2005.4.1(金)
昭和の劇
『昭和の劇/笠原和夫』を読み終えました。
『仁義なき戦い』などのヤクザ映画で有名な映画脚本家「笠原和夫」氏の
「集大成」といっていい、中身の濃い本です。
全部で600ページで4,286円ですので、
まさに「聖典」を買う覚悟で読みました。
中身は「笠原和夫」氏と、脚本家「荒井晴彦」氏と、
文芸評論家「糸圭秀実」氏の三者による「対談」という形で
進められていますので、思ったよりも読みやすく、
かつ今まで読んだ「笠原和夫」氏の著書では、
「匿名になっていたりボカしてあった人や出来事」が、
ほぼ全て「詳しく書かれています」ので、
まさに「値段」だけのことはありました(^^)
非常に中身が濃く、「笠原和夫」氏の「哲学」が
あますところなく網羅されています。
まさに「昭和とともに生きた男」の、
「反骨心」にあふれ、「一本筋の通った」考えおよび
生き方の重量感と説得力には、うならされます。
何よりも、「一本の作品」を書く上で、
必ず「取材をした上で書く」という姿勢からくる「説得力」、
これは大きいですね。
全てについて書いたとしたら、「日記1週間分」になってしまいますので、
それは断念することにして、
中でもボクが一番印象に残った部分を紹介してみようと思います。
ボクはどんなことがあっても、絶対に「刑務所」に
入ることだけにはならないようにしようと心に決めているのですが、
その理由は「刑務所に入ると、オカマを掘られる」
という噂を以前から聞いていたからなのです。
しかし「外国映画」では、そのような描写がよく出てくるものの、
「日本映画」では、そのような描写はかげもかたちも全くなく、
実は「日本の刑務所」においてはそれはないのかなと思いかけていました。
しかし、やっぱりあるそうです、そして「笠原」さんが
その「エピソード」を「脚本」に書こうと思ったら、
「止められた」とのことでして、なるほど「規制がかかっている」ゆえに、
そのような描写がないだけだったのかと、納得するとともに、
やはり「刑務所」だけには入ることがないようにしようと、
あらためて心に決めました……。
で、「刑務所」では、「色白で若くてきれいなタイプの男」が、
「ヤクザの幹部などのコワモテの男」に目をつけられて、
確実に「愛人」にさせられてしまうようでして、
これは「掘られる男」にしてみれば、非常に「屈辱的」なことなのですが、
ムリにでも受け入れるしかない……。
しかしそうしているうちに、「掘られた男」たちは、
「出所」して「女を抱こう」としても、
たいてい「できない」のです……、「できなく」なってしまう……。
「できない」という「コンプレックス」を抱えて、
結局「男になりたい」ということで、
それで「昔の兄貴分」あるいは「刑務所で掘られた男」に頼みにいきます……。
で、何か事が起きたら、電話1本受けただけで「行きます!」と言って、
スーッと行ってバーンと殺して、あとは一切しゃべらない、
そうすると「あいつは男だ」ということになって、
「刑務所」に入っても、もう「掘られる」ことはないという……、
そして「掘る側の男」たちは、そういう「愛人」を
何人か囲って「鉄砲玉」にしているというわけで……、
しかし、そういう「道」が与えられなかった「男」の中に、
「幼児や幼女などの強姦」などの「異常犯罪」に
走ったものは多いのではないかと……、あくまでも著者の推測ですが。
しかしこの話はボクにとって他人事ではないのです。
この話はもう書かないでおこうと思っていたのですが、
実はボクは病気によって「10数年間エッチが出来ない」体
だった経験がありまして(今は無事回復しています)、
まさにその時は、「劣等感の塊」といいますか、
何をやっても「自分の中の屈辱感」が消えず、
かといってうまい具合に「反骨心」みたいなものにつなげることは出来ず、
そういうことを考えないようにしようとすればするほど、
