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進化論と創造論専用会議室過去ログ

751→800
2004年10月27日(水)〜2004年11月18日(木)

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#800 投稿者の要望により削除


Reよくわかりません 投稿者:シン  投稿日:11月18日(木)01時27分36秒 #799

てつおさん こんばんは

あと少しだけ書きます。
宗教にはサタンが強く働いている(と仮定します)。これを特に「宗教の霊」と呼ぶことにします。

「宗教の霊」は宗教熱心な人程とりつく強さが強いです。
その宗教の霊にとりつかれた人は知らず知らずに弱い人を攻撃し普通の人たちをつまずかせます。

人に「祈らなければいけない」、だったり、「奉仕しなければいけない」。という強迫観念を与えます。結果弱い人は祈れない自分は信仰がない、と自分で自分を裁く霊的リストカット、のような状態に陥り、心に傷を増やしていきます。

また、普通の人たちには救われるためには宗教的な行いをしなきゃいけないんだろうな。と認識させ福音から離れさせていきます。

これらの状態にならないようにするには、主のことばの解き明かしと教えを常に求めていく態度が必要だと考えました。

自分はなるべく宗教的な敷居を高くしないように、と一般の人たちにむしろ仕える態度でいよう、と心がけてきました。

だけど、その自分も偽善者であることが示されました。自分にも宗教の霊は働いていました。宗教の霊、言い換えると教会に働く「サタン」は主のシンプルなメッセージを隠していました。

それが私の言う「覆い」です。宗教の霊、サタンを教会から、まず取り除かねばなりません。それは全ての宗教にも働いています。

私には熱心なだけの牧師も狂信的なテロリスト、特に自爆テロを行う人が同じように見えてなりません。これは言いすぎかもしれませんが、多くのクリスチャン以外の人はそう思っているのではないですか?

「実」は似ているからです。自分の身を滅ぼしながら、他人も道連れにしています。
(キリスト教信者が救われていない、と言っているわけではありません。そこについては今は詳しく話しません。)

神ご自身が生贄となり宗教を終わらせてくれたのにキリスト教はまだ宗教をやっています。重い荷物を人に背負わせています。礼拝に出ると疲れます。また他の人たちを疲れさせています。とりあえず私は色々なところに行きましたがほとんどの場所で安らぎを感じることは出来ませんでした。

多分オレは本当に弱い人間だから教会の習慣に適応出来なかったからだと思う。
それなら、そんな人は救われないのか?

答えは違っていた。本当に救いはあった。それを見つけるのは大変だった。
けれどそれはキリスト教に働くサタンによって「覆い」が、かけられている。
だから単純な福音を見つけるのに相当な回り道をした。

それを取り除かなければいけない。

だけれど自分に働く宗教の霊を聖霊と勘違いしている人たちは決してへりくだらない。
しかし、苦しんでいる人たち、宗教によって傷ついている人たち、そして主のために、その働きをしなければならない。

「私はこの世の知者を辱めるためにきました。」
「高ぶる者にはつまずきとなります。が、信じる我(弱い私たち)らには神の力です。」

あなたとは個人的にもうやりとりしてしまったから、厳しいことが言いにくい。
しかし、言ってみればあなたのような人に話をしに行かなければならない。
「裁きは神の家より始まる。」とある。

このまま私に関わると多分嫌な思いをします。

とりあえず今は私のことは放っておいた方があなたのためです。
これからは宗教関係に対してだけは一切の偽善的行為は主から禁じられてしまいました。

私の言うことはキリスト教信者には過激な内容になります。

しかし、真実に道を求める人には真理であり、神のみこころである、と確信しています。
教会を壊す為にするのではありません。

むしろ、神の教会にもう一度、命を吹き込むため、主がそれをせよ、と命じてい(ると思ってい)ます。

私が勘違いをしているならば「悪い実」を結ぶか、何も起こらないと思います。
「あなた方は実によって見分けることが出来ます。」

さようなら。


よくわかりません 投稿者:てつお  投稿日:11月17日(水)18時57分51秒 #798

>創造でも進化でもありません。
それはわかりました。

>覆い」とは宗教のことです。
>オレはもう偽善者になりたくない。
>これはつまずかせている側にはわからない。

わかったようで、よくわかりません。。。
もし、ここで言えないのであれば、メールで教えてもらえますか?
シンさんとは、前々からメールでやり取りしたかったんですが。


Reシンさんへ  投稿者:シン  投稿日:11月17日(水)15時54分14秒 #797

てつおさん こんにちは

創造でも進化でもありません。

「覆い」とは宗教のことです。

オレはもう偽善者になりたくない。

これはつまずかせている側にはわからない。

信仰は捨ててはいない。
心配はしないでください。前より、確信を持って歩むことが出来そうだからです。

しばらく、その「召命」が自分の思いからなのか神からのものなのか吟味しなければなりません。

オレの思いなのか、神の思いなのか、時が来れば「実」によって明らかになります。
「実」があれば神からです。その時はつまづかないで下さい。


シンさんへ 投稿者:てつお  投稿日:11月17日(水)14時13分35秒 #796

 こんにちは。
 いつものシンさんではないので、どうレスしたらよいものか、考えあぐねてしまいます。

>主の御名がこれ以上、偽善者たちによって貶められることに我慢が出来ない。

マタイの福音書にあるように、

20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
21 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

 すべてにおいて「主よ。主よ。」と呼ぶことが、まさるわけではありません。神のみこころを行うことなのです。
 しかし、信仰の弁明に際して、このようなことをある人が質問したとします(下記URL参照)
「私はもうずっと友人たちに証ししようとしてきたんです。でも彼らは、『自分は聖書を信じてないし、何が書いてあるかも興味はないよ』と言うんです。彼らは、『全てを造った創造主がいるというなら、その確かな証拠をみせてごらんよ』と要求してきます。それができれば、彼らも私の主張する聖書の教えに耳を傾けてくれるんでしょうが・・・。彼らに耳を傾けさせるために、聖書に触れずにどんな証拠を示したらよいでしょうか。」といった内容です。

 これは創造論のページから引用しましたが、ここで、なぜ、聖書についての「証拠」として、生活において、祈りにおいて聖霊の示すところに従って、証ししなければならないものを、わざわざ書き換えられた理科の教科書から知恵を拝借して示さなければならないのでしょう。
 なぜ、福音書でのイエスの復活がそれが自分にも生起した事実として、語ることができないのでしょう。
 おそらく大部分の人は、悩み疲れた末に教会の扉を叩いたのではないでしょうか。
 信じたのは、イエスの恥と悩みと血と喜びを知ったからではないでしょうか。
 書き換えられた理科の教科書は、おそらく後々のことではないでしょうか。

 宗教について、今まで「引き算」してきました。
 科学も哲学も、所詮は「人間の」科学、「人間の」哲学、に過ぎないからです。
 ですが私にはこう思われます。宗教から科学を引くと、神が造られた世界が存在するという神秘が残ります。
 そしてその神秘は、同時にかつて滅んだであろう世界と、滅びゆく世界のおそれをも生じさせます。
 宗教から神学、哲学を引くと、それでも、イエスの受肉と復活の事実が残ります。
 この名前のほかに、救われるべきいかなる名前も、私たちのうちには無いからです。

>もう一度明らかにしないといけないことがある。覆いを取り除かなければならない。
多分あなたとは敵になってしまう。

 その覆いはほかでもない、創造論科学だ。
 自分がどのように信じるに至ったか、もう一度思い起こしてほしい。

http://www.carmical.net/Japanese/articles/creation.shtml


Reおかえりなさい。 投稿者:シン  投稿日:11月17日(水)01時37分28秒 #795

てつおさん こんばんは

まず韓国ですが、確かに熱かったように思えました。けれど熱いことと信仰が深い、というのは別だと思いました。

韓国は儒教的キリスト教となっていて人のことばも一緒に神のことばとして語られているように感じました。韓国の人口は4千万人をずーっとキープしたままなのだそうですけど、クリスチャン人口も25パーセントのままだそうです。だから昔から信じている人が死んだらクリスチャンがそのまま減るのではないか、という心配があるみたいです。現実に若者の教会離れが進んでいるようです。

