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T字路を進むと、部屋に突き当たった。四方を壁に囲まれた何もない部屋だ。
壁一面に苔が生えている。足を踏み入れると床に積もっていた埃が舞い上がり、
俺は軽く咳き込んだ。ここまでは、怪物の耳障りな鳴き声も聞こえてこない。
 俺は罠が無いかどうか部屋の中を軽く調べた後、壁にもたれ、座った。まだ
先は長いだろう。ここで一旦休憩を取ることにする。ランタンを傍らに置き(
火は松明から再び戻した)俺は背負い袋から食料を取り出した。塩漬けにした
干肉と乾パンである。少々味気ないが、怪物の巣食う迷宮の中で贅沢など言っ
てられない。1kg程の肉塊から一切れ短剣で切り取り、よく噛んで味わった
塩味が肉から染み出してくる。旨くはないが、まあ我慢できる味だ。それを飲
み込んでしまうと、動物の胃袋でできた水筒を口につけ、ひとくちだけ水を含
み、ゆっくりと飲んだ。こんな場所では水は黄金に匹敵する貴重品となる。一
滴だって無駄にすることはできない。
 一息ついた俺は警戒心を解き、左手首を見ていた。そこに腕輪をつけている。
赤茶色の髪で結われた腕輪である。何やらハーブの香りが、そこから漂ってく
る。
「フ…ここまで無事にやって来たのも、コイツのご利益だったりするのかねぇ」
 俺は笑みを浮かべながら、腕輪をくれた女のことを思い出していた。


「はあっ…うんっ…あうっ…んんっ!」
 俺の上で女が喘いでいる。リズミカルな腰の動き。女は俺に跨り、長い足を
M字に開いて、器用に動き続けた。毎回違う弧を描く円運動に、やわらかい上
下運動が加わっている。体の中心から足先、手の指先に至るまで、快感が俺の
中を駆け抜ける。女の抜群のプロポーションが淫靡なシルエットとなって、俺
の目を刺激する。
 彼女の名はジョアンナという。バルメキア王都ゼムンの娼館で働く娼婦であ
る。年齢は知らないが俺がジョアンナの客になってからもう七年になるから、
店でも年長の方だろう。事実娼館の娘っ子達はジョアンナを「姉さん、姉さん」
と呼んで慕っている。(もっともジョアンナはそう呼ばれることを心外に思っ
ているが)
 とりたてて美人というわけではない。赤毛で、細いキツネの様な目をしてお
り、顔にはほのかにソバカスがある。つんと尖った、形の良い鼻だけは本人も
自慢のようだったが、器量は人並みである。
 だが、それでも彼女の娼館での人気は高く、一度馴染みとなった客は何年も
彼女を指名し続けた。そんなわけで店での指名率は一番ではないものの常に三
番手、四番手を保ち続けていた。かくいう俺も彼女の「お得意様」の一人であ
る。そんなジョアンナの人気にはいくつかの理由がある。 

 第一にスタイルが良い。女としては長身で、背丈は170cm近い。美しい
弧を描くうなじから、すらっとした長い首が伸びている。乳房は娼館でも1、
2を争う程大きく、ピンと張った弾力が心地よい。はっきりとしたラインのく
びれから、豊満な尻へと降りていくと、本人が帝国一と豪語するスレンダーな
足へと辿り着く。その肉体は、単純明快な思考回路を持つ傭兵の理想そのもの
と言えるだろう。
 第二に性格が良い。俺たち客の話を親身になって聞いてくれるし、死の恐怖
に取り憑かれてしまった時は叱咤激励して勇気付けてくれる。特にハッとする
様な助言を与えてくれる賢明さをも持ち合わせており、体を売らなくても居酒
屋の女将として十分にやっていけると皆声を揃えて言うほどだ。
 第三に、恐らくこれが最大の理由だろうが、なんといっても床上手だ。積極
的だが主張し過ぎない手技、口技。天性の淫乱と客が評する腰使い。多くの者
がこの虜となり、他の女に浮気しても結局戻ってきてしまうのであった。(か
く言う俺もその一人だが)
 不死王の迷宮に旅立つ五日前、俺はジョアンナの客として床を共にしていた。
「ねえ、ちょっと顔みせてご覧よ」
「ん…?」
 事を済ませた後、ベッドで余韻に浸っていた俺に、ジョアンナは顔を見せろ
と言ってきた。半分眠りかけていた俺は、気の無い返事をして再び毛布の中に
潜ろうとしたが、それを彼女は許さなかった。黙ったまま、いつになく真剣な
目付きで俺の顔を凝視している。暫くしてジョアンナは口を開いた。
「アンタ、あたしの特技は知ってるよね?」
「…なんだよ?十八番のディープスロートの事か?」俺は茶化して答えた。
 ジョアンナの表情は固いままだ。そして言った。
「次の仕事は止めとく事だね。じゃないとアンタ、死ぬよ。」
 部屋の中を沈黙が支配した。俺の背筋が冷たくなっていくのがわかる。
 ジョアンナには特殊な能力が備わっていた。第六感とでもいうのだろうか、
人の死期を言い当てる霊感めいたものを彼女は持っているのだ。彼女のひい婆
さんはまじない師で、故郷の村ではちょっとした有名人だったらしい。その血
を引き継いでいるせいだろうか、ジョアンナから死の宣告を受けた傭兵は、殆
どが次の戦で死んだ。今ではこの街の傭兵ならば誰でも知っている話だ。だか
ら、彼女の予言を聞いた客は、当分の間は休業して家に引き篭もるのが当然の
事のようになっていた。
 が、今回ばかりはそうもいかなかった。
「悪いけど助言は無視させてもらうぜ。」服を着ながら俺はそう答えた。
「でかい仕事なんでね、危険は百も承知だ。」
「リューク…」
 めずらしくジョアンナが俺を名前で呼んだ。仕事中は男を「お客さん」と呼
ぶのが彼女の信条だったはずである。