「嫉妬心」「情けなさ」はつのり、どんどん「屈折」していったものでした……。
これは女の人にはわからない、
「男」にしかわからない実感なのではと思うのですが、
なんだかんだいっても、「男」にとって、
「できるかどうか」って、非常に大きいのです……。
笠原氏の「やっぱり暴力というのは、
男が自分ができないと自覚した時、初めて生まれるものでね。
本当に女を満足させられる自信がある男は、
女に暴力なんか振るいませんよ」の一文は、
非常に「説得力」を持ってボクに響いてきまして、
まさにその通りだなぁと実感しました。
笠原氏も、昔はよく女を買いにいったとのことでして
(書いてしまってすいません……)、
でもヒット率は6割で、あとの4割は不能になる場合があり、
そういう時は、エラく暴れたくなるとの話、
ボクも「経験者」だったゆえ、よくわかります
(恋人同士だったり、気心しれて、お互いに弱みをみせられる
くらいの阿吽の呼吸の仲であれば、リラックスしているので、
たとえできなくても関係ないのですが、
初対面の一発勝負の場合、相性が合わないとそういうことはよくある話でして、
そんな時、まさに自分の情けなさと屈辱にまみれるといった感じでして、
男とはかくも繊細な生き物なのです、
何かこんな暴露話してしまって、いいのかなぁ……)。
もちろん笠原氏もボクも、その時に女性に暴力をふるうということは全くなく、
ただただ「鬱屈していただけ」であることは言うまでもありません。
そして「やくざ映画」における、
「男が女のすがりつく手をふり払って殴り込みに行く」というのは、
「我慢のストイシズム」でなく、「できないから行く」のだと……、
つまり、「ヤクザ映画」を「男の暴力」として見るよりも、
「インポテンツ映画」という「視点」から見ると、
より「核心」に近づくという、この「視点」にはうならされるとともに、
長年のわだかまりが溶けたような気分であります。
ちと「露骨」すぎる部分をとりあげてしまったかなと、
特に女性が読んだ場合のことを考えて、不安になりつつも、
どうしても外せない、書きたい部分ですので書いてしまいました。
このような、「核心」をついた「本音」が
そこかしこに記されているまさに「聖典」のような「名著」です。
もし興味がありましたら、ぜひ読んでみることをお薦めします。
あと、『映画はやくざなり/笠原和夫』も読みました。
こちらも良いです(^^)
特に「シナリオ骨法十箇条」のコーナーは、
「シナリオ」「小説」「エッセイ」などを書く上で、
「基本」となる「教え」が書かれていますので、
「文章の創作」にかかわる人は必見なのではと思いました。
2005.4.2(土)
アストラッド・ジルベルトの日本語の歌
ボサノバの女王「アストラッド・ジルベルト」が、
「全曲日本語で歌った」アルバムがCD化されていましたので、
さっそく買って聴きました。
『ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム』というタイトルで、1969年録音です。
どうやら「日本」でのみ発売されたアルバムのようです。
なのでまさに「幻の1枚」でして、「アストラッド・ジルベルト」本人も、
おそらくこの作品を持っていないだろうとのことです。
ほぼ全曲日本のバンドによる日本での録音です。
全12曲で、A面6曲が「日本人によるオリジナル曲」
(渡辺貞夫3曲とGS風歌謡曲3曲)で、
B面6曲は、
「イパネマの娘」「マシュ・ケ・ナダ」「黒いオルフェ」
「男と女」「パリのめぐり逢い」「いそしぎ」の、
「ボサノバ&映画音楽」です。
ボクは「アストラッド・ジルベルト」の歌が大好きでして、
その「クール・ビューティー」という言葉がピッタリの、
「オンリー・ワン」な魅力に魅了されています。
彼女にとっての「外国語」である「英語」の発音の「わかりやすさ」も含めて、
まさにいとおしいのです。そして「日本語の歌」も良いです!!