けれど私には、このへんではっきりさせなければいけないことが出来ました。
何がきっかけなのか、それは個人的なものなのでここで説明はしませんが、とにかく、しなければいけないことが出来ました。

まず私は教会に行っていません。そして日曜礼拝も守っていません。献金もしてません。賛美歌も嫌いで歌いません。教会の雰囲気も嫌いです。宗教的に立派に見える行い、ことば使いを聞くと虫唾が走ります。アーメンも使いません。牧師の頌栄を見ると嫌な気持ちになります。使徒信条もうざい、と思ってました。ハレルヤも小学校の音楽の歌の時しか今まで言った事がありません。韓国の教会も気持ち悪いって思っただけだった。

これからも多分そう思ってしまう気持ちは変わらないだろう。
とにかく宗教が大嫌いだ!特にキリスト教が。

なぜならキリスト教はオレをずっと傷つけてきたから。そして他の弱い人を傷つけてきたのを見てきたから。もう実は明らかになっている。正しい人は行いと実によって信仰は証明されている。しかし神の前に正しくない人たちの不信仰の実も世に明らかになっている。

だけど神のことばはオレの心を守ってくれていたことがわかった。
主の御名がこれ以上、偽善者たちによって貶められることに我慢が出来ない。
主はオレの心を救ってくださったから。
オレは主に「せよ」、と言われたことをしなければならない。主から受けたものをお返ししなければならない。

でないと罪に定められてしまうから。

もう一度明らかにしないといけないことがある。覆いを取り除かなければならない。
多分あなたとは敵になってしまう。

異端扱いされてもやらないといけない。主の哀しみを知ってしまったから。

オレは真のささげものと礼拝をしに行きます。
一方的で悪いですけどしばらくさよならです。

私は掲示板で真心と真実をもって書いてきました。それは本当です。

書き込みは内容次第ではレスするかもしれません。が、きっとご期待にそえる答えはしないでしょう。


おかえりなさい。 投稿者:てつお  投稿日:11月15日(月)18時40分32秒 #794

シンさん、すみません。
浮気とまでは言わないにしても、シンさんの留守中に、創世記1章について、話が進みました。
それで、以前のログのなかで思うことがあれば、言ってください。
できれば、シンさんとも、お話ししたかったのですが。。。


戻ります。 投稿者:シン  投稿日:11月15日(月)11時06分44秒 #793

少しずつですが、再開します。お待ちください。


シンさんへ 投稿者:てつお  投稿日:11月14日(日)22時17分3秒 #792

帰って来た?
言葉、聞かせてくれよん。
韓国は、熱かったでしょう?信仰的に。


晩年のダーウィンと進化論 投稿者:流木  投稿日:11月12日(金)23時23分10秒 #791

 「晩年のダーウィンは進化論を誤りだと認めて後悔していた」という説は、キリスト者のサイトなどで比較的よく目にするものですが、その信憑性は疑問です。

 また、仮に、ダーウィンが進化論を誤りだと考えるようになったとしても、それを根拠として「進化論は間違いだ」とはいえませんし、まして、「聖書の創世記に描かれた天地創造が『科学的に』正しい」ことにはなりません(キリスト者であれば、信仰上は正しいとして当然でしょうが)。

 どうも、「提唱者のダーウィンが誤りを認めた」云々という点にこだわる人が少なからずおられるようなのですが、ある仮説が科学的に正しいか否かはその仮説を反証テストにかけることによってのみ判定されるのであり、提唱者が後に何というようになったかは関係のないことです。

 なお、進化論に関するFAQを当方のサイトにも載せてありますので、よろしければご参照下さい。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/


Re:ダーウィンの進化論について 投稿者:てつお  投稿日:11月 9日(火)23時22分50秒 #790

yayakoさん。はじめまして。

クハさんに続けて、もう一言、付け加えて良いかと思われるのですが、
必ずしもクリスチャンのすべてが、進化論に反対だとは限りません、ということです。


Re:ダーウィンの進化論について 投稿者:管理者・クハ72  投稿日:11月 9日(火)22時35分33秒 #789

yayakoさんこんばんは(お名前を間違えたので管理者特権で訂正m(__)m)。
 件の番組は録画してまだ見ていないのですが、なかなか良かった番組のようですね。ダーウィンが進化論を後悔したというエピソードの真相はこのサイトのリンク集のページから読むことが出来ます。「ダーウィンの晩年」カテゴリーからどうぞ。

管理者注:半角カタカナは当方で修正しました。


ダーウィンの進化論について 投稿者:yayako  投稿日:11月 9日(火)21時39分31秒 #788

 先日、TBSの番組でダーウィンについての放送を見ました。その後、クリスチャンの知人に番組の話をしたら、「ダーウィンは進化論を後悔していた。」と言っていました。発表をしてバッシングされたことを後悔したというよりも、進化論は間違いだったと、後悔して死んだといっていたのですが、そういった事実は、文章とか残っているのでしょうか?もしあるのなら読んでみたいのですが、誰かご存知の方、教えてください。


まったくもって仰るとおりです。 投稿者:てつお  投稿日:11月 6日(土)23時29分12秒 #787

こう、言いましょう。

 天地創造は、一見、科学的な話題に見えるが、そうではない。
 一見、矛盾に見えるが、そうではない。
 神は言葉により、世界を創造し、人間が存在するまえに、その世界はすでにそこにあった。そして神は人をご自身のかたちに創造された。すべての創造は「見よ。それは非常によかった」のである。
 ここに物語の意図がある。

 とんからりんさん、ありがとう。危うく、見失うところでした。
 ノアの洪水は信仰による、と思っていましたが、どうしても、地球科学には未練があった。

>「天地創造は科学それ自体でない」
へ変更。

信仰による。


てつおさんへ 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 6日(土)21時55分50秒 #786

てつおさん

> ただ、これらの行為を、今、文章、すなわち言葉による論理命題に置き換えて、順序をたどる意外、何も確かなことが言えてないのではないでしょうか。

断言口調であたかも確かなことのように言っているのはてつおさんですよ。

>ここに創造論と進化論の幅があると思うのですが、いかがなものでしょうか?

私は興味がありませんのでてつおさんご自身で考察を深めてください。
私は「天地創造物語は、現代地球科学と素晴らしいほど調和がとれています。」が、本当に客観的事実といえるかどうかのみ関心があります。

>「天地創造は科学それ自体でない」

>天地創造物語は、現代地球科学と素晴らしいほど調和がとれています。
>今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。

を撤回するのであればこれ以上議論する必要もないかもしれません。ただ、

>「天地創造は科学それ自体でない」
へ変更。科学は含むが。。。

は認めがたい主張です。
科学とは「自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。」とあるとおり、人間が自然を理解するための営みであって、神の言葉である聖書の記述が科学ではあってはいけないはずです。
たとえば重力の働きを科学の対象として考察することはできますが、重力の働きそのものは科学ではないのと同様です。

おそらくは天地創造は真偽は科学的に証明できると言う意味なのでしょうが、どのような結論が出ようと天地創造の真相を明らかにしたという保障はないでしょう。なぜなら人間が天地創造についての真実を考察できると考えるのは神の奇蹟を否定することになりかねないからです。


とんからりんへ 投稿者:てつお  投稿日:11月 6日(土)17時01分34秒 #785

ごめんなさい。またしても「長くて無意味な説明」と言われそうですが。。。

>天地創造物語は、現代地球科学と素晴らしいほど調和がとれています。
>今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。