 服を着終わった俺は、そのまま無言で部屋を後にしようとした。
「待って。」ドアノブに手をかけた瞬間、ジョアンナが俺を制止した。
「明日、あたしの家に来て。せめて出発はそれからにして頂戴。」
「なんだよ?」ぶしつけに俺が答える。
「いいから来なって。溜まってるツケ、支払い半分にしてやるからさ。」
「…わかったよ。」そうまで言われては断る理由も無い。どのみち俺独りの計
画だ、出発はいつでもよかった。

 次の日、旅支度を終えた俺はジョアンナの家を訪れた。ジョアンナは俺を招
き入れると(ちなみに長いことこいつの客をやっているが、家に招待されたの
は初めてだ。)ハーブ入りの紅茶を出してくれた。恐らく上等の紅茶なんだろ
うと思うんだが、味に無頓着な俺にはよく分からなかった。
 ジョアンナは一度奥に引っ込み、戻ってきた時には妙な”紐”を手にしてい
た。良く見るとそれはジョアンナの髪を結ってできていた。赤茶色の髪が丁寧
に束ね、捻られ、所々から新緑色のハーブが見え隠れしている。ジョアンナは、
俺の左手首にそれを結びつけた。
「こいつはあたしの故郷の村に伝わるお守りでね。あらゆる災厄から身を守っ
てくれると言われてる縁起モンさ。ひい婆さんが作り方を教えてくれたんだ。
ウチの村の男は、旅に出るときは皆こいつを付けてったもんだよ。」
「フフっ…そうか。」俺は少し可笑しくなった。これから手に入れようとして
いるモノは、正真正銘の秘宝「不死の護符」だ。歴史に語り継がれる伝説の護
符を我が物にしようというのだ。そんな、言わばお守りの親玉みたいな物を求
めて冒険に出る男が、娼婦が作った故郷の村に伝わるお守りを付けて旅に出る
とは、なんとも滑稽な話である。
 悪くない冗談だな、と思った俺はジョアンナのお守りを受け取ることにした。
「ありがたく頂戴するよ。しかし、こうも親切にしてくれるとは、どういう風
の吹き回しだ?」俺はいたずらっぽく尋ねてみた。
「あんたは私の客ン中でも一番の常連様ですからねぇ。死なれちゃこっちは大
損なのさ。ツケも溜まってる事だしね。ま、あんたがこういうモンを信じる様
には見えないけど、気休めにはなるだろ?」
「まあな」まあそんな所だろうな、と思って答えた。
「そんじゃ、気をつけて行ってきな。”傭兵は生き残ってナンボ”なんだろ?」
「ああ。」
「無理はするんじゃないよ」皮肉っぽい言い回しで話しているが、ジョアンナ
の目はいつになく真剣だった。どうやら本気で心配してくれているらしい。
「じゃ、行ってくるぜ」俺はジョアンナに別れを告げた。
 その足で、俺は不死の迷宮へと向かったのだった。