たどたどしくも言葉をかみしめるように歌うその歌は、
まさに「心にしみてくる」といった感じです。
A面6曲の「日本人によるオリジナル」においては、
「日本人シンガー」かと思えるほどで、全く違和感がありません。
ひょっとしたら、「英語」よりも「日本語」の方が
彼女に合っているのかもとさえ思えてきます。
ただ、「ボサノバ&映画音楽」の「日本語訳」に合わせて歌うその歌は、
おそらく「日本人」が歌っても、
「言葉の譜割り」や「リズム」など、
かなり難しかったこと間違いありませんので、ちと酷だったかもしれません……、
もう少し練習時間があったなら、
「全6曲とも傑作」になったであろうに、残念です……。
しかし、「黒いオルフェ」はバッチシでして、
「日本語ヴァージョン」として「世界発売」しても全然オーケーだと思います。
また、「イパネマの娘」での
「♪すってき〜なひ〜と〜な〜の〜
わ〜かいイパッネ〜マ〜そだ〜ちっ
だ〜けどそしらぬっあのか〜お〜あっあ〜♪」
で始まる歌が実にキッチュでして、
まるで「若いつばめを探しているマダム」の如き情感をかもしだしています(^^)
ともあれ、長いこと探していた幻のアルバムがCD化し、
ようやく手に入れることが出来、こうやって聴くことが出来ましたので、
メチャ満足なのであります!! 大事に聴き続けていきたいなと思っています。
2005.4.7(木)
レバニラでドッキリ!!
昨年近所に開店した、しゃれた内装の「中華料理屋」に入り、
「レバニラ定食と餃子」をたのみました。
「香港料理(?)っぽい中華ダイニングバー」といった感じの店で、
従業員もオーナーも中国人のようです。
で、おまちかねの「レバニラ定食」が出てきました、美味しそうです。
「具」は、「レバーとニラともやし」で、微妙に「あん」をかけています。
「うん、これは美味い!!」と食べ進めますと、
1本のもやしに「きくらげのようなもの」がへばりついています、
気にせずに食べようかと思いつつ、近くに寄せて、よく見ると、
「小さなゴキブリ」です……、長さ1.5センチくらいの、
炒められ、あんがかかってしなっています、
脚がしっかりもやしにからみついています……。
「まいったなぁ……、まあでも、いざとなったら、
虫を食べてでもサバイバルしなくちゃあかんこのご時世、
それにあまり清潔にしすぎると、
色んな意味で免疫力がおち、抵抗力がおちてしまうし、
変な味がしたわけでもなし、食べてしまったわけでもなし
(具にきくらげが入っていたら、気づかずに食べてしまったでしょうが……)、
ましてや「でかいゴキブリ」が
「濡れ落ち葉」のように入っていたわけじゃなし
(もしそうであれば、怒鳴りこんでタダにさせますが)、
まぁたかが1.5センチの小さなゴキブリ、
気にせず、良しとしましょう……」と。
これを「店員」に見せて、「どないしてくれるんじゃ!!」などと、
あたかも「ゴキブリを仕込んで無銭飲食するチンピラ」
みたいなマネはしたくないし……、
そういうわけで、何も言わず、
その「もやしとゴキブリ」はよけて、全部食べて出てきました。
今のところ、体に異常なしです(^^)
まぁしかし、飲食店の衛生管理状況はどこも同じでしょう、
うっかり「ゴキブリ」などが、「鍋やフライパン」に入ったのを、
見落とすことはよくあることなのでしょうし……、
これから意識して、外食する際には「気をつける」ようにしようと、
あらためて心に誓った出来事でした。
まぁでもしばらくは、この「店」には行けませんですなぁ……、
どの店も同じようにその可能性はあるのだとわかってはいても……、
せっかく「美味い店」なのに……。
2005.4.9(土)
70年代東映やくざ映画三昧
このところ、「仁義なき戦い」ほかの「やくざ映画」を
多く手がけていた有名脚本家「笠原和夫」さんの本を
数多く読んでいることもあって、
「60〜70年代の東映やくざ映画」を観たくなりまして、