から、
「天地創造は
科学それ自体でない

へ変更。科学は含むが。。。


神の言葉の言語空間 投稿者:てつお  投稿日:11月 6日(土)16時20分56秒 #784

ひとりで自滅したかも。※※※※※※※※

>神が「光あれ」と出現させた光は昼であり、太陽の光と考えるのが妥当のように思えます。少なくともビッグバンと解釈しなければならないほど明白ではありません。


 ついで、神が「二つの大きな光る物」、すなわち、太陽と月であるが、これらを造ったのは、植物のあと、すなわち第四日目のことであった。昼と夜は、これまでにもあった。それでは、第一日目の光と第四日目の太陽や月とは、どのような関係にあるのだろう。
 ここで、注意したいのは、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」とあるように、視点が地上にある。これに対して、第一日目では、「はじめに神は天と地を創った」とあるように、全宇宙を包括する視点で記述されている。
 ところで、カール・セーガンらの「暗い太陽のパラドックス(faint young Sun paradox)」という説がある。これによると、初期の太陽は、現在より暗く、地球はそのため、凍りつき、ずっと寒かったはずである。太陽は核融合によって、次第に、明るさを増していったが、本来凍りつくはずの地球に早い段階から海があり、そうでなかったことは、二酸化炭素や水蒸気などの温室効果によるものと考えられる。しかし、そうであれば、なおのこと、太陽が明るくなるにつれ、地球は暑くなる一方だったかというと決してそうではない。
 植物の光合成は、太陽光の強度より、むしろ気候に強く影響される。
 二酸化炭素は大気成分として、現在では多くはないが、かつては二酸化炭素や水蒸気の温室効果で、暗い太陽をおぎなっていた。海が出来たことにより、大気中の水蒸気は減った。植物が誕生してからのちは、光合成により大気中の二酸化炭素を減らすことによって、太陽の明るさによる暑さをしのぐようになったのである。
 ここで、今一度、創世記に戻ると、第四日目の太陽や月、星について「地上を照らせ。」とあるのは、裏を返せば、かつて地上に昼があり夜があったが、地球を厚く取り巻く二酸化炭素や水蒸気により、曇天のように光はあっても、太陽やそれらの天体が見えなかったことであり、そして、ここではじめて、それらが「見えるようになった」と言っているのかも知れない。
 このことは、太陽がはるか以前から存在していることを知っているわれわれでさえ、「日の出」と言うことと、同じである。
 こうして、人間を含めたあらゆる動物が活動する舞台が整えられた。

 これまで天地創造における神の言葉について、私は科学的な論述をして来た。つまり、神の言葉を科学的な諸命題のそれらと同じように扱い、検証して来た。
 それらの記述に、はたして矛盾点はなかったのだろうか。
 たとえば、パンゲア大陸の出現は、生命が誕生してからずっと後である。
 植物の陸進もずっと後である。
 命題ひとつひとつに沿って見てみれば、なるほど矛盾ではないのかも知れないが、自然科学的な意味での厳密な時間は、「在れ」という言葉のなかでは、確かではない。
 さらに言えば、第五日は魚と鳥が造られ、第六日に陸上動物と人間が造られるが、現代の進化論では、少なくとも、鳥類が、両生類や爬虫類、哺乳類より先であるとは認められない。
 このことは同時に、創世記の文学性にも目を向けなくてはならないことでもあるだろう。 
 第一日目は「光と闇」であり、第二日目は「大空の上の水と大空の下の水」であり、第三日は「陸と植物」であり、第四日は「太陽と月星」であり、第五日は「魚と鳥」であり、第六日は「陸上動物と人間」である。天地創造(創世記1章)は、対比される二つのイメージを核にして展開されている。
 神は「在れ」という言葉により、秩序ある創造をなした。そしてその創造は、多様な世界へと発展した。
 だが、同時に「永遠」が「瞬間」であるような神の言葉の言語空間における無時間性と自然科学的な宇宙空間における存在形式の時間性とは、
やはり同じものではないと認めるべきかも知れない。


言語空間において、時間とは 投稿者:てつお  投稿日:11月 6日(土)09時09分9秒 #783

とんからりんさん。

太陽は後でお話しするとして。

>一応突っ込んでおきますがパンゲア大陸は生命が誕生してからかなり後になって出現した大陸ですよ。

 たいへん良いところに気付かれました。そうです。
 ところで、たとえば、ある人が、朝、目覚めて、コーヒーを飲むためにお湯を沸かし(命題1)、その間、朝食のスープもあたため(命題2)、目玉焼きをつくった(命題3)としましょう。
 お湯は沸騰するのに、10分くらいかかったかも知れません。スープも分量によります。ただ、目玉焼きはすぐに出来たかも知れませんが、それぞれが平行に進んだかも知れません。いずれにせよ、推測の域は出ないでしょう。
 ただ、これらの行為を、今、文章、すなわち言葉による論理命題に置き換えて、順序をたどる意外、何も確かなことが言えてないのではないでしょうか。
 天地創造における神の言葉も、このような命題と考えると、「一日は千年のようであり、千年は一日のよう」でもあります。言語空間において、時間とはどのようなものでしょうか。深く考えたいテーマです。
 ここに創造論と進化論の幅があると思うのですが、いかがなものでしょうか?


同意の必要性? 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 5日(金)11時18分24秒 #782

てつおさん

>同意できるところから始めたいのですが。

私が同意できるかできないかと
>天地創造物語は、現代地球科学と素晴らしいほど調和がとれています。
>今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。

とは無関係だと思われますが、なぜ私が同意できるところから始めないといけないのですか?
私は私の解釈が現代科学理論の絶対的解釈とされるような権威ではありません。
私が科学との調和を認めなくても現代科学が聖書との調和を認めているならてつおさんの発言は正しいでしょうし、私が調和を認めたとしても現代科学が調和を認めていないならてつおさんの発言は誤りとなります。

一応同意できない点の1つを挙げておきますが、

---引用開始---
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
---引用終了---

とあるように神が「光あれ」と出現させた光は昼であり、太陽の光と考えるのが妥当のように思えます。少なくともビッグバンと解釈しなければならないほど明白ではありません。

一応突っ込んでおきますがパンゲア大陸は生命が誕生してからかなり後になって出現した大陸ですよ。


撤回??? 投稿者:てつお  投稿日:11月 5日(金)09時28分37秒 #781

>>今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。
を撤回していただかなくては矛盾した態度となります。
「今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。」は誤った発言であると理解してよろしいのでしょうか?

それをこれから一歩一歩、確認して行きたいのですが。 
とんからりんさんは、天地創造(創世記1章)については植物のところまでは認めているのでしょうか?同意できるところから始めたいのですが。


植物までのところ 投稿者:てつお  投稿日:11月 5日(金)09時27分12秒 #780

 宇宙に「始まり」があったとするなら、神は「光あれ」と言われ、いわゆるビッグバンにより、有が生じ、光が生じ、光が生じたことで光と闇が生じた。
 太陽と地球が形成され、微惑星の衝突などにより生じた、地球を取り巻く原始大気の成分は、はじめ他の惑星とあまり変わらなかった。しかし、地球の引力が小さいため、そのほとんどは宇宙空間に放出された。微惑星の衝突も落ち着き、地球はしだいに冷えて行ったが、同時に火山性ガスによる水蒸気や二酸化炭素に富んだ二次的な大気は、地球磁場の強化により、地球表面にとどまり、のちに雨となり降り注ぎ、原始海洋を形成した。「大空の上の水」と「大空の下の水」である。
 神は「海は一所に集まって、かわいた所が陸になれ」と言われた。
 地球表面の冷却に伴い、プレートテクトニクスが発達して行った。のちに超大陸が出現したが、このパンゲア大陸と呼ばれる超大陸は、ひとつであった。 
 海洋プレートが割れて、中央海嶺が出来た。最初の生命は中央海嶺の熱水噴出孔で誕生したとされる。
 ところで、これまで、大気の成分にはほとんど酸素が含まれていなかった。酸素は他の、水や二酸化炭素などの化合物に含まれるので、遊離した酸素の余剰は、植物の光合成に頼らなければならない。またオゾン層もなく、有害な紫外線が強かった。
「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」
 最初の植物(ストラロマイトなどのラン藻類)は、浅い水辺で発生した。これは、オゾン層のない地表において、有害な紫外線が水によって遮られるためである。


