2009年5月2日(金) 年の初めの辛い出来事 |
昨年後半から 我が家は激震に揺れていた。
長い人生には 山も谷もあると言うけれど 渦中にあれば そんな言葉では済まない。
この歳だというのに 大切な半年が 無くなったしまった。
取り返すべし!これから本腰を入れて前進しなくては。(と、やっと、ここまで言えるようになりました。)
話は違うのだけれど、 今年のお正月は 伊東に行って辛い現実に出くわしてしまった。
私たちが 伊東に行き始めてから四半世紀、行く度に寄っていた喫茶店が跡形もなくなっていた。
お嬢さんが我が息子より一つ下で 東京のT美大を卒業していたはずだ。
夏に行ったときは ご夫婦とも元気で店を切り盛りしていたのに 何があったのだろう。
さらに 追い打ちを掛けるように行きつけのレストランも3日後に店をたたむと言う。
食事を終えて出て行った私たちの後を追ってマスターが 突然、お礼を言いに来た。
バブルの頃、 保証人になった友人のせいで レストランの土地も建物も競売にかけられてしまうと言う。
「明後日からホームレスです。」と、マスターが言った。
こんな時、何が言えるだろう・・・・、主人さえ言葉を失った。
奥さんは 私たちが行くようになってから お子さんができ、今は 多分、大学にはいるくらいの歳に
なっているのではないかと思う。
いつも、大きな声で明るくレストランを切り盛りしていた人だった。
私たちが予約を入れたときも いつもと変わらぬ大きな声で元気に挨拶してくれた。
横で食事をしている別のお客さんが「ここに来るのが楽しみなのよ。また、春に来るわね。」と言っていたのに。
「お待ちしています。」と答えていた奥さん。不安や悲しみを顔に出さず、接客していた姿が悲しかった。
もし、自分だったら 笑顔をお客さんに向ける心の強さはないと思う。
みんなが楽しい気持ちでいる年の初めのお正月に こんな悲しい思いをしている人たちが居た。
私たちは 二つの悲しい現実を受け入れるのが あまりに悲しくて翌日、東京に戻ってきた。
みんな、みんな、誠実でいい人達であった。
真面目に働いて、夫婦二人で店を一生懸命に頑張って繁盛させてきたのに・・・。
世の中は こういう真面目な人たちが 時として悲しい思いをさせられる。
「あれだけの腕があるのだから、きっと、又、お店が開けるよね。」と、みんなで話しながら
彼らがもう一度、幸せを感じられる日が来ることを願っている。
真面目で働いている人たちが不幸になる世の中なんて絶対に許せない。
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1月 1日 (火) もの思う・・・・。 |
この頃、静かに生きると言うことに 執着するようになった。
阿川弘之氏の言葉に惹かれたのも今の自分の歳だからだと思う。
「人間、歳をとったら静かに生きることを考えなければいけない。」
先日、ある方に薦められ「文藝春秋」に掲載された石原都知事と龍源寺前住職松原泰道さんの対談を読んだ。
名僧と言われる松原さんのモットーは「三しない」と言うことだそうである。
{無理をしない」「無精をしない」「無駄をしない」
松原さんは その中で「無理をしない」と言うことは「道理に外れたことをしない」と言うことだと語っておられた。
歳をとると我を張るようになる。周囲も年寄りの言うことだと思って遠慮するようになる。
すると、いい気になって道理に外れたことをするようになる。
親が亡くなり、先生も亡くなり、先輩も亡くなったら、自分で自分に厳しくしなかったら堕落する。
年寄りだからこそ、自らを戒め、我を張らず、無理をしないようにしなくてはいけない。
自分も我が儘な年寄りにはなりたくないと、つくづく思うのだけれど・・・・。
人生、死ぬまで修行。 静かに修行。
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2007年 10月31日 (水) 阿修羅像! |
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興福寺の阿修羅像は 美しい。
眉間に少し、しわを寄せ愁いを含んだ正面の面立ちの美しさは 例えようもない。
左のあどけなさが残る面立ちと、右の精悍な完成された美しさ。
不思議な調和である。
asu(生命)ra(与える)
a(非)sura(天)
相反する意味は 未だ解明できないらしい。初めは 戦闘神であったと言われている。
それにしても この美しさはどこから来るのだろう。
三年ぶりに 時間を忘れて 阿修羅と向かい合っていた幸せな一時。
ふと、気づくと娘がいない。
出口に行くと 娘が ニコニコしながら待っていた。
「良かったねー、阿修羅と会えて。40分くらい見ていたよ。」
そうかー、今回も 阿修羅像の魅力に釘付けだったかー。
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2007年 8月10日 (金) 正直者の頭に神宿る! (武勇伝、武勇伝) |
あり得ない!
こんなミスを許してなるものか
4200$の入金が 600$の入金になっていた!
ギャオ〜〜〜〜! (目が充血)事の経緯は ↓です。
私たちは ホテルに着くと39階のラウンジに直行する。支払いは 何年も そこで済ませることになっている。
顔見知りのスタッフと娘の目の前で トラベラーズ・チェックにサインをして支払いを頼んだ。
1000$4枚、100$2枚。
そこで普通は受けとったスタッフがフロントに降りて支払いの手続きをしてくる。
ところが 運悪く受け取ったスタッフが忙しかった。
やむなく そのスタッフが アシスタント・マネージャーを呼び、 フロントで入金してくるように依頼した。
スタッフ、口頭で封をした封筒に4200$が入っていることをマネージャーに告げた。
マネージャー、頷いて封筒の中身を確認することなく受け取った。
ここまで、私の目の前で事が進行していった。 私は しっかり見ていた。(manoaは見た!)
なれど 心をよぎる嫌ーな予感・・・・・・、ゲストから預かったお金だぞ。何で確認しないで受け取るんだ。
口に出したい・・・、しかし、彼女は 日本にいたときは銀行員だったし、責任感は半端じゃないし・・・。
おまけに受け取った相手は アシスタント・マネージャーだし。
あぁ、言い出したい・・、言い出せない。 疲労と寝不足で目が回る・・・・。
ここで言えば信頼関係が 崩れるかも・・・・。 (あぁ、我が心の葛藤は続く・・。)
一年来ないうちに こんなやり方になったのか、このホテル・・・。大丈夫かぁ?日本ではあり得ない。
しかし、どうしても 消えない嫌な予感。
駄目だ、確認すべきだ!
夕方、ラウンジに行き、スーパー・バイザーのベンに入金の確認を頼んだが どうにもこの男が頼りない。
こんな時は直接、フロントに行き、自分で確認するしかない。(頼れるのは自分だけだ!)
私・・・・・・・・・「申し訳ないんだけど、今日、私が入金した金額を確認したいんですが・・」
スタッフ・・・・・「はい600$受け取りました。」
私・・・・・・・・・「ローッピャク・ドルゥ〜〜? な・何ー?今、何て言ったあんたー!
もう一回、確認してよー。
600$の訳ないべがー!バカ言ってんじゃーないわよー、確認しなさいよー。」
スタッフ・・・・・「間違いない。600$ですっ。」
私・・・・・・・・・・「せ・責任者を呼べー!責任者を呼べー!私が入れたのは 4,200$だー!」
責任者、のこのこ登場 「後で調べる。問題ない。サンキュー」
問題ないだとー! な・何だ、その言いぐさは・・。
サンキューじゃーないだろうが!
4,200$が600$だぞー、問題なくないっ!
プッツン、切れた! 血圧アップ!
3,600$は何処?
電話をかけてラウンジからスーパー・バイザーのベンを呼ぶ。アシストだー。
「ラウンジで 私がこの目でチェックを 今すぐにするから 立ち会え。
今すぐだー! 一分以内だー!」
ベン、真っ青
フロントで私が払ったトラベラーズ・チェックを出させる。
フロントのスタッフ、自分の前にトラベラーズ・チェックを並べて「600$でしょ。」と言いおった。
何ーー、 何ーー! こっちにかせー!
これのどこが 100$に見えるっ!
100$はこの2枚だっ!
この4枚を目ん玉、よっく見開いて見てみろ。1,000$だろーがー、アンポンタン!
「これが 1,000$だ、1,000$だ、1,000$だ、1,000$だー!」
思いっきりフロントの大理石にトラベラーズ・チェックを4回、叩き付けてみた。
この剣幕に周りは何があったかとフリーズ状態。
フロントのスタッフは さすがに間違いに気がつき、「私のチェックの間違いについて謝りたい・・・・・」
うっせー! 怒り頂点に達す。
「知らないよっ、英語、話せないもんねー。(怒りで すっかりひねくれてしまった。)
ベン(スーパー・バイザー)、フロントのトップから然るべき挨拶させてよ。
何で 先ずは アイム・ソーリーが出ないんだよー。人のお金を 日本円にして40万近くも無くして
ミスして悪いで済むと思っているのかー! ざけんなよー! そんな簡単に考えるんじゃーないよ。
それが 一流のホテルのすることかー。日本人を舐めるなよ、始末は しっかりつけなさいよー!」
ハワイに行く前から多忙で目の下にクマを飼っている可哀想な私は このアクシデントで
しっかりフェイス・アップ。
この事は 後になれば笑い話かもしれないが 本当はとても恐いことだと思う。
もし、この時に私がチェックをしていなかったら ホテル側は 10日後のチェックアウトの際に
ホテル側がミスした金額を さらに要求してきたはずである。
スタッフは コンピューターには600$しか入っていないと主張するはずだ。
そうなれば 押し問答の末、調べる時間がないのだから、 飛行機に乗るためには クレジットで
一端、その金額を払うしかなくなるだろう。 後日、調べて戻すったって 悠長な国なのだから
一月で返れば儲けもので どうなるやら分かったものではない。
レートだって違ってくるし、押し問答に時間をかければ 飛行機だってキャンセルの憂き目にあいかねない。
こういう先の事まで考えを巡らせる危機意識が 全く無いという感覚が恐ろしい。
私は行きなれているから こういった場合でも対処できるが これが初めての人だったらどうするだろう。
もし、帰りに こういう事が起こったら・・・・・・・・・・・・。
今回のことで しっかり、認識した事が一つ。
どうやら私には 神様が宿っているらしい。 何か 危機が迫ると ご託宣があるとみた。
う〜〜ん、何て言うんですかー?
正直者に神宿る?
皆さん、石をぶつけないでー!
武勇伝、武勇伝
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2007年5月28日(月) 難しい人付き合い |
一年ぶりに友人と会った。
歳がかなり離れているので いつも、なるほどと勉強になる話を聞かせてくれる。
今回は 人とのつきあい方について教えられた。
その方の友人には 心に針を持った人がいるらしい。
若い頃からのつきあいだったらしいが他人の幸せに直面したとき、
素直に喜びの言葉をかけるどころか、何かチクリと気に障るような言い方をしてくると言う。
性格なのか・・・、その方の生きてきた歴史なのか
若い頃から70歳を過ぎるに至ってまで その調子なのだから 今更、治るはずはない。
気の毒な性格とは言え、周りは気が重いだろう。
我慢して、いなしている友人は さすが、お慈悲の人。 私なら、とてもとても・・・・・。
私の友人がある時、「育ちが分かるわね。」と言う台詞を吐いたことがあった。
この言葉、大嫌いだ。 こういう言葉を言う本人は どういう気持ちで言うのだろう。
本当に驚き。 何様のつもりなのかと思ってしまったのだけれど・・・・。
決して 面と向かって他人に言うべき言葉ではないと思う。
私は本当に この言葉でいろいろなことを考えてしまった。
私も気をつけているつもりでも 人様に不愉快な言葉を吐くこともあろう。
そうしてしまったときの他人様の気持ち、取り返しがつかない。
この歳になったら 若い頃と違って、人とのつきあいに より一層、神経を使わなくてはならない気がする。
嫌なことは誰だってされたくないし、嫌な言葉は聞きたくない。
反面、優しい言葉や思いやりは 生きる張り合いになる。
嬉しいとき、親切にして貰ったとき、心は優しくなれる。
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2007年 4月26日 (金) カナダ旅行も往復災難! |
今頃になって やっと、カナダの旅行記を書こうと思ったら ほぼ忘れていた。
な、訳で遅ればせながら・・・・。
今回のツァー・コンダクター・・・・、若い。 入社3年目の新米お兄ちゃま。
ふと心によぎる不安。 頼れるのは己しかないかも。
こういう風に自由行動ばかりのツァーに行かせて 修行させようってか。 (授業料、払って欲しいぞ。)
今回は いい方ばかりみたいでよかったねと娘と話していたら やっぱりいました、問題一家。
父親&父親うり二つの中学生の男の子と、 どう見ても いってしまっているとしか思えない母親&
えらく口が達者なちび娘。 飛行機で席を取っているからには 二歳を超しているのだろうけど。
こういう場合、嫌ーな予感は的中します。 なんでや!
