身のみでは取り除くすべを持ちません。また、神様は創造主であるという責任から、神様ご自身から、普遍的愛のあがないを示し、サタンを愛で納得させると共に人間を自らの懐に取り戻す計画を立てねばなりません。
「私たちが神を愛したのでなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子を遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネ4・10)
そして、神様は人類の不従順に対して、入った罪は御子の従順を示し、それを信じさせることによって罪の許しの道を与えサタンと関係のない人間とされようとされました。
「一人の人の不従順によって多くの人が罪びととされたように、一人の従順によって多くの人が正しいものとされるのです」(ローマ5・19)

私は神様が自ら痛みを伴う方法を持って私の(人類の)罪を取り除く道を与えた。それがイエス様の十字架であった。私たちの罪を貼り付けにされたのだ。それを胸に刻んで生きる道がクリスチャンたる道だと思います。
 

メンタルヘルス・ケア  投稿者:W.MO  投稿日: 3月19日(日)22時47分23秒 #1659  
  最近思った、言いたいことを言わせてもらいます。
ゴルフって「他人の真の性格がわかる」のですが、若い人と一緒にプレイすると、他人の失敗に対して「おめでとう」と言ったり、スコアのことで喧嘩腰になったり、年輩者とラウンドするときとはまるで違います。このような性格は職場でも、もめごとが発生すると出てきます。関わり合いになりたくないので、ゴルフは一緒にプレイしないことにしましたが、職場での関わりは避けられません。また、年輩者でも信頼していた人が10打叩いたところを9と申告しました。常日頃、自分のきらいな人の過小申告を批判していながらです。うその申告をしても真実を見ている人にとっては、その人格に対して失望するばかりなのですが、「負けたくない」との気持ちがそうさせるのでしょう。何をするにしても、行なっている事から得る教訓、それらの積み重ねによる心身の成長が生きている意味だと考える者にとって、自分を偽ったり、自分の不満解消のために他人を誹謗中傷したりすることは、「自ら悪因縁を作っている」と思うばかりです。このような考えを理解してくれる人は身近に1人だけいます。「他人の気持ちに配慮する努力をする結果、争いが減少する環境、苦しくなるほどしっかりして磨かれてくる心」、宗教ではどのように教えているのでしょう。
 

I&Dさん初めまして  投稿者:管理者・クハ72  投稿日: 3月16日(木)22時07分33秒 #1658  
  都合によりお返事は数日お待ち下さい。
それから@は機種依存文字ですのでご注意を。
 

I&Dさまへ  投稿者:  投稿日: 3月15日(水)22時47分12秒 #1657  
  聖書に対するかなり高度な専門知識をお持ちの御様子ですが〜神学か高等批評か、学ばれたのでしょうか?

ちなみに私は愛と申します、福音派のプロテスタント教会で洗礼を受けました、キリスト者クリスチャンです。
レムナントの久保先生を御存じなのでしょうか?本ではなく、直に本人とお話しましたか?私はしましたよ!大塚の池袋教会で祈っていただきましたから。
進化論に関しても様々な見解がありますが、直ぐに相手の考えを否定しないでください。この人はどうして、そう言う考えなのか、突き詰めて見るのも大事だと思いますが如何ですか?

難しい話は私は出来ませんが
他山の石で聖書関連の話をお聞かせ願います。異端な考えでない限りお答えできない時は応えませんが、判る話題なら、レスさせて頂きます。よろしくね〜!約束は為ませんが

個人的に神の存在と十字架のあがないについて、どう思いますか?
 

聖書2 補足  投稿者:I&D  投稿日: 3月15日(水)15時12分42秒 #1656  
  @の付け加えとして命の息は霊であるとされる。聖書の命は永遠の生命を意味することが多い。それを物質でおそらく進化に見えるような過程を通じて創造されたが、霊と1つとなることによって人は永遠の命である神様と通ずることが出来る存在となったのです。そうであるから人間は永遠を意識する存在となったのです。  

聖書2  投稿者:I&D  投稿日: 3月15日(水)15時03分17秒 #1655  
  創世記2章の記述は人間の男女の関係と自然界に対する立場を示す象徴的記述であり、神様の構想であったという解釈が可能です。

創世記2章には@人は物質で作られること。A人は物質や自然を知恵で理解するようなものとなること。B人に男女があるのは互いが助け合うためであること。C人は結婚して家庭を作ること。D人は穢れない存在として作られたこと。
が書かれている。
 