誤解ではないでしょう 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 5日(金)00時21分44秒 #779

てつおさん

>「断言」というより、「私の」信仰ですね。

つまり投稿日:11月 1日(月)22時35分6秒の投稿
>神はすべてのものを造りましたが、はじめから存在するから「神」なのです。
は断言しているように書いてはいるが、実際は信仰を述べたに過ぎず誤解を与える文章であったとして訂正するという理解でよろしいのでしょうか?
そうであるならば了承いたしました。

>人間の生命の象徴として、アダムにおいて土から造られたというのは、いわんや他の生物においても然りなのであって、そのことは太古の海洋において「粘土鉱物」の表面に吸着した有機物から生命が発生したということを否定するのではない、といった見解すら保持してるんですよ。

そのように信仰するのは自由ですが、そうであるなら投稿日:11月 3日(水)17時49分30秒の発言
>今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。
を撤回していただかなくては矛盾した態度となります。
「今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。」は誤った発言であると理解してよろしいのでしょうか?

>たぶん、あなたがこれまで出会ってきたかもしれない、創造論者とはちがいますよ。

私はあなたの発言を日本語の意味するとおり正確に解釈して議論を行うよう努めています。
もし私の日本語の解釈について誤りがあるなら、また私が色眼鏡でてつおさんの発言を曲解していると言うのであれば、ぜひ訂正したいのでご指摘ください。


mariさんこんばんは 投稿者:管理者・クハ72  投稿日:11月 4日(木)21時34分26秒 #778

>その韓国人牧師さま5人の方が、イラクに渡航して入って行かれたそうですね。

 イラクで殺された日本人の若者もクリスチャンだと聞きます。もしかしたら「自分もクリスチャンとして何かをしなければならない」という考えがあったのかもしれません。

>スミマセン、「牧師」さまでいらっしゃるのですか?
いいえ、平信徒です。それもあまり真面目とは言い難いw

>創造論と進化論は、とても敷居が高いので、拝見だけさせていただいています。
扱っている内容からある程度の専門的知識が必要になることがありますが、どんなに初歩的な内容の投稿でも基本的には大歓迎です(調べもせずに質問する教えて君でない限り)。


いやはや、、、 投稿者:てつお  投稿日:11月 4日(木)18時30分27秒 #777

とんからりんさんへ

>人間の世界では証明することが不可能なのに「はじめから存在する」と断言されるような存在の神です。
これはてつおさんが議論の前提に置いている神ではなかったのですか?

 「断言」というより、「私の」信仰ですね。言葉少なに聞かれたので、少し答え方に誠意がなかったと思われても仕方ないですが。
 ところで、「現代の科学的知見は人類の始祖としてのアダムとイブの存在を支持していません。」とのことですが、いやはや、申し訳ない。進化論については、私は別段反対しているわけではないのです。むしろ、人間の生命の象徴として、アダムにおいて土から造られたというのは、いわんや他の生物においても然りなのであって、そのことは太古の海洋において「粘土鉱物」の表面に吸着した有機物から生命が発生したということを否定するのではない、といった見解すら保持してるんですよ。ずるいですかね?
 おそらく、神と言った瞬間から相当な誤解を受けているような気がするんですが、私は、科学の表面だけを縫い合わせて、その原理そのものは否定して何か別なものをすげ替えるのではなしに、科学とその科学を成立させている、地質学や進化論などの骨組をありのまま受け入れて、その範囲に踏みとどまるなかで、創造物語をもう一度、見てみようと言うに過ぎないのです。
 たぶん、あなたがこれまで出会ってきたかもしれない、創造論者とはちがいますよ。
 わかってくれるかなあ?


てつおさんへ 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 4日(木)17時41分54秒 #776

>また、それはどんな「神」を前提にして、「神はいない」と言うのですか?

人間の世界では証明することが不可能なのに「はじめから存在する」と断言されるような存在の神です。
これはてつおさんが議論の前提に置いている神ではなかったのですか?

>撤回?あなたは創世記1章について、あるいは地球史について、どのようなご理解をお持ちですか?

「現代の科学的知見は人類の始祖としてのアダムとイブの存在を支持していません。」と現代の科学知識と聖書の記述についての食い違いを指摘したのに対して、反論がないからそのように解釈いたしました。
では、てつおさんが否定できないほどアダムとイブの誕生が科学的に裏付けられたと言うのですか?


とりあえずの返信 投稿者:てつお  投稿日:11月 4日(木)16時55分7秒 #775

>そもその造り主の存在自体が議論の俎上に載せられているのにこのようなたとえ話を持ち出しても無意味ではないでしょう。
それとも「人間には神の存在を証明することはできない」と言うために長々と説明したのでしょうか?

ええ、人間にはこの世界で神の存在を証明することはできないと思いますよ。私が神を信じたのは、キリストの愛を知ったからですが、証明できるほど、安い神を見出したところで、何になるでしょう?ところで、あなたが「神はいない」と言うのであれば、それはどのような証明によるのですか?また、それはどんな「神」を前提にして、「神はいない」と言うのですか?

>何を指して接点と言っているのですか?わたしには接点は全くないと思われます。
それから以前の発言「今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。」は撤回すると言うことでよろしいのですよね?

撤回?あなたは創世記1章について、あるいは地球史について、どのようなご理解をお持ちですか?


長くて無意味な説明 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 4日(木)16時06分19秒 #774

てつおさん

>視野から見ている目を捉えることができないように、与えられた者から与えた者を論ずることはできません。造られし者から、造りし者を論ずることは、とけたアイスクリームからアイスクリームの造り主を探すようなものです。

そもその造り主の存在自体が議論の俎上に載せられているのにこのようなたとえ話を持ち出しても無意味ではないでしょう。
それとも「人間には神の存在を証明することはできない」と言うために長々と説明したのでしょうか?

>接点があるというこのことは、言えると思います。

何を指して接点と言っているのですか?わたしには接点は全くないと思われます。
それから以前の発言「今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。」は撤回すると言うことでよろしいのですよね?


前置き 投稿者:てつお  投稿日:11月 4日(木)13時52分40秒 #773

mariさんへ。ニュース見ていませんでしたが、悲しいことです。実に。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

とんからりんさんへ  
 今日は空が曇っていて、太陽は出ていませんでした。
 明日には太陽が出ることと思いますが、こうした曇天の日々ののちに、「太陽が出た」と言う事は、聖書を読む人にとっては、本気で、神は鶏卵のように日々新しく「太陽をお造りになる」のだとでも、言わなければならないのでしょうか。
 たとえば「日が昇った」という表現は、何も聖書によらずとも、地球自転の「事実」の言い方によりますが、表現からその出来事を汲み取ることは、私たちは普段、珍しいことでも何でもありません。

>これのどこが温室効果の抑制なんだか?どう読んでも太陽と月の誕生だろう。

その話はおいおいして行きます。ですが、その前に、前置きが長くなりますが、どうか、お付き合いください。

さて、昨日読んだつまらない本はバートランド・ラッセルの「私は何故キリスト教徒でないのか」という本でしたが、その中で、ラッセルはミルの伝記から、「私はだれによって造られたのか」と問うことは、「神はだれによって造られたのか」と問うことになる、と触れていました。
 神を論じるうえで、ある人は第1原因を持ち出し、法則を持ち出し、善悪を持ち出し、デザインを持ち出しますが、もし神がそういった何ものかを与えたのならば、神はまさにそういったものに隷従することになるか、もしくは神がそれらの外にあるとすれば、そのこと自体、神が一番目の違反者になってしまうのだと言うのです。
 最後にラッセルは、宗教は地獄の恐怖を与える、と言うのですが、この点だけは、神は一番目の違反者にならないらしいです。

