
進化論とは直接関係ありませんが、日本人クリスチャンとしてこれだけは言っておきたい事があるので筆を執りました。
- 十戒
- (前略)あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。- あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。(後略)
旧約聖書(新共同訳)出エジプト記20章4-7節
仏教や神道を偶像崇拝というには語弊がありますが、クリスチャンは唯一神以外への礼拝を聖書で硬く禁じられています。それゆえ原則として寺社仏閣への参拝はしません。もちろん葬式などで手を合わせることはありますが、仕方なくやっているといっても過言ではないでしょう(中にはそれすら拒否しなければならないという人もいる)。
先祖代々受け継いだ位牌を焼却する人もいます。狂信的だ!という声が聞こえてきそうですが、別に誰かから無理矢理取り上げて燃やすわけではないので問題はありません。むしろクリスチャンに神社などへの参拝を強制するほうがはるかに問題でしょう。
- 第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】
- (1) 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- (2) 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- (3) 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
日本国憲法
キリスト教団体の多くが首相の靖国神社公式参拝に反対する最大の理由がそれです。A級戦犯(として処罰されたのが妥当かどうかをここで論じる必要はない)の合祀というのは靖国神社や遺族側の問題ですから部外者の僕に口出しすることはできません。しかし、国民の代表でもある内閣総理大臣が公式に参拝するのはどうでしょう。国民の信教の自由が損なわれているようにも思えます。
ここで誤解されないように言っておきますが、戦没者を追悼するなと言っているわけではありません。靖国という宗教施設に国家が関わるのは政教分離の原則に反すると言っているのです。何も靖国ではなくても追悼はできます。だからこそ無宗教の国立墓苑を作れという声が上がっているのです。日本人だからといって神社に参拝しなければいけない理由はありません。
石原慎太郎東京都知事が「公人にも信教の自由はある」と言っていましたが、政教分離が必要な公人と信教の自由を持つ私人とを区別するため「記帳の肩書き」「公用車の使用」「玉串への公金支出」という3つ原則ができました。もちろんこれらに何かの意味があるとは思えませんが、過去に決まったことが曖昧にされているのはいかがなものでしょうか。
政治運動をするのは自由です。しかし今一つ何を主張しているかがわかりません。何に反対して何に反対していないのかがはっきりしませんし、反対するだけで代案を示すこともしません。
何も靖国神社公式参拝や作る会の教科書ぐらいで日本が軍国主義化する筈がないんですから、必要以上に危機感を抱くこともないでしょう。
過去にキリスト教国がやってきた植民地支配だって日本のアジア侵略と同罪です。聖書に反する行為だとは言えますが、聖書に即した行為だとも言えるのではないでしょうか。
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