飛行機の席は娘の後ろにちび、私の後ろに母親ときたもんだ。
二人共、煩い。 ものすごく騒々しい。 声が でか過ぎる。 おまけに席を二人して絶え間なく蹴る。
寝られねーよっ!
何回か、席の間から後ろを睨みつけて因縁をつけてみる。
動じない、この馬鹿母親・・・・。クゥ〜〜〜。
ヨーロッパは 眠れなくても夜中に現地に着くので ホテルで寝られるけれど、アメリカ方面は
朝、現地入りなので睡眠不足は 応える。 歳だし、私なんか・・・・。
ずっと、この状態でした、飛行機の中。 おまけに座席で オシメを替えていたのにはあんぐり。
この母親、どこまでアホなんだ。
大体、オシメも取れない子供を連れてツァーに参加するかー?
ツァーでは いろいろな人に出会うけれど この家族は ちょっと異常でした。
子連れの再婚同士なのか、兄弟の年も離れすぎだし、何よりもツァーの方達が
気になって仕方なかったのは 男の子の話し方の不自然さ。
母親は 歯を磨きながらホテルのショップを覗いているような非常識人間で。(信じられますか?)
チビは 猫かわいがりのくせに 息子に対しては 見るに忍びないほど冷たい。
こうやって 親の顔色をうかがいながら おもねるような話し方をしているこの男の子は
将来、どのような大人になるんだろうか・・・・。
子供が 自分の一生を選べない悲しさを目の当たりにしたような気がした。
本当にぶっ飛ばしてやりたい馬鹿親。
ちなみに新米コンダクターのお陰で 帰りも同じ状態の席になってしまった。
勉強しろ新米。 奴らのせいで9時間半、えらい目にあったと現地に着いたときに言ったろうが!
着陸時に飛行機は 大揺れするし、スカイライナーは 人身事故で止まっているし、疲れた〜〜・・・・。
カナダの感想? うーーーーーん・・・・・・・・・・。二度は行かなくてもいいかな・・・。
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2007年 2月5日 (月) 電子レンジ、壊れる・・・。 |
電子レンジが壊れた!
またしても この季節になると起こるいやーな出費。
ナショナルだわー、このレンジ。
ナショナルは 部品代、高い。技術料、高い。出張費、高い。しかも なかなか来ない。
ちっ、新しいのを買うか・・・。
いや待て、一応、電話をかけて状態を話してみるか。
(サービスセンター談) えーっ、何ですってー、全部で8,000円くらいー?しかも二日後に来てくれるってー?
本当なの、確かなの? 夢か幻か、はたまた幻聴か・・。狂喜乱舞!
新しいのを買わなくても済むではないか。
お出でくださいナショナル様。 お待ち申し上げております。 直してください。お願いします
で、今日 来てくれました。
そして 修理費を宣告されました。 「1万5千円でーす。」
へっ? 何? もう一回言って・・・・。(/_・)/
うっそー!電話のおねぇちゃま、部品代4,000円位、出張費と技術料で4,000円位と言っていましたよー。
目ん玉、ウルル・・・。
修理人さん、「そう言われましてもー。」と強固な姿勢。
じゃー、何ですか?貴方は 正直な話、このレンジは直した方が得だと思われますか?
はたまた、新しいのを買い換えた方が いいとお考えですか?
これ気に入っています。もう少し、安く直してください。 再び、目ん玉、ウルルで訴えてみる。
「では、出張費を無しと言うことで 12,000円位でどうですか?」
(まだ高い! しかし、ここで引くのも手だ。江戸っ子は引き際が大切だ。)
「申し訳ありませーん、ではそういうことでお願いいたします。」
ひたすら 恐縮しまくり、お茶なんか出してみる。
はい、結果はどうなったでしょう。
実に8,820円でしたー!
修理人さん自身、言っていました。高いですよねぇ修理も。部品代、安くしておきましたから・・・。
あんがとね。(^▽^)V
でも、これって考えてみれば 修理ってかくも安く出来ると言うこと何じゃーないの?
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2006年11月10日(金) キャッチに捕まる! |
朝から 青山に行っていた。
クアアイナのアボガド・サンドを どうしても食べたくて、
用事が済むやいなや、外苑前から神宮前までの地下鉄一駅を 猛スピードで歩いていた。
何とか、お昼前に入らなくてはならん。
と・・・、スーパーの前で 女性に話しかけられたような・・・気がした。 多分、目があったかも知れない。
しかし、2メートルは 通り過ぎている。 行っちまおうか・・・、でも、道が分からなくて聞いたのなら不憫だし。
仕方ない、聞いてやるか。 「何でしょう?」
相手は 気が弱いのか 私の勢いに押されているのか 伏し目がちに何かつぶやいた。
「○☆%△#〜・・・」 えぇい、聞こえん!
「何でしょうっ?」
「おきれいにしていらっしゃるから○☆%△#〜・・・」 けっ、気の弱いキャッチか、猪口才な。
「実践は ご自分で。」笑って応答してみました。 。。。タタタッ。ヘ( ・・)ノ サンドイッチ、サンドイッチ
とうとう、目の前にクアアイナが見えるところにたどり着きました。急げや、急げ!
青に変わった信号めがけて ダッシュしようとしたその時、
「あんら〜〜、あなた〜〜!」
な・何? (/_・)/ すれ違ったオバサンに大声で呼び止められた。
知り合いか? よく見てみる。 違う。 乱視の目を開いて凝視してみたが 知らない。
オバサン、フリーズしている私に お構いなくこう言った。
「貴女、額から光が出ていますよ。」・・・・・・・(クゥ〜、今度は 霊感商法かよー。) (;´_`;)m
「 クリリンじゃーねーよ!」 (▼▼) 目力のあるオバサンを さらに上回ってみました。
(ったく、この忙しいときに片桐はいりに話しかけられたかと思ったよ。)
いよいよ、クアアイナは この信号を渡った真ん前に。 感動の一瞬は もはや目の前にある!
(いいわぁ、このときめき。)
走って渡り終わった途端、突然、何処からか目の前にオネェチャン出現。 \(Q)/
危ないじゃーないの、あんたー。 踏みつぶすところだったよ。 何の用よ、今度は?
「宜しかったら こちらの美容院に・・・・。」
ヘッ? 昨日、美容院に行ったばかりなのに オネェチャン、私に喧嘩を売る気か? ☆α==(・・#)
青山は変わった!
キャッチが現れるとは知らなんだ。
もしかして この町に 私は不似合いってか。
はたまた私がキャッチに引っかかると思ってか。
上等だ! 今度、空腹ではないときに 相手になってやる!
恨み骨髄。
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2006年 10月31日 (火) 忘れてならないもの |
今年は 戦後61年。
いくつかの戦争を題材にした映画が封切られた。
戦争にまつわる話は 例え、それが脚色であっても悲しい。
私自身、戦争については 教科書でも習った記憶がない。何も正確な歴史を知らない。
この何年か浅田次郎の本を読むことが多くなった。「壬生義士伝」「シェエラザード」 「日輪の遺産」
どれも日本人の根源に問いかける本である。
しかし、この重い課題に 私は 当初、戸惑い、多少の反発さえ感じた。
今、再読すれば 素直に心に響き、涙する内容であったのに・・・。
私が もし、あの苦しかった時代に生きていたら あの本を読んで反発の気持ちなど起きただろうか・・・。
起きるはずはない。
私たちは「忘れてはならない過去」を 知ることなく育ち、親になった。
今、封切られている「父親たちの星条旗」も 複雑な映画である。
日本だけではなく アメリカでも 勝つためには あのような事実があった。
日本は 圧倒的な生産力と豊かな物資を持つ国と はなから負けると分かっていた戦争をした。
冷静な分析力よりも 精神論を優先させ、徴兵された多くの兵士と民間の非戦闘員を死に至らしめた。
あの戦いが如何に惨い戦であったか、否応なく徴兵された兵士たちが どの様な思いを残して
屍となったか、日本人は 知らなければならない義務がある。
復員後も 戦勝国の報復ともとれる裁判でどれ程の人が罪に問われただろうか。
戦後のこの国の発展は あの戦いで亡くなっていった多くの人たちが築いたものである。
はからずも「亡国のイージス」にはこんなの台詞があった。
「平和ボケした日本人、これが戦争だ。」
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2006年 8月16日 (水)  ハワイにて・・・。 |
毎年、ゆとりを持って 旅行に行こうと思っているのに 現実は 日々、追われて
旅行前のわくわく感などどこ吹く風・・・・。
やっとこ、広いシートを取ったというのに 一睡も出来ず、ホノルル着時は まるでパンダご一行さまに。
成田での顔は 憔悴しきった病人のよう。 娘曰く、「栄養剤を飲め、まずいぞ その顔つき。」
今年で 29年目になるハワイ、変わったなぁ・・。
昔は もっと人の心が温かく感じられたような気がする。
多分、現地に住んでいる人たちは気がつかないのだろうけど これも観光客が荒らしてしまったのだろうか。
Mahinaさんに聞けば 日本人は あちこちで顰蹙をかっているとのこと。
言えるだろうなぁ、何処に行っても 今の日本人は 大人も子供も マナーなどどこ吹く風だし。
外国に行くのに その国の文化を学ぶことさえ知らないで行く人は確かに多い。
例えば チップ。
チップという習慣がない日本人は そう言う点でマナーを欠いていることさえ気がつかないのだろう。
確かに 観光客と見くびって たいしたサービスもしないで 当然のようにチップを要求する店もある。
あちらは 時間給が低いので チップは 収入を左右するからなのだが・・。
でも・・・・・・、
以前は、Hyattでもチップを 予め請求書に付けていたことがあった。
これには さすがの私も怒った。 この金額に見合うサービスをしたか、あんたー?
マネジャーを呼びんしゃい!
「チップは 客が テーブルを担当したスタッフのサービスに対して決めるもの。
ホテル側で担当したスタッフの現状も分からないまま、かってにサービス料を決めるとは何事か!
それが 一流だと豪語しているHyattのやることか!
サービスがよければ15%と言わず20%でも 付けてやるわぃ。
そうして貰えるサービスを心がけろ!」 (その時は かなり気が立っていたのだと思うが・・。)
これ以来、Hyattでは 良心的にチップの掲載は辞めたが 他のレストランは 逆に付けている事が
多くなった。 多分、観光客のせいだろうが・・・・。
文化の違い、ものの考え方の違い・・・・、今年のハワイは いつも しっかり受け止めて融合してきたことが
うまく、受け入れられない。 何でだろう・・・・・・・・。
そろそろ、宿泊ホテルを変えようかな・・・・。
私たちって 本当のところ、今年もハワイに何をしに行っているんだろう?
