Once upon a time.....

Once upon a time....

あれは、1970年ごろのこと…、
アメリカはWoodstockで行われたヒッピーと音楽の狂乱は、
日本にも伝わり、当時の若者に大きな影響を与えた。
大阪は北河内の片田舎に暮らす、
ランドセルを背負った鼻たれ小僧もその例外ではなかった。

ほどなく彼が手にしたアルバムが
「Neil Young with Crazy Horse/Everybody knows this is nowhere」
Crazy Horse――狂馬というバンドはそれ以降30年余を経て、
未だに彼の脳髄から離れない。

「大きくなったエレキギターを持つねん。ほんまに大きなったら」
両親から叱られるたびに「なまくら」と言われ続けた彼は、
いつの日か自分のバンドを持ったとき
「LAZY HORSE」
という名前をつけようと心に決めていた。

彼の20代は1980年代だった。
フュージョンのコーラスサウンドが世に満ちていた。
ごくたまに彼はアコースティックギターを抱え、
ハーモニカをホルダーにつけて、
ニールヤングと
当時お気に入りだったボブマーレーを
たった一人で歌っていた。
たまに友達のバンドで歌うことはあったけど、
自分のバンドを持つことはなく、
普通の仕事に就いた。

ごくごくたまに赤坂なんかのラウンジで
ピアノを爪弾き歌うことはあったけど…。

1995年の春。
彼の悪友が、彼を誘った。
「俺の WeddingLIVEで歌え」と。
ミナミのホールでボブマーレーを歌った。
忘れてたはずの血がまた騒いだ。

いくつかのバンドに参加し始めた。
若い頃のような力みはなかった。
マーチンを手に一人でも歌い始めた。
何曲か自分の曲も書いたけど、
10代の頃の夢が頭をもたげてきた。
レスポールを弾きまくる自分のバンドがほしい!
ゴールドトップのレスポールには、
ビグスビーのアームがマウントされていた。

彼が自分のバンドを持つ決心をしたのは、
ドラマーのしげ田いちろうと
ギタリストの大西洋史との出会いだった。
1999年春――新しいバンドはスタートした。
だけど、まだ彼は
「LAZYHORSE」
という名前を封印したままだった。

しかし、ほどなく彼は一人のベーシストと出会う。
Matineeというトリオでベースを弾いていた中原タイだ。
何回かのセッションの後、彼はついに
「LAZY HORSE」
という名前を復活させ、
本格的に自分のバンド名として使うようになる。

1999年10月
大阪湾の舞洲でこのバンドは轟音を立てた。
活動を始めると色々な問題が起こってくる。
轟音過ぎて、ライヴハウスからは出入り禁止にはなる。
メンバーの本業との兼ね合いもある。
2000年の前半を彼はソロ活動に費やした。
小さなハコでも出れるように
アコ―スティックバージョンをレパートリーに加えた。
女性コーラスとして、ウルル弥生が加わった。
21世紀になって彼は憧れのギターを手にした。
グレッチ・ホワイトファルコン。

いつの日か、
メンバーが本気になり始めていた。
フルタイムで参加できるメンバーを…
ほどなく大西が、一人のベーシストを連れてきた。
芳野恵
メンバーの中で最も豊富な経験を持つファンクマスターだ。

そして…
今、バンドは生まれ変わりつつある。
自由に、何にもとらわれず、
酒をかっくらいながら、
メンバーは愉快にこの道を下っていく。
ぐうたら馬にまたがって…。