近くのレンタルビデオ店をあたってみました。
幸い「昔ながらのレンタル・ビデオ店」にだけ、
その手のビデオが数多くありましたので、
その中から「観たい作品」をここ2週間くらいかけて、まとめて観ました
(ほぼ毎朝1作品のペースで。『まむしの兄弟』シリーズ8作品は、
1日約12時間かけてまとめて全部観ましたので、
腰が痛くなってしまいました……)。
以下に観た作品を羅列しておきます。
『県警対組織暴力』
『緋牡丹博徒』
『緋牡丹博徒 花札勝負』
『緋牡丹博徒 お竜参上』
『緋牡丹博徒 お命戴きます』
『懲役太郎 まむしの兄弟』
『まむしの兄弟 お礼参り』
『まむしの兄弟 傷害恐喝十八犯』
『まむしの兄弟 刑務所暮し四年半』
『まむしの兄弟 恐喝三億円』
『まむしの兄弟 二人合わせて30犯』
『極道Vsまむし』
『まむしと青大将』
『実録安藤組 襲撃篇』
『安藤組外伝 人斬り舎弟』
『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』
いずれも70年代前半頃に公開された作品でして、それぞれメチャ楽しめました。
『県警対組織暴力』は、
『仁義なき戦い』シリーズの直後に撮られた、
「深作欣二監督」「笠原和夫脚本」の黄金コンビによる作品でして、
『仁義なき戦い』のイメージ色濃い出演者による、見事な脚本の1作です。
「警察とヤクザの癒着」および「正義を装った形で巧妙にそれ以上の悪業を行う、
政治家と企業と警察とヤクザの癒着構造」を、正攻法で描いています。
今これを撮ったとしても、きっと公開されないであろうこと
間違いなしかもしれません。
しかし、たとえ「ベタ」であったとしても、
「このようなあたりまえな癒着構造」すら知らない人が
数多くなってしまっているかもしれない今、
この映画をリメイクまたは再上映する意義はあるのではと、
ボクは思ったりしています。
いずれにせよ、このような「質の高い作品」が、
「毎週2本」の形で次々と上映されていた、
「プログラム・ピクチャー」華やかなりし頃を思うと、
何と「贅沢な時代」だったのだなぁと、
当時「東映マンガ祭り」を観ていた子供だったボクは思うのであります。
『緋牡丹博徒』シリーズは、1968年〜1972年にかけて
ほぼ毎年2作品のペースで8作品公開されています。
そのうちボクが観たのは、
「1作目」と、中でも名作といわれている「加藤泰監督」作品の
「3、6、7作目」の4作品です。
これらは「DVDレンタル」にもなっています。
主演は「藤純子」さんでして(寺島しのぶさんのお母さんです)、
20代前半の美しい姐さんが、ドスを片手に仁義をきり、
弱い者の味方として悪を斬りまくります。
「実録物やくざ映画」が出てくる前の、
「任侠系やくざ映画」華やかりし頃の幸せな作品の数々でして、
「昔ながらの任侠道を貫く者たち」が、
「卑怯かつ卑劣の限りを尽くす者たち」にやられ、
耐えに耐えて、最後に仇を討つというのが
シリーズの根底に流れる大まかなストーリーです。
いやぁ、「ヤクザ者」がみな、「藤純子」さんおよび
「鶴田浩二」「嵐寛寿郎」「高倉健」「待田京介」
「清川虹子」「若山富三郎」さんらのようであったなら、
どれだけいいかと思うのですが、
しかし現実は、「悪役」の方が「標準」であること
間違いなしであるのが常識であろう現実、
だからこそ、今もって(いや今だからこそ)
「任侠系やくざ映画」は受け入れられる余地はあるのではと思います。
このへんの「エキス」をうまく「リメイク」すれば、
まだまだ「ヒット映画」は出来るのではとボクは思うのであります。
話がそれてしまいましたが、何と言っても「藤純子」さんの魅力につきます!!
「3時のあなた(「3時であいましょう」だったかも)」での司会や
「母親役」でしか「藤純子」さんを観たことがないボクにとって、
こんなにも魅力的な女優さんだったとは、驚きとともに感動です!!