買い物だってかー! それはそうだけど・・・・。
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2006年 7月3日 (月) ナイチンゲールの心よ何処・・。 |
この前、嫌な看護師の話を書いたばかりなのに またもや、遭遇。こんなヤツ、本当に看護師か?
先週の金曜日、娘が肘を痛めて帰ってきた。 腕が曲がらないという。 そりゃー、仕事にならん、一大事だ!
翌日は 土曜日で休診なので やむを得ず、救急で伺う旨、病院に連絡し、
何故か、行くのを渋る娘に 脅しをかけながら E病院に向かった。
先着一名!
廊下に6個ばかり置かれた椅子に 若い男の人が 横になっていた。
よほど具合が悪いのだろう、私たちが 横に座っても 起き上がれない。 顔色、真っ青、 否、 土気色。
そのうちに4組ほど患者さんが来て、一時間あまりが経過したが ぜーんぜん、医師が来ない。
と、そこに 怒り肩の怒り顔の看護師が 娘の前に立ちはだかった。
いきなり、診療時間を書いた病院の案内書(?)を娘に突きつけて こう言いやがった。
「ここはねー、8時半までしか診療しないのよー。夜は 診療しないからねー。何処か他を探すのねー。」
何? 何、言ってんだ、このオバハン? 訳、分からん。 娘の顔を思わず見る。
「何なんだ、あの言い方は? まだ、あんたの診療だってしていないうちに 角が立つ言い方するねぇ。
誰が はなから 夜しか来られないと言ったのよ。来られる日が あるかないかは
見て貰ってからの話しだろうが! それは 診療後の話しだろうが!」
娘、ボソッと言う。
さっき電話したときに 「教師をしているので 授業を抜けられず 昼間、来られませんでした。
申し訳ないと思いましたが こんなお時間に電話させていただきました。」と言ったからかも・・・・。
何? そんな下出に出て電話したのに その言葉の揚げ足をとったのか?
それで あんた、行くの、気が重かったのか? くぅ〜〜・・・。(ワナワナ・・・。)
どうしてくれようかと思ったその時!
そのアホが 大声で廊下を通っていきました。「こっまるのよねー、診察室で寝ているのよ。何だろうねー。」
何事だ、今度は?
気がつけば 横に倒れていたお兄ちゃんがいない。 彼のことかー?
そこに 診察室から よろよろと真っ青なお兄ちゃんが出てきました。 再び、椅子に倒れ込みました。
看護師、近づきます。 「誰に断ったの?」
「急患の受け付けで 寝ていていいと言いました。」 (お兄ちゃん)
「はぁ〜? 困るのよー、迷惑よー、診察室なんだからさー。」 (鬼)
ピキッ!
お兄ちゃん、とうとう、切れました!
後は ご想像通り・・・。責任者を出せ、おまえ、何様のつもりだ、弱いものいじめをしてんのか云々。
気がつけば 先ほどまで土気色だったお兄ちゃんのお顔は 真っ赤っか。
しっかり床を踏みしめているし、言葉もはっきり、巻き舌に。
よかったと言うべきか、お気の毒と言うべきか・・・・。
但し、悲しいかな、若さ故か、病故か、お話が いまいち、理路整然と行かない。
あぁ、せっかくの怒りは あんたが正しいのに 不利な方向に流れていく・・・。
ねぇ、誰が見たって 意地が悪い看護師の仕打ちでしょう。 これでは 誰だって怒る。
この看護師は 多分、病人にたいして いつも上から ものを言っているんだろう。
強い口調でものを言うことも (励ますという意味では) 時に必要なことがある。
しかし この人のもの言いは 冷静な心を持ってしても 悪意を感じる。
大の男が 人目を気にすることも出来ないで、起き上がれずにいる姿を見て、
「迷惑」と言えるであろうか?
この看護師も この前の嫌な看護師と同じ顔つきをしていた。
苦労の多い仕事だと思う。 きつくて大変な仕事だと思う。
でも、彼女だって ナイチンゲールの精神を かつて習ったはず。
病人は 心も体も弱くなっているのだから その職業に従事している誇りを持って接して欲しい。
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2006年 6月9日 (金) ロイヤルホストの馬鹿! |
お使いの帰りに友人と ばったり会ったのです。
時間が時間だから ちょっと、お昼でもと言うことになった。
おお真横に ロイホ。
こんな所にいつから ロイホが?
探す手間が省けるというので ここに入ってライチを注文。
唐揚げ〜!
って、なんだー?
親指の先ほどの唐揚げが 5個。
下に2ミリくらい 器用にキャベツらしきものが
乾燥寸前に敷いてある。
な・なんだ? 銀座だって ランチ、もっとちゃんとしているぞ!
これって おつまみかよ?
つぶれろロイホ!
浅草から 消えろ!
おまえなんか 一等地に 出しゃばるな!
食べ物のことになると 異常にテンションが
あがってしまうmanoaさんでした。
もう一回、何か食べよう。 |
2006年 5月 12日 (金) まさに万里の長城! |
連休の伊東行きは 何故か去年を参考にしている、とち狂ったタヌキのお陰で6時間もかかってしまいました。
今年は今年、去年は去年、全く何を考えているやら ヤツの考えは分からないのであります。
未だに人間界の法則に慣れていないとは 情けなや。 私としたことが 不覚・・・・。
しかし、問題は 帰った途端に勃発したのでありました!
先に家に入った娘とタヌーが キッチンで大騒ぎをしている。
「なにー! どうすんだー! 母、ひっくり返るぞー!」(娘) 「こりゃー ひでーや! ケケケ・・・!」(タヌー)
ええい、煩い、何を帰った途端にわめいている?ドスドスとキッチンに踏み込んだ私の目にしたものは・・。
調理台の上に鎮座ましましている、どでかい箱。
まさに ミニ物置、あるいは 上置き式衣類乾燥機、はたまたギゼーのピラミッド!
娘、おそるおそるメモを私に手渡す。
「母の日のプレゼント。大きすぎると文句を言わないで受け取ってね。 by息子」
って、食洗機かねー! それはいいけど どうするのこの大きさ、調理台からはみ出しているじゃないか!
食洗機を使う前に これから 何処で調理をするの? 我が家って 何人家族なの?
と、ここで 我が家は パニックになったのです。
シンクの両側に調理台があるとは言え 水回りは 左しか使えない。 右側は ガス台があるから不可能。
それより なにより この大きさ、到底4人家族には 誰がみても不必要、不経済。
あぁ、頭が痛い・・・、息子の気持ちは嬉しいに決まっているけど 不可能なものは 不可能。
タヌーは だめなんだから 返すしかないと単純に言うけれど 返せば 息子の言う言葉は百も承知。
「もう 二度とあげない。」
でも、そう思う気持ちは よく分かる。 自分でも 多分、同じことを言うだろうから・・。
しかし、どう考えたって 我が家には 無理な大きさ。
息子は 何故か 食洗機に去年から ずっと こだわっている。
けれど、その話が出る度に 私が必要としていない理由は言ってきたはずだ。
1,一番に置き場所がないこと。 2,全員が揃う機会は 一週間に2〜3回しかないこと。
3,息子自体、 朝早いから食事をしないこと。
4,娘は 朝、自分の使った食器くらい 自分で洗わせるべきだと思っていること
5,今の自分の歳で 食洗機に頼ったら その先は 食事の支度自体が 嫌になって辛くなることが
自分で分かっていること。(ここが 私には 大きなポイントだった。)
息子は 自分が遅く帰ったときに 自分の食器を洗わせずに済むとか、私が楽を出来るとか
単純に考えたのだろうが、正直、私は あれほど言ったのに 何を理解していたのかと
思い悩んでしまった。 男とは こういうものなのか・・。
タヌーが言うように 事前に一言聞いてくれればと思うが
本人にしたら 黙っていて脅かそうとしているのだろうから 話しがかみ合うはずもない。
結局、私は悩みに悩んだ末、購入先に 交渉して引き取って貰うことになった。
その後の 我が家の葛藤は 予想通りで 私の誕生日は かくも無惨な状態に相成ったのであります。
あぁ、針のむしろ・・・。 万里の長城めが・・・・。
本当は 血圧が上がって 倒れそうなんだぞー!
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2006年 4月17日 (火) 締めくくり |
えー、皆様、AVAのツァーには 注意しましょう!
さすが 安全度業界29位のJALの手下です。 親方日の丸の元にやることが違います。
今回のツァーのホテルの立地の悪いこと、他に類を見ません。
最後のホテルの場所・・・・、バチカンのはずれ、バチカンまで30分もかかるようなところでした。
以前、同じ時期に行ったツァーは もっと安価でしたが ホテルは 街から ここまで外れていませんでした。
私たちは ポンペイのツァーに参加しましたが フリーの方達、街に行くも帰るも 大変だったと思います。
そうそう、それで ポンペイのツアー、これが又、腹が立つのです。
ホテルを7時前に出発しました。 他のホテルの人をピックアップして、ナポリ港に お送りしてから、
さらに 行きたくもないカメオ工場によって余計な時間を費やして・・・、やっとポンペイです。
ここでイタリア人の美人ガイド、マルちゃん(マルゲリータさん)と ポンペイ入場。
バスに乗ってきた現地の日本人ガイドは 付いてきません。 (結構なお身分でいらして・・)
「行ってらっしゃーい。 ユックリ一時間、見てきてくださいねー。 その後、ユーックリ、ランチでーす。」
な・何? ちょっと 待てぃ! 1万7千円も とっておいて 一日でも見られないポンペイを
一時間だってー? あんた、気は確かか? おかしい、こんな筈はない!
来る前に ちゃんとAVAに電話して ポンペイの観光が二時間だという事を確認した上で参加したんだ。
参加者、一時間の観光に動揺するが 誰も確認できない。 それじゃー済まないよ!
「ちょっと ちょっと、マルちゃん、二時間だよね? あのオバサン、一時間なんて言っていたけど
二時間だよね? 一時間じゃー、なんにも見られないよね。 二時間て聞いたから参加したんだよー。
ねぇ、どっち? 答えて!」 と、とち狂った私は 自分もオバサンであることを忘れてしまったのでした。
マルちゃん、悠然と微笑んで言いました。
「二時間、見たいー? いいよー。」 (うぅ、あんたは いい人、美しい人。)
曇天、寒い・・・。 「ここは 晴れていると 素晴らしいのよー。 私たちだって この前に来たとき
青空の下に広がっている この町並みを見て感激したもの。」 と、娘がつぶやく。
残念・・・・。もう、二度と来られないかもしれないのに・・・・。無念・・・。
観光中、日本人ガイドからマルちゃんに帰れコールが・・。 どこまでも むかつく現地の日本人ガイド。
レストランで 腕組みしながら目を引きつらせて待っていました。
「急がないで食べていいですよー。」なんて まるで嘘を言っているのが 吊り上がった目で 分かる。
アルデンテであろうが 噛み砕いて早食いしてやる! 目にもの見せたるぞ!
要するに 3時半にナポリ港に着く船を 早めに迎えに行きたかったと言うことですな。
翌日、数々のアクシデントを乗り越えた健気な一行は ローマを後にし、ドゴール空港に向かったのでした。
ここでの 乗り継ぎ時間は 一時間十五分。 これって かなりきつい。
JALのチケットを 貰う為、急ぎ足で 出国ゲートに向かい、蟻の大群のように早足で行進。
がーー、人、人、人、人で ゲートのはるか手前が 大混雑。 添乗員さん、焦りはじめました。
事件です!
不審な荷物があったそうです。
フランスのドゴール空港は 過去にテロの被害にあった苦い経験があるため
不審な荷物を見つけた場合は その場で コッパミジンコに爆発するそうです。
でも、それって かなり危険。 爆破の威力を どうやって調べるの?
万が一、全部、この場所が 吹き飛んだら どうするの? もっと、下がれったって そういう問題か?