 宗教をある形式で論じることは、図らずも、宗教がその形式に縛られることになります。
 ですが、ヴィトゲンシュタインは、視野によって、それを見ている目を捉えることはできない、と言いましたが、語るべきことは当の論理形式の限界についてでもあり、そこが師匠のラッセルとは違います。
 視野から見ている目を捉えることができないように、与えられた者から与えた者を論ずることはできません。造られし者から、造りし者を論ずることは、とけたアイスクリームからアイスクリームの造り主を探すようなものです。

 ところで、問題なのは、神がそのとけたアイスクリームのレシピを残したことです。書かれたものがあります。
 このレシピについて、ガリレオはむしろ教会のなかの「アリストテレス」によって裁かれ、ダーウィンはむしろ教会のなかの「ニュートン」によって裁かれたのは、周知の通りです。
 15世紀とそして19世紀の、こうした「宗教と科学」に嫌気がさして、とけたアイスクリームのレシピを取り扱うことにひどく戸惑いを覚えるようになりました。同時に、その反動も当然のことながら、起こります。
 いずれにしても、「ここまで」という事を忘れがちだからです。

>現代の科学的知見は人類の始祖としてのアダムとイブの存在を支持していません。
これが最も聖書の記述と科学知識と間で食い違っている問題だと思います。
決して「今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。」などと能天気に言える状況ではありません。

 たしかに、「能天気」な印象を与えたことは、私の不注意でしたが、接線がどちらへ向かおうと、接点があるというこのことは、言えると思います。同時に、その接点も接線も固定されたものでなく、むしろ常に変わるべきものであり、変えていかなければならないものだとも思います。それは「宗教と科学」の限界でもあります。


イラクに韓国の牧師さまが 投稿者:mari  投稿日:11月 4日(木)13時21分29秒 #772

こんにちわ。今朝のニュースからです。

悲しい出来事だと、理解します。先日こちらの客論家のシンさまが、韓国に現在行かれて
おられるとのことですね。キリスト教徒の会議でしょうか?
その韓国人牧師さま5人の方が、イラクに渡航して入って行かれたそうですね。
しかも、イスラム教では禁止、忌み嫌われている、??赤色の洋服を纏う、いかにも
テロリストに対して、挑発=殉職、日本人の一般人が、テロの犠牲になったことへの
抗議と共に、遺書を携えていたそうです。しかしながら、大使館員に見つかり、
連れ戻されたとありました。牧師様の其の時の、気持ちが伝わって参ります。

もし掲示板の趣旨の外れていたら、容赦なく削除してください。
どうも失礼しました。感謝します。
心配です。


追加 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 4日(木)08時54分36秒 #771

てつおさん

現代の科学的知見は人類の始祖としてのアダムとイブの存在を支持していません。
これが最も聖書の記述と科学知識と間で食い違っている問題だと思います。
決して「今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。」などと能天気に言える状況ではありません。

クハ72さん

クハ72さんが「『信仰的には重要だが科学的には無意味』と考えます。」というお考えなのは理解いたしました。特に異論はありません。
ただ一応反論めいたことを言っておかないと、それが万人に受け入れられた客観性をもった命題だと勘違いする人がいるかもしれませんので、予防線を張らせていただきます。

神の誕生についての疑問は神を信じる者と信じない者あるいは神の万能性を信じない者(神と呼ばれるものの全てが聖書の神と同様の万能性を持っているわけではない)との議論においては重要なことと私は考えます。


初めまして、管理者さま 投稿者:mari  投稿日:11月 4日(木)01時18分42秒 #770

はじめまして、管理者さま・クハ72さま

留守中に、訪問させていただいた者です。『この世は仮の世』氏が、貴殿の掲示板に
「目ぼしい本」シリーズを掲載してことを、見ていました。其の時に、何て心の器の大きな面白い方だな?なんて感心していたものです。「シン」さんと同一人物と、勘違いもしておりました。お許しください。(深謝)コメント、読ませていただいて、笑っていました
スミマセン、「牧師」さまでいらっしゃるのですか?

実は、わたしも「聖書」に科学的な説明は不要と、私信している、恍けたものです。
ただ、感性にて受け容れています。日本人ですが、仏教や親鸞、お釈迦様とも異なり、
やはり3歳の時期に「聖母マリア」の幼稚園に入ったきっかけが、大変大きいです。
その後は一環して、自分の心の中では、いつも「ミケランジェロ」の最後の晩餐の
絵だけが、思想の大半示しています。占めているが正しいでしょうか?

創造論と進化論は、とても敷居が高いので、拝見だけさせていただいています。
管理人様へ、どうももしかして、不愉快な思いを与えていたかもしれませんが、
ありがとうございました。失礼します。


ここで僕の考えを明確にしておきましょう 投稿者:管理者・クハ72  投稿日:11月 4日(木)00時39分22秒 #769

議論の流れを無視していたら失礼(怠慢によりすべての記事をチェックしていないので)。

僕は「聖書に科学的な説明は不要」との立場です。
証拠によって真偽の左右される科学理論は普遍の真理とは違うのです。
聖書の記述を否定する証拠が見つかっても信仰を失わずに済むからです。
科学は科学、信仰は信仰と明確に区別しています(このサイトのサブタイトルもこういう趣旨からつけました)。したがってミミさんの「神は誰が創ったの????」という問いは「信仰的には重要だが科学的には無意味」と考えます。

なぜ自分がクリスチャンなのか、一言で言うと
信じたいから信じている
からに過ぎません。証拠も論理もありません、ただ感情の赴くままに信仰を受け入れました。


てつおさんへ 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 3日(水)22時59分6秒 #768

>人がアリになって、アリにも十分わかるように教えてやるほかないですよね。

つまり神の誕生については、人間にも十分わかるように教えてやるほかないという趣旨なのでしょうが、その努力をまったくあなたはしていません。
ぜひとも言行一致であることを期待しています。

>創造論者の洪水による地質学は受け入れがたいとしても、今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。

***引用開始***
神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
夕べがあり、朝があった。第四の日である。
***引用開始***
これのどこが温室効果の抑制なんだか?どう読んでも太陽と月の誕生だろう。
もっとも聖書の日本語訳にはいろいろあるでしょうから、温室効果の抑制としか考えられない記述をしている聖書訳があるかもしれません。その際は引用をお願いいたします。


ありがとうございます 投稿者:mari  投稿日:11月 3日(水)19時46分27秒 #767

てつおさま、どうも感謝します。

クリスチャンであることは、なんとなく掲示板ごしに伝わって参りました。
わたしも、お二人の区別が出来ましたこと、とても収穫になりました(笑)
生物学的側面から、地質学からのお立場での特殊創造論をいつも会議にて、議論されて
おられるのですね。やっと、すこし見えて参りました。

わたしは、ローマカトリック教会の主流から、イエズスさまに信仰の造詣が深い者です。
よって、アメリカ主流による、ユダヤ教やその他のキリスト教会とも、すこし
異なっているものがあります。だからなのか、いつも浮いている自分がいるのです。

このような立派な客論と議論し合うことが、自分自身のレベルから見ても判断できる
ように、傍観させて学習している所です。大変恥ずかしいのです、
訴えるもの、術がないものですから、しかし、とても今日の世界の状況から鑑みて
素通りが出来る問題ではないと、考えています。

わたしは、未熟者です。時々覗いておりましたが、敷居が高いので、羨望していました。
勇気を出して、質問させていただき、質問と言いましても、人物の特定でおかしいのですが、ありがとうございます。
わからないことがありましたら、また質問にまいります。
今度は聖書に関しての、自分なりの言葉にしまして、纏めてまいります。

本日は、ご返事に感謝します。どうもありがとうございました。
失礼しました。


こんにちは 投稿者:てつお  投稿日:11月 3日(水)17時49分30秒 #766

初めまして。mari様。

>こちらでご活躍中の「シン」さまと、「クハ72@車掌」さまは、同一人物さんでしょうか?