きっと「映画館での上映」では、
「待ってました、お竜さん!!」とか、声がかかっていたことでしょう、
ボクも「映画館」で観たいです。
そしてしかし、「物語のヤマ場の最もいいところ」で、
「山崎ハコと森田童子を足しておどろおどろしさを抜き、
音程を外したかのような歌」が流れてきまして、
「一体この歌は誰なんだ?」と不思議に思っていたのですが、
いやぁ、「藤純子さん本人」による歌だったとは……、
でもしかし、「この歌」が流れても、ぜんぜんムードがこわされることなく、
ストイックで凛としたムードがキープされ、
しっかり泣かされ、気持ちを高ぶらされるのですから、たいしたものです。
きっと「梶芽衣子」あたりのイメージで、
「主演女優による歌」ということになったのでしょう、
これを誰か他のシンガーが歌っていたなら、
いまだに歌い継がれる名曲になったこと間違いなしの曲自体の良さなのですが、
まぁそれもまた「藤純子」さんの魅力になっています(^^)
中でも、3作目の『緋牡丹博徒 花札勝負』がボクのイチ押しのお薦めです。
「嵐寛寿郎」がメチャかっこいいです!!
7作目の『緋牡丹博徒 お命戴きます』も良いです。
「鶴田浩二」がかっこよくて渋いです。
「DVDレンタル」で出ていますので、もしよかったら借りて観てみてください。
『まむしの兄弟』シリーズは、
1971年から1975年にかけて、
ほぼ毎年2作品のペースで9作品公開されています。
そのうち8作品を観ました。
「菅原文太」と「川地民夫」のコンビによる、
コテコテのギャグ満載のハチャメチャ活劇でして、
まさに文字通り、「明石家さんまの原点」はここにありといった感じでして、
特に「明石家さんま」はもとより、「関西」系のお笑いはみな、
知らず知らず『まむしの兄弟』の「やりとり」の「スタイル」から
直接影響を受けていること間違いなしだと思いました。
文句なしのバカバカしさありながら、しっかり泣かせ、
そしてカタルシス溢れる最後の殴り込みと、
こんなに面白い映画が「知る人ぞ知る」になってしまっているのは、
ホントもったいないなぁと思います。『傷だらけの天使』の原点であり、
のちに『トラック野郎』などの「コミカル」なスタイルを
自分のものにする「菅原文太」の原点のシリーズです。
「お笑い」を志す者はみな、「まむしの兄弟」を観ておく必要があるのではと、
ボクはマジに思うのであります。
あと、音楽が「ド根性ガエル」みたいでして、
それがすごく効果的につかわれています。
『安藤組』シリーズは、
まさに「安藤昇」本人が主演している作品でして、
さきごろ公開された『渋谷物語』の忠実な「元ネタ」と
なっているのだなぁと思いました。
でもしかし、『渋谷物語』は今に合わせてか、
やや「ソフトでファンタジック」に仕上げていますが、
この当時の「実録安藤組」ものは、
かなり「実際のやりとり」に合ったものであろう、
「バイオレンス」かつ「ハード」な描写の連続になっています。
そしてやはり「本物」である「安藤昇」さん、
「殴り方」ひとつをとっても動きにムダがなく、
「しゃべり方」の「抑揚のなさ」も含めて、
「本物の凄み」をしっかりにじみださせています。
2005.4.10(日)
赤ちゃん教育
以前から観たかった映画『赤ちゃん教育』が、
何と「DVDレンタル」になっていました、
なので「念願かなって」観ることが出来ました。
『赤ちゃん教育』は、1938年のアメリカ映画で、
ハワード・ホークス監督、
キャサリン・ヘプバーン、ケーリー・グラント主演の
「巻き込まれ型スクリューボール・コメディー」の傑作です。
以前一緒にバンドを演っていた、映画好きな「オルガン&ピアノ奏者」が、
「絶対カズやん好みだよ」とこの作品をすごく薦めていたのですが、
いやぁ、楽しめました、すごい良かったです!!
観終わってから、さらにしみてくるといった感じです、
きっと観るたびに新たな発見があることでしょう。
博物館で恐竜の骨格の組み立てに没頭している
デビッド(ケーリー・グラント)は、生真面目な動物学者です。
恐竜の骨格の完成まであと鎖骨1本、
しかも明日は美人秘書との結婚を控えています。
その彼が、博物館に100万ドル寄付したいという
未亡人の弁護士に会いにゴルフ場に出かけますが、
そこでたまたま出会ったスーザン(キャサリン・ヘプバーン)
というわがまま娘のせいで予定がすべて狂ってしまいます。
翌日も、デビッドは「ベイビー」という名の
豹のペットを連れたスーザンに田舎まで連れ出され、大騒動に巻き込まれ……。
いやぁ、「軽妙なテンポによる会話の応酬」という、
まさに「ボクが大好きなツボ」をとらえまくっている作品であります。
このようにしゃれていながらテンポ良く、
オフビートなユーモアで軽妙に展開していくコメディーが、
1938年につくられていたとは、あっぱれです!!
