
退屈と倦怠が絶頂に達していたある日、俺の元を意外な客が訪れた。傭兵仲
間だった、バーザルという男だ。バーザルは俺より二つ年上で、背丈は同じ位
だが体躯はひとまわり大きい。顎鬚を伸ばしており、いやらしい目付きをした
男である。
はっきり言って俺はこいつが大嫌いだった。剣の腕は悪くないが、自分の利
益になると見れば平気で仲間を売る最低野郎だった。どんな汚い手を使ってで
も生還し、殺し合いで金を稼ぐ、確かにそれが傭兵の本分である。だが傭兵に
も傭兵なりのルールというものがあるはずである。仲間を売れば、他の傭兵達
からも信用されなくなるだろう。戦場で脅威となるのは敵の剣だけだと思って
いたら大間違いだ。最低限のマナーを守ることで、いつ壊れてもおかしくない
仲間同士の連帯感を保つことは、傭兵の義務であると俺は考えている。
バーザルが俺の迷宮に進入した理由は一つしか考えられない。護符だ。かつ
ての俺がしたように、圧倒的な名誉と不老不死の力を求めてここまで来たのだ
ろう。
屍鬼共を薙ぎ倒し、肉男の徘徊する通路を進み、クレバスを飛び越え、俺の
座る「玉座の間」の扉を、奴は今まさに開け放とうとしている所だった。
俺は玉座に座ったまま、扉の方を凝視していた。ギィギィと音を立てて扉が
自然と開き、見覚えのある髭面が、俺の視界に飛び込んできた。
「久しぶりじゃないか、バーザル」俺は座ったまま無愛想に答えた。
奴は俺を見るとぎょろりとした目を見開き、驚いている様子だったが、暫く
すると冷静さを取り戻し、あの男特有の引き攣った笑みを口に浮かべ、喋り始
めた。
「成る程。そういう事か」バーザルはゆっくりとこっちに歩み寄ってきた。
「てっきりくたばったモンだと思ってたぜ、リューク。」奴が話を続ける。
「コイツが欲しいんだろ?薄汚ねえ髭野郎が!」首にぶら下っている護符を手
に、俺はバーザルを挑発した。
「そういうこった!」奴は両手に持った大曲刀を振り上げ、座っている俺に切
りかかって来た。攻撃してくる事を予測していた俺は、身を翻し、玉座の左側
方へと飛んだ。大曲刀は空を斬り、石の玉座に衝突する。きぃぃん、という金
属音が、玉座の間に響き渡った。
俺は動揺した。右腕に切り傷ができていた。大曲刀が右腕を掠めたのだ。お
かしい、攻撃の軌道は完全に読めていた。この程度の単調な斬撃を躱せぬ俺で
はない。その筈だが…?
傷を受けた途端、護符の力が発動する。髑髏から青白い光が放たれ、右腕の
傷口から肉が盛り上がり、傷口を修復していく。ものの2、3秒で傷は跡形も
なく消えていた。
「ひゅぅぅ!それが不死の護符の力か!」
それを見てバーザルが感嘆の声を上げている。
俺は玉座後方へとステップし、長剣を抜いた。
息つく間もなくバーザルの次の攻撃が来る。大曲刀による斬撃。その連撃。
有無を言わさぬ攻撃に継ぐ攻撃。押しに押して相手を圧倒し、怯んだ隙を狙
って必殺の突きを繰り出すというのがこの男の戦法だった。単純だが、悪く
ないやり方だ。相手が新参の兵士や臆病者ならば、十分に通用する効果的な
戦法だと言える。が、俺には通用しない。奴の連撃は極めて単調だ。その隙
を突くことなど百戦錬磨の俺には朝飯前である。
筈だった。
その予想は脆くも崩れ、連撃で体勢を崩した俺の喉元に、バーザルの突き
が迫った。刹那、咄嗟に横へ飛び、寸前のところで急所を外す。大曲刀の切
先が俺の右肩を貫いた。刃は動脈にまで達しており、今にも大量の血液が噴
出そうとしている。即座に護符の力が発動し、傷を修復していく。
「便利なもんだなぁオイ」奴は舌なめずりしながら剣を抜き取った。
腕が鈍っている。
今や明白な確信として、その事実が俺に突き付けられていた。俺の剣は十
年以上に渡る傭兵生活の中で鍛えられた修羅の剣である。誰に教わるでもな
く、死と隣り合わせの毎日を生きるうちに自然と身に付いていった、生存本
能の産物だった。
その研ぎ澄まされた牙は、今や見る影も無く俺の内から消失していた。
不死者としての一年間の生活。その中で生きる為の術、即ち敵の攻撃、殺
気を読む感覚や、思考する速度を遥かに超えて行動に移ることのできる反射
能力、そういったものが無用のものと化し、俺の内から失われていた。
護符の所持者である限り、死は俺にとって脅威ではない。叩き斬られよう
が、頭を潰されようが、たちどころに再生されてしまうのである。
そのことが、この一年の間に本能にまで浸透し、俺の習性を変質させてい
た。
バーザルは攻撃を続けてくる。
繰り返される斬撃を受け止めながら、俺の心は揺れていた。
俺は今や不死身で、無敵の戦士である。いかなる刃、いかなる矢をもって
しても、俺を倒すことは不可能なのだ。それは紛れも無い事実である。
しかし―――
それと引き換えに、俺は戦士としての本能を失っていた。剣を手にした瞬
間から求め続け、研ぎ続け、自らに抱く絶対的な自尊心への揺ぎ無い根拠と
なっていたもの。
それが気付かぬうちに失われてしまっていた。
俺はバーザルに切り刻まれるかもしれない。だが、いつかは勝利するだろ
う。バーザルは疲労し、恐怖し、絶望の中果てるだろう。
俺はそれでいいんだろうか?