 シンさんとクハ72@車掌さんに代わってお答えすると、二人は全くちがいます(笑)
 そして、私もこのお二人もクリスチャンです。
 クハ72@車掌さんは生物学的な進化論の立場から、私は地質学の立場から特殊創造論(アメリカの流れを汲む)を批判していますが、シンさんが「ノアの洪水」にこだわるのも、私などが批判するのも、それぞれ立場こそ異なりますが、同じくイエスキリストの福音のため、ひいてはキリスト教会の内と外のためなのだ、とご理解くだされば、大変嬉しいです。

>天地創造と、天上天下唯我独尊にも、興味も持つ物です。

 天上天下唯我独尊は分かりかねますが、私の確信するところでは、結論から言うとクリスチャンが教会の内部でしか通じないような科学にこだわるのはどうかと思いますが、天地創造物語は、現代地球科学と素晴らしいほど調和がとれています。ただし、現代科学を踏まえた上でです。したがって、地球の年齢を承認することにはなりますが。
 地球史について、章立てすると、おそらく、どの本も内容的には次のようになるでしょう。

(1)ビッグバンと地球の形成→「光あれ」
(2)二次大気の雨による原始海洋の誕生→「大空の上の水」と「大空の下の水」
(3)地球表面の冷却とプレートテクトニクスの発達、
   後の超大陸の出現→「海は一所に集まって、かわいた所が陸になれ」
(4)植物の発生とオゾン層の形成(第三日目の植物)
(5)「暗い太陽のパラドックス」と温室効果、
   二酸化炭素の減少による温室効果の抑制(第四日目の太陽)
(6)動植物の進化と人類の誕生(第五日目、第六日目)

 創造論者の洪水による地質学は受け入れがたいとしても、今や創世記の天地創造は否定できるものでないと思います。


初めまして 投稿者:mari  投稿日:11月 3日(水)16時16分54秒 #765

教えてください。

最近、元「この世は仮の世」さんの掲示板で、遊んでいるものです。
↑のタイトルとは、かけ離れていますが、こちらでご活躍中の「シン」さまと、「クハ72@車掌」さまは、同一人物さんでしょうか?
いきなり、大変失礼申し上げます。

わたしは、非クリスチャンですが、最近すこし、興味を持っています。
天地創造と、天上天下唯我独尊にも、興味も持つ物です。

不躾でしたが、「てつお」さまは、クリスチャンですか?
もしよろしければ、教えていただけませんか?
質問ばかりで、不愉快与えてしまいましたら、謝りますm(__)m・・・・
聖書に関しては、「エホバの証人」の友人から、「モルモン教」の友人から、いただき教会にも通ったこともあるのですが、最近は事情で足が遠のいています。


RE:おしえてください 投稿者:てつお  投稿日:11月 3日(水)10時08分16秒 #764

とんからりんさん。こんにちは。NATOROMさんの板からお越しになったのですね。

ところで、
>>神はすべてのものを造りましたが、はじめから存在するから「神」なのです。
>それは誰がどうやって確かめたのですか?

暗い夜空に、それでも輝く星のあることをアリが知るには、どうしたらよいでしょう?
人が指で教えますか?それならば、アリをつぶしてしまいかねません。
人がアリになって、アリにも十分わかるように教えてやるほかないですよね。
それでも、星など知らない、匂いもないものを私たちには確かめようがない、と言うでしょうが。


おしえてください 投稿者:とんからりん  投稿日:11月 3日(水)06時05分58秒 #763

てつおさん

>神はすべてのものを造りましたが、はじめから存在するから「神」なのです。

それは誰がどうやって確かめたのですか?


RE:科学的な聖書の読み方?続き 投稿者:てつお  投稿日:11月 2日(火)13時00分29秒 #762

<2>真理の相互主観性
 しかし、同時にそれが役に立つからといって、ひとりよがりなわけではありません。
 それが正しいか正しくないかは、公に明らかとなるべきことだからです。
 科学では、皆に分かる手段で証明されなければなりません。宗教とちがうのは、それが数式という言葉によるからなのですが、宗教といえども、教団のなかで、正しいか正しくないか、さらには矛盾の解決を巡って論議されます。
 先に挙げた真理の有用性を「それが<わたしにとって>、それであるようなそれ」と言うことができれば、この真理の相互主観性は「それが<われわれにとって>、それであるようなそれ」と言うことができるかと思います。

<3>真理と意思
 ところで、「それがそれであるようなそれ」は「在る」のでなければなりません。科学は形而上学を不要にしたのだと言い切ったとしても、それらの法則が「在る」という確信はどこから来るのでしょうか。まったくの前提のない状態からつくられた、だから客観的なものだとは、必ずしも言い得ないのではないでしょうか。
 石橋が架けられた彼岸は、石橋を叩いて渡るより先に、それが「在る」のでなければありません。
 ところで、見えるものはすべて、人によって別のようでもありえます。
ただ、見えるものは、見ようとして見えているのです。見ようとしない人が、見えないからと言って、それを否定することはできません。

>「すべてのカラスは黒い」という主張が「真」であることを証明するためには、過去のすべてのカラス、全世界のすべてのカラス、未来のすべてのカラス、それらすべてのカラスの色についての知識が必要です。そうすると、有限な人間には、それが「真」であることを証明することは不可能であることがわかります。ところが、その主張の「真」であることは証明不可能であっても、「偽」であることは証明可能です。たった一匹の黒くないカラスを誰かが見つければよいからです。このように、反証一つで、ある主張が間違っていることが証明できるのは、その主張が全称肯定命題だからです。「聖書の記述はすべて正しい」という主張は、まさにそのような全称肯定命題です。したがって、その主張が「真」であることを証明することは人間には不可能ですが、逆に、それが「偽」であることを証明するには、たった一つの反証例で十分なのです。不完全で有限な人間にも可能な作業です(佐倉哲様のページより引用)。

 聖書に「たった一匹の黒くないカラス」を見るのは、むしろ現代では容易なことです。群れをさえ、なしていることでしょう。
 ですが、その目は確かなものでしょうか。「たった一匹の黒くないカラス」は、明日にはそうでないかもしれず、また、別の人には黒く見えているかもしれないのです。それはだれにも分かりません。
 ぬかるんだ彼岸に石橋は架けられず、また、渡ろうとすることなしに石橋を渡りきることができないのも事実です。


RE:科学的な聖書の読み方?  投稿者:てつお  投稿日:11月 2日(火)12時58分51秒 #761

>科学とは反証あって成り立つと学びましたが、この場合信じることを止めることは難しいので、反証事項があった時はそれをその人なりに乗り越えて信仰することが求められてしまいます。
>科学的であることは「ある事があった」と仮定、もしくは説を立て、その事実関係を検証したり実験や観察が出来ればそれをしてその仮定や説が正しいのかどうか吟味してみることだと思います。とりわけ昔の事は物理法則のように検証する事が難しいので、ほとんどの事がある意味仮説のままです。

 仮説なしに検証も反論も生まれません。同時にクリスチャンであってもなくても通じるものでなければならない、と思います。
「宗教と科学」と言うとき、それぞれ「異なる」面はもちろん、あります。
 けれども、最近では似たような面もあることに気付きました。
 一つひとつ挙げて話すことはできませんが、なるべくあっさり語りたいと思います。

