やすしの身延山・七面山修行記//その1//

プロローグ 11月に花ひらいていた梅の花

寒く澄みきった空気に冷たい雨。これが私の身延山に降り立った最初に感じたことでした。

しかし、山門に降り立った目に入ったのは季節はずれに見事に開花し入山するものを喜ばせるかのように咲き誇っていた梅の花でした。 これは私に何かがはじまることの暗示のように感じました。

今回の登山は観光ではなくひとりの修行者としての登山です。身延山・七面山修行として登ります。だから持ち物は一切ありません。霊界へもどり自分の魂を見つめ自分の背負っているものと一緒に登ります。服装もすべて白の行衣です。背中に大きく「南無妙法蓮華経」と髭文字を背負って登ります。この三日間はいつもの生活と別空間を感じました。

しかし、下山しての感想はここで感じたことをいかに普段の生活に生かして いくかということでした。山にこもったり、荒行をしたりすることよりも そちらの方がはるかに難しいと思います。法華経の「見宝塔品第十一」にも 次のように書かれています。

『あきらかに思惟(しゆい)せよ。これは難事なり。よろしく大願をおこすべし。もし、足の指をもって大千界を動かし、遠く他国に投げ置かんも、難しとせず。仏の滅度の後に、悪世においてしばらくもこの経を読まん。これすなわち難しとす。』と延々とたとえが続きます。

「足の指で世界の投げるよりもこの経を読み、実践していくことが難しい」と までお釈迦さまはおっしゃいます。それゆえに、40才にして真実をあらわさず。とお釈迦さまはこの法華経を説くことをこばまれたようです。

これこそ真実なんだけれども理解できないであろう。と悩まれたことが法華経の方便品第二に書かれています。

さて、そんな法華経の聖地・七面山に登った体験を書かせていただきます。長いかもしれませんがおつきあいください。



身延山と七面山について

身延山は日蓮宗総本山であり、日蓮聖人が晩年を過ごされた霊山です。また七面山の頂上にある池には法華経の修行者を末代まで守護をすると日蓮聖人に誓った龍女「七面大明神」がいらっしゃいます。(ちなみに私は浄土真宗ですがそんなことはいいですね。)

○ 身延山久遠寺は 鎌倉時代(1247年)日蓮大聖人が開かれた日蓮宗の総本山 です。日蓮大聖人は幕府に対し、法華経をもって日本を守るようと警告をなされましたが受けいれられず「三度いさめて受け入れなければ山に入る。」と言われ、久遠寺を建立し、日蓮宗の根本道場とされました。当時の久遠寺は現在、御草庵跡としてあります。時の執権、北条時宗は窮地に立つと日蓮聖人が夢にでてきたとありますが、自分は日蓮聖人をみとめても周囲との立場で改宗などできなかったようです。日蓮聖人はこの山をとても愛され遺言でもこの山に埋葬するようにとのことで、弘安5年に武蔵国池上で亡くなられた日蓮聖人のご遺骨を納骨した御廟所があります。その他多くのゆかりの史跡がありますが、ここでは割愛させていただきます。  

○ 七面山は法華経の聖地とされ多くの行者や法華経の力を体験した人々の参拝が多い霊山です。山頂に近い敬慎院には法華経の守護神の七面大明神(七面 天女)が祀られています。また、迎拝台から見る富士山に登るご来光の見える見えないによって、参拝者の魂や行動をはかるものとされています。それにしてもすばらしい遠望でこれこそ絶景というのだろう。と感じます。また、すぐとなりには世界で一番高いところにあるお題目(南無妙法蓮華経)で有名な平和記念塔が天を仰いでいます。これについては後ほどコメントいたします。

○ 七面大明神について

七面天女、七面大菩薩ともいい、吉祥天の応化であるとされる法華経守護の善神です。日蓮聖人が身延山にお入りになって4年目を迎えられたときのことです。日蓮聖人は沢の大きな石の上で教えを説かれていました。すると日蓮聖人の近くに若い女性が1人懸命に聞いていました。見なれぬ者なので、誰であろうかと感じている周囲を察した日蓮聖人は、その女性に姿を現すように言われたそうです。すると、この女性は美しい顔に笑みを浮かべ「私はどうしても日蓮さまのお話をお聞きしたかったのです。実は法華経を信ずる人々を末代まで守護する七面大明神です。」といって日蓮聖人に一滴の水を乞うたので、聖人が傍らの花瓶にさしてあった花をおぬきになられ水をかけになるとたちまちに姿を変えて龍となり、晴天に曇が現れ龍は金の鱗をきらめかせて渦巻く雲に隠れて西を指して飛び去り七面山の頂上の池に帰っていった。との伝説があります。


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