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南山宏氏の不完全な引用

この人もやっていた!

 

 南山宏『地球史を覆す「真・創世記」』(学研)からの引用です。

 ところが逆にカンブリア期に入ったとたん、生物進化史上最大のミステリーといわれる“カンブリア爆発”が、文字通りドカンと起こるのだ。以下、現アメリカ自然史博物館の無脊椎動物専門の古生物学者、ナイルズ・エルドレッジ(原文ママ)の文章を忠実に引用しよう。むろん彼は第一線の進化論学者である。

「それから大変な爆発が起きた。その爆発は6億年前に始まり、1000から1500万年間続いた。今日でもまだ海で栄えている主な動物種族の最古の代表たちが、だしぬけ同然に出現したのだ。このいささか長期間にわたる“事件”は、絵に描いたような化石の記録として今も目にすることができる。世界中どこでもかしこでも、化石などほとんどかけらもない分厚い堆積層の上に、ほぼ同時に忽然と、三葉虫や腕足類や軟体動物といった殻のある色とりどりの無脊椎動物群をどっさり含んだ沈殿槽が覆い重なっていたのである。現代の海洋で目にする典型的形態の固い殻を持つ動物たちのすべてが、原始的で原型的な姿とは言うものの、6億年も昔の海中に一斉に出現したのだ」(『モンキー・ビジネス:創造論に対する科学者の見解』1982年)

南山宏『地球史を覆す「真・創世記」』1998(学研)pp.245-246

 これだけを読むと進化論者は“カンブリア爆発”に対して何の回答も持っていないような印象を受けます。
 『地球史を覆す「真・創世記」』は1998年発行なので『モンキー・ビジネス:創造論に対する科学者の見解』の邦訳『進化論裁判』はすでに平河出版社から刊行されています。南山氏の引用の次ページからの文章を邦訳から引用してみましょう。

すなわち、ダーウィンの言うとおり、生物は進化してきたのだとしたら、あれほど多用な生物が突如として出現することがどうして可能だったのか。この「カンブリア期の爆発」は進化論という概念そのものが誤りであることをきっぱりと証明するものではないのか。これが、創造論者の発する異議である。
 しかし、ここにはごまかしがある。それは、「ダーウィンの言のとおり」という文句にある。創造論者は、生物は進化してきたというダーウィンの主張と、生物はいかに進化してきたかに関するダーウィン独特の考えとをごちゃ混ぜにし、さらにダーウィンが結果的に化石記録の中に見つかるものと期待したようなパターンともごちゃ混ぜにしているのである。
(中略)
 それにしても、生物の進化的変化の速度はメトロノームが拍子を刻むように着実にゆっくりとでなければならないなどと、ダーウィン以外の誰が言っただろうか。近ごろのやり方は、化石記録を以前よりはもうちょっとあるがままに読みとることである。では、化石記録は生物史の壮大なパターンを正確に描写していると議論の都合上仮定するとして、その場合、カンブリア期の爆発にはどういう意味があるのだろう。その場合は、進化の中にはほかよりも早く進行する出来事もある、というだけのことである。

ナイルズ・エルドリッジ『進化論裁判』1991(平河出版社)pp.57-59

 そう、これにはエルドリッジ自身が回答を書いていたのです。まさかそれを見破られまいとして邦訳ではなく原著から引用したのでは……?
 エルドリッジに関してもう一ヶ所引用してみましょう。

 現代の創造論科学者たちの活動は、1970年代初頭に〈創造論研究所〉が彼らの拠点として、アメリカのサンディエゴに創設されて以来とくに活発になり、同国だけでなくカナダ、オーストラリアなどキリスト教諸国の大学や高校、教会や公会堂などで、両陣営の科学討論シンポジウムが盛んに開かれるようになった。そして、対論の勝者がたいていクリエーショニスト側という結果になることは、当の進化論学者ですら「たいていの議論ではクリエーショニストが勝つ」(断続平衡進化論者のひとりで、頑固なアンチ創造論者でもあるナイルズ・エルドレッジ自身の言葉)と正直に認めるほどなのだ。

南山宏『地球史を覆す「真・創世記」』1998(学研)p.298

 南山氏はこちらを引用するにあたっては出典すら明らかにしていません。これは一次資料に当たって調べられるのを避けたのではないかと勘繰りたくなります。
 エルドリッジは確かに『進化論裁判』において「公開論争では、ほぼ間違いなく創造論者側が勝利を収める」と言っていますが、実はこれには続きがあります(太字は引用者)。

その場合、聴衆の中には、すでに改宗した者や信者たちが多数紛れ込んでいることが多く、しかも受けて立つ科学者の側は、最近まで、論争の場で自分たちを待ち受けているものに対する準備不足をさらけ出しっぱなしだったのだ。
 創造論者なんて聖書を振りかざすだけの教養のない愚か者だと決めつけていた科学者たちは、論争が開始されて早々に、様々な科学の話題に関して真っ向から着実に繰り出される猛攻撃にてんてこまいをさせられて総崩れとなる。一人で天文学、物理学、化学、生物学、地質学、人類学の関連分野すべての専門知識に通じている科学者などいはしない。今日の創造論者は、少なくともそのスポークスマンの大半にかぎっていえば、高等教育を受けた知性ある人たちである。彼らは熟達した論争家であり、常に下準備を怠らない。そのため、しどろもどろの状態にあまりにたびたび追いやられてしまう科学者側よりも創造論者側のほうが、数多くの情報に通じているかのような印象を与えるのが常である。
(中略)創造論者が公開論争で勝利を収めるのは、抜け目のない舞台度胸のおかげであって、論理の明解さや証拠の力などのせいでは断じてない。公開論争は、進化について真剣な討議をする場というよりは、ショーなのである。

ナイルズ・エルドリッジ『進化論裁判』1991(平河出版社)p.16

 さて皆さんはいかが思われますか?

追記
 これらのことについて会議室において夜帆さんよりご指摘を頂きました。厚くお礼申し上げます。

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