<1>真理の有用性
 フッサールという哲学者は、幾何学について、学校で幾何学が学ばれているのは、それの応用、結果が役に立つからだ、と言いました。こういったことで言えば、プラグマティズムのデューイもそうですし、実存主義のキルケゴールもそうです。キルケゴールは「私にとってそれが役に立つような真理」を求めるのだと言いました。
 知識の応用、結果の有用性は、一面、それが成立した背景を隠蔽している、とさらにフッサールは言います。まるで、複雑な機械の車やパソコンなどと同じように、たとえば三平方の定理を学ぶのに、ピタゴラスの宗教哲学を媒介する必要はまったくありません。
同じことは、福音書についても言えそうです。聖書の言葉は生きていくうえで役に立ちますが、けれども、すべてのクリスチャンがいかにして四福音書が成立したかということを意識しているわけではありません。むしろ、いかに御言葉を適用するかです。
本を読むのは、それが何らかの形で、筆者を離れて役に立つからです。

>聖書にはいかなる無謬も含まないということを無条件に受け入れると、聖書はゴムか粘土のように、必然的に拡張解釈がなされます。(佐倉哲様のページより引用)

 聖書の解釈は古典的なものですが、古くて縮みきったゴムと比べるべきではありません。ゴムのいのちは、この張りのある弾力性にあります。解釈の拡張は古典の持つ通時性にあるのではないでしょうか。


RE:教えて下さい!!  投稿者:てつお  投稿日:11月 1日(月)22時35分6秒 #760

こんにちは。はじめまして。私はクリスチャンですが、

>人類は神が創った!!
 じゃあ 神は誰が創ったの????

神はすべてのものを造りましたが、はじめから存在するから「神」なのです。


教えて下さい!! 投稿者:ミミ  投稿日:11月 1日(月)22時11分2秒 #759

人類は神が創った!!
じゃあ 神は誰が創ったの????


いってらっしゃい〜 投稿者:てつお  投稿日:11月 1日(月)09時36分10秒 #758

シンさん。こんにちは。
韓国ですって?いいですね。
「科学的な聖書の読み方?」等のレスではないですが、とりあえず。

私はこれまで、「否」という立場で言ってきましたが、
「然り」という立場でもありたいと願います。

最近、第三日目の植物と第四日目の太陽について、考えました。

「すべてのカラスは黒い」全称命題です。
たまたま「黒くない」カラスが見つかった。
全称命題は、間違いだったことになります。
けれども、「黒くない」と見たのは、カラスにでなく、
それが何より自分の目だったことにもよります。

シンさん、創世記についてはどう思われますか?
ノアの洪水より、本当はこの創世記から「然り」なるものを見出して行きたいと思うのですが。
創造論は、なぜ創世記1章を語らないのでしょう?


リンク先が、 投稿者:シン  投稿日:10月31日(日)02時42分47秒 #757

エラーで紹介できませんでした。もし必要なら今度ちゃんと紹介しようと思います。興味ある方はご自分で検索なさってください。

洪水 ノア 神話 バビロン 創造

とかですればたくさん出てくると思います。


続き 投稿者:シン  投稿日:10月31日(日)02時37分5秒 #756

てつおさん 改めてこんばんは

こちらも最近本当に寒くなりました。今年は夏は長く激アツで秋は短かい気がします。秋を感じる暇がありません。

さて多少は科学的手法をとりたい、と思うのでなるべく客観的に他の資料を挙げ聖書と合わせて見ることにします。

まず聖書が荒唐無稽な書物である、とある人はいいましたが、それは実は聖書だけに向けるべき内容ではありません。特に問題となっている内容は大きく挙げて2つ

(1) 人(生物?)が長寿であったこと
(2) 世界規模の洪水があった、としていること

世界中の神話や伝承は大体において流れが同じです。
<1> まず神が世界をつくったこと。
<2> そしてその世界は水からによる創造のパターンが多いこと。
<3> そしてその世界は一度水によって滅ぼされたパターンが多いこと。
<4> 人と神が混在している場合も多い。
<5> ついでに挙げるならインブリードによる民族発祥

特にこの部分だけに着目して世界中に伝わる神話などを見ると上の基本パターンになっていることがわかると思います。たくさん例を挙げたいのですが一つリンクするだけにしときます。ただ、そのリンク以外でも調べればインディアンの伝承やグリーンランドでも、世界中の全ての場所でそれを見つけることが出来るでしょう。

神話は確かに荒唐無稽で、そのまま信じるには明らかに問題があるでしょう。しかし、それで終われる程浅いことが書いてあるように私には思えません。もちろん体験したことを誇張したりもしてるでしょう。ただ、別にそんなのどうでもいい。昔の祖先たちの想像の産物だ、と決め付けるのなら読むのはここまでで結構でしょう。

そこで何故パターンが似ているのか、という考察になります。考えられる可能性をいくつか挙げてみます。

「1」 先に誰かが体験したものを真似ていった。
「2」 全ての民族はそれぞれの場所で似た体験をしたから。
「3」 人類が民族分化する前に体験した共通の記憶だから。
「4」 洪水限定ですが、それぞれの場所で洪水にあった事を基に伝承が残った。

聖書だけに焦点を絞ればそれはバビロン、アッカド神話のパクりだよ、と言う人もいるでしょう。その場合1のパターンになります。ただ、他の全ての文献も似たり寄ったりですから私は「2」、「4」は私にとって論外として基本の考えは「3」で、当然「1」もあるが、それは基本ではない、と考えました。

それで次は何故「3」なのか、そしてその「3」に対しての答えとして予想できるものを挙げてみます。

と乗ってきたところ本当にすみませんが実は私、来週月曜から1,2週間韓国へ行くのでしばらくお休みさせていただきます。それぞれこの内容について頭の片隅にでも意識を残しておいてくれたら幸いです。

昔の人がわけのわからないことを書いている、と思えても少なくとも私たちよりは「その昔」に近い時代を生きていたのだから、科学の時代を生きるわれわれに有利な点もありますが、私たちより昔のことを知っていると思います。何か思うところがありましたら私が旅行に行ってる間、何か書き込んでみてください。

個人的には<5>の内容は進化論の内容に深く迫るような考察が出来ると思っています。

明日も時間があったら書きますが多分無理かもしれません。

では、また。


科学的な聖書の読み方? 投稿者:シン  投稿日:10月31日(日)00時53分37秒 #755

クリスチャン限定の科学的読み方です。

ある人たちが言うようにただ「聖書に書いてあるから」という理由だけで何かを主張する、というのは客観的でなく一般の人たちには説得力がないと思います。別にそれでも構わないと思う人もまたいるかもしれません。

その中間的な読み方になるのかな?ちょっと前人口の推移から聖書の記述と検証をしたがっていた人がいましたが、吟味の方法としては正しいやり方なのではないかと思います。

科学とは反証あって成り立つと学びましたが、この場合信じることを止めることは難しいので、反証事項があった時はそれをその人なりに乗り越えて信仰することが求められてしまいます。

科学的であることは「ある事があった」と仮定、もしくは説を立て、その事実関係を検証したり実験や観察が出来ればそれをしてその仮定や説が正しいのかどうか吟味してみることだと思います。とりわけ昔の事は物理法則のように検証する事が難しいので、ほとんどの事がある意味仮説のままです。

聖書を科学する、と言う事は例えば簡単にいうと「ノアの大洪水は世界規模であった」と仮定、説を立て、その検証をしてみる、というような事となります。別にこの事自体は悪い事ではないと思います。やるのもやらないのもその人の勝手、というだけのことです。ただ、てつおさんが心配しているのはそれをかなりのよりどころとした「いびつな信仰」と「信仰の押し付け」について、だと思っています。それについては同じ気持ちです。

実際、よりどころになるものと同時に反証なども余計に出てきて信仰が混乱しがちになる危険性があります。

それを踏まえて

自分が前々から挙げる、と言っていたものも確証のない与太話のようなものです。ただ、一応、いくらかの人には通じるように上記のような手順を踏んでいます。また反証となるものも挙げるので、信仰が弱いと思う人は読まない方が良いかもしれません。