キャサリン・ヘプバーンはコメディーセンス抜群ですし、
ケーリー・グラントは「ヒッチコック映画」の面影を全く感じさせない
「カタブツ生真面目男」をまさに好演していますし、
登場人物すべてがすっとぼけていて効果的に爆笑をさそいます。
たいてい「昔の喜劇」って、時代を経ると
「どこが面白いの?」ってなりがちなのですが、
いやぁ、『赤ちゃん教育』は全く古くなってないどころか、
逆に「新しい」です。
他の「ハワード・ホークス」作品ならびに
「キャサリン・ヘプバーン」出演のコメディーも
観たくてたまらなくなりました(^^)
ネタバレは控えておきますが、一言。
もしもスーザンがキャサリン・ヘプバーンでなくて、
「好みじゃない女」だったとしたら、
ただの「迷惑ストーカーによる被害もの」になっていたのだなぁと、
ふと思いました(^^)
まぁそれだけ、キャサリン・ヘプバーンが魅力的だということなのであります。
「本体HP」の「好きな映画コーナー」に『赤ちゃん教育』を載せましたので、
よかったら覗いてみてください。
2005.4.14(木)
逆効果
道路を歩いていると、どこからか「どなり声」が聞こえてきました。
どうやら道路をはさんだ向かい側、つまり反対車線の方で、
ヘルメット姿の男が、停まっている車の運転手に向かって
「怒りにまかせてどなっている」ようです。
おそらく「ヘルメット姿の男」がバイクを走らせていたところに、
車が突然動き出し、あぶなくぶつかるところだったのでしょう、
警官がかけつけ、「ヘルメット姿の男」の両脇を固めています。
「テメェコノヤロ〜〜、出てこい〜〜、何で謝まんねえんだ〜〜!!」
という言葉しか聴き取れなかったのですが、
「ヘルメット姿の男」は機関銃のように、
「TVや映画に出てくるチンピラ」のような
「怒りにまかせた脅かし言葉」を、車の窓の中にいる運転手に向かって
浴びせています。
車の中にいる運転手が少し窓を開けると、
「ヘルメット姿の男」の怒りはさらに爆発するのですが、
そうやって5分もすると、「ヘルメット姿の男」の勢いも
だんだんおさまっていき、
やがて「ヘルメット姿の男」が警官に説得されてかさっきよりおとなしくなり、
すると車の中からスーツ姿の40代後半くらいの
くたびれた感じの運転手が出てきまして、
警官2人を間にはさんで、何やら話し合いをしている感じでした。
面白くなくなったので、ボクはその場を去ってしまい、
その後の展開も、何があったのかもわからないのですが、
ただ一つ言えることは、「怒りにまかせた脅し言葉」って、
「逆効果」なのです……、ちっとも相手に衝撃を与えないのです。
「ボクの読み」通りに、「バイクの前に車が急に発進してきた」のであれば、
確かに「ヘルメット姿の男」の怒る気持ちはわかりますし、
ボクとしても応援したく思うことでしょう。
しかしそこで、単純に「わめき散らし」ていたのでは、
「相手に与えるインパクト」も小さくなりますし、
また「まわりにいる人達および警官」などに与える印象も悪くなってしまいます。
第一、たとえ「でっかい声」を出し続けていたとしても、
ずっと「同じ調子」であったなら、「耳」は慣れてしまい、
「小さい声」とたいして違わない効果になってしまうのです、
大事なのは「メリハリ」なのです。
もちろん「わめきちらしている男」が、
「いかにものそのスジの人とわかる感じの人」だったり、
「武器を持っていたり」していたならば、その限りではないのですが、
もちろんそうではありません、ただ「わめき散らしている」だけです。
まぁ「怒りをどうにかして発散させたい」という目的で
「わめき散らしている」のであれば、何の問題もないでしょう、
逆にボクには、彼のように「10分以上も怒りにまかせてわめき散らす」
なんてことは出来ないでしょうから、素直に羨ましく思います。
いずれにせよ、「接触事故」にはなっていないようですので、
この場合は、「わめき散らした男」は「わめき散らした男」なりに、
