DON'T SPOOK THE LAZY HORSE

In English


Don't spook the LAZY HORSE

This is the official site of LAZY HORSE, a band playing
R&R mainly in its hometown in Osaka, Japan.
LAZY HORSE is a tribute band for Neil Young and his band Crazy Horse,
aiming "Younger than Young".

このホームページは、大阪をベースに活動している
Rock'n'Roll Band
「 LAZY HORSE 」
のオフィシャルサイトです。
by
Watchout-Management

WELCOME, You're + 92,565th LAZIES.

まじのギター公開捜査

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House of Horse
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Out Of The Blue A*mberさんが運営する世界屈指のニールヤングファンサイト。ニールに関する情報は、最速・最大!Japan Neil Festの主宰者でもあります。
LIVE PHOTO & REPORT LAZY HORSEが行ったLIVE等の写真集&レポートをまとめました。A*mberさんのページとあわせてお楽しみください
まいてぃ・Qの「がる〜&れいじーず名演数え唄」 ご存知まいてぃ・Qさんがひも解く過去のLIVE REPOのコーナーです。





















レイジー・ホース[ LAZY HORSE ]は、ニール・ヤング[ Neil Young ]の楽曲をニール・ヤング自身が憧憬を抱いていたブラック・ミュージック的アプローチから演奏するロックン・ロール・バンドです。
その活動は、地元大阪はもとより、東京、横浜、神戸、広島、四国、沖縄など、全国に及び、ニール・ヤング自身のホームページや世界各国のファンサイトで取り上げられるなど、文字通りワールド・ワイドなものとなっています。

ニール・ヤング [ Neil Percival Kenneth Robert Ragland Young ]は、1945年11月12日、カナダ・トロントにスポーツ・ライターとして活躍していたスコット・ヤングの次男として生まれました。後に両親は離婚。ニール・ヤングは母親に引き取られてウィニペグで育つことになります。彼の幼少時代から音楽の出会いについては、“Don't Be Denied”(“Time Fades Away”-1973-収録・未CD化)の中で自身が歌っています。
彼の音楽との出会いは、同世代の少年同様、エルビス・プレスリーといいます。最初に買ってもらったウクレレ、バンジョーを経て、やがてギターを手にすると自然とバンドを組み、ハイスクールのダンスパーティーなどに出演するようになりました。幼い頃、小児麻痺を患ったニール・ヤングは、左半身に現在でも障害が残っているといいますが、これが現在では、ニール・ヤング特有のギター・プレイにつながっています。
ニール・ヤングのギター・プレイに大きな影響を与えたのは、シャドウズのギタリスト・ハンク・B・マービンだと言われています。ニール・ヤングを特徴付けるトレモロ・アームを使うギター奏法は、このハンク・B・マービンといわれています。ニール・ヤング自身は、“From Hank To Hendrix”(“Harvest Moon”-1992-収録)の中で、「ハンクからヘンドリックスまで、僕はあなた達と色んな道を歩いてきた。今、僕はこの古いギターを手に自分のことやっている」とジミ・ヘンドリックスの名前とともに歌っています。
カナダ時代のニール・ヤングは、リック・ジェイムスのバンドに入り、モータウンと契約するところまで行きますが、リック・ジェイムスが脱走兵であることから収監され、路頭に迷います。そこで、面識のあったスティーヴン・スティルスとの再会を夢見て、ツアー用に使っていた“Mort”という名前の霊柩車で、ベーシストのブルース・パーマーとロサンゼルスに向かいます。この車については、“Long May You Run”(“Long May You Run”-1976-収録)の中で歌われています。
60年代の“ロック伝説”のひとつがこの時、生まれます。ロサンゼルスで渋滞に巻き込まれていたスティルスとリッチー・ヒューレイの乗った車が、対向車線を行くカナダナンバーの霊柩車と遭遇するのです。これが、バッファロー・スプリングフィールド [ Buffalo Springfield ] の誕生です。バッファロー・スプリングフィールドは、ロサンゼルスを拠点にライヴ・バンドとして人気を博します。サンセットストリップのライヴハウス・ウィスキーへの出演、数々のテレビ・ショーへの出演など、オーティス・レディングなどとの交流もあったようです。後にニール・ヤングはブッカー・T&MG’sとツアーを行い、レコーディングを行います。このきっかけは、ボブ・ディランの30周年を祝う「Bob Fest」での共演がきっかけと言われていますが、それ以前にニール・ヤング自身がオーティス・レディングのバックバンドであったMG’sに憧憬を感じていたことも十分に考えられます。
バッファロー・スプリングフィールドは、メンバー間の諍い――特にスティルスとニール・ヤングのエゴのぶつかり合いやメンバーの逮捕などによって瓦解します。1stアルバムがリリースされた時には、すでにライヴバンドとしてのピークは過ぎた――あるいは、ライヴでこそ生きるこのバンドのグルーヴを、十分に記録できなかったと言われています。このバンドへのニール・ヤングの思い入れは、“Buffalo Springfield Again”(“Silver And Gold”-2000-収録)の中で歌われています。
バッファローが分裂期にある1960年代後半、ニール・ヤングはひとつのバンドと出会います。ザ・ロケッツという名のこのバンドを気に入ったニール・ヤングは、このバンドを自身のバック・バンドとして使うようになります。これがクレイジー・ホース [ Crazy Horse ] です。この後、ニール・ヤングは断続的にクレイジー・ホースとの活動を行うようになります。
ニール・ヤングとクレイジー・ホースのライヴは、独特のグルーヴを生み出します。しかしながら、テクニック的には決して褒められたものではないこのバンドとの活動は、ニール・ヤングにとってフラストレーションが溜まるものでもあります。
気まぐれなニール・ヤングのテンションが、ずばりクレイジー・ホースと一体となったときならばよいのですが、ニール・ヤング自身が、「これでいいのだろうか?」と立ち止まってしまうとまったく出来の悪いバンドに成り下がってしまいます。
映画「Year Of The Horse」でジャームッシュが描くクレイジー・ホースがあまりにも“神格化”とでもいえるぐらい美化された描かれ方をしたため、この映画後、ニール・ヤングとクレイジーホースをコピーする、あるいはカバーするアマチュアバンドが多数生まれました。しかし、ニール・ヤングとクレイジー・ホースを“真似る”行為こそが、実はニール・ヤングが追い求めているものと相反するものだと思います。

レイジー・ホースは、ニール・ヤングの楽曲を元に“何がロックの本質なのか”を追い求めて活動するバンドです。