- 創世記 (Genesis n.)
- モーセの書いた聖なる五書のうち最初の書。この書および残る四書をこの偉大な人物が書き著わした証拠は、人を十分に納得させているものがある――何しろ、自分が書いたものではない、と否認したことはついぞないのであるから。
ビアス著『新編 悪魔の辞典』(西川正身編訳 岩波文庫)より
創世記とは旧約聖書の最初に収録されている書物である。天地万物の創造、楽園のからの追放、カインとアベルの物語、ノアの大洪水、アブラハムとその一族によるユダヤ人の起源について書かれている。
この創世記は『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』とともに「モーセ五書」と呼ばれ、モーセの著作であると言われているが、複数の著者による文章をまとめたものであるということがわかっている。また、ユダヤ人の歴史についても触れられてはいるが、歴史書ではなく律法書として分類されることが多い。
天地創造を描いたのは1章と2章、小見出し付き聖書では「天地の創造」として一括りにされている。
この箇所は2つの文章を後の世の人が編集して繋げたものであることがわかっている。一つは1章1節から2章4節aまで、もう一つは2章4節bから25節までである。
天地の創造
1
1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
6神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
9神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。10神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。11神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」
そのようになった。12地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。13夕べがあり、朝があった。第三の日である。
14神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。15天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。17神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、18昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。19夕べがあり、朝があった。第四の日である。
20神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
21神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。22神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
23夕べがあり、朝があった。第五の日である。
24神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。26神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
27神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
(中略)
31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
2
1天地万物は完成された。2第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。3この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
4aこれが天地創造の由来である。
4b主なる神が地と天を造られたとき、5地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
6しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。7主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。8主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。9主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
(中略)
15主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
(中略)
18主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
21主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。22そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、23人は言った。
「ついに、これこそわたしの骨の骨
わたしの肉の肉。
これをこそ女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
(後略)
2つの文章を繋げたために天地創造という一つの出来事を2回にわたって繰り返すという構成になっている。しかも太字で示した箇所に注目すればわかるが、万物が造られた順番が矛盾してしまっている。それだけでなく日本語訳でもわかるように文体の違いや創造主の呼び名などいくつかの相違点がある。久保有政氏は「矛盾していない」と反論するがその論理は破綻している。佐倉哲氏から再反論されてはいるもののその後も同じ主張を繰り返しているようだ。
これについては東北学院大学教授で神学博士の浅見定雄氏が「自然界における人間の位置とか男女の意義などについて、この二つの話は表面上の違いにもかかわらず、ある共通のことを語っている」と言っているが、これが一番妥当な解釈であろう。
また第4日目に太陽が造られたはずなのに第1日目から昼があるのはなぜ?という疑問もあるが、これについても浅見氏が
神は六日間の天地創造行為のうち、前半の三日で世界のいわば環境を造り、後半の三日で、それぞれの環境の、いわば住人または管理人たちを造っている。そこで、一日目の光(オール)と闇つまり昼と夜に対して、四日目(後半の第一日目)に太陽と月・星という「発光体」(マーオール)を造ったのである。また古代の常識では――いや、現代でも実感としては――世界は太陽の出る前に光がさして明るくなるし、また曇天の日でも朝が来れば光(明るさ)は現れる。だから光が先で太陽はあと、きわめて常識的である。(下線は原文では傍点)
と述べている。
ところが久保氏は「第一日のは原始太陽のものであり、第四日のは核融合による太陽の形成でしょう」と、現代天文学に無理矢理こじつける。
創世記の編集者がなぜこのような矛盾をそのままにしていたかはわからない。2章4節b以降は時系列順に記されたものではないという主張もあるようだが、聖書とはそこまで杜撰な書物であろうか。相反する2つの説を併記して後世の歴史家に判断してもらおうという意図があったではないだろうか。
参考文献:佐倉 哲『天地創造物語の矛盾1』
浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫 1986)
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