「スッキリした」ということで、満足して帰っていったのかもしれません。
しかし、「わめき散らした男」の費やした「労力」に対し、
「くたびれた風貌の運転手」の「何ともないような涼しい顔」を見ると、
何と「対価に合わない」なぁと思うのであります、
まぁどうでもいいのですが……(^^)
この出来事を書いてから、ボクには特に何もいいたいことも教訓も
ないことに気づきました、
なので、ただ「見たこと」を書いただけだということで……(^^)
一応、5〜6年前にボクが体験した、
「わめき散らすのは逆効果」であることのエピソードを以下に書いて
おこうかと思います。
ボクは車で2車線の渋滞している都内の道を走っていました。
すると、「右折レーン」に入ってしまったので、
「直進レーン」に戻らねばと思い、ウィンカーを出し、
「直進レーン」に入ろうとするのですが、「ジープタイプの車」が、
意地でもボクを入れさせないようにと頑張っています。
そうされるとボクは、意地でも「入ってやろう」と頑張ってしまうタチでして、
なので「衝突覚悟」で「強引」に割り込み、
「ジープタイプの車」の前に入ってしまいました
(今はこのようなムチャは絶対にしませんです(^^))。
あいかわらず「渋滞」は続いています。
すると、「ジープタイプの車」は左端に路上駐車しました。
中から「20代前半くらいの茶髪ロンゲの男」が出てきて、
「ボクの運転する車」のまさにボクの脇にやってきました。
ドアをあけようとガチャガチャやり、カギがしまっているとわかると
ドアを蹴飛ばしながら、何やら「わめき散らし」ています。
「テメェコノヤロ〜〜、なめてんのか〜〜、出てこいコノヤロ〜〜!!」
というようなことを機関銃のようにまくしたてています。
ドアを蹴られているのが気になり、ムカついてきましたが、
ここで開けてしまったらダメです。
これ以上蹴られたらたまらないので、窓の外に向かって、窓は閉めたままで、
いかにもすまなそうな感じで相手の目を見ながら小さい声で
「どうもすいませんでした」と言いました。
「ナニ〜〜、聞こえねえよ〜〜」と言いながらも、
必死に「聞き取ろう」と耳を傾けるうちに相手の勢いも少しおさまり、
「よ〜〜し、ちょっと待ってろよ」と言って、
自分の「ジープタイプの車」に走って行きます。
「何しようとしてんだあいつ? 連絡先でも書かせて、
金をとろうとでも思ってるのか?」と、ボクはあきれてしまいました……。
そうこうしているうちに、信号が変わったので車は少し動けるようになり、
右横を見ると、反対車線も少し動き出しています、
なので一か八かで「転回」し、反対車線にうつりました。
すると、「テメェ〜〜、行っていいなんて言ってねぇだろうが〜〜!!」と
茶髪ロンゲの男が叫びながらこっちにやってこようとしているのが見えました、
しかし「走っている車」に阻まれて、彼はなかなか前へ進めません。
すぐ先に「左に曲がる道」があるのが見えましたし、
このあたりの「道」は地元なので良く知っていますので、
ボクは安心感とともに、「手の甲を相手に見せて中指を立てる」ポーズを見せ、
「飲んでいた缶コーヒー」を投げつけ、とっとと走り去って行きました。
それからしばらく、「車のナンバープレート見られてないかなぁ?」とか、
「再び会ってしまわないかなぁ?」とか、
ちょっと心配して過ごしてはいましたが、大丈夫でした。
蹴られたドアも、何ともなっていませんでした。
何よりも、「相手が一人だけ」だったのは、ラッキーでした(^^)
まぁこの出来事以来、「運転はおとなしくする」ことを
心掛けるようにしつつ今に至っているのですが、今強く思うのは、
「茶髪ロンゲの男のわめき散らし」はちっとも怖くなかったということでして、
やはり何事も「メリハリが大事」だなぁと、
切に思ったのでした(特に演奏や歌においても)。
2005.4.14(木)
ショック、それとも安堵?