「もう どうだっていいよねぇ。 こんなに肉厚な人たちが前にいるんだから 爆発しても
破片は 突き刺さらないんじゃーないのー? 振ってきても肉片なら そんなに固くないんじゃーないの?」
後ろで たまプラーザお住まいのマダムが「私、そういう考え方、大好き!」と 妙に同調している。
結局、何が何だか 分からないまま、爆発は無しと言うことで ひたすら走らされてJALに乗ったのでした。
PS.
飛行機の中で見た「Always 三丁目の夕日」は 心にしみました。
行ったか、行かなかったか、分からない忙しい旅でしたが
この映画を見て 心が和んだような気がしました。 幼い頃の懐かしい風景・・・、まだ、覚えている・・・・。
「10年後も 50年後も 美しい夕焼けは 必ずある!」 そう願いたいですね。
あれ?50年後? 生きているわけないじゃん!
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2006年 4月3日 (火) フィレンツェにて・・。 |
三日目は連泊。 あぁ、嬉しや、荷物を ホテルに置いておける! 楽!
ホテルの場所は 「フィレンツェ又は 近郊」・・・??? こういう書き方は 要注意。
絶対に 「近郊」と相場は決まっている。 一応、覚悟はしていたけれど・・・。
パンフレットが届いてみたら 「カレンツァーノ」と書いてある。
なんだー? カレンツァーノだー? 何処だ? 地図、地図! 無い、何処なんだ?
ガイド本なんかに載ってない。 まさかー・・・。
ありました、やっと探しました、大きな地図で・・。
「近郊」だってかー? 「近郊」に引っかかっているかもだろうが、フィレンツェから。
タクシーで30分以上かかる! 舐めてんのかー。
この移動時間は 本当にもったいなかったけど フィレンツェで 午後は 待ちに待った自由行動。
ウフィッツ美術館で 解散後は 脱兎のごとく 「肉」を食べに。
???「イエロー・スナック・バー」だって。 アメリカか? 「バール」じゃないの?
でも、ここは 地元のガイドさんのお薦めだし、お腹がすいて歩けないから妥協し。
何々?Tボーン・ステーキは 800グラムから? ただし、200グラムくらい前後しますだって。
「ねぇ、試しに800グラムって言ってみようよ、絶対に 1キロで お勘定してくるよ。」
「そうかなぁ?」
「そうだよー、あんた甘いのよ。ちなみに 骨の重みが 150グラムで肉は 50グラムくらいだな。」
「まさかー。」 「ねぇ、二つ取ろうよ。」 「馬鹿か?大きいんだぞ! 絶対に食べられない。」
「何、言っているのよー。大きいのは 骨でしょうが。肉が足りなかったら 暴れちゃうよ。」
「では 一応、来てみてから決めてよ。 Tボーンを二つも取っている人いないよ。恥ずかしいよ。」
「チッ、ここまで来て・・・。」
肉・・・・、はい、驚く大きさでは ありませんでした。
大きな骨でした。 しかも ミディアムと言ったのに 完璧にレア。
もう少し、焼いてくれといたら 厚いからこれ以上焼けないと来た。
食い下がって焼かせてみたけど 何処が焼けたのか変化無し。 あぁ、肉食獣になった感じ。
娘は お腹いっぱいになったねと言っていたけど そうかなぁ・・・。
はっきり言って 「足りない!」
それでも 上機嫌の娘は 意気揚々と かねて目を付けておいた手作りの掛け時計のお店に。
ウ〜〜、またしても 選ぶの長い! お腹がすいていたら 絶対に 絞めてやるところだけど、
経営者のおばあちゃんの笑顔を前にして 急かせるわけにもいかず じっと我慢の母でした。
「娘よ、頼む。ドルチェ、食べよう。疲れた・・・。本当に あんたと買い物、するの嫌い!」
かくして、午後の自由行動の時間は 瞬く間に過ぎていったのでした。
私たちが言うフィレンツェは イタリアでは「フローレンス」と呼びます。
きれいな呼び方ですねぇ。
その呼び方通り、観光客であふれかえっていながらも 重厚さを失っていない街でした。
フローレンスの夕暮れは 重厚で哀愁があって闇の中に 歴史の息づかいを感じます。
この街、好きです。
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2006年 3月24日(土) イタリア part1 |
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今回は 小出しに日記を書こうかなんて思ってます。
イタリア・・・・、寒い!
日本人は 大体において、イタリアは 日本より暖かいと思っているでしょう?
ねぇ・・・。
寒いの。
この頃は 経費削減で添乗員が事前連絡をしないツァーもあるけれど
たかがグループの代表一人の連絡ごとき 何故やらないのだ。
私たちは 「外国にとっては外国人」(?)なんだから気候のことは PCで分からない部分があるのだー!
ねぇ・・・・・。
その寒い中、二日目に行ったベネツィアでは 水が大嫌いなのに ゴンドラなんかに乗せられた。
小さな親切大きなお世話、ありがた迷惑、計画殺人。
私は 泳げない! しかも なんと40分、5人乗り。 私は知りました、寒さは恐怖に勝つ!
凍えきった体を引っさげて ツァーから2時間離脱し、娘が行きたいと言っているガラス工房を探しに・・。
イヤーな予感・・・。
案の定、迷路、迷路、迷路、迷路・・・、娘よ、母を置き去りにしないで。ぜーったいに元に戻れない。
イタリアでホームレスは 惨めだ・・・・。
「聞け!」 「誰に?」 「誰かだ!」 「居ないよ。」 「探せ!」 「いた!お爺さんだー、突撃ー!」
教えてくれました。 とーっても ご親切。 わざわざ案内してくれました。
「こっちさ、来い!」 と、多分、イタリア語で言っていたのでは ないか・・・。
でも、ノックしているところが 変。 ただの家のドア。 大丈夫かー。
「ここかー?」 「う〜ん」 「う〜んじゃないんだよ。なんでショーウィンドウがない?」 「う〜ん・・。」
違う! イタリア人は 親切(?)だから分からなくても ここだろうと言うところを教えてくれるから
注意が必要だと 自分で言っただろうが。 あんた、さっきから冷えてトイレに行きたいのに〜〜。(うぅ・・・。)
かくして振り出しに戻った我らは やっとこさっとこ執念で見つけたのであります。(早く買ってたもー。)
ところが 慎重と言いましょうか、単なる目移りと形容しましょうか、娘の買い物は とにかく、選ぶのが長い。
もう、早くしてってばー! 「いい加減にしろよっ!」 ついに ぶち切れました。
何回、選んだものを変えるんだ! おじさん、奧に ひっこんで呼んでも出てこないじゃーないか!
あんた、一目見たときに目をひいたものが いいと おじさんが言っていたろうが!
(私には 分かります、おじさんの心と 私の心が一つになりました。)
こうして なんとか価値ある作家が作った繊細な「カニ」の製品を手に入れ、娘、喜ぶ。
そして 私は やっと戻ること30分、しずしずと滑るように 衝動を避けながら トイレに向かったのでした。
ゲッ、インフォメーションのトイレが1ユーロだってー!
クッ、10ユーロしかない。 おにいさん、おつり、早く〜〜〜・・・。 |
2006年 2月23日 (木)  変身ホテル、あらビックリ! |
我が家の近くに、何故か 一軒だけ、「ラブホテル」なるものがあった、住宅地の真ん中に。
二年くらい前まで本当に 気がつかなかった。(その位、何の変哲もないと言う建物で・・・。)
最近、地下鉄の駅から やけに多くの外人さんを見かけると思ったら、
なんとそのラブホが 外人専門のホテルに変身を遂げていた。
例のバックパッカー用のホテル。
頭いい! 先見の明!
しかも これが 結構繁盛しているところが なんともすごい。
でも、どうやって外人さんをだまくらかしているんだべ。
地下鉄の駅からは かなり遠いし、出口は三つもあって 出る口によって かなり距離があるし・・・・。
外人さんの感覚は 日本人には やっぱり理解できない。バックパッカー、恐くて出来ない。
この間なんか 朝早くからジョギングしている外人さんを見かけた。
すごいわー、外国に来てまでジョギング。 これも出来ないわぁ!
ホテルの前は 何故かベランダ用の円テーブルと椅子が3セットくらいあって、
どう考えても脈絡のないライオンの汚れたぬいぐるみがデーン。
金儲けってこういう風にやるんだわねぇ。
出来ないわー。出来ないことだらけだわー。
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2006年 2月9日 (木) むかつく看護師 |
目のまわりの骨の手術が無くなったので 予定通り、息子が 昨日、○察病院で
扁桃腺の切除手術を受けた。 個室でなかったので 他の患者さんの遠慮もあって
面会時間の三時に病院に行った。 先ず、ナース・ステーションに寄って 親としてご挨拶。
「今日、手術を受けました○○の母でございます。
この度は いろいろとお手数を おかけしますが宜しくお願い申し上げます。」
ナース・ステーションには 二人看護師さんがいて型のごとく挨拶を交わし、
さて、息子の病室へ行こうと思ったら 奥から「あのねぇ・・。」と声が。
「息子さんね、止血がなかなかうまくいかなくて 時間が かなりかかったのよ。
さっきまで先生がいたんだけどねぇ、さっきまで。
もう今、手術に入っちゃっているから 四時半か五時過ぎないと 先生、来られないからね。
先生じゃないと説明できないからね、私では。 待合室ででも待っていてよ。」
説明できないって あんた、十分、親を心配させること言っているよねぇ。おまけに何と攻撃的な物言い。
どうも この手の看護師の言うことは 素直に納得がいかない。他の人に聞き直したくなる。
そこに 優しそうな看護師さんが来たので もう一度、先生にお会いできる時間を聞いてみると
「はっ?手術に入っている?誰が言ったんですか? ちょっと先生に聞いてみますから
息子さんのそばでお待ちください。」
すぐに戻ってきて「先生は ただ今、外来の診察に当たっていますので 四時半か遅くても
五時までにはお出でになれますので・・・。」と言う。(話が ちょっと違うなぁ・・・。)
それならば 仕方ない、待とうホトトギス。
でも、意識が朦朧としている息子のそばで一時半以上も待つには その前にやらなくてはならないことが。
遅くなるとなれば娘に夕食の支度を頼まなくてはならないし、
息子を 心配している主人に連絡も取らなくてはならない。
電話は 携帯を使えないから一階の公衆電話まで行かなくてはならない。
一時間半ほど費やして、戻ったのが四時五分過ぎ。
エレベーターを降りて病室に5〜6歩踏み出したところに
先ほどの嫌みな看護師が目を吊り上げて迫ってきた。
「あら〜〜、あら〜、○○さん、何処に行っていたのー?今さっき先生が 見えたのよー。
何処に行っていたのよー。あちこち探したじゃないのー。(嘘こけ!)
荷物だってないし 帰ったと思ったじゃないのー。(大きな紙袋が目の前に置いてあっただろうが)
何処かに行く時は ナース・ステーションにことわって行ってよね、ことわって。」
安静にしていなければならない患者さんもいるだろうに 病室の前でこの大声。
息子の容態も 未だ、聞いていないので とりあえず、謝っておいたら
これが根っから意地悪い性格らしく息子の枕元まで追ってきて同じ事を繰り返しはじめた。
いるのね、下出にでると 笠にきる人間が。
ブチッ! 切れた!
なんで 手術をしたばかりの患者の前で親を頭ごなしに 叱りつけるんだ。あんたは何様だ?
こういう場合、私は まるっきり見えなくなる。その人間の存在が眼中から消える。顎が上がってくる。
何か まだ、言っているが もう無視。
(さぁ、頭がフル回転。 もっとも有効な方法で叩きのめしてやる。
看護師の立場もわきまえずその態度、許さん。)
病室を出て ナース・ステーションに直行。
そこで 極めて丁重に話を切り出す。
「お仕事中、すみません。申し訳ありませんでした、何か 大変ご迷惑をおかけしてしまったようで・・・。」
看護師、キョトン。(ここだ、攻め込むぞ!)