信用できるセールスマンとは商品の良い部分とリスクになるものを同時に説明します。都合の良いことだけ言う人は人間の場合、基本的には簡単に信用すべきではありません。

あとなにぶん不勉強な一般人の言うことですから内容はおそらく「ムー」とかに書いてある事以下です。それぞれご自分で判断なさってください。また前置きが長くなってしまいました。次の記事でやっと本題に入ります。


自分にレス 投稿者:シン  投稿日:10月29日(金)01時08分16秒 #754

1>生物なら、進化論的考えしか導き出せません。

2>今の時点での私の立場は進化論を認めた上での特殊創造論者です。

これは、あるクリスチャンから見たら危険に思われる内容ですね。
1については「神なし」の設定でのことです。
2については漠然とした理解は持っていますが、説明はもう少し先になると思います。

これを読んでも躓かないように。まだ、説明が足りていないので、これだけだと誤解されてもしょうがない内容だと思います。判断は保留して置いてください。

続きはまたしばらく後に。


Reどこからどこまでを「ノアの洪水」による地層 投稿者:シン  投稿日:10月28日(木)00時21分34秒 #753

てつおさん こんばんは

知識の補足ありがとうございます。自分はこのこと(題名)について答えを言い切ることが出来るほどのものを用意することが出来ません。

今を見て昔を予想する、というのは定石です。宇宙においても大陸の移動を見ても地層を見ても、です。生物なら、進化論的考えしか導き出せません。

有神論的進化論などありますが、今の時点での私の立場は進化論を認めた上での特殊創造論者です。その辺についてはおいおい誰かと話すかもしれませんが、地層においてもそのような考えを持つに至りました。これは過程なので、また変わるかもしれません。

というわけで私がそのあたりをはっきり主張するにはもっと勉強や研究が必要です。しかし、それに対しての努力が足りなさ過ぎます。とりわけフィールドワークが必要だと思っていますが、いったいどのように勉強したら良いのやら、という感じです。おそらく出来ないと思います。けどそれで良い、とも思ってます。出来ればやりますけど。

2つのものが戦う時その重要な要素として攻撃と守備、があります。もし両方が完全であったらそれを何かの説に例えると、それはほぼ完全な理論で正しい確率が高いと思います。そこで創造論全般を例えるとそれは攻撃力に特化しているが守備力が弱い、というように思えます。なぜなら、自然科学の謎、とされている部分に一応それなりの答えを提示しているからです(正しい正しくないは別として)。一方自然科学の答えや特に進化論は長い時による進化の想像の難しさから、攻撃力は低く、またその理論の確立されているところから守備は高い、と思えます。

私としては攻撃も守備も自信がないので、どちらか一つずつしか出来ません。前回の内容「Re想像する余地」は、まず守備的なものに目を向けた、といった感じです。

しかし守備に欠陥があっても攻撃はしないと負けてしまうので、攻撃に移ろうと思います。攻撃、といってもそれは喩えの上で、です。

攻撃とは相手を攻めるのではなく、納得のしやすい話題を提供することです。守備とはその理論の欠点をなくすことです。変な喩えかたをしましたが話がわけわからなくなったりしてないでしょうか。

お互いが幾分かの穴である欠点を大小の差はあれ持っていると思います。そのわかっていないこと答えられないこと、すなわち「欠点」が私の「想像する余地」となります。抽象的に答えてずるい、と思うかもしれませんが、きっと、てつおさんも知らないことたくさんあると思うので、ためしに何かわからないことを考えて見てください。それが想像の余地です(それが出来ない場合ヨブ記38章から読むと良い、と思います)。たとえ学者でも同じだと思います。全ての人は知らないことはたくさんあります。神を信じていない学者もたくさんいると同時に神を信じる学者もたくさんいます。

そんなわけで、「穴」があって、仮に解決できなくても、先に進めます。たくさん話題を提供して見た人が判断すれば良い、と思ってます。私はぶっちゃけ、他の人のために書いているからです。あなたは(聖書的には)健康な人ですから。

あなたは大体において正しい批判をしてくださるから、それが必要です。続けてよろしくお願いします。が、本題については長くなったので次回。失礼します。


Re:Re:想像する余地 投稿者:てつお  投稿日:10月27日(水)21時49分23秒 #752

さむいですね。私の住んでる北海道は雪ですよ。シンさんも、風邪などひかないようにしてくださいね。

>1 それぞれの地層の年代設定は長い時を経たところもあっという間に出来たところもあってそれらをはっきりすべきではないか、ということ。
例えば火山により出来た地層は一瞬、というか地質年代的にはかなり短い間に出来た、と予想できます。洪水であっという間に出来たような地層もあるのではないでしょうか。また、長い時を必要とする地層もあると思います。

 たしかに、「それぞれの地層の年代設定は長い時を経たところもあっという間に出来たところも」あるとは思いますよ。たとえば、広域的に火山灰の降灰があったりなど。
 でも、堆積岩などの地層ができるのは、ただ単に厚く堆積することだけではありません。急激に埋没したために、生物の遺骸などがそのなかに交じっている場合もありますが、ただの土砂がいかに「岩」になっていくのかという過程も見逃してはなりません。その点で、実験室とは異なるのです。
 あるいは、そのような堆積岩が地殻変動により隆起して、風化する(さらにまた沈降して堆積し、そして再び隆起して、風化する)など、のサイクルもあります。
 地層の年代は、地層中の年代のわかるものにより、あるいは他の地層と比較しながら、関係付けられていくようです。
 
>2 下にある生物が古いのなら昔の地球は小さかったのか、という疑問。
ちょっとこれに関してはもしかしてアホな質問をしてるかもしれません。

 「地層」と言っても、地球の大きさに比べると、牛乳が沸騰したときに出来る、皮みたいなものですよ。
 とはいえ、地表は地表で、隆起、削剥、沈降の繰り返しで、山やそうでないところは絶えず変わりますが。

 ところで、どこからどこまでを「ノアの洪水」による地層と見なしているのでしょうか?


Re想像する余地 投稿者:シン  投稿日:10月27日(水)01時52分16秒 #751

てつおさん こんばんは

最近、やっとドーキンスの盲目の時計商人に手をつけることが出来ました。といっても半分くらいしか読んでないのですが。
自然科学や進化論の勉強をして感じていること、最近なら特に上の著作からですが、それは研究に裏打ちされた熱心さを感じています。

何かを主張する時、それにはその主張と同等以上の研究や努力、といった代価が必要なのだと思いました。そしてそれを批判する時もまたそれに相当するものが必要です。もちろん論理的に構成された上で、ですが。

自分は科学の方ではそれが足りていないので、そこは今のところあまり関わらないことにします。

本題の想像する余地、ですが、まず関わらない、と言っときながら、その話題から。

まずビーカーの攪拌による説明は無理がある、と仰ってましたが、地質学のことに関しては、もっとはっきりしなければいけないことがあるのでは、と思いました。

特に2つあります。

1 それぞれの地層の年代設定は長い時を経たところもあっという間に出来たところもあってそれらをはっきりすべきではないか、ということ。
例えば火山により出来た地層は一瞬、というか地質年代的にはかなり短い間に出来た、と予想できます。洪水であっという間に出来たような地層もあるのではないでしょうか。また、長い時を必要とする地層もあると思います。

本を読んだ限り全てすごく長い時が設定されていたような気がします。

2 下にある生物が古いのなら昔の地球は小さかったのか、という疑問。
ちょっとこれに関してはもしかしてアホな質問をしてるかもしれません。

下の地層の生物は基本的には当時その高さで住んでいたのでしょうか(隆起や沈降もあったでしょうが)。

私のやりたいことは前にも書いたように、よくわかっていないところを探し、その空白を使い想像する。ということです。

これらの事を踏まえ、その内容に入ろうと思います。もし何か知ってることや修正すべき点がありましたらご教授お願いします。


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