
「東京漫歩」 付録その3 穴守稲荷〜羽田空港
(2007年11月20日)
久しぶりの東京出張。春にプライベートで来て以来、東京は8ヶ月ぶりです。4年住んだだけに、少しばかり故郷に戻ったような懐かしさが感じられます。
今回は週末でもなくあわただしい出張で、もちろんゆっくり歩くわけにはいきませんが、帰りの飛行機に乗るまでの時間を利用して、ちょっぴり散策を楽しみました。
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| ノスタルジックな駅前 | 穴守稲荷 |
京浜急行の穴守稲荷駅で下車。駅前には赤い小ぶりな鳥居があり、どことなくノスタルジックな雰囲気です。
穴守稲荷は、駅のすぐ東南にあり、徒歩で5分もあれば着きます。神社の由来は、江戸時代の文政年間(約200年前)、付近が新田として開墾が進んだころ、台風や高波によってしばしば大きな被害を受けたので、堤防に穴があかないよう稲荷明神に祈願したのが始まりだそうです。立派なお社ですが、この神社にはちょっと変わった経緯があります(神社の説明板と、東京都大田区のホームページを参考にさせていただきました)。
この穴守稲荷は、もともとは現在の羽田空港の敷地内にありました。ところが、第二次世界大戦後、新しい空港の用地として付近一帯が連合国に接収されることとなり、その際、穴守稲荷も現在の羽田四丁目に移転・再建されたのです。
戦後の占領下で、致し方ないこととはいえ、有無を言わさぬ立ち退き、それも通告からたった48時間以内に退去せよとの命令だったそうで、対象となった地区(海老取川を境に鈴木町、穴守町)の住民の方々の無念は察するに余りあります。怒りのもって行き所もなく、泣く泣く黙って従うしかなかったことでしょう。現在、東京の空の玄関としてさらに沖合へ成長を続ける羽田空港整備の裏には、こんな犠牲があったのですね。恩恵を受ける身としては、複雑な思いです。
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| 浅草海苔の老舗 | 豊かな漁場だった海老取川 |
住民だけでなく、急な移転を余儀なくされた神社もさぞかし災難だったでしょう。人々の怨念や切ない思いがこの神社には一杯詰まっているような気がします。
なお、なぜか一の鳥居が一つだけ、今も空港内に残っています。羽田空港(当時は「飛行場」)整備に当たり、本殿に連なる鳥居をブルドーザーで取壊しにかかったものの、いざ撤去しようとすると負傷者が出たり、航空機事故や工事関係者の原因不明の事故が続いたりして、稲荷のたたりではないかといううわさが立ち、穴守稲荷の霊験とその地を開懇した人達の思いが通じたのか、さすがのGHQも一の鳥居を残すことにしたとか。その結果、天空橋駅の近くに今なお一の鳥居が建ち、羽田の街を見守っているのです。
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| 海老取川と羽田空港 |
神社を出て、周囲の街を散歩します。今はそのような過去の事件の面影もなく、のどかな下町の風情です。しかし、その昔東京湾で海苔の栽培が盛んだった頃の名残でしょうか、今も「横山安五郎商店」などといったゆかしい名の浅草海苔の老舗があったりします。それもそのはず、このすぐ近く、大森のあたりは古くから浅草海苔の産地として名を馳せた場所なのです。
羽田界隈は、時代の最先端をいく空港の真横にあって、どこか時代から取り残されたような街です。
街をあとにして、空港に向かって大通りを歩きます。ほどなく海老取川にかかる海老取橋に着きます。この川は空港が出来る前はその名の示すとおり、沢山の海老が取れる有数の漁場だったそうです。周囲は海水浴場が広がっていたとか。コンクリートの護岸となった今は見る影もありませんが、それでも橋の両側の川岸には十数人の釣り人が糸を垂れ、静かに釣りを楽しんでいます。背後の巨大な空港とは、実に対照的な眺めです。やはり、どことなく古き良き時代の香りをとどめた、いい街です。
橋を渡り、左に曲がって、航空機の整備場の間を抜け、東京モノレールの整備場駅へ。ほんの1時間弱ほどでしたが、味わいのある散歩となりました。
東京は、飽きることのない街です。
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