「私、親の代からK病院にしか入院しておりませんので こちらでは 家族が病室を離れるときは
看護師さんにことわらなくてはいけないというマニュアルがあるのを知りませんで・・・・。
本当に申し訳ありませんでした。」(青菜に塩状態でうなだれてみる。)
その途端、奥から婦長さんが出てきた。
「とんでもありません。そんなこと、ことわらなくていいのですよ。誰が言ったんですか?」
やっぱりね! さて もう、一責め。
「はぁ〜、家族と連絡を取りに一階まで降りていたことで
ことわって行かなかったと 今、すごく怒られてしまいまして・・・。」
ナース・ステーションの看護師さん、みなビックリ顔。今度は あちらが平身低頭
やったぜぃ!
病院と言うところは 患者もその家族も かなりナーバスな状態に置かれているはずだ。
であるならば 医師に限らず看護師も 口の利き方等に配慮していかなくてはならないのではないか。
恐ろしもので性格は 歳をとるにしたがって顔に表れると最近、つくづく思うようになった。
人を 勇気づけられるのも人間なら 深い傷を負わせるのも人間である。
病気になった人間の心は弱い。 家族もまた、同じ重荷を背負っている。
プロというものはどんな職業であれ、仕事の意味を理解しなければならない。
看護師というものの意味は?
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2006年2月3日 (金) 恐い! |
珍しい! 二日続けて日記を書いている。
だって、すごいことが 二連発なんだもの。その一
月曜日に仕上がる洗濯物を 例によって愚図な私は 今日、取りに行った。
ところが 何故か、手前に立ち入り禁止の 黄色いリボンが道をふさいでいる。
すわっ、殺人事件か! 胸が高鳴る。
「すみませーん、入っていいですか? クリーニング屋さんに行きたいんですけどー。」
警察だか消防署だか町内会だか分からないおじさんにリボンを上げて貰ってクリーニング屋さんに
行ってみたら・・・・・、
無い! クリーニング屋さんが無い! 焦げている、真っ黒!
へっ? と言うことは 息子の新しい背広、焦げたんかいな。私のものは 預けてあったかいな?
まぁー、どうすんだべか。 あぁ、面倒くさがらないで火曜日に行っておけばよかった。
その二
近くに 地下一階に大手のスーパーが入っている大きなビルがある。
上の階は 本屋や用品店が入っている大きなビルである。
でも、このビルは 階段の下などに不思議なものがある。
盛り塩
白いお皿に入った盛り塩
初めて気がついたのは 一年以上前だった。 ビルのまわりに塩がまいてあった。
その時は前後して外壁を工事していたのでお清めかなと思ったのだが
考えてみると 入り口のところの両脇に置いてあったこともあった。
先日は 女子トイレの両側。 なんか変じゃない?
そう言えば たまたま、そのビルの一階の喫茶店に入ったとき、
背広姿の男性が八人ほど集まっていて 聞こえてしまった言葉が「まっ、塩を置いておこうか。」
何なのー、このビル、何かあるのかー?
娘に このことを話したらもう、興味津々で
なんで もっとよく聞いてこなかったって・・・・、 一足遅れ。
ところが たまたま、今日、娘が休みなので 一緒にスーパーに行ったら
スーパービックリ!
娘は さすがにびびってしまいました。
な・なんと 一階と地下のエスカレーターの両脇、エレベーター二機と隣の搬入口のそれぞれ両脇、
おまけに エレベーターの前の通路にある男子トイレの両脇、その先の階段の両脇、
搬入用のエレベーターの両脇に 白いお皿に盛り塩が置いてあるではないですか。
これって、何?
ねぇ、皆さん、何だと思う? 出るんでないの? 恐いよー!
見えないけど 一応、恐いよ。 今まで こんなに盛り塩がしてあるところ見たこと無いよね。
霊感、ないから後ろにいても 踏みつぶして来ちゃうけど何だろう?
誰か教えて!
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2006年 2月2日 (木) 「言霊」について |
新年早々、わずか二週間の内に 三回もアクシデントに見舞われるとこの私も さすがにまいる。
「一年の計は元旦にあり」、 今年は ずっと波瀾万丈か、などと ついつい弱気になる。こんな時は 家に閉じこもっているのが 一番、精神に悪い。
そこで 前々から約束していた食事会に出かけたけれど ついつい愚痴が口をついて出てしまう。
楽しい食事会に 本当に申し訳ないけれど・・・・・。
「何で こんなに新年早々から いろいろなことが起きるのかなぁ・・・。」などと・・。
友人曰く、「大丈夫よ。二度あることは 三度あるって言うじゃない。
もう 三回あったからこれでお終い、お終いよ。」
何という優しい言葉、温かい励まし。 胸のつかえが 降りていくのが分かった。
娘が よく言葉は「言霊」というのだと言っていたことの意味が この瞬間、理解できたように思った。
口をついて出た言葉は その瞬間、「言霊」となって人の心に入り込む。
「言霊」は 作り出す人の人格によって、人を支えもすれば 落としめることさえしてしまう。
私は 友人たちが 私にくれたような美しい「言霊」を 今まで作り出していただろうか?
友人が辛い立場にいたときに 少しでも励まして来られたであろうか?
「大丈夫よ。」と言ってくれた友人たちに深く感謝し、これから自分も美しい「言霊」を
手繰れるようになりたいと思った。
友人のありがたさに胸に浸みた素晴らしい時間だった。
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2006年 1月10日(火) 大変だー! |
元旦は 初めて主人の実家に行かなかったので いいお正月と思って伊東に行ったら なんたる出来事!
大体、暮れから五日は 曇りか雪だと天気予報が出ていたのに、 強情な主人は
ここは絶対に雪が降らないと言う。
まぁ、新年から 喧嘩するのも億劫だし、たまには 言うことを聞いてあげようと思ったのが間違いの始まり。
朝、起きたら 窓の外が やけに明るい。何だろうねぇ・・・。
ん〜?なにー? あれは雪? これも雪? 多分、雪? きっと雪!
ぐぁ〜、 雪が降っているぞー! 雪、雪、雪だー!
娘と主人、飛び起きました! 外は すでに積雪、8cm以上..
みんな、まっ青。 どうする・・・? 帰れないぞ。 チェーン、無いしー。
主人の提案で 先ずは チェーンを買ってこようと言うことになったのであります。
しかーし、タクシーが 我が家まで 上がってこられない。
と言うことは 誰かが 歩いて山を下りて 買いに行かなくてはならないと言うこと?
会議です!
娘 「無理、無理。ヒールだもん。」
私 「もっと 無理、無理、体、弱いしー、腰痛いしー、腱鞘炎だしー、女だしー。」
娘&私 「あんたしかないねー、ジィサンだけど一応、男だし。 頑張れ! 応援しているぞ!早く行け!」
かくして 主人は 往復一時間の予定で出発しました、11時。
別人28号になって帰還しました、12時40分。
娘、驚く!「あんらー、マリー・アントワネットが 一夜にして白髪になったと言うのは 本当なんだ!」
違う! オトッツアン、、雪だるまになっているんだって。 でも、顔、キモイ・・・。
それでも 何とかチェーンを 装着して 出発したものの これが 滑る、滑る。ブレーキ、効かなーい!
ひぃ〜〜〜・・・、落ちる〜〜!
どうにかこうにか車を路肩に止めて 三者会議に再突入!こういう時に 如実に出るものです、性格の違い。
主人 「○○(息子)に 迎えに来て貰おう。車は 雪が解けて 動かせるまでここに置いていこう。」
私 「何、言っているのー?私の車だよー。 JAFを 呼んで絶対に この車で帰る!」
娘 「まっ、帰れるときは 帰れるからサー。」
私 「何、言っているの。三十何年間も会費、払ってるのは 何のためさ。」
二時から待つこと三時間。やっと来た積載車は 急勾配で上がってこられず。
再度、JAFから来たスタッドレスの積載車も私も車を目の前にして立ち往生。
こうなると またもや先の会話の繰り返しになる。
何を 言っちょるの?可愛い私の車を置いて帰れるか。 諦めない、私は諦めない!
プロでしょう?何とかしてたも・・・・。
願ってみるものです。言ってみるものです。 さすが ベテランさん、アイディアを出しました。
「4駆のスタッドレスタイヤ4本にチェーンをして 逆牽引で降ろそう。」
あぁ、まぶしい・・・、後光が見えました。
かくして 伊東の街におりたときには 9時半をまわり、小田原で 11時に食事をして 夜中の一時に
東京にたどり着いたのでした。
成せばなる! 帰ったぞー! 私は 強い!
PS・ やっと 帰った翌日から息子は風邪。 おまけに室外機が壊れて この寒空に
我が家は トイレ用のヒーターで 震えているのであります。
電気器具ばかりというのも不便・・・・。
でも、今年は 早々から一年分のアクシデントが あったような・・。
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2006年 1月1日 元旦 年頭に・・! |
昨年は 自分にとって 一年が半年しかなかったように思うのです。
親になって初めての試練の年だったかもしれません。
家族のあり方、親子の絆について真剣に考えさせられた年でありました。
前半は ほぼ毎日が 苦しく辛く、なんのために自分がこの世に存在しているのかさえも考えてしまいました。
その中で考えたことは 自分にとって 如何に子供という存在が 大きなものであるかと言うことでした。
その苦しさから 救われたとき、初めて この無信心な私が、
この世には 見えない力が 自分を護ってくれているのかもしれないと 思うに至ったのです。
私には その事を難しい言葉や今、流行のこととして現すことは出来ないけれど、
ただ一つ言えることは、 どんなときにも 真面目に一生懸命に生きていくべきなのではないかと思うのです。
辛かったときに 沢山の友人から 暖かい励ましを戴いたことのありがたさは 生涯忘れることはありません。
辛いときこそ 人の優しさが身にしみます。
今、辛い思いをしている人も 信じてください! 必ず、春は訪れます。
人間、苦しいときばかりではありません。真面目に生きていれば必ず、苦の後には 楽も幸せもやってきます。
いつまでたっても 不器用な生き方しかできませんが 自分は 生涯このまま、まっすぐな生き方を
通していこうと思います。
最後になりましたが 昨年も はるか彼方のスペインに一緒に行ってくれたフレディさんに深く感謝します。
今年も 「そんなことも あったんだね。」と、笑い話にしながら 旅に出ましょう。
今年が 皆様にとって幸多き年でありますように 心から祈っております。
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2004年 12月19日 (月) 「四季」の「異国の丘」 |
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先月、「四季」のミュージカル「異国の丘」を見に行った。
ミュージカルは いまいち、苦手なのだけれど テレビで宣伝していた挿入歌にひかれて
去年から 見てみたいと思っていた作品だった。脚本を書いた浅利慶太氏の思いは 戦後60年を
経て今の世代に生きるものたちに 熱く問いかけているように思えた。
私の感想より「明日への祈り」の語りと詩を書いておきます。
シベリアの荒野に命を奪われた者、およそ6万人。その一人として九重秀隆は死にました。
いえ、太平洋戦争の戦死者155万人。それだけではない、米軍による無差別空襲などの死者30万人。
広島長崎の原爆の犠牲者35万人。沖縄戦の住民の死者、15万人。さらに戦後の満州で
ソ連軍に蹂躙されて命を失った者。平和を守ろうとして命を失った者、戦争を終わらせようとして
命を奪われた者、戦勝国の報復感情のために些細な理由で戦犯に問われて刑死した者たち。
それらすべての理不尽な戦争犠牲者の一人として九重秀隆は死んだ・・・・。
あの戦争では、名も無き無数の人々が、その青春と未来と、時には全存在をも
投げ出さざるを得なかった。戦後日本の驚異的な発展と繁栄は、これら何百万の人々の
貴い犠牲を礎としてもたらされたものです。
亡き人々は いったい我々に何を語りかけているのでしょうか。 「語り」
「明日への祈り」
涙さえ凍り付く最果ての白い野に
つながれた 我が友よ 明日を信じよう
音もなく 降り積もる シベリアの 雪の原
魂は 彷徨いつ 異国の丘に
苦しみの果てに はかなく消えた 名もなき命
祈り続けた
愛する人の 明日の幸せを
国破れて 山河あり
父母を敬い 兄弟結ばれ
妻を愛し 友を信じ
幼きを護れ 愛しき者たちよ
時はうつろい 生命 果てても
いつかは とどけ 我が心の声
いつの日か 蘇る 故郷の青い空
妻よ 子よ 父母よ
燃ゆる思いを
戦争を知らない私たちも 折に触れ、あの戦争の背景を理解し、犠牲になった人たちの思いを
伝えて行かなくてはいけないのでしょう。
本当に 涙が止まらない舞台でした。 浅利慶太氏に拍手!