この間、実家の近所を歩いている時に、
ショックを受ける出来事に遭遇してしまいました。
正確には横断歩道の信号待ちの時なのですが、
横断歩道の向こう側に、「やけに太った女の人」がいます。
まぁこれだけならべつによくあることなのですが、
「顔」の感じが、ボクが「小中学校」の時に、
「いいなぁと憧れていた女の子そのままの顔」なのです、
それが「三重あごの中に埋もれている」といった感じで……。
「まさか……」と思いつつ、横断歩道をはさんでじっくり観察しますと、
「小中学校時代の彼女のクセ」がはっきりと見受けられます
(一応バレるとまずいので、詳しいことは書かずにおきます)……、
「間違いない……」と、ボクは確信しました、「○○さんだよ……」と。
まぁボクも年月とともにしっかり「おっさん」になっているのは
間違いないわけでして、人のことは言えないのですが、
それでもボクの「小中学校時代」は、
「極度の栄養失調」だったということもあって、
「見た目」的にはかなり「悲惨」でしたので、
「小中学校時代以来会っていない人」と会うと、
「別人」のように思われたりはするわけです。
しかし彼女は、違った意味で「別人」になっていました……。
もちろん「結婚して子供が産まれて体型が変わった」という
「幸せな人生の象徴」なのかもしれませんし、
または「腎臓が悪くて」どうしても太ってしまう体質なのかもしれません
(ボクも「腎臓が悪い」ため、水はけが悪く、
またハードなスポーツが出来ないため、
ある程度太っていざるをえない体質なので、
もしそうだとしたら同情を禁じ得ないのですが……)。
しかし、「小中学校時代の憧れの象徴」である彼女の、
その「スポーツ万能でスラッとしている」ところ、
そしてその「背の高さ」も含めて好きだったのですが、
今ではボクの背が伸びすぎたこともあって、
彼女は「小さくてブクッとしている人」に「変貌」してしまっていたのです……。
もちろん彼女にしてみれば「大きなお世話」ですし、
「あんたに言われる覚えはない」なのですが、
まぁここはボクの「プライベート日記」のスペースですので、
どうかご勘弁を!! なので思いっきり「主観」で書き進めてしまいますと、
「見てはいけないものを見た」かのような「ショック」であり、
それに加えて、「悲惨だった小中学校時代」の呪縛から、
これで完全におサラバ出来るという意味では「安堵」なのであります……。
当時「堕ちた天使(センターフォールド)」という
「かつての憧れのマドンナがグラビア誌のヌードモデルになっていたよ」
っていう「Jガイルズ・バンド」の曲があったのですが、
違った意味でそんな気持ちですね
(個人的には、ヌードモデル嬢ならびに風俗嬢には
他の男以上に理解があること間違いなしのボクですので、
厳密には「堕ちた天使(センターフォールド)」のパターンは
ボクにはちっともショックではないのですが)。
この「日記」を読んで、気分を悪くする女の人も
いるかもしれないなぁとは思います、
しかし、ボクにとってけっこう大きな出来事でしたので、きれいごと抜きで、
ありのままに「ショック」な気持ちを書いてみました。
まぁ読んでいるみなさんそれぞれ、この程度の体験は
してきていること間違いなしだろうと思いますが、
ボクは「生まれて初めて」でしたので、素直にショックを受けてしまいました。
まぁでも彼女も今がすごく幸せなのだろうと思いますし、
今度会ったら「へんな先入観抜き」で、
「同じ小中学校時代を過ごした仲間」として、
声をかけ、話をしてみようかなぁとも思っています
(と、フォローのために書いてはみましたが、
やはり正直な気持ち、再び会っても、話をしたいとは思いませんねぇ……。
「ショックが大きい」というのもありますが、
たとえ「太っていて」も「魅力的な人」はいますが、
彼女の場合、そういう感じではありませんでしたので……)。