
2003年11月、ニール・ヤングが、異色作品「greendale」を引っさげ来日した。
福岡を除く3つのショウを見た僕が、興奮の余韻に浸っているとき、
友人の白井英一郎君から電話があった。
「Player誌にニールの機材について書かない?」
「!」
断る理由などひとつもない。
かくしてPlayer誌・田中稔社長のご好意で、
僕は、2004年3月号の同誌につたない原稿を書かせてもらうこととなった。
そのとき、譲っていただいた15枚の写真は、
僕の宝物であることは言うまでもない。
色んなミュージシャンの“斧”を紹介するこのコーナーは
別冊にまとめられて出版されているので
掲載誌を見逃した方々の目にもおいおい触れることになると思う。
しかしながら、誌面の関係で割愛せざるを得なかった内容、写真を
このまま、僕のプライベートなコレクションとして埋没させるのは
日頃、お世話になっている方々にも失礼なことと思い、
ここにその一端を紹介させていただくこととした。
なお、写真の著作権は、あくまで「Player誌」に帰属する。
無断の使用、転載は禁じさせていただきたい。
2004年ブリッジ・ベネフィットを観に渡米した
友人のレノノさんが、ギターテクのラリー・クラッグに
直接これらの機材についてインタビューを行った。
原稿作成当時には知る術もなかった様々な情報を得ることができる。
今、ニールの機材の情報については、
このインタビューが最新で正確なものと確信している。
A*mberさんのサイト「Out Of The Blue」に掲載されたものです。
↓
Talk With Larry Cragg
◇ ◇ ◇ ◇
ニール・ヤングが来日公演を行った。実はそれだけで事件なのだ。
2001年の「フジ・ロック・フェスティヴァル」に出演したものの、単独公演としては89年以来、彼の盟友であるクレイジー・ホースを伴う単独公演に限れば、なんと76年の初来日以来のことだ。60年代から生き残っているロック・ミュージシャンの中で彼が稀有の存在であるのは、多くのミュージシャンにとって“ニッポン”が絶好の市場であるにも関わらず、その来日が少ないことと無縁ではない。実際のところ、ウッドストックのムーヴメントがわが国に押し寄せた70年代初頭に、C.S.N.&Y.(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)の一員として日の目を浴び、90年代には若い世代からグランジ・ロックのゴッドファーザーと祭り上げられ、根強い一部のファンの間では来日嘆願署名運動や「Japan Neil Fest」というニールの曲だけを演奏するイベントが行われていても、他のミュージシャンと比べてわが国の一般における知名度は彼の精力的な活動と比してふさわしいものではない。若造顔負けのバイタリティーで毎年のように新しいアルバムをリリースし、ツアーを繰り返すその姿は、他のロックの“大御所”たちとは一線を画す存在といえるだろう。
そのニールが来日公演を行った。それほどまでにアルバム『グリーンデイル』に対する彼の思い入れの強さを表すものと考えてよいだろう。来日に先立つ欧州ツアーではアコースティック・ソロで、続く北米ツアーではクレイジー・ホースを伴って第1幕を10曲の未発表曲だけで構成した。架空の街、グリーンデイルを舞台にライヴを重ねるたびに編み上げられていくこの物語は、オーディエンスに対し多くの疑問符と感嘆符を与えながら世界を巡ったのだ。
いや、彼の暴走は今に始まったことではない。未発表の新曲ばかりを演奏し、テキーラをあおりながらオーディエンスを無視したかのようなステージを、ちょうど30年前の「トゥナイツ・ザ・ナイト・ツアー」で行っているのだから…。こんなニールのスタイルは変わらない。“変わり続ける”というスタイルが変わらない。聴衆が“このままであり続けて欲しい”と思うノスタルジーを常に裏切り続けていくロッカー、それがニール・ヤングだ。
さて、今回の来日公演――1曲を除いてクレイジー・ホースを伴ったエレクトリック・セットが4公演を通して繰り広げられた。独自のこだわりを持って、エレクトリックとアコースティックを行き来するこのミュージシャンの“斧”を論述し始めるとキリがないので、今回の来日公演で使用した機材を中心に検証してみよう。



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