(今後は 名古屋、大阪で公演するそうです。) |
2005年 10月28日 (金) ネコ喧嘩の始まりは〜 |
寒くなってくると布団の中で 丸まっている時間が至福のひとときである。
起きる前の30分は ことに 誰にも邪魔されたくない・・・、でしょう?
グァ〜〜、ギェ〜〜、ミェ〜〜
くぅ〜、また、始まったぞ、ネコのでいり。 しかも、我が家の駐車場でだわ。
堪忍してくださいよ、6時前だってばー。
せめて 後30分、お静かに どうぞ・・・。
あぁ、眠い・・・、うるさい・・・、体が動かない・・・、目が開かない・・・、うつら うつら・・・、
早く、どこかに行ってくれないかなぁ・・・。
息子は 昨日、30時間労働で疲れているから可哀想に。
(と、優しい母は 頭の中でおぼろげに考えていたと思う。)
その時、息子の部屋から 大音響の着メロが!
さぁ さぁ 用意は いいですか?行きますよー! フォ〜〜!
きっかけはー? ハード・ゲイ!
バフォー! ギャフォー! ミャフォー!ミギャー!
我が愛車の下が戦場と化しまして 戦いが始まりました!
ボッコン、バッコン車にぶつかっている音が響いております!
???ネコの飛びかかる合図が ハード・ゲイとは これ如何に?
息子よー、その着メロ やめて。
母は 驚いて布団の中で 飛び上がったよ。
早朝から あのテンションは 辛すぎる。用意なんか いい訳ないだろうが。
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2005年 10月15日 (土) 
恐ろしい乳母車 |
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若いお母さん達は 当然のように乳母車で電車に乗ってくる。
歩道を一列になって乳母車と一緒に歩いてくる。
いつから こんな事が当たり前になってしまったのだろう。
一昔前なら 外出するときは コンパクトにたためるバギーが当たり前で 電車に乗るときは
当然、たたんでいたのに・・。 いつだったか電車の中で乳母車が倒れて子供が怪我をしたと、
JRに文句を言っていた記事を読んだことがあるが それってどっちの責任?
乳母車を作っている会社のコメントは 縦揺れには考慮して設計しているが
電車などの横揺れに対応する設計はしていないとか・・。
そうすると 恐ろしいもので 何故、横揺れに対応しなかったかと言うコメントが載る。
JR側も謝罪する。
なんでー?
大体、 あんなに大きな乳母車で 混んでいる電車にも当然のように乗るって変じゃないの?
外国では 手に持てる程度の荷物しか許されないんだよ。
トランクなんか人の邪魔になるから 許されないんだってば。
何も 外国の習慣がいいとばかりは言えないけれど マナーというものがあるではないの、人間には。
何をしようが 自分さえよければいいと思う風潮。 自分の楽しみを優先させる若いお母さん。
最近、乳母車に乗っている子の大きいこと。
足を折り曲げているし、頭が上に突き出ているときた。
これを おかしいと思わない人間性が恐い。
抱いて歩くより楽だものねー。人のことなんか関係ないか・・・?
そうして 親が苦労しないと 子供に対する愛情も軽くなってしまうかもよ。
子供を抱くことは 重くて手が痛いし大変だけど、 それが子供が大きくなっていくことを
実感できる幸せなんだと思う。 体重の分だけ 親の愛も増えていくんじゃないのかな。
なんて しょっちゅう、乳母車に足を引かれる私は思っている。
本当に痛いの! よく見て歩けってー! |
2005年 9月12日 (月) 外壁工事だー! |
我が家の外壁工事が始まりました。
窓という窓は ビニールでふさがれ、密閉状態です。
く・苦しい!(感じがする・・・。)
あぁ、いつになったら終わるんだろう。 職人さん達、良く出かけるヤツだと思っているだろうな・・。
何だか、囚人になったような気がする。幽閉されているような気もする。
早く終わってくれー! 鬱になってしまうぞ!
毎日、毎日、朝夕、トイレ掃除だわー。 もう、10年分位したと思うけど・・・。
工事が終わったら 駐車場をどうやって片付けるの?
あぁ、頭が痛い・・・・・・。
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2005年 8月16日 (月) 私のハワイ |
あぁ、今年も 私のハワイは 遠くに過ぎ去ってしまった。
何回、来ても空港に降り立ったときに感じる風の匂いの優しさ、レインボウ・シャワーの美しさ。
ハワイに行っても 私は海に入ることはない。
何故、海に一回も入らないのかと 聞く人がいるけれど、
私にとってのハワイの海は ハイアットの部屋の真下から見る水平線に他ならない。
その水平線を眺めながら聞くハワイアンの「ワイキキ」は 素直に心にしみ入る。
静かに、静かに 自分の原点に戻っていくような気がする。
心が ピュアーになるというのは こういうことを言うのかと思う。
こんな非日常的な暮らしが 毎日、神経をすり減らすことが多い私を癒してくれる。
贅沢と言われるかもしれないが ハワイに行くという目標が 私を支え続けてくれたのだと思う。
いろいろな国を訪れ、素晴らしいものに感激するけれど、何処にっても ホノルルに帰りたいと願う。
優しい友人達の笑顔や心遣いが ここにある。
言葉に尽くせない優しさで包んでくれる友人
達と 優しい風に会える感謝の念は 年々深くなるようだ。
ハワイとは 私にとって そう言うところなのだと思う。
あと、何年、ホノルルに帰れるか分からないけれど 優しい友人達やホノルルの風を
大切にして生きたいと 改めて思った今年のハワイ行きであった。
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2005年 7月 23日(金) とうとう抜歯・・・。 |
とうとう、親知らずを抜歯しました。
恐かったです! 一週間前から おどおどでした。
しかし、これが不思議なもので 一週間も前から 神経を使っていると
前日になると もう、どうでもいいや状態になってしまいます。(歳のせいで持久力が欠如か・・。)
先生は きれいなお姉様。 嫌だな、本当は・・・。
こういう人って 案外、残酷。
いたって痛さに弱い私は この際、恥を忍んで言いました。
「すみません、麻酔の注射を打つ前に 麻酔をしてください。」 先生、多分「、ケッ!」
いいや、痛くなければ 私のちっぽけなプライドなんか・・。
先生は 抜く前に「痛かったら 手を挙げてください。」と 優しいお言葉を。
抜歯開始!
「痛い!」 手を挙げてみました!
先生、「まだ、何もしていませんっ!」 (`´メ) 「・・・・・・。」 (/_・)/
でも まぁ、何とか無事に、 しかも 案外、簡単にすんなりと抜歯成功。
あぁ、後、二本も親知らずを 抜くんですってさー。
本気かねー、気は確かかねー、きれいな先生。
頼みますよー、気が小さいから 痛くすると先生を突き飛ばしてしまうからね。
無意識に凶暴に変化してしまうから 上手に避けてね。
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2005年 7月11日(月)  スペインのホテルは・・・。 |
今回の旅行で 特筆すべきはホテル。 皆様に ご紹介します。
一日目は 先にも書きましたように 初っ端からホームランの工場の跡地。
二日目は なんと、飛行場の真横ときました。 いや〜な予感がザワザワと・・・。
バスが 裏から ホテルの前に回り込みました。
なんだか、がれきの山が ホテルの裏に散乱。 営業しているのか、このホテル。
申すまでもなく、お店おろか なーんにも付近にはない。
またか・・・・・。(-_-メ)
しかし・・・、 おぉ、ロビーは 一応、きれい。 中庭らしきものまである。
大丈夫かも、このホテル。(自己暗示)
恐る、恐る部屋に入ります・・・。 あんれ? 真っ暗!
何故だ? 白夜なのに 何故に カーテンが閉まっている? 不吉な予感がーー。
Open theカーテン! ゲッ! 何なんだよー、この部屋?
胸の高さに窓の下枠がー。 と言うことは ここって中一階? 半地下?
胸の高さに 道路があるって どういうこと? 窓開けたら丸見えじゃないか!
で、窓は 騒音防止の二重ってか? しかも、鉄格子まで。
こらー、我らは 囚人かー? 出してくれー!
PS・パエリャ、不味い・・・・。
三日目、山のてっぺんだわ。
見晴らしがいくら良くても なーんにも無いって。 まただよ・・。
おまけに部屋、掃除しているのか、いないのか? この床、埃だらけだわね。(キモイ!)
私と違って そこのところ気にしない大らかな友人。 あんたは偉い!
と、そこに来ました、苦手な黒砂糖をまぶしたような例の親父の片割れ。
あろう事か 我らの部屋のベランダに靴下を干させて欲しいだって。
(何故か、私には言わないところがミソ。バリア強健、あっぱれ私!)
怒りました、友人。 怒髪天です。
「なんで、あんたの靴下を干してあげなければいけない!他のおねぇちゃんに頼めよ。」
そうだ、その通り、あんたが 正しい!
四日目、ホテル着11時。
疲れた・・。 夕食、不味くて食べられなかったし・・。
やっと、ベッドに入ったのが1時近く。 友人は ぐっすり。
ここで 何事も慎重な私は 部屋の鍵を確認。 何気なく洗面所のドアに手をかけた。
って、開かない! ドアが 閉まっている! 押しても引いても開かない!
ギャー! トイレが内側から閉まっているよー。起きてフレディさん!
起きないぃー!
ここでパニックに陥った私は 友人のフレディさんを叩き起こし添乗員さんの部屋の番号を聞く。
電話、電話・・、指が震える・・・。神様 Help me!
添乗員さん「ファー? どなたですかー? 添乗員さん?」
ち、違う、添乗員は あんただ! 私はお客!
「す、すみません。トイレが内側から閉まってしまいました。フロントの電話番号、
教えてください。もしくは フロントに電話してください。」
(電話に平身低頭。 それでも友人はぐっすり。 本当に殴ったろか。)
友人は その夜のことを ぜーんぜん、覚えていない。
くっ、あんた、私が 朝、機嫌が悪いったって 寝ていないのっ。
朝、窓を開けてみたら 人里離れていたけど 実は 今回一番、いいホテルだった。残念・・・。
最後の二日は マドリッド。一応、町中だけど なんだか危ない雰囲気、この立地。
ガードマンが 入り口で睨みをきかせている。 恐っ! だめか?私の愛想笑い・・・。
添乗員さんは 危ないからバッグは 持たないで食事に行ってくれと言う。
どうする? お金は何処に入れるの?
ポケットは だめ? ブラの中ー? えっー、どっちの?
また、私かー!
わいのわいの頑張って ツァーのご夫婦と それでもタクシーに乗って食事に行きました。
スペイン語は話せなくても ご飯のためなら えーんやこら。
パアリャだ。 エビだ。ステーキだ!