聖書  投稿者:I&D  投稿日: 3月15日(水)14時26分44秒 #1654  
  いきなりですが、聖書はその編纂過程から見れば確かに人間的要素が多分に含まれているであろうことが、予測されます。(私も結構専門文献読みましたので)ところが私はそれでも神様は人を導き神様が人間に伝えたい主要な内容は残るようにしたと私は信じています。その方法は人間の良心を通じて介入したり、実際に祈りの中でメッセージを与えたり、人と人の出会いを導いたりいろいろ人間が気づかない形で行われていたと私は信じます。

ところで、ここの管理人様はクリスチャンでありながら聖書の創造はまったく非科学的で進化論を信じるというようなことを公言しております。聖書は信仰を目的に書かれた神のメッセージであり、その表現は必ずしも科学的な正確性を重要視したものでなく、その時代に合わせた内容や数に意味を込めたり、あるいは比喩や象徴である場合が沢山あると思われます。それもあまり直接的な表現を使えばその時代の思い込みの信仰で原意が残されないような書き換えも起こってしまう可能性があるからかもしれません。

ところで聖書の創世記は神様が創造主であることを示す重要な記述です。久保氏の創造論解釈は私も誤りと思いますが、視点を少し地上に変えて読むと科学的自然史で問題がるのは植物が被子植物かどうかというだけであり原語のヘブライ語の植物や種を調べれば子孫を残す植物ぐらいの意味しかないので、科学的自然史と聖書の創造順序は一致しています。

また、神の言葉はロゴス(理法)と考えられますのですべてを瞬間で生じさせる魔法のようなものと考える必要はありません。アウグスチヌスは神は時間までも創造したといったように現在において相対性理論は時間が相対性から生じるものとわかりました。霊界でない時間性を伴った物質世界を作るには相対性と段階性が必要だったのです。

進化論は様々な環境に生物が適合していることをして自然淘汰あるいは自然選択と言いましたが、基本機能やすステムの大幅変更を必要としないような変化での環境対応は生物の自由変異幅として神様が与えられたと考えられますし、そもそも進化論は大きな変化に対する決定的理論を持ち合わせていません。小さな変化の積み重ねもいっぺんに大きな変化を得るのもどちらも有利な機能を達成させる理由にするのは難しいからです。

ところで、インテリジェントデザインは進化論を否定するように見えますが、その変化のシステムを全て否定しているのでしょうか?そうではありません。そこに知的で計画的な手順と関与があったと言うのを指摘するのです。その結果、進化のように見えるが実は創造であると主張するのがインテリジェントデザインです。もちろん、進化論の間違った憶測やでっちあげは修正しないといけません。
 

W.MO様へ  投稿者:  投稿日: 3月 6日(月)07時00分18秒 #1653  
  おはようございます!
不倫に対して女性を一般論でくくるのは出来かねます。ただ、私の周りを見ると個々の個体で異なる反応有りでしょうか。中年の妻子持ちと一時燃えても、燃えカスになっております女性がチラホラです。やはり、聖書に言う通り婚前交渉や不倫は避けた方が結局は正しいのだと、少なくても私愛は思います。

キリスト者として
独身者として
正直に告白しちゃうと
──わたしだって、性の陶酔感に浸って快楽を得てみたいなあって思う事はあります。しかし、結婚まで、我慢するよ。うん…

それよか、今わたしは或るトピで、どういう訳かゆみちゅんさんに間違われ(旅ノートでゆみちゅん号スーパーに乗っているからかな)愛=ゆみちゅんを勝手に憶測されて、誹謗為れているんですよ。
そのトピ愛についての雑感紹介しちゃいます。わたしと大坂さんがターゲットだもん
頭にくるよ優実ちゅんは・

手は出さなくて良いよ。ただ、こんな渦中にいるって認識だけしてください。すいません勝手な都合押し付けて…

 
http://bbs.teacup.com/?parent=every&cat=1700&topics=5942


失礼いたします。

お邪魔いたしました。(‘o‘)ノ
 

gさんへ  投稿者:管理者・クハ72  投稿日: 3月 4日(土)21時46分31秒 #1652  
  マルチポストは当会議室では禁止されております。
これ以上続けられますと書き込み禁止処分になることもありますのでご了承下さい。
 

(無題)  投稿者:  投稿日: 3月 4日(土)00時40分4秒 #1651  
  聖書の記述と現実が異なる部分は、文字通り受け取るのではなく、その言葉の裏にメッセージがあると考えるのが自然だと思う。
全知全能の神は間違った事を言わないだろうから。
何かを示すための比喩や例え話だと考えるのが道理だ。
 

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