フレディさんは 「こんなところに来ても 肉、食べるの?」と言うけれど、
私は 肉食です。 肉、肉、肉、美味い!
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2005年6月20日(月) バカップル VS 気の弱いオバサン!
(part1) |
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私等、付いたその日から ショックを受けました。
ホテル・・・、町の灯が見えない。 何故かって?ホテルが建っている所ときたら工場の跡地よ。
私らは 廃棄物かよ〜
翌朝は それでも立ち直って 友人のフレディさんと楽しく朝食を取っておりました。
来ました。 傍若無人な親父二人組の片割れが。
テーブルが 殆ど空いているのに「ここ、いいですか?」だって。
いいわけ無いだろうが。(チッ、嫌いなタイプ。しかも隣に座りおったよ。)
しかし、フレディさんは 大人だ。「どうぞ、旅は道連れと言いますから。」(アホー。余計なことを)
遅れてきた片割れは さすが、常識の域から出られないタイプで
「席は いっぱい空いているのに・・。」と恐縮の様子。(でしょう、でしょう。)
それ位で旅行が終わらないのは何故なのよ。
いたのねー、新婚のバカップル。
食事の時、殆どのツァーは 各自で飲み物を オーダーしますね。
フレディさんは バカップルと同じビール。私は どうでもいいけどジュース。
私たちは 一番、端に座っていたんです。
奥ゆかしいでしょう?私らしいでしょう? (トイレに行きやすかっただけなんだけど・・。)
ウェイターが 各自の右に飲み物を配るじゃないですか。
♪あやまちは その時起こった!フレディさんは 我慢できない。♪(古いけど知っている?)
フレディさんの右にビールが置かれました!
その時!
フレディさんの隣に座っていたバカップルの♀が 手を伸ばして フレディさんのビールを
素早く取った! 言っておきますが 端にまわす出もなく、♂にわたすでもなくです。
もう、私は 何事が起こったかと 目が点。 フレディさん、ビックラ。
このバカ女がー!自分の右にウェイターが 飲み物を配るから 静かに待っていろ。
し、しかも 「えっ?」という疑問の声を発したフレディさんに気がつかない。
おまけに バスケットに入ったパンを己だけが 食べおって こちらにまわさない。
あぁ、いやだ! ついに 私は 隣に座っていたバカップル♂に 言いましたよ。
きわめて慇懃無礼に・・。
「お食事中、恐れ入りますが パンを取っていただけますでしょうか?」
応えたよ♂、「はい、何でも言ってください。」
アホー、言われる前に気を使うんだ!あんたの♀は 気にしないでバカバカ食べているだろうが。
「恐れ入ります。」 一応、言っておいた。(なんと常識のある私)
フレディさんの怒りは収まらず!
で、話は まだ、終わらないんであります・・・。
帰りは チューリッヒまで 行かなくてはならない。
小さい飛行機だから 私たちのように友人同士だと 席が離れるケースが多い。
二人で 心の中で手を合わせましたね、あのバカップルとは隣同士にならないように・・。
ビンゴ!
私だよ!しかも私は窓際だー。(-_-メ)
はい、チョコレートを配り始めました、当然、奥の私から。
手を出しました、バカ女、頭の上にある箱に伸び上がってチョコを取りました。
飲み物を聞きに来ました、奥の私から。
注文しました、通路側のバカ女。
あんたは まだだよ。(もう、殴ったろか!)
哀れな私は 二時間半、読んでいたはずの本の内容も 頭に入らず、ひたすら
着陸を待っておりましたです。
降り立った途端に「御苦労さん」って、 フレディさん、目眩が・・・
あぁ、疲れ3倍・・・・。
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2005年 3月28日(火) ポルトガルは・・・。 |
遠かった! ポルトガルは とにかく遠かった!
成田から乗ったANAは 離着陸に手間取って、缶詰状態にされること13時間。
ヒースロー空港では念願のフィッシュ・アンド・チップスも食べられずに、さらにポルトガル航空で
飛ぶこと3時間ときたもんだ。 うぅ・・・、辛すぎる。
ホテルに着いてみたら自分の足は 足全体が腿になっていて直接五本指が付いているみたいな・・・・!
ポルトガル、○○カードの宣伝文句「お金で買えない物、プライスレス」のCMに憧れてしまった。
思えば遠くに来たものだ。ヨーロッパの西の果てに来るなんて。
しかーし、
ツァーにとって一番肝心なのは 添乗員の善し悪しだと言うことを痛感させられる羽目になろうとは・・。
悪かった! とにかく気が利かない。時間を上手に使えない。(顔は悪くないけど・・・。)
例えば・・・、(皆さんご承知の通り頼み事一つするにも私は気を遣う。)
※「(恐る恐る)あのー、部屋が暑いんですけど」・・・「はっ?窓を開けてくださいっ!」(それだけかい?)
※ 「あのー、ホテルの部屋を変えて頂けませんか。」・・・・「ホテル側でやっていますので出来ません。」
クゥ〜、んじゃ、あんた、何のために来ているんだよ。あんたの仕事は何なのさ?
私たちはね、何回も洗面所に閉じこめられたんだぞ。風邪、ひいたんだぞ。
あられもない格好でフロントに電話できるか。変態親娘と思われてしまうじゃないか!
この手の添乗員は 必ず最後にホームランをかっ飛ばしてくれる。
やったよ! 最終日、ポルトガル空港に着いてみたら 一人ホテルに積み残してきた。
あ、あんたねぇ、バスが来たのを知っていてスーパーにいく人もアホだけど
あんたは もっとアホだわー。
お陰で我らは全員、空港の前で20分間待ちぼうけを食わされた。(お茶も飲めなかった。)
「24人位なんだからさー、 番号でも言わせればいいのよー!」と、Aさん。
「毎回、遅れ癖があった人なんだから 目をつけておくべきよねー。」と、Bさん。
でも、おばさん達は さすが!遅れてきた人に 何事もないように「いいのよー。」と笑っていた。
まぁ、そんなエピソードもあったけどポルトガルはいい国であった。
国民は穏やかで ギリシアより もっと 時間の流れが遅い。
商売っけも無い! なんと観光客にとって 楽なことか。
何処の町に行っても せかせか観光をしている私たちには全く無関心で
自分たちの生活のペースを崩さないヨーロッパの西の果ての国。
こんな生き方があったのかと戸惑う。 毎日、時間に追われて過ごしている私たちには
おそらく、生涯に一度もこの国(町)を 出ずに終わるかもしれない人々の生き方が理解できない。
先進国と言われ、老いも若きも 簡単に外国に飛び出している日本人の生き方が
本当に幸せなのかと考えてしまう。
ユーロ圏の中で一番、貧しいと言われているポルトガル。
それを旅行の途中で一度も感じなかったのは 何故だろう。
私たちが とうの昔に忘れ去ってしまった「足るを知る。」民族なのかもしれない。
外国に行くたびに感じる外側から見た自分たち国の反省も 帰ってみれば忘れてしまうけれど、
本当の幸せって なんだろうかと旅の途中、考えていた。
日本て本当に豊かなのだろうか・・・・・・?
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2005年 1月 20日(木) (鹿、恐い!) |
暮れに娘と思い立って関西へ・・、「そうだ、京都行こう!」
で、大好きな興福寺の阿修羅像を見に奈良?に行った。
お天気は上々、気分も上々。 で、終わらないのが我等の旅の常。
二月堂の前で よりによって私のたっかーいデジカメを娘が落としおった。
最近、歳のせいか、腹が立つと執念深くなった私は この恨みを何とか娘に報復しようと企んだ。
娘は かなり恥ずかしがり屋で引っ込み思案だ。
そうだ、ここをつくのが一番効果的。 ^m^
「ねぇ、せっかくだから鹿に餌でもあげなよ。」
「えっ? う・・うん・・・・・。」 (娘の顔に恐怖がはしる!)
おぉ、嫌がっているぞ。 デジカメを落とした娘は 逆らえず下出に出ている。
思う壺だー。 カイカーン!
財布を手にえさ売り場へ。
チッ、後ろでショルダーの紐を引っ張って抵抗している。
なんだよー、往生際が悪いヤツだネェ。「えいっ、離せって言うの!」と、思いっきり振り払ってやる。
が、しかし・・、それでも懲りずに今度は 両手で私のコートの後ろを引っ張っている。
「あんた、いい加減にせいよ。」 (ーー゛)と 振り向こうと思ったら
その上をもう一箇所、引っ張られた。
な、何?手が三本?あんた、阿修羅に変身したってか?
と・と・と・・・・・・! あんれー? 前方に娘がいるじゃなーい!
んじゃー、後ろを引っ張っているのは誰ー?
って、鹿だよ!
「ええい、離せ。汚い。何するんだー。」 ○△■☆*#×〜!(パニック状態でしばし呆然自失)
後で娘、曰く 「お母さん。鹿御一行様が後ろをピッタリくっついていたよ。
誘い合って買いに行ったのかと思ったよ。」
って、そんな訳ないだろうが!
あんた、母が鹿にかじられているのに(噛まれるではない)黙って見ていたな。
報復返しか・・?
ちなみに娘は 鹿せんべいを持った途端、鹿団子状態となり、せんべいをコッパミジンコに
握りつぶして鹿に投げつけ逃げた。
早い! 俊足、衰えず!
かくして私の下ろしたての白いコートとショルダーバッグの紐は 鹿のよだれで惨いことに。
残念! (ToT)/
「奈良のお鹿さんは 偉いでっせー。ちゃんと行儀良く お辞儀しはります。」
あぁ、修学旅行の感激は 遠くなりにけり・・・。
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2005年 元旦 京都大仙院 尾関住職のお言葉から・・。 |
年頭にあたり、少し真面目に 尾関住職のお言葉を・・
「今こそ 出発点 」
人生とは 毎日が訓練ある
わたくし自身の訓練の場である
失敗も出来る訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である
今この幸せを喜ぶこともなく
いつどこで幸せになれるか
この喜びを もとに全力で進めよう
わたくし自身の将来は
今この瞬間 ここにある
今ここで頑張れずに いつ頑張る
「大丈夫や! きっと、うまくいく」
京都 大仙院 尾関宗園
さぁ、今年も 頑張りましょう! 焦らず、ゆっくり、御身大切に・・・。
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2004年 12月17日(金) 今年の思い出! |
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早いもので 今年も残すところ 後、数日。
毎年、思うのだが 私にだけ11月と12月が ないのでは・・?
と、思わずにはいられないほど、何して過ごしたか分からない疑問の二ヶ月。
で、今年の嬉しかったことを考えてみた。
第一は ギリシアに行けた事か。
考え方がかわるほどのショックを受けたギリシア。
行けるとは 夢思わなかった遠い地であった。(あぁ、叶うなら もう一度。)
そして その次は 中高の友人フレディさんとシンガポールに行けた事。
フレディさんと旅行できる日が来るなんて、これ又、夢思わなかったことである。
友人と 旅を共にする機会は多々あるが 本当に楽しい旅であったと思う。
楽しい気分にさせてくれたフレディさんに 心から感謝、感謝。
さて、来年は どんな楽しい旅が 待っていてくれるだろうか。
いつか 行こうではなく、今、行けるうちに 少しでも 多く海外に出たいと願う。
この願い、どこまで叶うやら・・・・。
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2004年 10月17日 (日) 「電動車」に疑問 |
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私が住んでいる区は かなり、リッチである。
老人施設は いたるところに建てているし、電動イスや電動車(?)まで 補助がおりる。
区在住でない方が入居している老人施設の件は 今回はさておいて
「電動・・・」を買い与える家族、区に 疑問を持つのは私だけであろうか?
先日の事である。人ごみの嫌いな私は 日曜日は 買い物に出ないことにしているのだが
どうしても行かなくてはならない用事が出来、仕方なく自転車で 出かけた。
買い物を終わり、沢山の人たちと一緒に 信号待ちをしていた時のこと、
なにやら、小さい声で何か言っているような気がした。(道路を走る車の騒音で聞き取れない。)
人垣が 前後に分かれたかと思った瞬間、私の乗っている自転車の後ろに
かなりの衝撃が来た。 左足にサドルが食い込む。
「痛ってぇ〜〜」 (心の声)
左右を見渡すと 左側の道路を「電動車」が 全速力で走り去っていくではないか。
しかも、何事も無かったように・・・。 あのねぇ〜・・・。
「電動車」は かなり車体が重い。 しかしだ、人の自転車にぶつかっておいて、
自分は 揺れることもないだろうが 何も気が付かないということがあるか?
私が住んでいる区の歩道は 狭い。 「電動車」が通れば 人も自転車も横を通ることが出来ない。
しかし、今まで 「電動車」に付き添っている家族を見たことも無ければ 後ろで 繋がっている人に
挨拶しているご老人を見かけたこともない。
ご老人が 表に出ることは とてもいいことだ。 それ自体に意義を申し立てるつもりは
さらさらない。 でも、「電動車」を使うには 使いこなせるだけの能力があるかの判断を、
家族や 補助をくだす区は 見極める必要があるのではないだろうか。
悲しいことだが 誰もが歳をとれば 判断力も 瞬発力も衰える。
「電動車」の時速が たとえ、10キロ程度のものであれ、歩いている方にとっては
目前を疾走してくる「電動車」は 結構、恐い。
信号の変わり目に 無理やり渡っているご老人もよく見かける。
この様子を 果たして家族や区は 把握しているのであろうか?
お金を出せば なんでも手に入れられる世の中の危険な落とし穴を感ぜずにはいられない。
事故がおきて 責任を取らされるのは どちらなのだろうか。
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2004年 9月18日(土) 心遣いに・・・。 |
昨日、外出先から戻ってみると「不在配達票」が郵便受けに入っていた。
早速、連絡して持ってきてもらう。
おや?二つも・・・。
どちらも 夏に弱い私の為に 友人たちが送ってくれた物だった。
「夏に弱いMちゃん(私のこと)、これを食べて元気を出してね。」
「いつか、貴女が美味しいと言っていたのが見つかったから・・。」
なんだか、胸がいっぱいになって涙がこぼれた。
離れている友人が 私のことを気遣ってくれることのありがたさを噛みしめる。
自分くらいの年になると そう言う優しさが 本当に嬉しく、心にしみる。
人付き合いの大切さと、 優しい友人に恵まれた幸せを改めて思いながら
今日は 刺繍に向かっていた。
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2004年 8月13日 (金) 私のハワイは何処へ・・。 |
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暑い! 今年は 何処に行っても暑い!
行く前は 準備万端、余裕で行きたいと、いつも思いながら 一回も実現したことがない。
今年も例のごとく、せかせか、準備を楽しむゆとりもなく気がつけば、ハワイ行きの機上に・・。
暑い日本を脱出したはずなのに 着いて見れば 何故か、今年はハワイが蒸し暑かった。
その上、行ってみれば ビーズの依頼まで待ち受けていた。(えっ?私、遊びにきましてん。)
時差ぼけ、疲労蓄積の頭は 回転が鈍ってノーと言えない日本人になりさがり・・・。(トホホ・・)
おまけに 電光石火のように浴びせられる質問。(分からないよ、早口英語)
はいはい、もう どうでもいいわぃ。この場を なんとか切り抜けよう。
帰ったら 断ればいいし・・・、忙しいだってばー!(今年は 追われたくないのっ。)
ゆっくり、本を読もうと何冊も持っていったのに 開いたとたんに眠っている。
おまけにベッドから落ちた。(下の階の方、申し訳ありません。)
気がつけば 私のハワイの大切な日々は 半分も過ぎていた。
今年って 私、本当にハワイに行ったのかナァ??
PS. 帰って来たとたん、主人の母が いつもの不摂生から入院した。
なんなのよー!
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2004年 7月5日 (月) シンガポールは楽しい! |
シンガポール初めての私達は 翌日、ツァーに参加してみた。一応、名所を少ーし、回って (本来の目的)免税品を買わせてマージンを
取ろうツァーである。(せこい我等は 昼食つきに目が眩んだ。)
で、昼食時・・・、間違いはその時、起こった!
旅行社の写真係りらしき人物が 小冊子のように閉じた写真を個人に
配布し始めたではないか。
なんだ? あれは何なのだ?(思わず友人と顔を見合わせる。)
配られた写真を見ると なんだー? 個人の写真がいつの間にか
撮られているではないか。(肖像権の侵害だぞ。)
おまけに 一枚、8ドルだと。 な、なんでこんな写真が8ドルなんだよー。
しかも、何で私の写真だけ4枚もあるんだ?(みんな。集合写真以外、一枚なのに)
ふざけるんじゃない!・・・・・・・・・・・・が、しかし・・・・・・・、
もしかして この写真を買わなかったら バスから降りるときに
踏み絵のごとくバスのステップの下に敷いてあるのではないだろうか。
あるいは ライターで燃されるのではないか。
それは辛すぎる。
かくて気の弱い私は 集合写真以外の3枚を24ドル出して買ってきたのである。
ちなみに デジカメで撮った写真を現像して見たら すべて同じアングルだった。
ムカー!
今回は 中高の同級生だったフレディさんとの旅行だった。
方向音痴の私に勝る方向音痴のフレディさん。
お陰で 地図を見れる技を身に着けました。
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2004年 6月30日 古い友人から・・・。 |
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昨晩、古い友人から 電話があった。
15〜6年、音信が途絶えていた友人だ。 昔から気の強い友人で 物事を一方的に
解釈すると どうにも修正が聞かない。 私は 喧嘩したと言う意識事態無いが
向こうが 勝手に勢い込んで 音信普通になってしまった。
今、思えば あの時の友人は いっぱい、いっぱいの張り詰めた状態で毎日を
綱渡りしていたのだろう。 肩肘張った生活は 疲れる。
お母様とは 個人的に親しかったので 私の性格もよく把握しておられ、その件に
関しては 随分、心を痛めておられた。 しかし、こればかりは 無理押ししても
本人が 心にゆとりを持たないことには 話にならない。
いつもいつも、時間を掛けて説得するのは こちらも疲れるし、問題は もっと、
違うところ・・・、例えば 生活の根源のようなところに根ざしていたのでは
ないかと思う。
その一人暮らしをしておられたその友人のお母様が22日に亡くなられた。
遺品を片付けていたところ、あちこちから私の電話番号が出てきたそうな・・。
友人曰く、これは きっと、無くなった母が 私と仲直りしろと言っているのだと思い、
思い切って私に電話を掛けたとのこと。
15〜6年前と言えば 我が家の電話番号は 変っていた筈。
お母様は そこまで気にかけて ご自分が 万が一、亡くなられる事があっても
私の連絡先を 娘に伝えて 付き合いを再開させたかったのかと胸が熱くなる。
元気だった頃の お顔が目に浮かび、しばし、涙が止まらなかった。
苦労をされた方だけに 最後まで優しい方であった。
合掌
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2004年 5月23日(日) 早朝の電話は 恐い! |
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私は どうも、昔から寝起きが 異常に悪い。
友人から妹に至るまで 寝起きで電話に出ると 何故か、おびえる。
ひどい時は 「また、掛けるね。」と言って 電話を切られてしまう。
本人は 普通に出ているつもりなのに 失礼な話だ。
(「・・・・・・。」が多いだけだと思うのだけれど、よく分からない。)
先週の木曜日、朝5時少し過ぎに枕もとの電話が鳴った。
この時間帯と言うのは 6時に起きなくてはならない為の葛藤真っ只中にある。
起きるための準備と このまま、もっと寝ていたいと言う願望が戦っている。
多分 、私は 布団の上で身体が 宙に浮いた・・・、と思う。
早朝や深夜の電話は 危険な匂いがする。
無意識のうちに受話器を耳に当てる。
「はい、○○です。」と 名乗った・・と、思う。(多分)
「もしもし? もしもし?・・・・・・あれ? ○○ですけど。」
などと言っていた、・・ように思う。(多分)
「????」分からん。 名前に頭が反応しない。聞いたことがあるかもしれない。
聞いたことがないかもしれない。
あちらさんは しきりに話しかけていた・・・、ように思う。
私は 「・・・・・・・・・・。」だったかもしれない。(多分) 何故か、意識が途切れている。
そのうちに 電話が勝手に切れてしまった。(私が切ったのではない。名誉に掛けて!)
私の部屋においてあるのは子機で しかも電池が切れ掛かっているので
2〜3分で 勝手に切れてしまう。(言い訳とも言えるが。)
その後、どうも そのまま、眠ってしまったらしく、 寝過ごして娘に起こされた。
ーそして、娘は見た!ー 叫んだ!
「うわっ、なんだ? 火曜サスペンスかー? お父さーん!」
そうです、私は 受話器を握り締めたまま、半身、布団から抜け出して、
うつぶせに 眠っていたのでした。
「火曜サスペンス」の死体のごとく。
※ ちなみに 電話の主は 息子の同僚でした。 (ざけんなよ!)
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2004年 5月8日(土) タイミングが悪い! |
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歳のせいか最近、妙に気になることがある。
こんなことが気になるのは 私だけだろうか?
今日、K病院に出かけた帰りMホテルで ランチを食べた。
ナイフとフォークを置いて残りのパンをちぎっている最中に、通りすがりの黒服が
「宜しいですか?」と言うなり 左側のお皿に手を伸ばしている私の右下から
お皿を抜いたのである。(フォークを置くやいなやである。)
何だ? むかつくぞ! いいかと言われても パンが口に入っているのだから
何とも応えられないではないか。
大体、お皿を下げるタイミングが 異常に早いぞ。
プチッ! (切れた。)
これは 最も効果的な方法で嫌味を言うしかないな。会計の時にいくか・・。
では、優しく微笑んで・・・・・・、
「ナイフとフォークを置いたとたんに お皿を下げるのは 早すぎますよ。
まだ、パンを食べている最中でしたよ。
客が 全部、食べ終わって 手を下げてから、一呼吸置いて お皿を下げなければ
いけないのですよ。 ここは ファミレスではありませんでしょう。
一呼吸と言う間が大切なのですからね。」
しんねり・・・・・・・・・。マネージャー、非を認めて平身低頭。
友人曰く、「貴女のねぇ、その優しく言うところが恐いのよ。
逆らったら完膚なきまでに叩きのめされるし・・。」
いいえー、とんでもはっぷん。気が弱いから下でに出ているだけですねん。

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2004年 4月6日(火) ギリシャにて
・・・・。 |
|
ギリシアを旅する日本の若い女性は まだまだ、少ないようです。
大概は 私達のような年齢のおばさんたちであります。
今の時期、ギリシアは ヨーロッパの中学生や高校生が沢山、修学旅行に
訪れています。
ヨーロッパの学生にとっては さしずめ、日本の奈良、京都といったところなのでしょう。
今回の旅行は 娘にとっては ハプニング続きで、おかしいやら気の毒やら、なんとも
面白い旅行になってしまいました。
先ずは アムステルダムからギリシアに向かう飛行機に乗る時の出来事。
新幹線のような飛行機で飛ぶのですが、 三人がけの席の窓際に座っていたのが
まさに「ハリー・ポッター」そのもののような青年。(可愛い!)
その男の子が 娘が隣に座ろうとしたとたんに うっれしそーな顔でにっこり。
私はねぇ・・、思わず、娘を突き飛ばして横に座ってやろうかと思ってしまいました。
(多分、私が座ったら 反対に私が突き飛ばされて鼻血を出していたかも・・・。)
次は 翌日のエーゲ海クルーズでの出来事。
昼食 |